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いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<パリパラリンピック2024> メダリスト 古川佳奈美

2024-10-29 08:16:54 | パリパラリンピック2024

 「古川佳奈美」 銅-卓球・女子シングルス

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2007755-------------------- より

 古川 佳奈美(ふるかわ かなみ、1997年7月27日 - )は、日本のパラ卓球選手(クラス11)。

 1997年7月27日生まれ、福岡県福岡市出身。

 えん・コミュニケーションズ所属。

*Wikipedia より

 パラリンピック 卓球 古川佳奈美が銅メダル 女子シングルス 2024年9月5日 22時01分 NHK NEWS 

 パリパラリンピック、卓球の女子シングルス知的障害のクラスで、古川佳奈美選手は準決勝で敗れ、銅メダル獲得となりました。

 2大会連続出場で27歳の古川選手は、中立な立場の個人資格の選手として参加しているNPAの53歳、エレナ・プロコフェワ選手と対戦しました。

 試合は最終の第5ゲームにもつれ込む接戦となりましたが、最後は古川選手にミスが重なってゲームカウント2対3で敗れ銅メダルとなりました。

 古川佳奈美「金メダルをねらっていたので悔しい」 
 古川選手は「金メダルをねらっていたので悔しい気持ちはあるが、欲しかったメダルが取れたので、頑張ったと思う」と話しました。
 そして、東京パラリンピック、金メダリストのエレナ・プロコフェワ選手との対戦について「勝っていても追い詰められている感じがして苦しい展開だった。それでも、今大会一番対戦したかった選手を相手にフルセットまで戦えていい試合ができたと思う」と振り返りました。
 そのうえでパラリンピックが有観客で開催され、声援を受けながら試合に臨んだことについて「観客からスタンディングオベーションや拍手をもらえてすごかった。2大会連続出場だが、パラリンピックに初めて出るような感覚で『これがパラリンピックか』と思った」と話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240905/k10014573381000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 水田光夏

2024-10-28 08:31:57 | パリパラリンピック2024

 「水田光夏」 銅-混合エアライフル・伏射

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016517-------------------- より

 水田 光夏(みずた みか、1997年8月27日 - )は、日本の射撃選手。専門は10mエアライフル伏射(SH2クラス)。2024 パリ銅メダリスト。ピンクに染めた髪とおしゃれなネイルがトレードマーク。

 町田市出身。

 白寿生科学研究所所属。

*Wikipedia より

 パリパラ 射撃 水田光夏が銅メダル 混合エアライフル伏射 2024年9月2日 0時27分  NHK NEWS

 パリパラリンピック、射撃の混合エアライフル伏射の「SH2」のクラスで、水田光夏選手が銅メダルを獲得しました。パラリンピックの射撃で日本選手がメダルを獲得するのは初めてです。

 射撃の混合エアライフル伏射は車いすに取り付けたテーブルに両ひじを乗せて、10メートル先の的に決められた数の弾を撃ち合い得点を競います。

 水田選手は男女あわせて37人が出場した予選で6位に入り、日本選手で唯一、上位8人で争う決勝に進みました。

 東京大会に続く2大会連続出場の水田選手は、これが初めての決勝でしたが的の中心付近に次々と弾を撃ち込んで232.1の得点をマークし、銅メダルを獲得しました。

 パラリンピックの射撃で日本選手がメダルを獲得するのは初めてです。

 ▽金メダルはフランスの男子、タンギー・ド ラ フォレ選手
 ▽銀メダルはブラジルの男子、アレシャンドレ アウグスト・ガルガニ選手でした。

 水田光夏「決勝進出が目標だったのでメダルが取れてうれしい」
 水田選手は「歓声がすごくて、銃が揺れてしまって、こういう感じは初めてだった。決勝に進むことを目標にやってきたので、メダルが取れてすごくうれしい」と笑顔を交えて話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240901/k10014568801000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 小川和紗

2024-10-27 14:19:38 | パリパラリンピック2024

 「小川和紗」 銅-柔道・女子70kg級

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016491-------------------- より

