いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> なつおとめ

2021-05-19 07:40:45 | 食品

 「なつおとめ」

●なつおとめとは
◆栃木県が開発した夏秋いちご
 「なつおとめ」は栃木県農業試験場いちご研究所が2005(平成17)年に、盛夏期の受精能力に優れた四季成りいちご「栃木24号」に、大果で形が良い「00-25-1」を受粉させ、そこから生まれた実生130個体の中から選抜育成された夏秋用いちご品種です。

 2009(平成21)登録出願、翌2010年に出願公表と共に販売が開始され、2011年に種苗法に基づく品種登録がされています。


 
 「なつおとめ」というの名称はケーキショップやレストランなどでの商用利用を意識し、そういったところからのアンケートをもとに『夏秋いちごの特性といちごの女性らしいイメージ』から命名されたそうです。

 栃木県はオリジナル品種として冬春期の「とちおとめ」と夏秋期の本種、その他「スカイベリー」なども併せて季節を問わず1年を通していちごを供給できることになり、まさに「いちご王国“とちぎ”」となりました。

◆なつおとめの特徴
 「なつおとめ」の最大の特徴は準高冷地における夏から秋にかけて収穫できるいちごであるということ。

 果実の大きさは中程度で円錐形の綺麗な形にそろいやすく、果皮は全体に赤く色付き、果肉も果芯が赤く空洞もできにくいとされ、糖度は8%程度、酸度 0.8%程度で食味が良いのが特徴となっています。

 農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。

『-----

 果実の大きさは中、果実の縦横比は縦長、果実の形は円錐形

 果皮の色は濃赤、果実の光沢の強弱は中、そう果の落ち込みは落ち込む

 果実のがく片の付き方は下向き、果径に対するがく片の大きさは同等

 果実の硬さは中、果肉の色は赤、果心の色は赤、果実の空洞は無又は小

 季性は四季成りである。 

 出願品種「なつおとめ」は、対照品種「とちひとみ」と比較して、果肉の色が赤であること、果心の色が赤であること等で区別性が認められる。

 対照品種「ペチカ」と比較して、草姿が立性であること、果皮の色が濃赤であること、果肉の色が赤であること等で区別性が認められる。

-----』以上、抜粋。

◆実際に食べてみた「なつおとめ」の食味
 今回入手したのは7月中旬で、栃木県の那須町産のものでした。

 果実は全体に濃い赤色に色づいており夏いちごにありがちな色むらはなく良く熟していました。

 香りもイチゴらしい華やかな香りがしっかりとあり、切ると中まで赤く好印象です。食べてみると果肉は想像したよりも柔らかく、十分に熟してからパック詰めされたのだと思われます。

 甘さは夏いちごにしては十分な甘さがあり、酸味は穏やかでとてもジューシーでした。一般的なイチゴと比べると全体に弱い感じはしますが、果肉が硬く酸味が強い傾向にあるう夏いちごの中では秀でた感じがします。

 「なつおとめ」は色味や形が綺麗で、強すぎない程よい酸味もありケーキやデザートの素材としてはとても優れていると思います。

●なつおとめの主な産地と旬
◆なつおとめの主な産地
 「なつおとめ」は栃木県オリジナル品種として現在のところ県内のみで栽培されています。

 主な産地は県北部の日光市や大田原市から那須郡にかけての高原地帯。

 「なつおとめ」は輸送性も高く、首都圏など大消費地へも出荷されています。

◆なつおとめの収穫時期と旬
 いちごと言えば通常冬から春にかけて沢山出回りますが、この「なつおとめ」は2年目の株になると、通常のいちごの収穫が終わる5月頃から収穫が始められ、早いものが出始める11月頃まで続きます。ちょうど端境期が収穫時期となるため、スウィーツ業界にとってはありがたい品種となっています。

 こういう品種が出てくると、それでなくともあいまいになってきているいちごの旬がさらに複雑になってしまいますね。

 ちなみに。この「なつおとめ」の収穫盛期(旬)は7月中旬から11月中旬となっています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-natsuotome.htm より

