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参考資料・「歴史の無意識」ということ 付.わたしの註

2016年07月11日 | 覚書

 参考資料・「歴史の無意識」ということ 付.わたしの註
       ―この現実世界の主流とその動きをつかむために


資料・吉本さんより

1.〈歴史の無意識〉①

 漠然とした感じ方をいいますと、歴史の無意識というもの、歴史が無意識のうちに最良のような感じで積み重ねてきた段階としての民族国家、つまり近代資本主義国家は、マルクスやエンゲルスがかんがえていたよりもはるかに、状況にたいする適応性が強く、かつ人間の無意識に柔軟性があるように、歴史の無意識構造として柔軟性がある強固なもので、現実に適応して変貌しながら延命し、延命しながら変改していくようにおもわれます。しかし、マルクスの予測は甘かったのかどうか、これからどういう形で次の歴史の段階に移るのか、いずれにしてもマルクスの思想の有効性を検証する段階のイメージは誰にも輪郭が明瞭になっていません。またその段階にはいたっていません。マルクスの思想は、まだほんとうの意味では一度も打撃を受けていないし、またほんとうの意味では、一度も実現していない。ぼくはそう理解しています。(P105)
 (「世界史のなかのアジア」『世界認識の方法』所収 1981年)



2.〈歴史の無意識〉②

 そのあたりのところで、天皇の制度的な起源とそれ以前とはどんなふうにつながっていたのか、という僕らの関心は、すぐに柳田国男の問題と接触していくことがわかります。戦争中に流行した考え方に、天皇を頭にいただいて、その下にじかに平等な農耕の共同体をつくるのが理想の社会なんだ、という考え方がありました。僕らもたいへんおおきな影響をうけたものです。それで、天皇制を相対化する方法をつくりあげるには農業をやっていた者以外の人たちはどうなったんだろうか、という問題を掘り起こせばいいんじゃないか。そうすれば、農民と天皇が上下につながっているという考え方はこわせるんじゃないか、とかんがえられたわけです。柳田国男の民俗学への関心は山の人たち、つまり農耕をやっている者でない人たちにたいする関心からはじまったものです。またある意味ではそれに終始したといえるものです。だから柳田国男の関心とすぐにつながっていく問題がでてくるとかんがえられました。
 旧憲法の絶対的な天皇から新憲法の相対的な天皇へ、いいかえれば神聖で侵すべからずの天皇から、人間天皇へ考えを転換させるには、いわば自然にまかせるというやり方があります。あるいは歴史の無意識にまかせるということです。つまり、日本の社会が高度な産業社会に転換していけば、天皇や天皇制にたいする親愛感も反発感も、特殊な日本的なあり方としてひとりでに薄らぎ、解消していってしまうんじゃないか。だからこの場合は文明の成り行き、歴史の成り行きにまかせれば、かならず、天皇の問題は相対化されていくとかんがえることができます。
 僕らがかんがえを構築してゆくよりは、自然にまかせ、歴史の無意識にまかせて、日本が高度な産業社会の仲間いりをしていくにつれて、天皇に対する特殊な考え方、特殊な親愛感とか、特殊な反発の仕方が解消していくのはたしかです。もしかすると、僕らがかんがえてやってることは全部無駄で、そういう歴史の自然にまかせておくことがいちばんいいやり方なんだというようにおもえるわけです。そうしますと、いま申し上げた三つの方法で、絶対的な天皇から相対的な天皇制、神聖天皇から人間天皇へという戦後の移り行きは意識のうえでもらくに成し遂げられにちがいありません。つまり、これらを内側から解明していけばじぶんなりに納得しながらいけるんじゃないか、とかんがえられたわけです。今日は柳田国男のやりました業績と関わりの深いところで、この問題の一部を申し上げてみたいとおもいます。(P246-P248)

 (「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人」 これは1987年7月5日の講演速記に全面的に筆を入れたとある。JICC出版局『柳田国男論集成』所収 1990年)
(別に「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人をめぐって 」吉本隆明の183講演 FreeArchive【A100】としてネットにこの講演のテキストもあり)



3.〈歴史の無意識〉③

 今の「第三次産業」と「第一次・第二次産業」、あるいは「都市」と「農村」、「人工」と「自然」を対立関係にあるとみなしたりする、歴史の無意識段階が生み出した概念は、高次な資本主義社会では通用しない。根底的に組み替えなければ既に無効だ。現に都市に起こっている「像化(イメージ)」と「異化」の類型は、このことの兆候をなしている。 「対立」に基づく社会の段階を、旧い資本主義と仮定した場合、〈超資本主義〉社会の顕著な特徴は、「包括性」あるいは「全体性」によって表されるに違いないと思う。
(P160)
 (「〈超資本主義〉段階の商環境デザイン」1994年 『吉本隆明資料集156』所収 猫々堂)