 小川 和紗(おがわ かずさ、1997年2月16日 - )は、千葉県市原市出身の日本の柔道家。身長151cm。階級は70kg級。得意技は背負投。

*Wikipedia より

 伊藤忠丸紅鉄鋼所属

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016491-------------------- より

 パラリンピック 柔道 小川和紗が銅メダル 女子70キロ級 2024年9月7日 3時39分 NHK NEWS 

 パリパラリンピック、柔道の女子70キロ級、視覚障害の軽いクラスで、小川和紗選手が3位決定戦で勝って銅メダルを獲得しました。前回の東京大会に続く2大会連続の銅メダル獲得です。

 小川選手は準決勝でブラジルの選手に敗れ、3位決定戦で同じブラジルのケリー・ビクトリオ選手と対戦しました。

 小川選手は自分よりも身長が高い相手になかなか技を仕掛けることができず開始1分すぎに指導を受けましたが、2分をすぎたところで「背負い投げ」で技ありを奪いました。

 さらに、残り10秒を切ったところで2つ目の技ありを奪って合わせ技一本で勝ち、銅メダルを獲得しました。

 小川選手は前回の東京大会に続き2大会連続で銅メダル獲得です。

 小川和紗「メダルを取りに行くという気持ちで挑んだ」 
 2大会連続で銅メダルを獲得した小川和紗選手は「緊張もしたが、すごく楽しかった。1番は金メダルが欲しかったが、メダルを取らずに日本に帰るより、取って帰ることで自分もうれしいし、周りの人も喜んでくれるので、取りに行くという気持ちで挑んだ。会場に来てくれた人もSNSでメッセージを送ってくれた人もたくさんいて、力になった」とうれしそうに話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240907/k10014575191000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 火ノ玉JAPAN-ボッチャチーム

2024-10-26 15:05:26 | パリパラリンピック2024

 「火ノ玉JAPAN-ボッチャチーム」 銅-ボッチャチーム

*https://www.parasapo.tokyo/topics/117263 より

 左から「杉村英孝、遠藤裕美、廣瀬隆喜」

 「杉村英孝」

 杉村 英孝(すぎむら ひでたか、1982年3月1日 - )は、日本のボッチャ選手(BC2クラス)。所属団体は静岡ボッチャ協会、所属チームはBLACK × WHITE。伊豆介護センター勤務。

 2021年開催の東京パラリンピック ボッチャ 個人 金メダリスト。

*Wikipedia より

 「遠藤裕美」

<パリパラリンピック2024> メダリスト 遠藤裕美

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=198b9da59c30ff57863b625e541165c4&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTklODElQTAlRTglOTclQTQlRTglQTMlOTUlRTclQkUlOEUmcD0x

こちらもご参考に

 「廣瀬隆喜」

 廣瀬 隆喜(ひろせ たかゆき、1984年8月31日 - )は日本のボッチャ選手(BC2クラス)。西尾レントオール株式会社所属。広瀬 隆喜とも表記される。

*Wikipedia より

 

 パリパラ ボッチャ混合団体 日本が銅 団体種目3大会連続メダル 2024年9月5日 22時34分  NHK NEWS

 パリパラリンピック、ボッチャの混合団体の3位決定戦で日本が韓国に8対3で勝ち、団体種目で3大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

 目次
 3位決定戦 日本が韓国に快勝 銅メダル獲得

 杉村英孝 主将「3大会連続 チームのメダル 誇りに思う」

 3位決定戦 日本が韓国に快勝 銅メダル獲得
 日本は、杉村英孝選手と、廣瀬隆喜選手、遠藤裕美選手の3人で韓国との3位決定戦に臨みました。

 日本は、第1エンドに1点を先制し、続く、第2エンドでは的球の周りにボールを集め最後は廣瀬選手の正確なショットで3点を奪いました。

 このあと1点差に詰め寄られましたが、第4エンドで相手のミスで1点を加え第5エンドにはキャプテンの杉村選手が的球を動かしながら複数得点をねらえる形をつくる絶妙のショットを決めてリードを広げました。