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<言 葉> 夏の言葉 迎え梅雨

2021-05-19 07:36:58 | 言葉

 「迎え梅雨」

 本格的な梅雨に入る前のぐずついた天気のことを「迎え梅雨」と呼ぶ。

 また「走り梅雨」「梅雨の走り」とも。

*https://allabout.co.jp/gm/gc/220711/ より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-グレン・ヒューズ

2021-05-19 07:23:29 | MUSIC

 「グレン・ヒューズ」

  1951年8月21日生まれの69歳

 グレン・ヒューズを迎えた THE DEAD DAISIES のニューアルバム! 2021年01月22日 (金) 15:00 | HMV&BOOKS online - ロック , HMV&BOOKS online - 洋楽

 フロントマンとしてあのグレン・ヒューズを迎えたザ・デッド・デイジーズがニュー・アルバムをリリース。ヘヴィでグルーヴィなザ・デッド・デイジーズの音楽とヒューズのパワフルな歌唱の相性の良さはこの上なく、そのケミストリーは予想をはるかに上回る!

 オーストラリアの人気ハードロック・バンド、ザ・デッド・デイジーズ。12年、ミュージシャンでありながら投資会社のCEOも務めるという多才な顔を見せるデイヴィッド・ローウィーが中心となって結成された彼らは、数々のビッグネームをバンドメンバーに引き入れてきたことでもよく知られている。バンド名を冠した13年のデビュー・アルバムでは、ガンズ・アンド・ローゼズのリチャード・フォータス(g)やマルコ・メンドーサ(b)をフィーチャ。セカンド・アルバム『レヴォリューション』(15年)は、ヴォーカルに元モトリー・クルーのジョン・コラビ、ドラムにはホワイトスネイクやフォリナー等に参加していたブライアン・ティッシー(ds)を迎え制作された。リチャード・フォータスが脱退すると、後任としてダグ・アルドリッチが加入。16年にはサード・アルバム『メイク・サム・ノイズ』をリリースしただけでなく、LOUD PARK16にて初来日も果たしてみせた。その後、ブライアン・ティッシーが脱退すると、元ジャーニーのディーン・カストロノヴォが加入。18年には4作目のアルバム『バーン・イット・ダウン』をリリースする。19年にはディープ・パープルやザ・フー、ローリング・ストーンズといった、ザ・デッド・デイジーズのルーツとなるアーティストのカバー集、『ロックド・アンド・ローデッド』を発表。こちらも大きな話題となった。

 人気実力派ミュージシャン勢ぞろいという感のあるザ・デッド・デイジーズであるが、昨年、活動初期からのメンバー、ジョン・コラビとマルコ・メンドーサが脱退。その後任として発表されたのがあのグレン・ヒューズだったのだから、驚いたHR/HMファンも少なくなかったはず。そしてついにこの度、そのヒューズをヴォーカル/ベースに迎えたニュー・アルバム『ホーリー・グラウンド』がリリースになる。本作でのヒューズはプレイヤーとしてだけでなく、コンポーザーの役割も果たしている。そんなアルバムが傑作でないはずがない。ヘヴィでグルーヴィなザ・デッド・デイジーズの世界とグレン・ヒューズのヴォーカルの相性はバッチリ。両者のケミストリーは、予想をはるかに超えるものだ。古き良きハードロック・ファンのエッセンスがすべて詰まった『ホーリー・グラウンド』は、ザ・デッド・デイジーズのファンはもちろん、往年のヒューズ・ファン必聴の作品。

*https://www.hmv.co.jp/news/article/2009271017/ より

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<日本酒> 京都 黄桜/黄桜本店蔵

2021-05-19 07:15:16 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
 〈京都〉 黄桜/黄桜本店蔵

