いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> サマープリンセス

2021-05-08 07:45:01 | 食品

 「サマープリンセス」

■サマープリンセスとは

 
●四季成りイチゴで夏でも食べられるいちご
サマープリンセス
サマープリンセスは「麗紅」と「夏芳」の選抜系統に「女峰」を交配して育成された品種で2003年に長野県南信農業試験場より登録されました。名前のとおり夏でも収穫できる四季成りイチゴです。

●サマープリンセスの特徴
 果肉は白くしっかりとしている割に多汁で、やや酸味が強く、昔懐かしい麗江を思い出させてくれる味です。香りは強くありませんが、ショートケーキなどに用いるのに適した酸味を持っています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-SummerP.htm より

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<言 葉> 夏の言葉 青葉

2021-05-08 07:39:37 | 言葉

 「青葉」

 おもに落葉樹が青々と茂ったさまをいう。「青葉若葉」というが、若葉がさらに夏の日を浴び、成長して青葉に変わる。初夏の風にさやさやと吹かれていた若葉が、日々勢いよく茂っていく様子は、大自然が 持つ生命力の象徴でもある。

*http://kigosai.sub.jp/kigo500a/363.html より

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-中村雅俊

2021-05-08 07:13:43 | MUSIC

 「中村雅俊」

 1951年2月1日生まれの70歳


 中村雅俊の若い頃の活躍は? 現在の姿に「こんな大人になりたい…」 By - grape編集部  公開:2020-12-16  更新:2021-01-04

中村雅俊

 俳優や歌手として活躍している中村雅俊(なかむら・まさとし)さん。

 高い演技力はもちろん、デビュー時から変わらぬ若々しい姿で、多くの人を元気付けています。

 そんな中村雅俊さんの若い頃の活躍や現在の姿をご紹介します!

 中村雅俊の若い頃に「イケメンすぎん…?」
 1951年に宮城県で生まれた中村雅俊さん。

 1974年に放送されたドラマ『われら青春!』(日本テレビ系)で主演に抜擢され、華々しいデビューを飾ります。

 同作の挿入歌である『ふれあい』を歌い、歌手としても注目を集めた中村雅俊さん。真剣にレコーディングに励む姿がとってもかっこいいですね。

 以降も数々のドラマや映画に出演。1975年放送のドラマ『俺たちの勲章』(日本テレビ系)では、後に妻となる女優・五十嵐淳子さんと共演しました。

 俳優として活躍する一方で歌手として、ヒット曲を連発。この頃にリリースしたアルバムは軒並みヒットを記録し、歌唱力の高さでも注目を集めました。


 イケメンな笑顔は今とまったく一緒!しかし1977年に結婚を発表し、熱狂的ファンはかなりショックを受けたようです。

 中村雅俊の妻や娘、息子はどんな人? 新曲『だろう!!』に「カッコいい」の声

 中村雅俊の現在に「変わらずかっこいい」インスタを見てみると…
 中村雅俊さんはインスタグラムを利用していませんが、出演作や共演者のアカウントにたびたび登場しては、イケメンぶりを発揮しています。

 

 中村雅俊さんの年齢は、2020年12月現在、69歳です。

 とっくに還暦を迎えていますが、「昔から変わらない!」「こんな大人になりたい」とそのビジュアルが話題になっています。

 中村雅俊さんにはこれからもマルチに活躍し続けてほしいですね!

[文・構成/grape編集部]

*https://grapee.jp/901499 より

 

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<日本酒> 愛知 金紋ねのひ/盛田 小鈴谷工場

2021-05-08 07:09:53 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(名古屋国税局)】
 〈愛知〉 金紋ねのひ/盛田 小鈴谷工場