 日本は、韓国に8対3で勝ち、団体種目で3大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

 杉村英孝 主将「3大会連続 チームのメダル 誇りに思う」 
 キャプテン、杉村英孝選手は「相手の韓国は予選でも戦っていて手の内を知られていたが、自分たちがやってきたことを貫き通して戦うことができた。会場にも多くの日本人がいて日本コールも聞こえたし、監督やコーチと1つになって思いをつないで銅メダルをとることができた。心から喜びたい」と話しました。
 そのうえで「目指していたメダルの色とは違うが、3大会連続でチームでメダルをとることができて誇りに思うし、自信を持って次のステップにつなげたい」と前を見据えていました。

 廣瀬隆喜「最後まで集中して戦えた」 
 廣瀬隆喜選手は「前の試合で負けて3位決定戦になってしまったがみんなで気持ちを切り替えて最後まで集中して戦えたのでとてもうれしい。細かいこともフィールドでみんなで話し合いながら試合ができた」と、笑顔で話していました。

 遠藤裕美「最高のパフォーマンス」 
 遠藤裕美選手は「3人でしっかりとコミュニケーションをとって今までやってきたことが全部できた。応援してくれる皆さんの力を借りて、メダルをかけることができた。最高のパフォーマンスでした」と笑顔でふり返りました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240905/k10014573531000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 村山浩

2024-10-25 08:57:48 | パリパラリンピック2024

 「村山浩」 銅-車いすバドミントン・男子ダブルス

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2496797-------------------- より

 生年月日 1974.03.25 
 出生地 千葉県千葉市
 所属 SMBCグリーンサービス/パシフィック車いすバドミントンクラブ

*https://www.parasapo.tokyo/featured-athletes/murayama-hirosi より

<パリパラリンピック2024> メダリスト 梶原大暉

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=83c51560bbd5c497a966744084dc991e&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlQTIlQjYlRTUlOEUlOUYlRTUlQTQlQTclRTYlOUElODkmcD0x

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 木下あいら

2024-10-24 08:15:33 | パリパラリンピック2024

 「木下あいら」 銅-水泳・女子200m個人メドレー

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-1990984-------------------- より

 生年月日 2006年8月11日

 出身地 大阪府吹田市

 所属 三菱商事

 木下は2023年の世界パラ水泳選手権に日本代表として出場し、200メートル個人メドレーSM14で2分24秒32のアジア記録で銀メダルを獲得した。

 木下は2024年夏季パラリンピックに日本代表として出場し、200メートル個人メドレーSM14で銅メダルを獲得した。

*Wikipedia より

 パリパラ 競泳 木下あいらが銅メダル 女子200m個人メドレー 2024年9月5日 4時11分  NHK NEWS

 パリパラリンピック、競泳の女子200メートル個人メドレー知的障害のクラスで18歳の木下あいら選手が銅メダルを獲得しました。

 パラリンピック初出場の木下選手は、予選を全体の2位のタイムで通過し、4日に行われた決勝のレースに臨みました。

 木下選手は、最初のバタフライと背泳ぎを終えて4番手につけたあと、後半の平泳ぎで追い上げて3番手に上がり、最後の自由形でも粘って、2分25秒96のタイムで3位でフィニッシュし、銅メダルを獲得しました。

 ▽中立な立場の個人資格の選手として参加しているNPAのワレリヤ・シャバリナ選手が2大会連続の金メダルを獲得し
 ▽銀メダルは、イギリスのポピー・マスキル選手でした。

 木下あいら「メダル獲得できたのが とてもうれしい」
 木下あいら選手は「自由形で悪かったところから切り替えて、メダルを獲得できたのが、とてもうれしいです」と、笑顔で振り返りました。
 そのうえで「次は金メダルを取れるようにまた4年間、頑張りたいです」と話し、早くも次の大会を見据えていました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240905/k10014572321000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 辻内彩野