 黄桜のこだわり
 それぞれの酒質が、個性が、主張する。
 特定名称酒は、品質本位主義です。
 「吟醸」「純米」「本醸造」・・・。
 日本酒にこだわりを持つ愛飲家だけでなく、ライトユーザーの中にも日本酒を、これら特定名称でお呼びになる方が増えています。
 特定名称とは、製造方法や原材料、酒の個性などを表す呼び名です。
 黄桜では、お客様に酒質や個性で日本酒をお選びいただけるよう、以前から特定名称を中心とした製造方法と小印を表示しています。
それぞれの味わいでお選びになる際には、ご活用ください。
 黄桜のこだわり
 格調高き味わい、大吟醸酒
 清酒の最高峰といえる大吟醸。
 最高級の米(山田錦)を贅沢にも半分以上削って(磨き上げて)仕込んでいます。蒸米と麹造りから、毎日変化する発酵工程までを、熟練の杜氏が、昼夜を問わず入念にチェックと管理をしながら造りあげるお酒です。深い満足感を味わえる、とっておきの贅沢やプレゼントにおすすめです。

 黄桜株式会社 京都府京都市伏見区塩屋町223番地

 ラインナップ

 「黄桜」京都クラフト 大吟醸・超特撰 大吟醸・華祥風 大吟醸 など

 

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<伝統野菜> 岩手 矢越かぶ

2021-05-19 07:07:38 | 伝統野菜

 「矢越かぶ」

 【生産地】岩手県一関市矢越地区

 【形状】幅広でしっかりした葉、鮮やかな紫色の茎を持つ。

 【食味】加熱すると美しい山吹色になり、温野菜のサラダやスープにおすすめ。糖度が高く、砂糖が不足した時代には重宝された。

 【来歴】戦後途絶えてしまった野菜の一つ。日本のかぶは伝来によって、東洋系と西洋系に分かれるが、矢越かぶはヨーロッパやスウェーデンのかぶと同じ仲間とされている。2006年一関市の農家・小野寺さんの手によって復活。

 【収穫時期】12月頃~2月

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%B2%A9%E6%89%8B/#i-19 より

 

 奇跡的なご縁をつなぎながら地域へ帰ってきた「矢越かぶ」
 幅広でしっかりした葉、鮮やかな紫色の茎を持つ「矢越(やごし)かぶ」。岩手県一関市室根町矢越地区で地域の人に愛されるこのかぶには、戦後に栽培が途絶えてしまったという少し寂しい過去がありましたが、後に気仙沼で育てられていることが判明。さまざまなご縁をつなぎながら再び矢越に帰り、奇跡的な復活を成し遂げています。

 糖度が高く雪の中でも凍らない矢越かぶ
 2017年11月末日、プレミアムマルシェは矢越かぶの栽培をされている小野寺寛さんの元を訪ねました。ちょうど12月ごろから旬を迎えるとのことで、大きな葉をフサフサと蓄えながら収穫されるときを待つ、たくさんの矢越かぶに出会うことができました。

 矢越かぶは細い根っこをあちこちに伸ばし、大地の養分をたっぷりと吸収することで甘く育ちます。糖度が高く凍らないため、寒さ厳しい東北岩手の地で3月まで栽培が可能なのだとか。収穫した後は10日~2週間ほど屋根の下で寝かせ、風に当てながら熟成させると、甘みや色がアップ。更に加熱調理することで、鮮やかな山吹色へと変身します。

 北欧をルーツにもち明治時代に渡来
 矢越かぶのルーツは「ルタバガ」というスウェーデン由来の品種。明治時代に矢越の種売り行商人から広められたと伝えられています。昭和の食糧難の時代に「かて飯(お米を節約するため、野菜や雑穀などを一緒に炊きこんで増量させたご飯のこと)」の材料として、そして甘味料の代わりとして育てられていました。しかし、戦後に食料事情が変わって栽培されなくなり、矢越かぶの存在自体が消えてしまったのです。