 盛田の酒の味わいは、「芳醇甘口」。日本酒本来の米の旨みを感じながら、程よい後味と余韻をお楽しみください。

 ■材料へのこだわり
 酒を仕込むには良い素材が欠かせません。
 昔はその土地でとれる米や水を使用して醸造するのが常でした。
 現在では、厳選した材料をほかの土地に求めてもかまわないと思います。
 より良いものを造るという理由の為だけに。
 1.「木曽御嶽山の湧水」は吟醸造りに最適な水
 吟醸造りは低温発酵にて丁寧に仕込まれ、ここから華やかな香りやのど越しの良さが生まれます。そのため盛田では、ゆるやかな発酵を促すため、軟水できれいな「理想の水」を捜し求め、やがて「木曽御嶽山の湧水」にたどり着きました。採水地である長野県の開田高原から愛知県知多半島の小鈴谷工場まで200kmの距離をローリーで運び、厳冬の寒造りに備えます。盛田の特定名称酒は、すべて木曽御嶽山の湧水を仕込水に使用しています。
 2.優れた米を選ぶ
 酒米はやはり「山田錦」。特に大吟醸造りには兵庫産をはじめ、最高級の酒造好適米を買い付けます。また「若水」や「夢吟香」といった、地元愛知の優れた酒造好適米を使った酒造りにも取り組んでいます。
 3.風光明媚な伊勢湾を臨む小鈴谷の酒蔵
盛田の酒蔵のある知多半島は一年を通じて温暖な気候ですが、冬季には伊勢湾を渡って「伊吹おろし」と呼ばれる寒風が吹き、冷たく、また新鮮な空気を蔵に運んできます。厳冬の季節、蔵人たちが熟練の技で、厳選された米と水を使用してお酒を仕込みます。

 盛田株式会社 愛知県名古屋市中区栄1丁目7番34号

 ラインナップ

 「ねのひ」純米の酒

 「子乃日松」純米大吟醸・純米吟醸

 「花風月」吟醸

 「盛田」純米吟醸 無濾過・本生 吟醸 

 「尾張 男山」大吟醸 など

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<伝統野菜> 岩手 暮坪かぶ

2021-05-08 06:59:00 | 伝統野菜

 「暮坪かぶ-くれつぼかぶ」
 【生産地】岩手県遠野市上郷町佐比内暮坪集落

 【形状】白カブの一種。根の部分はカブ独特の球状ではなく、20cmほどの長さで、やや湾曲している。根の部分でも地上に出ている部分は淡い緑色である。土壌に埋まっている部分は白色。

 【食味】辛味か強く、独特の風味がある。辛味の成分はイソチオシアネート類でダイコンの10倍近くある。漬物やそのまますりおろして薬味として使用。蕎麦の薬味としての他、脂身の多いぶりなどのお刺身に乗せても美味しくいただける。

 【来歴】天正年間(1573~92)に、近江の薬売りが岩手県の遠野市暮坪地区にもち込んだのが、このカブの栽培の初めであると伝えられている。暮坪集落に住む1戸の農家が代々育て上げてきたかぶで、この暮坪の土地でないと独特の辛みが出ない。同じ種を使用しても風土の違いで異なる味になる。「暮坪かぶ」の名は登録商標となっている。

 【時期】10月下旬から11月上旬

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%B2%A9%E6%89%8B/#i-8 より

 

 Premium Marché 特選素材 12月・1月は「かぶ」
 
 初冬になると、店頭には大小さまざまな紅白のかぶが並び始めます。かぶは白菜や小松菜と同じアブラナ科の野菜で、地域独特の固定種(在来種)も約80種類ほどあると言われているのだとか。春の七草のひとつ「すずな」はかぶの別名であり、古くから日本で育てられていたこともうかがえます。

 今回プレミアムマルシェが注目したのは、個性あふれる4種類のかぶ。北欧から岩手県一関市に根付いた山吹色の「矢越かぶ」、遠野の地元高校生が復活させた「琴畑かぶ」、究極の薬味とも称される「暮坪かぶ」、そしてなにわの伝統野菜「天王寺かぶら」をご紹介します。