2024-10-23 08:25:41 | パリパラリンピック2024

 「辻内彩野」 銅-女子100m自由形

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016653-------------------- より

 辻内彩野-つじうち あやの
 生年月日 1996/10/05
 出身地 東京都江戸川区

*https://www3.nhk.or.jp/news/special/2020news/athletes/46/21.html より

 辻内彩野が100m自由形「銅」、競泳の日本女子では今大会初メダル 2024/09/05 01:16 Yomiuri online

 パリ・パラリンピックは4日、競泳の女子100メートル自由形(視覚障害S12)決勝が行われ、辻内彩野(27)(三菱商事)が1分1秒05で銅メダルを獲得した。

 辻内は予選を1分1秒05の全体2位で通過。決勝は序盤は抑えめ。50メートルのターンの時点では6位だった。後半にペースを上げて3位に食い込んだ。競泳の日本勢は今大会8個目のメダルだが、女子としては初。

  東京都出身の辻内は高校時代までは健常者の大会に出場していたが、進行性の黄斑ジストロフィーのため視力が低下。2017年からパラ水泳に取り組むようになった。東京大会は視覚障害S13クラスで出場し、50メートル自由形で7位になるなどした。今大会は国際クラス分けで障害の程度が一つ重いS12クラスで主に出場している。

*https://www.yomiuri.co.jp/olympic/paralympic2024/20240905-OYT1T50006/ より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 山口尚秀

2024-10-22 09:33:26 | パリパラリンピック2024

 「山口尚秀」 銅-水泳・男子100m平泳ぎ

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-1990980-------------------- より

 山口 尚秀(やまぐち なおひで、2000年10月28日 - )は、愛媛県今治市出身のパラ競泳選手、会社員。特別支援学校卒業後、今治市役所に勤務したが、さらに競泳の練習に打ち込むため、2019年12月に四国ガスへ転職。現在も同社に所属する。

 2021年開催の東京パラリンピック 競泳 男子100m平泳ぎSB14 金メダリスト。

*Wikipedia より

 パリパラ 競泳 山口尚秀が銅メダル 男子100m平泳ぎ 知的障害 2024年9月3日 8時23分 NHK NEWS 

 パリパラリンピック、競泳の男子100メートル平泳ぎ、知的障害のクラスで山口尚秀選手が銅メダルを獲得しました。前回の東京大会に続き、2大会連続のメダル獲得です。

 一方で、この種目でほぼ5年間、世界のトップに立ち続け「金メダル本命」とみられた山口選手が敗れたのはなぜなのか。その原因は会場の雰囲気にありました。
 記事後半では、担当記者の解説をお伝えしています。

 目次
 山口尚秀 男子100m平泳ぎで2大会連続のメダルとなる「銅」

 山口尚秀「前半は力出せたが後半に疲れが出てしまった」

 山口尚秀 男子100m平泳ぎで2大会連続のメダルとなる「銅」
 この種目の東京大会金メダリストで、世界記録保持者の山口選手は予選3位で決勝に進みました。

 決勝では、1メートル87センチの長身を生かした持ち味のダイナミックな泳ぎで序盤から積極的に前に出て前半の50メートルをトップで折り返しました。
 しかし、終盤、ほかの選手に追い上げられて抜かれ、1分4秒94のタイムでフィニッシュし、銅メダルでした。

 山口選手は2連覇はなりませんでしたが、2大会連続のメダル獲得です。
 ▽金メダルはカナダのニコラス・ベネット選手、
 ▽銀メダルはオーストラリアのジェイク・ミシェル選手でした。

 山口尚秀「前半は力出せたが後半に疲れが出てしまった」 
 山口選手は「前半はしっかりと力を出せたが、後半にガクッとなって疲れが出てしまった」とレースを振り返りました。
 そして、今後出場する予定の200メートル個人メドレーと100メートル背泳ぎに向けて「残りの力を十分に出しきりたい」と意気込みを話していました。

