奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

私の宝もの カメラ 0721

2020-07-24 04:08:29 | My Back Pages
私の宝もの カメラ
2020年7月日 No124
SLIGHTLY OUT OF FOCUS ニコンF2、キャノン5DマークⅡ

 ギター、オートバイに続き、今回の "私の宝もの”は、カメラ、さあ、私の山荘で、カメラ談義しませんか
 高校時代、単車に乗って有頂天、週末は学校帰り福岡まで(片道30km)バイクで行き、時代遅れの70円/本の洋画を見たり、VANショップで服など買った。新聞配達は続けていたので、お金はあった
 そんなある日、ロバートキャパの「斃れゆく瞬間の民兵」の写真を見た、衝撃だった、そして、カメラマンを夢見、中古の「オリンパスペンFT」カメラを買った
 

 写真は、ちょっとピンぼけ 1979年5月25日第1刷 1990年4月5日第17冊 文藝春秋
 ロバート・キャパ(Robert Capa)1913年ブタペスト(ハンガリー)に生れる。ユダヤ人。本名アンドレ・フリードマン。祖国を捨て20歳でカメラマンとなる。報道写真の古典と言われたスペイン内乱の「斃れる瞬間の民兵」はじめ、多くの写真を残したが、1954年5月、ベトナム・ハノイ南方の戦場で地雷に触れて死亡。41歳であった
 

 オリンパスペンンFT(ネットから)

 今はデジタルでプリント代だけで済むが、昔はフィルム代、現像代、プリント代と結構なお金がかかった。フィルム代がなく、写真が撮れないので、鏡に向かってカメラを構え、空シャッターを切って、ブレない練習などした。1/2秒まではブレない写真が撮れた

 FTがハーフ(1枚分のフイルムで写真2枚撮る)であったため、引き延ばしに弱く、次のカメラ(人気・実力トップのニコンF)が欲しくなった。価格は63000円、10回月賦で売ってくれと、いつも行くカメラ屋に頼むと、保証人に親父のハンコ押してこいと言われた。勝手にバイク買ったあと、親父が印鑑押すわけない、諦めた
 
 高3、希望の大学に落ちた。親父と約束はしなかったが、落ちたら就職ということになっていて、彦根の会社に就職が決まった。商売人になると言って高卒から働いた3番目の兄が、俺が金を出すから弟を大学行かせろと親父に談判した。2次試験受けた大学に写真学科があり、写真に行ってもいいぞと兄は言ってくれた(写真学科は授業料が高く、戦争カメラマンになる度胸もないので文系に進学した)

 就職して、ニコンFを買いに行った。時代は変わり、F2になっていた。買っていろんな写真を撮ったが、一番喜んでもらえたのは、親戚・友人の結婚式の写真。ニコンF2が、もっといい写真撮れよと泣いている


 左ニコンF2、後ろニコンFM2(ワインダー付)、右キャノン5DマークⅡ

 2007年ころ、名古屋でフィルムにこだわる写真クラブに入ったが、時代の波には負ける。1人、2人とデジタルに移行した。1年間、フィルム100本買って現像に出せば、20万円は軽く飛ぶ。そう考えると、新しいレンズと高性能デジタルカメラが欲しくなった(2010年 5Dを買った)

☆ 反省など
・奥揖斐「湧谷山~蕎麦粒山(1泊)」、南ア「農鳥岳~北岳(2泊)」、日高山地「伏美岳~幌尻岳(2泊)」など5Dを持っていったが、カメラバック込みで2.5kgは重たく、今は携帯のカメラと防水のオリンパス:タフを使っている
・名古屋時代、写真クラブ「四季の会」で「名古屋富士フォトサロン」に2度出展、その後岐阜の写真クラブ(2つ)に入った後、今は揖斐郡大野町の写真クラブに入っている


 名古屋富士フォトサロン


 サロンに出展した「氷上の輝き」、明かりを灯しているようだが自然な早朝写真、この写真が一番好きです


 2002年東京大丸でのロバート・キャパ作品展切符、買った写真集と大事にとっている

 私は、この切符の上写真、「イギリスの戦争孤児とアメリカ陸軍兵 ロンドン 1943年1月~2月」 と、 フランス開放で、「ナチに協力した女は髪を剃られ町を追放された」という写真が(武器が写っていないので)好きです。どの写真にも言えますが、キャパの写真は兵士を前から撮っている(前から撮るということは、兵士より敵に近く、先に撃たれる可能性が大ということ)
 注:写真「斃れゆくる瞬間の民兵(ミリチア)」は「ちょっとピンぼけ」の冊子に載っていますが、2002年の大丸での「作品展」及び「写真集」には載っていないので、このブログに写真を載せるのは控えました

 私の宝もの、今日で終わります

コメント (2)
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