 “究極の薬味”として独特の風味と爽やかな辛みを味わえる「暮坪かぶ」
 暮坪地域でしか育たない幻のかぶ
 まるで青首大根のような見た目をした「暮坪かぶ」。あまり他に例を見ないこの長根系の白かぶは、江戸時代に近江商人から持ち込まれた京野菜がルーツとなり、暮坪地域の土壌や気候との掛け合わせによって、独特の風味や辛みへと進化したのだそう。地域では元々お漬物として食べられていましたが、人気グルメ漫画で"究極の薬味"として取り上げられ、日本中から注目を集めるようになりました。


 "民話の里"遠野の暮坪地域のみで育つ珍しいかぶ
 暮坪かぶが栽培されているのは、"民話の里"として知られる岩手県遠野市。民俗学者・柳田國男が遠野の不思議な物語を聞き書きしてまとめた『遠野物語』の舞台で、河童や座敷童子(ざしきわらし)にまつわる民話が多く残されています。畑から少し車で移動したところには、きゅうりをつけた釣竿で河童釣りが楽しめる「カッパ淵」もあり、まるで民話の世界に迷い込んだかのよう。


 一戸の農家が守り続ける遠野の特産品
 暮坪かぶを育てているのは、遠野市上郷暮坪地区に住む「協同組合暮坪かぶ」理事長の菊池貞三さんのご家族のみ。菊池さんのご両親は元々ホップ(ビールの原材料)農家だったのですが、昭和の終わりに他の作物へ切り替えることを検討し、約400年前から暮坪で育てられていた暮坪かぶに着目したのだそう。周りの農家にも声をかけ、約20年前には18軒ほどの農家で栽培していたのですが、後継者不足や育て方が大変なこともあり、現在は菊池さんのご家族のみが栽培しています。


 手間ひまかけて栽培される暮坪かぶ
 暮坪かぶの栽培が大変な理由として「連作障害 」が挙げられます。かぶを含めたアブラナ科の野菜は、毎年同じ土地で同じ野菜(あるいは同じ科の野菜)を育てることで病気にかかりやすくなったり、虫が増えたり、土壌が痩せたりして、作物の生育が悪くなってしまうのだとか。そうならないためにも、春と秋には転々と畑を替えながら作付を行い、空いた畑ではとうもろこしなど別の作物を育てるなどの工夫が必要となります。

 もう一つの理由が、虫の被害に遭いやすいこと。"根を食べるかぶ"へ使う農薬は最小限にしたいと考える菊池さんは、虫に食われてしまってもそのままにしておくのだそう。よって収穫時に葉は虫にすっかり食べられて網目状になってしまうので、葉 を切り落とした状態で出荷しています。


 暮坪産のかぶにしか出せない、独特の辛みと風味
 「正直、暮坪の土自体がものすごく特徴的というわけでは無いようなのですが、他の地域で同じ種を蒔いても、なぜか水っぽい大根のようになるし、辛みが出ないんです」と話す菊池さん。また他のかぶと同様、同じアブラナ科の「菜の花」などと品種が混じって、辛みが弱まってしまうのだとか。蜂が媒介して受粉してしまわないよう網をかけるなど、「暮坪かぶ」ブランドを守り続けるべく細心の注意を払われています。

 また、"究極の薬味"として知られるようになり、本来の旬である10月下旬から11月上旬に出荷するだけでは消費者の要望に応えられなくなりました。そこで菊池さんは春と秋の年2回に分けて栽培したり、収穫したかぶを長期保管できるよう、貯蔵庫のコンディションを工夫したりするなど、さまざまなチャレンジを繰り返して暮坪かぶの普及に取り組んでいます。「でも残念ながら、みなさんが冷たいお蕎麦を食べたくなる5月までは持たないんですよね」と苦笑いの菊池さん。

 菊池さんおすすめの食べ方は、味噌を添えたおでんや、グリルを使った丸ごとの直火焼き。熱が加わって辛みが飛び、ぐっと甘みが増すのだそう。ご自宅では、出荷前に切り落とした葉を 塩漬けにしてチャーハンに混ぜられているのだとか。蕎麦などの薬味にする際は、辛みを際立たせるため鬼おろしなどで荒くおろせばいいよと教えてくださいました。