 注目
 【解説】ほぼ5年間トップで「金本命」なのになぜ…
 この種目でほぼ5年間、世界のトップに立ち続け「金メダル本命」とみられた山口選手が敗れたのはなぜなのか。レース後の取材からは「パリのアリーナの大歓声」が大きく影響を及ぼしたことがうかがえました。

 男子100メートル平泳ぎ、知的障害のクラスで山口選手は、世界選手権を2019年に初めて制したあと、2021年の東京パラリンピック、2022年と去年の世界選手権でいずれも優勝。

 加えて世界記録保持者でもあり、23歳にして「現役最強の王者」としての地位を確固たるものにしていました。

 このため、2回目のパラリンピックを「金本命」と言われる中で迎えていたのです。

 ただ、前回のパラリンピックとは極めて大きな環境的要因がありました。
 それが「歓声」です。無観客だった東京大会とは異なりパリの会場は、連日、どのレースも耳をつんざくような大歓声が響き渡っています。

 それはフランスの人たちのパラリンピックに対する「熱狂の現れ」とも言えますが、これが山口選手の今回のレースにおいてはマイナスに働いたとみられます。

 山口選手はこの会場での「違和感」を私たちにすでに語っていました。
 8月29日、最初の種目の予選を終えたあと、驚きを隠さず口にしたのが「大きな野球場かと思った」ということばでした。

 そして、2日の“本命種目”100メートル平泳ぎ。

 予選はみずからの世界記録より2秒41遅いタイムで全体3位でした。
 ただ、このレースを終えた直後の山口選手は「疲れはあるが順調。水をつかめているし決勝はもっとタイムを縮められる」と決勝での巻き返しに自信を示していました。

 およそ8時間後のレース、残念ながら巻き返しは実現しませんでした。

 50メートルの折り返しは、世界記録をマークした時に近い29秒16。2位の選手との差は0秒56と大きなものでした。

 しかし、このあと急速に失速。
 後半の50メートルだけをみると8人中5番目で金メダルの選手より1秒60も遅いタイムで3位に終わりました。

 レースを終えて取材に応じた谷口裕美子ヘッドコーチは招集所で決勝のレースを待つ山口選手の異変に気づいたといいます。

 谷口裕美子ヘッドコーチ
 「いつもはニコニコしているけれど、こういった大歓声は経験したことがないので、きょうはかなり緊張していました。気負いすぎたのか、硬さがあった」

 一方の山口選手、レース直後のインタビューは「十分に出し切りました。おしまいです」とみずから切り上げてその場を去りました。

 少し時間をおいて場所を変えて再びインタビューに応じた際は落ち着きを取り戻した様子で次のように語りました。

 山口尚秀選手
 「たくさんの歓声を受けて期待に応えようという気持ちが強かった。貴重な経験になった」

 まさかの敗戦を糧にして、山口選手は2日後の次の種目、200メートル個人メドレーに臨みます。

 女子100m平泳ぎの芹澤美希香は6位
 また、女子100メートル平泳ぎ、知的障害のクラスでは、東京大会7位の芹澤美希香選手が1分19秒38のタイムで6位でした。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240903/k10014569941000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 道下美里

2024-10-21 08:44:20 | パリパラリンピック2024

 「道下美里」 銅-陸上・女子マラソン

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2496347-------------------- より

 道下 美里(みちした みさと、1977年1月19日 - )は、日本の陸上競技選手(女子マラソン、ブラインドマラソン)。山口県下関市出身。既婚者、旧姓は中野。福岡県太宰府市在住。

 2016年リオデジャネイロパラリンピック 陸上 女子マラソンT12 銀メダリスト、2021年開催の東京パラリンピック 陸上 女子マラソンT12 金メダリスト。

  三井住友海上所属。

*Wikipedia より

 世界一の応援団 “チーム道下”とつかんだ銅メダル【解説】 2024年9月9日 5時46分  NHK NEWS

 「世界一の応援団がついていたから私はここまでたどりつけたし、運もたぐり寄せられたと思うので、思いっきりありがとうと伝えたい」

 パリパラリンピックの女子マラソン視覚障害のクラスの道下美里選手。3大会連続となるメダルとなる銅メダルを獲得しました。これまで練習をともにしてきたたくさんの仲間とたすきをつなぎ、“最難関”のコースであり、人生の思い出の場所を走り抜きました。
(スポーツニュース部 記者 沼田悠里/阿久根駿介)

