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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

短歌味体Ⅲ 701-801

2016年04月29日 | 作品集

  短歌味体Ⅲ

短歌味体Ⅲ 701-703 感嘆詞シリーズ   2016年03月28日
短歌味体Ⅲ 704-706 言葉の表層からシリーズ  2016年03月29日 
短歌味体Ⅲ 707-710 言葉の表層からシリーズ・続 2016年03月30日 
短歌味体Ⅲ 711-714 言葉の中層からシリーズ 2016年03月31日
短歌味体Ⅲ 715-717 言葉の中層からシリーズ・続  2016年04月01日
短歌味体Ⅲ 718-720 言葉の深層からシリーズ 2016年04月02日 
短歌味体Ⅲ 721-723 言葉の深層からシリーズ・続  2016年04月03日  
短歌味体Ⅲ 724-726 はるシリーズ  2016年04月04日  
短歌味体Ⅲ 727-729 はるシリーズ・続   2016年04月05日  
短歌味体Ⅲ 730-731 はるシリーズ・続    2016年04月06日 
短歌味体Ⅲ 732-734 はるシリーズ・続 2016年04月07日 
短歌味体Ⅲ 735-737 はるシリーズ・続   2016年04月08日 
短歌味体Ⅲ 738-741 はるシリーズ・続  2016年04月09日
短歌味体Ⅲ 742-743 通り過ぎるシリーズ 2016年04月10日
短歌味体Ⅲ 744-745 通り過ぎるシリーズ・続  2016年04月11日
短歌味体Ⅲ 746-748 イメージ野シリーズ 2016年04月12日
短歌味体Ⅲ 749-751 イメージ野シリーズ・続  2016年04月13日 
短歌味体Ⅲ 752-753 2016年04月14日
短歌味体Ⅲ 754-757 ブーメランシリーズ 2016年04月15日 
短歌味体Ⅲ 758-760 ブレーメンの音楽隊シリーズ  2016年04月16日
短歌味体Ⅲ 761-763 ブレーメンの音楽隊シリーズ・続  2016年04月17日
短歌味体Ⅲ 764-766 ブレーメンの音楽隊シリーズ・続  2016年04月18日
短歌味体Ⅲ 767-769 イメージ論シリーズ・続  2016年04月19日
短歌味体Ⅲ 770-772 イメージ論シリーズ・続   2016年04月20日 
短歌味体Ⅲ 773-775 震災シリーズ 2016年04月21日
短歌味体Ⅲ 776-777  ほっと一息シリーズ・続 2016年04月22日 
短歌味体Ⅲ 778-780  重層シリーズ  2016年04月23日  
短歌味体Ⅲ 781-783  重層シリーズ・続   2016年04月24日  
短歌味体Ⅲ 784-788  重層シリーズ・続   2016年04月25日
短歌味体Ⅲ 789-792  農に出てシリーズ  2016年04月26日
短歌味体Ⅲ 793-796 張り合いシリーズ  2016年04月27日
短歌味体Ⅲ 797-799 一瞬シリーズ 2016年04月28日 
短歌味体Ⅲ 800-801 一瞬シリーズ・続  2016年04月29日 

 

 


