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メモ2019.5.1

2019年05月01日 | メモ
メモ2019.5.1


「柳田国男は日本の国を統治した人たちの歴史とか、天皇家がどうであったかということは、本当はあんまり関心がなかったとおもいます。関心があっても、二番手、三番手くらいの関心でしょう。柳田国男が関心をもっていたのはやはり常民と呼んでいる、なんでもない人たちの歴史でした。つまりいまの言葉でいえば、一般大衆の生活や風俗の歴史ということになります。」
(「わが歴史論」吉本隆明、JICC出版局『柳田国男論集成』所収 1990年)

柳田国男が天皇に敬愛の念を持っていたのは、資質や思想もあるが、兼任として宮内書記官を勤めていたということもあるかもしれない。

依然として、保守だ中道だなどの言葉が流行っているが、「保守思想」と呼ばれた柳田国男は、時代の主流やその推移を踏まえた、真に普通の人々の生活をすくい取る思想だった。現在も尚、そういう思想や政治や政治・経済思想が稀少であるのはどうしたことだろうか。柳田国男は、外からの視線では「保守思想」と見えても、内からの視線では、ちょうど親鸞の念仏に対する考えのように、「保守」を超えた「保守」、「保守」と言っても言わなくてもおんなじような思想だった。ある理想のイメージを抱きながら、普通の人々の精神史や生活に沿うて流れる思想だった。

どこかで吉本さんが、天皇制を名誉会長に例えていたと記憶するが、時間をさかのぼって収束させれば天皇制の起源は、集落の長老(政治)のようなものになるのかもしれない。昔、本田技研工業の創業者である本田宗一郎の本を一冊読んだことがある。彼も始まりはちいさな町工場だったろう。しかし、現在のような大規模企業になるとざっくばらんな感性や考えでは済まなくなったろうと思う。始まりは、神話のように語り継がれるほかないように見える。ちょっと天皇制の起源と現在に似てると思う。

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