4.〈歴史という概念〉

 歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する。モルガンのやっているような、同心円的なつみ重ねの分類の原則は、ほんとは成り立たない。文明状態の人間にも野蛮の下層状態が風俗や習慣として曳きずられているし、どんな過去の瞬間の状態も歴史はかならず存続させているからだ。もうひとつヘーゲルの歴史の哲学が成り立つためにも、モルガンのいう時代の分類の原理が成り立つためにも、人類の文明の外在史と、内在的な精神史が均衡して過不足なく溶け合っている稀な状態を前提としなくてはならない。逆にこの外在と内在の稀な一致の時期を近代と定義してもいいくらいだ。すくなくとも歴史が哲学として成り立ったり、歴史の分類原理を成立させたりできる時期のことを、逆に近代と定義することはできる。歴史を抽象化してもよかった時期が近代であり、それ以前あるいは以後では歴史はある限られた地域と時期に起った出来ごとと、その周辺の状況とみなすか、あるいは無意味なまでに拡散してしまった出来ごとの総体とみなすよりほか成立しえない概念だといえる。現在のわたしたちにとっては、歴史という概念は、ヘーゲルのような世界史の哲学としても成り立たないし、モルガンのような文明の進歩を目安に分類できる原理としても存在しえない。人類の外在的な文明史と内在的な精神史とが過不足なく調和したところで歴史という概念をつくれるような条件は、もうないからだ。(P58L1-P59L3)
 (『アフリカ的段階について―史観の拡張―』吉本隆明 試行社 1998年)




5.「遊んでてください」

― いまの日本も、戦後と同じくら
いの大きな変化が必要な時期だと思
います。

(吉本) ある意味では、当時とそっくりですね。民
主党はもっとやると思っていたけど、自民党と何
も違わなかった。知恵なんか何もなくて、素人が
考えるようなことしか考えていない。
 戦後の農地改革に相当することがあるとしたら、
いまであれば失業者とか、家を取られてしまった
人に、お金をいちばんに与えることです。金持ち
の会社からふんだくって与えればいい。そういう
人たちがちゃんと働ける場所に直すということは、
黙ってたってせざるを得ない。もし僕が総理大臣
だったら、多少の抵抗があったって、それを強行
します。どんな人が総理大臣になっても、それは
やらなきゃお話にならない、それを真っ先にやっ
て、それからが本当の変革だということですね。

― こんどは日本人自身の手で社会を変えられる
でしょうか?

(吉本) できるか、できないかといえば、それぞれ
の境遇や運命があって、誰もなかなか大口は叩け
ない。でも、もし自分にその番が来たら、まずは
世の中を平らかにして、何か開かれたな、と思え
るようにする。隠れて背後で何かをやるみたいな
ことは絶対にしないで、開かれた場でちゃんとや
ってみせる。普通の人の誰もがそう思うようにな
ったらたいしたもので。そのときは本当に社会は
変わります。そうじゃなければ、決して変わらな
い。共産党を頼ってとか、社民党を頼ってとか、
そんなことで変わるわけがない。それは自明の理
だから、そんなことはあてにしないほうがいい。
心の中で、普通の人が「俺が総理大臣になったら
こうしようと思っている」ということをもてたな
ら、それでいいんですよ。あとは何もする必要な
いから、遊んでてください (笑)。
 (「吉本隆明インタビュー」 季刊誌『kotoba』2011年春号(第3号) 小学館)


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 (わたしの註)


 1.は、吉本さんが若い頃深く読み込んだマルクスの〈革命〉思想を「マルクス主義」と峻別して、マルクスに対する吉本さんの当時の評価を述べたものであり、2.は吉本さんの青年期を深く絡め取り追い詰めた天皇制、そしてそれが敗戦によって吉本さんの中でも二つの天皇制、天皇のイメージとして分断された。それをどう現在に着地させていくかという吉本さんの切実なモチーフによるものである。4.は、歴史という概念を巡って、近代ヨーロッパが生み出した、最高峰の歴史哲学を構成したヘーゲル、そしてマルクスなどを批判的に捉えつつそれらを包括的な歴史把握として捉え直そうとする試みである。ここでは、それぞれの文脈を離れて〈歴史〉や〈歴史の無意識〉ということを少し考えてみる。