 奥さまのご縁をつなぎながら奇跡の復活
 その後、1994年(平成6年)に町おこしの一環として「矢越地区の名物を見つけよう」と調査が始まります。そこで偶然、小野寺さんの奥さまのご実家がある宮城県気仙沼市大島地区に戦前持ち込まれ、細々と栽培されているかぶの情報が入ります。詳しく調べたところ、それが矢越かぶであったという驚きの事実が判明。大島地区より貴重な種を譲り受けて矢越かぶは地元に帰り、奇跡的な復活を果たしたのでした。

 熟成させ加熱することで鮮やかな山吹色に変身
 矢越かぶの特長は、見た目からは想像がつかないほど根(胚軸)の部分が鮮やかな山吹色をしているということ。この色は収穫後に10日~2週間ほど熟成させ、更に蒸すなど加熱調理することで引き出されます。さつまいもやくりに近い食感や甘さで、食物繊維・ビタミンC・ミネラルも豊富。

 道の駅を始めとする産地直売所では、熟成後の矢越かぶを買うことができます。また、生のまま刻んだものや、蒸してペースト状にしたものを冷凍・真空保存することで、一年を通して矢越かぶを楽しめるようになりました。東北地方で食べられている“おこわ”、「かぶ蒸かし」の材料としても愛されています。地元レストランのシェフも矢越かぶの魅力に惹かれ、グラタンやシチュー、牡蠣と一緒にスープの材料として使っているのだそう。小野寺さんは「おいしい新レシピも次々と作られているし、矢越かぶを知って食べたいと思ってくれる人が増えれば、もっと育てたいと思っている。土地はいくらでもあるのだからね」と話してくださいました。


 自分には矢越かぶを広める使命がある
 現在、矢越かぶは矢越地区にある7戸の農家と、岩手県立千厩(せんまや)高校の生産技術科の生徒が栽培しています。高校生たちも「自分たちが住む地域の名前がついたかぶを育ててみたい」と興味を持っています。矢越へやってきた新規就農者も、矢越かぶの栽培に協力してくれているのだそう。

 「草取りが面倒だから、一般の農家は(矢越かぶの栽培を)やりたがらないかもしれない。でも、そこに農家の生き延びる価値があると思っている。東日本大震災で気仙沼・大島のかぶが全滅してしまったこともあり、小野寺寛と矢越かぶは切っても切れない関係になったので、やれることは何でもやろうと思っているよ」と情熱的に語ってくださいました。

*https://premiummarche.com/read/201712-4.html より

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<漢字検定> 1級 読み 83.回答 84.出題

2021-05-19 07:02:50 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 藜羹  -れいこう-アカザのあつもの。転じて、粗食。

 

 問2 跋文  -ばつぶん-本文とは別に、書物の終わりにしるす文章。あとがき。跋。

 

 問3 爛然  -らんぜん-鮮やかにかがやくさま。

 

 問4 紆曲  -迂曲-うきょく-
 1 うねり曲がること。

 2 回り遠いこと。

 

 問5 剪定 -せんてい-樹木の生育や結実を調整したり、樹形を整えたりするため、枝の一部を切り取ること。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 駁撃

 

 問2 剽悍  

 

 問3 奢靡  

 

 問4 燧火  

 

 問5 褻言

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 愛知 名古屋桐箪笥

2021-05-19 06:44:06 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「名古屋桐箪笥」

 

 Description / 特徴・産地

 名古屋桐箪笥とは?
 名古屋桐箪笥(なごやきりたんす)は、愛知県名古屋市春日井市周辺で作られている木工品です。1610年(慶長15年)に名古屋城が建てられたときに誕生した伝統工芸品で、嫁入り道具に不可欠なものとして広がっていきました。特に名古屋の地域性から嫁入り道具にはこだわりお金をかける習わしがあったので、人々にめでたいときの華やかなものとして親しまれています。
 名古屋桐箪笥の特徴は、他の地域の箪笥と比較すると20cmほど幅広に作られているとこと、金具に金や銀が施されていたり、金箔画が描かれていたりと豪華絢爛(ごうかけんらん)な作りが多いことなどです。また、桐の素材は、熱を通さず、湿気にも強く、虫もつきにくいため長い間使うことができるので、200年前の桐箪笥を使っている家もあると言われています。長く人々に愛されてきた名古屋桐箪笥は、1981年(昭和56年)に伝統的工芸品に指定されました。