*https://premiummarche.com/read/201712-2.html より抜粋

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<漢字検定> 1級 読み 72.回答 73.出題

2021-05-08 06:49:00 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 靄然  -藹然-あいぜん-
 1 雲・霞 (かすみ) などがたなびいたり、もやが立ちこめるさま。

 2 気分などが穏やかでやわらいださま。

 

 問2 旌表  -せいひょう-人の善行をほめて、世に広く示すこと。表旌。

 

 問3 蹂躙  -蹂躪-じゅうりん-ふみにじること。暴力・強権などをもって他を侵害すること。

 

 問4 弛緩  -しかん-ゆるむこと。たるむこと。

 

 問5 諠譁 -喧嘩-けんか-

 ①言い合ったり殴り合ったりしてあらそうこと。いさかい。
 ②騒がしいこと。また、そのさま。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 嶮路  

 

 問2 喇叭  

 

 問3 澗泉  

 

 問4 鼇頭  

 

 問5 花瞼  

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 岐阜 岐阜提灯

2021-05-08 06:43:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「岐阜提灯」

 Description / 特徴・産地

 岐阜提灯とは?
 岐阜提灯は、岐阜県岐阜市で作られている提灯です。300年以上の長い歴史を誇っており、1995年(平成7年)には、その技術力の高さが認められて、国の伝統工芸品に指定されました。
 岐阜提灯の特徴は、美濃地方で作られる良質の美濃紙や竹を材料に、秋の花々や花鳥、風景などの細やかな絵柄が描かれていることです。材料となる美濃紙は、薄くて丈夫なことで昔から知られており、美濃紙それ自体も、国の伝統工芸品の指定を受けています。竹ひごはあくまで細く、紙はあくまで薄く、繊細で優美な形と絵柄があいまって、見る人に上品で清楚な印象を与える提灯です。
 お盆の時期には、盆提灯として各家庭などでも広く飾られているほか、照明やインテリアとして用いられることもあります。
 岐阜提灯は、御所提灯と呼ばれる、上からつりさげる卵型のものが代表的です。この御所提灯を指して、岐阜提灯と呼ぶこともあります。その他にも、丸い形の御殿丸や、三本の脚が付いた、据え置き型の大内行燈などもよく知られています。

 History / 歴史
 岐阜提灯 - 歴史 
 昔から、岐阜市のあたりは優れた和紙と竹の産地でした。このため、岐阜市では提灯と同様に、美濃紙と竹を材料とする和傘やうちわなどの工芸品も発達しています。
 岐阜提灯は、徳川三代将軍の頃には幕府に献上されたといわれています。その起源については、慶長年間(1596年~1615年)とする説や、1650年(慶安3年)とする説など、諸説あります。
 宝暦年間(1751年~1763年)には、岐阜町の提灯屋十蔵が、現在の岐阜提灯の形状につながる提灯を作り、尾張藩に納めていました。文政年間(1818年~1829年)には、草花などの彩色を施した岐阜提灯に人気が集まり、京都の公家の詠草にも詠まれています。
 その後も岐阜提灯は継続して作られていましたが、まだまだ高級品で、一般庶民まで広く普及するには至っていませんでした。岐阜提灯の名前が広く知られるようになったのは明治に入ってからです。1878年 (明治11年)に明治天皇の岐阜市行幸の際に目に留まり、そこから岐阜の伝統工芸品として全国に知られるようになりました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/gifuchochin/ より

 幕府・天皇家へ献上しつづけてきた精緻な美
 岐阜提灯は宝暦年間(1751~1763)に、岐阜の提灯屋十蔵が徳川幕府に提灯を献上してからその名を知られるようになったといわれる。岐阜提灯は数人の専門職の分業で作られるが、今回は、提灯の本体部分を作る「張師(はりし)」鈴村昭夫さんにお話を伺った。