 たぶんこの〈歴史の無意識〉という言葉は、吉本さんが思い付いた言葉ではないかと思う。はるか昔、この吉本さんの言葉に初めて出会った時、はっとすると同時になんかわかりにくいなあという印象を持った覚えがある。もうその初出がどれであったかは思い出せない。人は誰でも、話題や考え(概念)の良し悪しなどは日常生活でもこのような思想でも、その人と同じような舞台に立てないとわからないし、見えてこないものである。わたしもやっとこのようにして取り出して考えはじめるようになってきた。

 「歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する。」(4.〈歴史という概念〉) これを様々なレベルで取り出せば、例えば人類の地域性としての歴史であるこの列島の歴史や、ある会社の歴史、ある家族の歴史や特定の個の歴史ということも考えられる。あるいは、抽象された社会や会社や家族の歴史というものも考えられるだろう。

 今、個の歴史というものを考えてみる。
 わたしたちの日々の生が、わたしたちの意志や選択や行動によって成り立っていると言える一方で、それらを余り意識しないで自然に行動するような面もわたしたちにはある。また、じっと佇み続けるネコのようにぼんやりとした状態になることもある。さらにわたしたちは、活動停止ないし低活動状態のような眠りの世界にも毎日入り込んでいるし、また、心臓などのように意志して動かしていない不随意的な活動にも支えられている。

 この場合、個が家族関係でも学校や会社関係でも構わないが、それらとなんらかの関わり合いの中で、その個が、相手から不本意な要求をされて渋々あることを受け入れたとする。あるいは、その個が、無理やり自分の子どもに言い聞かせたとか、会社で無理してあることを合意したとか、様々な関係の有り様がある。それらのことが特に波風立つことなく終わる場合もあるが、日々積み重ねられて後々様々な矛盾として噴出して、最初の有り様が修正を迫られるということは、いろんな場面であり得ることだ。つまり、わたしたちの誰もが経験していることのように見える。この個のレベルの歴史を人類の歴史の方に返してみる。

 すると、人間の諸活動の総和である〈歴史〉も、この個の歴史の中の振る舞いや動向と同様のものと見える。歴史というものにも、人々が意識的に意志して築き上げようという行動とともに、潜在化した無意識の欲求や意志のようなものもあり、また、自然に振る舞っている部分があるように見える。

 ところで、資料の〈歴史の無意識〉①では、「(引用者註.ある制度、例えば近代資本主義国家は)歴史の無意識というもの、歴史が無意識のうちに最良のような感じで積み重ねてきた」ものであり、「人間の無意識に柔軟性があるように、歴史の無意識構造として柔軟性がある強固なもので、現実に適応して変貌しながら延命し、延命しながら変改していくようにおもわれます。」とある。〈歴史の無意識〉②では、「いわば自然にまかせるというやり方があります。あるいは歴史の無意識にまかせるということです。」とか「そういう歴史の自然にまかせておく」とある。〈歴史の無意識〉③では、その「(引用者註.過去の段階で)歴史の無意識段階が生み出した概念」が改変を迫られることがあると述べられている。

 以上のことから、吉本さんによると〈歴史の無意識〉は、「無意識のうちに最良のような感じで積み重ね」る最善のものを欲求するということがあり、また、わたしたちの日常の振る舞いのように普通に自然に行動するということがあり、さらに、現在からは都市と農村や人工と自然は対立的には見えないけれども、押し寄せる現実の動きの中でその矛盾を解消しようとする人々の総和としての欲求や意識からそれらを対立的な概念と見てしまう「歴史の無意識段階が生み出した概念」のことが述べられている。ここから集約すると、〈歴史の無意識〉には最良のものを求めようとする無意識的な欲求があるが、それが生み出した制度や概念も後の深化・進展した社会の段階からの〈歴史の無意識〉、あるいは内省によって修正されることがあるということになるだろう。また、それとは矛盾するようだが③のように都市と農村などの見かけの対立からその時代の考えをまとめ上げてしまう場合もある。要するに、先ほど取り上げた個の歴史における個の振る舞いと似たような所がある。

 ここで〈歴史〉や〈歴史の無意識〉にわたしが触れる意味は、かんたんなことである。ひとつは、わたしたちが、今ここに身体的・精神的に生きて活動していることの総和が〈歴史〉だとして、たぶん人類のこの人間界での無意識的な欲求や意志の流線を〈歴史の無意識〉と見なすなら、わたしたちは、自身の中にも遺伝として受け継がれていると思われる、その人類の無意識的な欲求や意志の流線に沿って、おそらく無意識的にも進んでいくだろうということである。