  [短歌味体Ⅲ] 感嘆詞シリーズ


701
あっ 忘れてたと思い直して
気に留めても
しばらくすると晴天の空


702
あっ ととと 思い出して
しまったよ
できれば消し去りたい記憶


703
あらあら 困った風(ふう)でも
お腹には
柔らかな風流れ子を見る




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の表層からシリーズ


704
公人の乾いた言葉
春桜
灰ばかり舞い流れ寄せ来る

註.「花咲か爺」を思い浮かべつつ。


705
言葉に言葉積み重ね
徒労ばかり
汗滲み出し不毛の砂漠


706
はーいチーズ 呼び寄せられても
頑なに
表情を解かない春の




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の表層からシリーズ・続


707
表面を飾りに飾る
言葉たち
井戸は涸れても声はつややか


708
幻の読者をあてに
修辞
修辞修辞!かざりにかざる
 
 
709
舞い踊る修辞者たち
今もなお
俊成の桐の火桶の

 註.中世の歌人、藤原俊成は現実の姿としては冬、桐の火桶を抱きかかえるようにして苦吟したという。



710
肌寒い春の花びら
ひんやりと
乾いた井戸に降り積もりゆく




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の中層からシリーズ


711
いくらかは鏡ちらちら
見い見いし
用事顔にて言葉は歩む


712
鏡との静かな対話
くり返し
ぱたぱたするする装いもする


713
道々にふと湧き上がる
不安から
微妙に道ずれはずれゆくか


714
そんな印象言われても
身に覚え
ないと振り向く旅の途上




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の中層からシリーズ・続


715
不明でも不明のままに
下車せずに
桜咲く未明の駅を過ぐ


716
運ぶ荷ははっきりとは
わからない
駅を目指しているのはわかる


717
きみのはカッコいいなあ
身のふるい
立つはスモークの ダンスダンス!




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の深層からシリーズ


718
「山向かう」山にか山がか
もやの中
追いすがるは手肌の匂う


719
「山向かう」あいまい道を
進みゆく
もや立ち込むも手する感覚確か


720
たどられぬ言葉の岩肌
ひび割れて
下水(したみず)の方風匂い来る




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の深層からシリーズ・続


721
落ちて来て触れた感じに
湿り気の
膨らみつつ寄せ来る数波


722
井戸の底乾いていても
音もなく
後ろの気配で寄せ来るばかり

 註.井戸といえば、私の小さい頃は井戸を利用していた。ひんやり湿って冷蔵庫の役目も持っていた。村上春樹の作品に井戸の描写があったけど、彼は通りすがりではない井戸体験を持っているのだろうか。作品の描写は喩のようだったから井戸体験は不要かもしれないけど。



723
降って来るみどりの匂い
ほの明かり
背の方から自然と身よじる




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ


724
おだやかに花びら舞い
ゆらゆら
日のぬくもり放ち地に落つ


725
〈ああ〉〈うっ〉〈おお〉
寄せ来る
浸透する 流れ出す はる


726
言葉の圏外でも
はる
言葉に似た舟に打ち寄せ来る




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ・続


727
おそらくは去年と今年
同じようで
少し違って咲き触れ触らる


728
遙か遙か はる以前があり
おそらくは
時間の果てに はる以後がある


729
べつに苦しくはない
今ここの
はるにまみれて ものみなすべて




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ・続


730
暖かく膨らむ大気
あちこちに
芽吹きふくらむものたちあふれ


731
衣更えしてしまうように
自然に
背押し歩ます四月の風は




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ・続


732
雨風に花も散るちる
ちるちるち
花が今散るちるちるちちる


733
花も人も散るは惜しまず
と上っても
見晴らす我に湧き流るるものの


734
目にすれば知らない扉
開いてて
うかれさわぎなみだのにじむ




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ・続


735
あっぷっぷ はるというゆにつかる
どこがはるか
概念は言えぬただ肌を流れ下る


736
さあここぞと ちちんぷいぷい
はる真っ盛り
海が裂け風そよぐページへ変わらず


737
いちにーさん ダイブする はるは
ダンサーたち
引き連れ出迎えに来て居るか




  [短歌味体Ⅲ] はるシリーズ・続


738
初めて言葉の世界に
湧き立って
はる ハル ひゃる と舌転がる日


739
「春はあけぼの」 春ってそんなの?
こちらでは
ちょっと異国の匂いする


740
春 桜前線のように
列島中に
広まった日 いずれにしても春ですよ


741
大規模の気候変動に
暗黙の
春はどこか化粧顔の




  [短歌味体Ⅲ] 通り過ぎるシリーズ



742
側通る草々匂い
引かれる
おもい計量超えて みどる


743
春は発つ?(わかりやすいけど
違うような)
春 春は瞬時に舞台構成し 消失す




  [短歌味体Ⅲ] 通り過ぎるシリーズ・続



744
二度目には少し和らぐ
天候の
日差しのよう表情解けて見える


745
何度も眺めつつ行き来
していると
その木は (ここの木 ((そこの木 にもなってくる




  [短歌味体Ⅲ] イメージ野シリーズ



746
思いがけず知り合いに出合う
街角の
親しい記憶訪れて来る

註.「の」は、古語の(のように)の意味。


747
すべりそうに水底を歩む
水を切り
魚(うお)のぬるりに時々出合う


748
造花の川には入らなくなった
ふと湧き立つ
イメージの野は流れに揺れる




  [短歌味体Ⅲ] イメージ野シリーズ・続



749
木の葉がお金になるか
と世界を
脱皮して また信じ始める


750
木の葉揺れ小舟になって
すべり出す
星々を縫い突き進みゆく


751
「またこんどね」 言われた言葉
イメージ野
から消えずに時に明滅す




  [短歌味体Ⅲ] 