 金メダルの東京大会後 けがに苦しんだ3年間
 道下選手は、小学4年生の時に目の病気にかかって中学生で右目の視力を失い、左目の視力もわずかです。

 44歳で臨んだ東京パラリンピックで、2位に3分以上の圧倒的な差をつけて金メダルを獲得しました。

 それからの3年間は、しんどく、苦しいものだったといいます。

 酷使してきた足のけがに何度も苦しめられ、長いときには3か月間、十分な練習が積めませんでした。

 100人以上の伴走者 “チーム道下”とともに
 そんな道下選手を支えたのが練習をともにする伴走者です。

 主婦やサラリーマンなど、その数、総勢100人以上。

 “チーム道下”と呼ばれています。

 けがで歩くことしかできなかったときも「絶対にみっちゃん(道下選手)なら戻ってこれる」とチーム一人ひとりの声かけが再び前を向かせてくれました。

 パラリンピック“最難関”と言われる、パリのマラソンコース。

 伴走できるのは2人までですが、道下選手は、これまで支えてくれた100人以上の伴走者と心の中でたすきをつなごうと決めていました。

 挑んだ大会本番
 序盤から、モロッコの選手がハイスピードで独走します。

 それでも道下選手は「自分の走りをして、後半で勝負をかける」と冷静にレースを進めます。

 石畳が多く、足に負担がかかるタフなコース。

 ここでぶれずに走ることで体力を温存しようと、徹底的に鍛えてきた体幹を生かし、安定した走りを見せました。

 そして、フィニッシュ間際の凱旋門。

 「一番苦しくなるだろう」と想定していた場所は夫の孝幸さんにプロポーズされた思い出の場所です。

 凱旋門につながるシャンゼリゼ通りには、孝幸さんと、“チーム道下”のメンバー、およそ30人が応援に駆けつけました。

 夫の孝幸さん
 「運命的なものを感じる。凱旋門の上でプロポーズしたので本当は上から声を掛けたかったが規制されて入れないので、沿道からしっかり応援したい。一番苦しい地点だと思うので思い出を力に変えて走ってくれるはず」

 道下選手も「ここは、夫のパワーがもらえるはず」と一気にギアを上げ、4位でフィニッシュ。

 レース直後「悔しいという思いと、たくさんの人が応援にきてくれ幸せだという思いだ」と涙を流した道下選手。

 そのおよそ30分後、3位に入ったスペインの選手が失格となって繰り上がり、3大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

 表彰式のあと、銅メダルを首にかけて報道陣のインタビューエリアに現れた道下選手は銅メダルが決まった瞬間をこう振り返りました。

 道下美里 選手
 「みんなで飛び跳ねて抱き合って『持っている!』と声を上げて喜び合った。とにかく後ろを見ずに前の選手を追い続けた結果だと思う」

 そして、沿道で声援を送ったたくさんの“チーム道下”への感謝のことばを口にしました。

 「たくさんの人の思いがいっぱい詰まった重みのあるメダルです。皆さんに思いっきり『ありがとう』と伝えたい」

 決して、あきらめずに仲間と共にたぐり寄せたメダル。

 最後にトレードマークの笑顔がはじけました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240909/k10014576701000.html より

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<パリパラリンピック2024> メダリスト 鈴木朋樹

2024-10-20 07:52:56 | パリパラリンピック2024

 「鈴木朋樹」 銅-陸上・男子マラソン

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2497598-------------------- より

