大倉草紙

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【愛知】 名古屋城

2009年04月17日 20時00分00秒 | 旅 - 愛知県
12月21日(日)
当日の行程:(近鉄・名古屋駅…名鉄・名古屋駅~神宮前駅) → 【熱田神宮】 → (名古屋市営地下鉄・神宮西駅~金山駅) → 【ペリー&ハリス -泰平の眠りを覚ました男たち-(名古屋ボストン美術館)】 → (名古屋市営地下鉄・金山駅~市役所駅) → 【名古屋城】 


名古屋城といえば、金の鯱。
おぉ~のっかってる!


二之丸東庭園


那古野城跡
「大永(一五二一~二八)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端に築いたもので、一名『柳の丸』といった。
 氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていたが、天文元年(一五三二)織田信秀のため城を奪われた。その後信秀が居城し、天文三年信長はここで生まれたといわれる。
 同年、信秀は古渡城に、また、弘治元年(一五五五)信長も清須に移り、一族の信光が居城したが、やがて廃城となった。
 慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際、二の丸の一部となった。   名古屋市教育委員会」


大手馬出跡


表二之門(重要文化財)


表一之門跡


東南隅櫓(重要文化財)
辰巳櫓ともいわれる。
この櫓は、築城当時のものであるという。


旧二之丸東二之門(重要文化財)


清正石
この石は、加藤清正が運んできたといわれているが、この石塁は黒田長政の丁場であるため、伝説にすぎないとも。
二之丸広場の近くに、「清正公石曳きの像」があった。

大坂城の肥後石も、加藤清正が運んできたという伝説があるが、実際には備前岡山藩主池田忠雄が運んだものだという。


本丸御殿跡
本丸御殿は、昭和20年(1945)の名古屋空襲で焼失してしまった。
襖絵や天井板絵の多くが焼失を免れているのは、せめてもの救いである。
本丸御殿は、現在、復元工事中。


榧(かや)の木
樹齢600年以上といわれる。
名古屋市内で唯一の国指定の天然記念物。
初代藩主・徳川義直が大坂の陣に出る際に、その実を食膳に供したと伝わる。


正門
昭和34年(1959)に再建されたもの。
帰りは、正門から出る。


正門を出ると、名古屋能楽堂がある。


その近くには、加藤清正像も建っている。