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覚書2020.8.28 ―大衆的契機ということ

2020年08月28日 | 覚書
 覚書2020.8.28 ―大衆的契機ということ


 知識世界を上り詰めていくとき、大衆的な契機への自覚や繰り込みがなければ、その人やその知識は空想的な現実性しか持ち得ない。このことは、吉本さんが戦争期の文学や思想の批判から導き出したことである。知識は大衆の原像を繰り込まないかぎり局所性や空想性へと偏向していく。そうして、国策に取り込まれていく。このようなことは、あらゆることに当てはまるものであり、身近な職場の言葉にも当てはまる。
 
 このことを別の言い方をしてみると、人は赤ちゃんから育って成人の今があるように、知の起源の場所は明らかに遙か太古の小さな集落の生活世界にある。人間の日々の生活の有り様の中に知識は生まれ、飛び立ち、知識世界が独り立ちして行った。したがって、元来は、大衆的な契機(知識を生み出した場所の動因)が知識を突き動かしていたはずである。
 
 吉本さんが戦争下の文学や思想の批判的な検討と自省の中から導き出したそのような教訓は、現在でも十分に生かされていないように見える。ほんとうは、知識世界に限らず、教育、行政、政治、そして現在進行中のコロナウィルス対策においても、それぞれの基本的な動因となっている大衆的な契機をこそ基本に据えるべきなのだ。わかりやすく言い直せば、生活者(市民、国民)を中心に据えた態勢を取るべきなのに、国民の生活を守るなどの口先だけの状況が相変わらず続いている。

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