 
 気楽な気持ちで岐阜提灯の世界に
 美濃地方で提灯が作られるようになったのは、薄く丈夫な美濃和紙と良質な竹が豊富にあったためで、その名が知られるようになった後も技術の改良が重ねられ、現在のような精巧優雅な岐阜提灯が完成した。岐阜提灯は江戸から明治・大正・昭和にかけて二百数十年にわたり幕府・天皇家に献上されてきた歴史を持つ。けれども、鈴村さんがこの世界に入った時にはそんな気負いは全くなく、気楽なものだったという。中学を卒業して就職するにあたって会社見学に来た時に提灯の製造工程を見て、図工や美術が好きな自分には向いていると思って入社したそうで、「伝統を守るとか古い歴史とかは全然考えませんでしたね。」それでも、3カ月もたった頃には張師としての仕事がだいたいわかり、仕事がおもしろくなっていった。


 細かい作業のオン・パレード
 「自分に向いていたんですね。」と鈴村さんは言う。張師の仕事は木型を組んで竹ヒゴを巻き、紙をはり、乾かしてたたむまでだが、実際に提灯を見ていただけばすぐわかるように、非常に細かい作業だ。ヒゴはヒゴで専門の職人が作るのだが、太さは0.6~0.7ミリしかない。このヒゴを木型に細かく刻まれた溝に沿ってらせん状に巻いていくのだが、針金と違って竹ヒゴには節があったり太さも微妙に違う。これを同じひっぱり加減で巻いていくのが難しい。竹ヒゴの長さはおよそ4メートルあるが、直径一尺の提灯を作るためにはこのヒゴを20回~25回も接がなくてはならない。糸で細かくしばって接ぐこの作業が手間がかかる。また、紙をはった後、上の張り輪と下の張り輪を結んだ糸に沿って余分なところをカミソリで切り取る。このときのとなり合う紙ののりしろはわずか1ミリ。丸い提灯を一枚の紙で貼っているのではないかと思うほどの、驚くべき精巧さだ。「覚えるまでは大変でしたね。」鈴村さんは何気なく言うが、一日にせいぜい5~6個しかできない手間ひまのかかる仕事である。


 岐阜提灯はそれぞれの専門職の技術の集積
 張師の鈴村さんがはっていた紙にはあらかじめ白い大輪の菊と黄色の小菊が描かれていたが、これは「摺込師(すりこみし)」という専門の職人が型紙を使って絵を摺り込んだものだという。よく見ると、花びら一枚一枚、葉のひとつひとつが微妙に摺りわけられている。何色も重ねるために、また立体感を出すために、時には100回近く型を重ねるのだという。また、無地の紙をはって作った提灯に後から絵付けをする方法もあるが、これは「絵付け師(えつけし)」の仕事だ。岐阜提灯の製造工程には数人の専門職がかかわっている。口輪や御所提灯の手板、行灯の台などを作るのは木地師(きじし)、その木地の加飾には、塗りは塗り師(ぬりし)、蒔絵(まきえ)は蒔絵師、といった具合である。「岐阜提灯の魅力は、それぞれの専門職が気持ちを込めて作ったものがひとつになるってことでしょうか。それぞれに技術のよいものが。」


 精緻な秋草の魅力
 鈴村さんは岐阜提灯の繊細な絵柄が好きだという。岐阜提灯に描かれる絵柄は、かつて提灯が照明器具として使われてきた時には花鳥山水や岐阜の鵜飼など。お盆や納涼に使われることが多い今は秋草が描かれることが多い。絵柄は変わってもその精緻な美しさは変わらない。「私たちには先輩から受け継いできた技術を伝えていく役割があると思います。伝えていきたいですね。」最初は伝統や古い歴史など全く考えずにこの世界に入ったという鈴村さんがはっきりとおっしゃった。


 職人プロフィール

 鈴村昭夫 (すずむらあきお)

 1950(昭和25)年生まれ。
 中学卒業後、明治初期から100年以上岐阜提灯を製造してきた(株)オゼキに入社し、以来30数年間、張師(はりし)として大小さまざまな提灯を作ってきた。

*https://kougeihin.jp/craft/1409/ より

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