 History / 歴史
 そもそも箪笥は、古くは余剰の衣服はほとんどなかったため必要とされていませんでした。鎌倉時代以降に台所用品をしまう場所としての棚が登場し、江戸時代に入り、ようやく衣装箪笥が作られました。その後17世紀になると綿織物などの需要が急増し、一般の人が衣服をたくさん所持するようになり、収納場所が求められていき、箪笥が必要になっていきました。
 名古屋桐箪笥は、名古屋城築城に関わった職人が箪笥を製造し始めたことが起源と言われています。徳川幕府が天下統一を成し遂げた後、人々の生活が安定し徐々に豊かになっていくにつれ衣服も高級品を求めるようになったことで、収納家具も機能性が高い高級箪笥が広がっていきました。
 また、名古屋では嫁入り道具として高級箪笥が不可欠でしたが、時代とともにこの風習もなくなりつつあり、職人の後継者不足も課題となっている現状もあります。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nagoyakiritansu/ より

 極めれば総桐、職人が見た桐箪笥
 名古屋桐箪笥の歴史は古い。1610年に名古屋城が建てられた時に、この地に移り住んだ指物師が作り始めたと伝えられる。嫁入り道具にこだわるこの地方では、昇箪笥と中開箪笥、一対の夫婦箪笥は長い間、嫁入り道具に必要不可欠だった。しかし、最近の桐箪笥を取り巻く環境は厳しい。今回は、半世紀近く名古屋の桐箪笥をめぐる動きを見続けてきた職人・原田惟亘さんにお話を伺った。

 
 島根から名古屋桐箪笥の職人に
 島根県出雲市出身の原田さんが名古屋へ来たのは16歳の時。祖父は傘職人、父は大工という職人一家に生まれて、小さい頃から物を作るのが大好きだった原田さん。小学生の時から職人になろうと心に決めていたという。中学卒業後、木工を勉強するために入った職業訓練校で紹介されて、卒業生が社長をしている今の会社に入社した。名古屋へやってきて以来40数年間、原田さんは箪笥を作り続けてきた。「とにかく好きだったねえ。誰よりも好きだった。」


 時代に合った箪笥を作りつづけて
 昭和30年代半ばから本物の桐箪笥は売れなくなった。安くておしゃれな新素材の商品がさまざまな家具メーカーから出始めたのだ。そんな頃、原田さんはメラミン化粧板の箪笥をつくり、全国家具連合展示会の通産大臣賞を受賞した。昭和36年のことだ。メラミン化粧板は当時最先端の素材で、汚れにくいし桐よりも安く大ヒット商品になった。毎日夜中の11時、12時まで仕事をしても追いつかないほどだったという。本物の桐箪笥がまた少しずつ出るようになってきたのは昭和50年頃のことだ。原田さんは横の板が厚く角を丸めた「胴丸(どうまる)」という新しい型の箪笥を作り、愛知県家具連合会の賞ももらった。高級感のある「胴丸」は今、桐箪笥のスタンダードのひとつになっている。時代に合ったものを作っていかなくちゃだめだと原田さんは言う。