752
そうなんだ と身に染みて
ひとり
驚天動地裂けめくれゆく


753
師は逝きて (そうだったのか)
迫(せ)り出す
未知の風景に立つアーナンダ

註.「アーナンダ」は、シャカの弟子。




  [短歌味体Ⅲ] ブーメランシリーズ


754
クマさんのぬいぐるみと
仕舞われて
ずんずんずんと森の奥深く

 註.助詞「と」の用法は、「動作・状態などの結果を表す。『有罪―決定した』」。つまり、「となって」の意味。



755
森に「奥深く」があるのか
次々に
疑問符のブーメラン投げ放つばかり


756
急ぎ流れゆく雲の
合間には
クマさん再び夢に戻り来る


757
しんしんしん 深深深
夢の中
子どものようでも thin thin sin thin




  [短歌味体Ⅲ] ブレーメンの音楽隊シリーズ


758
ブレーメン 行ったことはないけど
ぼくもまた
ブレーメンの音楽隊さ


759
ブレーメン 修業して
つらい顔
沈めて歌う のではなくって


760
あそこでも彼方でもなく
(振り返る)
きみはいま・ここの ブレーメン




  [短歌味体Ⅲ] ブレーメンの音楽隊シリーズ・続


761
山高く上らないと
届かない
見晴らせない景色もあるが


762
手品でなくきみはわたしで
わたしは
きみだという共通の音 響く


763
奏でるは共通の音
と聴こえても
我が芯にふるえるビブラート




  [短歌味体Ⅲ] ブレーメンの音楽隊シリーズ・続


764
〈革命〉や〈かくめい〉と引き
絞り上り
詰める ことなくふんわりの着地?


765
しかしかし 大道無門
素人も
気ままに歩み気ままに演ず


766
何にもしてないやん!
と言われても
我は本流の流れに沿い抗う




  [短歌味体Ⅲ] イメージ論シリーズ・続


767
ああ そうか そうだよね 揺れる
バランス
絞り一気に小舟に乗る


768
小舟の乾いた板に
ぽつ ぽつ ぽ
つ滴の落ちて染み渡る


769
ひとりでに進んでゆく
小舟には
青い心の滴拍車を駆ける




  [短歌味体Ⅲ] イメージ論シリーズ・続


770
海進、海退 (きっと
世界の
終わり) に追われ 地を上り下る

 註.「海進、海退」
人の小さな生涯の時間を超えた、とても大きな時間のスケールでの環境の変動。縄文時代の海進とその後の海退。
「約9,000年前からの急激な海進と約6,000年前~5,500年前の最大海進期を経て現在に至っています。最終氷期極相期以後の海進を縄文海進といい、海が最も陸地内部まで侵入したのが約6,000年前~5,500年前の縄文時代(早期末~前期)であったことからそのように呼ばれています。」(「地震・防災関連用語集」http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/yougo/B_nendai/nendai_jyoumon_transgression.htm)



771
姿形は変わっても
イメージの
遙か深みからイメージ走らす


772
自然の挙動不審に
揺れ揺られ
嵐の中の小舟怒りぶつかりゆく

 註.
柳田国男が書き留めていたが、柿の木などがよく実を付けるように、実を付けないと傷つけるぞなどの呪文を唱えつつ木をちょっと傷つけたりする、そんな自然に対する太古の心性と似通っているか。この場合は、呪文ではなくどうしようもない理不尽さの思いからの怒り。