 もうひとつは、現在の政治や政権のように国民の幸福のためなどといわば偽の〈歴史の無意識〉をちらつかせた政治・経済などが無理やり歴史の主流から支流を延ばそうとしたり、流れを退行させようとしたりしてきた場合、どうせ後からこの悪〈歴史〉の改ざんの結果は〈歴史の無意識〉が修正するだろうと思っても、それは五十年後か百年後かもしれない。わたしたちは、遠い未来のためというよりも、今ここを生きているのである。わたしたちの生存の重心は現在にある。したがって、今ここをよりよく生きることができるように、押し寄せてくる問題が個人的か、社会的かに関わらず、わたしたちに押し寄せて来る問題には誰もが立ち向かわざるを得ない。もちろん、それらをやり過ごそうとすることもできるが、わたしたちが人間界の今ここに生きて在るということの意味は、個々でありつつどこかで互いにつながり合った存在としてあり、遠い歴史の果てからなんらかの遺伝を受け継いで生きている。その遺伝のようなものが、私たち一人一人が今ここを自由に生き生きと生きることができるように、わたしたちに発動させるのだろうと思う。吉本さんは、「もしかすると、僕らがかんがえてやってることは全部無駄で、そういう歴史の自然にまかせておくことがいちばんいいやり方なんだというようにおもえるわけです。」(2.〈歴史の無意識〉②)とおそろしいこと、あるいは普通の人々にとっては救いになることを語っているけれども、その探求の行動がいかに不毛に見えようとも、わたしたちが、今ここに存在するということがそのような行動や表現をわたしたちに促すのである。ただ残念ながら、わたしたちは、この列島の生活者住民として遙か太古から伝わっている心性や行動の負の遺伝から抜け出して、自らの生活世界を守るために政治経済の支配層をはねつけたり、自己主張したりするような自立性をまだまだ十分に獲得し得ていない。

 この二点において、わたしたちが不明のもやに包まれすぎて立ち往生しないためにも、この人間世界の移り行きやその流れを駆動するもの、つまり〈歴史〉や〈歴史の無意識〉についてわかっていた方が、個や集団において少しはその立ち往生や様々な悲喜劇が軽減されるかもしれないと思われる。


心の中で、普通の人が「俺が総理大臣になったら
こうしようと思っている」ということをもてたな
ら、それでいいんですよ。あとは何もする必要な
いから、遊んでてください (笑)。

 (5.「遊んでてください」)


 初めこの言葉に出合ったとき、吉本さんの立っている場面から言葉は語られているのだが、その場面というか地平というかがわたしにはよくわからなかった。そして、ほんとにそれだけでいいのだろうかと疑念を抱いた覚えがある。太古からおそらく現実社会のどうしようもなさから桃源郷や理想郷(ユートピア)が思い描かれ続け、近代になっていくつかの「革命」という人間集団の意志的な変革が試みられたが、余りにも大きな犠牲とともに無惨な結末しか残さなかった。現在は、それ以降の世界に属している。つまり、失敗に終わったような形態のあらゆる意志的な「革命」の不可能性の時代にいる。さらに、大規模な戦争の不可能性の時代でもある。それでも、組み直された新たな形の組織性や思想は未だ芽ばえも感じられず、旧時代の組織や思想の残骸は今でも存在し続けている。さらに、最期の悪あがきのように、戦前の負の遺伝子を受け継ぐ現政権が現在の諸課題にはまともに向き合うことをせずに時代錯誤の復古を目指している。わたしたちは、現実のこまごまとした具体的な動向に反応し続けていると疲弊してしまう。

 最晩年の吉本さんの語るその言葉を、今までたどってきた〈歴史〉や〈歴史の無意識〉という地平に置いてみると、おそらく吉本さんにはこの列島の人々の総和が無意識的にも駆動する現実や歴史というものの主流とその課題と可能性とが大体見通せていたのだろうと今は思える。それを可能にしたのは、太古の長老のような体験の積み重ねのもたらす知恵というよりも、ほんとうなら誰にも可能な、しかしこの国では稀有の、長年に及ぶ持続する自分との対話と思考実験のもたらしたものだろう。

 わたしたちは誰でも、日々の生活でおそらく無意識的にも実行しているように、日々のこまごまとしたことにかまけつつも、その動向を大きな時間や視野で見つめることがある。その二重性を誰もが生きている。もし、その二重性を分離して片方だけに収束するとおそらく病的にならざるを得ないと思われる。日々のこまごまとした生活を味わいながら、わたしたちの生活世界に押し寄せたり湧き上がったりする課題を第一としつつ、自由に考えを言い、よりゆったり呼吸できる社会を構想し目指したいものだ。 


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