大倉草紙

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【京都】 薩摩藩邸跡

2009年09月15日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
5月31日(日)
当日の行程:(阪急・茨木市駅…阪急バス・阪急茨木市駅~千提寺口) → 【クルス山】 → 【キリシタン遺物史料館】 → (阪急バス・千提寺口~阪急茨木市駅…阪急・茨木市駅~高槻市駅) → 【高槻カトリック教会】 → 【野見神社】 → 【高山右近天主教会堂跡】 → 【高槻市立しろあと歴史館】 → 【高槻城跡の碑】 → 【城跡公園】 → 【高槻市立歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)】 → (阪急・高槻市駅~烏丸駅…京都市地下鉄・四条駅~今出川駅) → 【相国寺】【相国寺金閣銀閣名宝展-パリからの帰国-(相国寺承天閣美術館)】【薩摩藩邸跡】【俵と龍のコレクション-屋号にちなんだ菓子意匠と茶道具-(京菓子資料館)】【藤井右門宅跡】【室町幕府跡】【山名宗全邸宅跡】 


「現同志社構内の敷地一帯は、幕末に薩摩(鹿児島)藩邸があった所である。京都薩摩藩邸がはじめに置かれたのは中京区錦東洞院であるが、そこが手狭なため、文久二年(一八六二)にここに大きな藩邸を設けたのである。敷地の広さ、五千八百五坪(約一万九千平方メートル)、九棟の建物と多くの土蔵が立ち並んでいた。
 薩摩藩は鎌倉時代以来の名家島津氏を藩主とする外様の雄藩で、石高は約七十七万石。幕末に藩政改革に成功してから中央政局に発言力を強め、公武合体運動を展開、ついで長州藩と同盟して武力討幕に転じ、幕末、維新の政局の主導権を握った。藩邸はこうした活躍の根拠地であった。 京都市」(案内板より)

碑は、同志社大学西門前に建っている。
ここを訪れる前に参拝した相国寺は、素晴らしいお寺で心安らかになったのだが、周囲を見渡して気になったことがひとつだけある。
それが同志社大学の建物、というのは、私だけかなあ。