 生年月日 1994.06.14
 出身地 千葉県館山市

 トヨタ自動車所属

 パラリンピック 男子マラソン 車いす 鈴木朋樹が銅メダル 2024年9月8日 23時40分  NHK NEWS 

 パリパラリンピック男子マラソン、車いすのクラスで、鈴木朋樹選手が銅メダルを獲得しました。

 また夏と冬の両方のパラリンピックに出場し、これまでに金メダルを含む7つのメダルを獲得した女子マラソン、車いすのクラスの土田和歌子選手は、最後のパラリンピックとなったパリ大会を6位で終えました。

 目次
 男子マラソン 車いす 鈴木朋樹が銅メダル

 鈴木朋樹「名前を歴史に刻めたことがとてもうれしい」

 男子マラソン 車いす 鈴木朋樹が銅メダル
 パリパラリンピックのマラソンは大会最終日の8日に行われ、男子の車いすのクラスには、2大会連続出場で30歳の鈴木選手と、初出場で42歳の吉田竜太選手が出場しました。

 鈴木選手は5キロ地点では先頭から8秒差の3位につけて、その後も前の2人を追い、中間点では2位の選手に1分近く離されたものの、後半に粘りを見せて、35キロ手前で2位の選手に追いつきました。

 しかし40キロすぎのラストスパート勝負で及ばず、2位と4秒差の1時間31分23秒でフィニッシュし、銅メダルを獲得しました。

 鈴木選手は前回東京大会の400メートルユニバーサルリレーでの銅メダルに続いて、パラリンピックでは2つ目のメダル獲得です。

 ▽スイスのマルセル・フグ選手が1時間27分39秒で大会3連覇を果たし
 ▽銀メダルは中国の金華選手で、1時間31分19秒でした。

 吉田選手は1時間37分15秒で8位でした。

 鈴木朋樹「名前を歴史に刻めたことがとてもうれしい」 
 鈴木選手は「めちゃくちゃうれしい。日本語で『最後まで諦めない』と言いながらゴールまで頑張った」と話していました。
 その上で「両親からもらった名前を歴史に刻めたことがとてもうれしい」と充実した表情で話しました。

 女子マラソン 車いす 土田和歌子は6位 
 夏と冬合わせて9回目のパラリンピック出場で、これまでに金メダルを含む7つのメダルを獲得した女子マラソン、車いすのクラスの土田和歌子選手は、1時間52分39秒で最後のパラリンピックとなったパリ大会を6位で終えました。

 土田和歌子「ここまでやってきた自分を誇りに思う」 
 土田選手は「無事にゴールできたことを感謝できた時間だった。メダルを目指してきたので食い込めなかった悔しさはあるが、そのプロセスに満足しているし、わくわくドキドキして取り組めたので、このパラリンピックの舞台に立ててフィニッシュできたことに本当に満足している」と充実した表情で話しました。

 土田選手は、パラリンピックへの挑戦は、パリ大会を最後にすることにしていて「この競技を極めたい、世界最高峰の舞台で頂点に立ちたいという思いが自分を突き動かしてきた。日の丸を背負って30年になるが、良くも悪くも本当にいい形で成長させてもらったし、ここまでやってきた自分を誇りに思う。支えてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱい」と話しました。

 喜納翼は12位「自分の力不足」も感謝のことば 
 また喜納翼選手が2時間4分53秒で12位でした。喜納選手は中間地点を16位で折り返しましたが、その後、徐々に順位を上げて、12位でフィニッシュしました。喜納選手はパリのコースの「石畳」への対策として「レーサー」と呼ばれる3輪の競技用車いすの改良を重ねて今大会に臨んだということです。

 喜納選手はレースのあと「ハードなコースになると想定していたが、思った以上にきつくて、なかなかスピードに乗せきれなかった。直線で前に選手がいるのが見えたので目標にしながら走ることで順位を上げることができた」と振り返りました。
 その上で「最高のレーサーで、最高のセッティングで走らせてもらえたので、自分の力不足だったなと思う。レーサーを追求し整えてくれた人たちがいて、ここまで来られたので悔しさでいっぱいだが、走らせてもらえてありがたかった」と目を潤ませながら感謝の思いを口にしました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240908/k10014576281000.html より

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