 水害で証明された総桐の実力
 平成12年(2000年)9月、愛知県地方では豪雨による河川の決壊などで、名古屋市近郊の西枇杷島町を中心に6万戸以上が床上・床下浸水の被害にあった。水害で水に浸かった桐箪笥が数多く修理に持ち込まれたが、水にぷかぷか浮いていた箪笥を乾かして引き出しをあけてみると、中の着物はほとんど傷んでいなかったという。原田さん自身も水害にあった桐箪笥を何本か修理した。「桐箪笥はちょっと水につかったくらいじゃ大丈夫。引き出しの隙間がバッチリ合わせられて湿気を完全に遮断するんです。」これは、洋ダンスだとそうはいかないのだそうだ。その理由は、和箪笥は引き出しの前板が仕切り板よりも少し引っ込んでいるが、洋ダンスは引き出しの方が出っぱっているため、濡れて木が膨張した時の密閉度に差が出るからだそうだ。さすがに何日も水に浸かっていると鍵穴のところから水が入るが、今回の水害を教訓に鍵穴の防水も改良していくつもりだという。


 三代使える総桐箪笥
 最近は「桐箪笥」と言いながら、合板の表面に桐の薄い板を貼り付けただけのものが大量に出回っているという。素人にはなかなか見分けがつかない精巧さで、総桐のものが一本150万円ほどするのに対して半値くらいで売られているという。また、安い洋家具が出回り、長い間嫁入り道具として不可欠だった桐箪笥も今の若い人には人気がない。「でもね、本物を志向するのならやっぱり総桐です。総桐は水害にあったり古くなって汚れてきても洗って鉋(かんな)をかければ新品と見間違えるくらいになる。だから三代先まで使えるんです。でも、桐の薄い板を張り付けただけのものや洋ダンスは洗えない。全然違うね。」合板の箪笥も作ってきた原田さんが断言する。

 何世代にもわたる歴史を
 ずっと一緒に切磋琢磨しながらやってきた先輩が三年前に辞めた。体がきつくなったという。「ぼくも本当は、そろそろ隠居して楽したいんだよ。でもね、そういうわけにもいかない。」後継者はなかなかいない。今、名古屋桐箪笥の工場の中で最も多く職人をかかえる原田さんの会社でも職人7人はみな50代以上。なんとか若いやつのひとりや二人育ててから辞めたい。工場長としての悩みの種だ。「職人は地味な仕事。一人前になるまで時間もかかる。半人前のやつにそんなにたくさん給料も払えない。でも、物を作るっていうのは楽しいことだよ。ぼくは45年間やってきて、幸せな人生だったと思っています。」名古屋近郊の一宮市にある旧家・岩田家には、200年前の桐箪笥が今も現役で使われているという。桐は軽く、狂いが少ない。湿気を通さず、虫も付かない。その上、火にも強い。本物だけが持ちうる贅沢な歴史である。


 職人プロフィール

 原田惟亘 (はらだ・ただのぶ)

 1939年(昭和14年)島根県出雲市生まれ。
 中学卒業後、職業訓練校を経て名古屋桐箪笥の「有限会社出雲屋家具製作所」に入社。以来、40数年間箪笥ひとすじ。


 こぼれ話

 桐箪笥職人伝統の技~仕口(しくち)

 名古屋桐箪笥には「仕口」といって、釘を使わず板と板を直角に組む「継ぎ手」「組み手」の技法があります。この仕口は、箪笥本体や引き出し、扉など、組み合わせる場所によって違う、数多くの方法があります。これらの方法は木工における上級技法で、簡単にまねのできるものではありませんが、職人の技の一端をご紹介しましょう。
 1.「組み接ぎ」と2.「蟻組み接ぎ」は引き出しに使います。蟻組み接ぎははめ込む突起を斜めに作ったもので、組み接ぎよりも丈夫です。3.前留組み接ぎ4.前留蟻組み接ぎは箪笥の本体部分を組むときに使います。二枚の板の合わせ目を45度に切り、前から見ても横から見ても合わせ目が見えないようになっています。そのほか、扉に使う仕口、地板や棚板に使う仕口などそれぞれに合わせた方法があります。これらの方法は1800年頃に確立されたもので、200年の歳月を受け継がれ、今も変わらず箪笥造りに使われているものです。

*https://kougeihin.jp/craft/0617/ より

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