  [短歌味体Ⅲ] 震災シリーズ


773
くつろぎの椅子に座る
瞬間
予感染みだし黒々と揺れる


774
やわらかな椅子変じて
液状化
黒い砂となりからだの奥へ


775
ずんずんと揺さぶられても
雨濡れた
木の葉の揺らぎこころを下る




  [短歌味体Ⅲ] ほっと一息シリーズ・続



776
土払い手袋脱いで
椅子深く
腰しずめて静まる時の


777
ああ今日も一日の波
静かに
穏やかに退いていく夜




  [短歌味体Ⅲ] 重層シリーズ



778
はい はい。(小石の落ちて
波紋の
広がりゆく 見ている)ええ。


779
月出てる、とってもきれい。
そうだね。
(気がかりの影まんまる月にかかる)


780
階段を上っていく、
(今誰かの
視線触れ来た)夕暮れの街。




  [短歌味体Ⅲ] 重層シリーズ・続


781
自分のこと考えていても
他人が
重なってきてマジリアーニ

註.「マジリアーニ」は、画家モディリアーニとその絵を少し意識した。


782
こうするよと心積もり
していても
場面に立つときみは変貌す


783
作者・語り手・登場人物がいて
物語は
重層する色合い放つ




  [短歌味体Ⅲ] 重層シリーズ・続



784
今年も作る竹の子ごはん
一年ぶりの
思い昨年に重ねている


785
竹の子とこんにゃくと
鶏肉と
椎茸と小さく刻んで炒め合わせる


786
さとうしょうゆ酒入れて
具を作り
酢振りのごはんと混ぜ合わせ


787
それぞれ皿に注いだら
仕舞いに
金糸卵を振りかけ出来上がり


788
複雑になってしまっても
太古の
シンプルな料理に思い重ねる




  [短歌味体Ⅲ] 農に出てシリーズ



789
農に出て下ろし立ての
ステンレス鎌
スパン スパンと草刈り進む


790
何度もくり返してると
ビミョウに
切れ味がスパスパと曇りゆく


791
空(チュン チュン)雲(チュン チュン チュン)
風(ホーケキョ)
晴れ(チュン チュン(ゲコゲコ)チュン)


792
くたびれて家帰り着くと
充足の少し重たい
からだの流れ言葉のドアは閉じて




  [短歌味体Ⅲ] 張り合いシリーズ


793
手を見ても猫類ならば
闘志燃やす
目まんまるに燃え始めてる


794
我に没入 (jump) 飛びかかる
爪出てる
あぶないあぶない (おいおい)


795
人みたいに目合わせ細めたり
配慮して
爪を収めたりもするけれど


796
じっとして内向きに丸く
なっている
今きみはどんな世界に浸かっている?

註.NHK Eテレのねこのうた(言葉+音楽・歌+映像)を意識して。・・・ううん、負けてる?

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「あたし ねこ」の歌詞(NHK Eテレ「0655」)


あたし ねこ
あたし ねこ
ここ あたしんち
ここ あたしんち

これ いつものごはん
これ スペシャルごはん
それ 大好きおもちゃ
それ 落ち着く寝床

あたし ねこ
この人 飼い主
この人 ご飯をくれる
この人 遊んでくれる

あたし ねこだから
人の言葉わからない
あたし ねこだけど
この人の気持ちなぜかよくわかる

あたし ねこ
あたし ねこ
あたし ねこ
あたし ねこ

https://www.youtube.com/watch?v=X0Y8q0x_yjw





  [短歌味体Ⅲ] 一瞬シリーズ


797
一瞬の偶然と
必然の
哀しい出会い流れを切断す


798
一瞬は微分のようで
全ての
有り様の今として現前す


799
一瞬の表情には
歩み出た
自己と引きこもる自己と混じり合い




  [短歌味体Ⅲ] 一瞬シリーズ・続


800
宇宙から見て一瞬
と言っても
かげろうも人もその内を生きる


801
樹齢数千年も
宇宙から
見ると一瞬 時間の木の香の匂う


 


覚書2016.4.29―芸術から

2016年04月29日 | 覚書

 覚書2016.4.29―芸術から


 大きな時間の流れの中、芸術というものが、その始まりの太古からその本質をくり返しながら姿形を変えて複雑になって、現在の迷路のような芸術の姿があると見なして考えてみる。


 現在では芸術は、美術、音楽、舞踊、演劇、映画、文学など各分野に分かれ、さらにそれぞれの中でも、例えば文学の中に大別して詩と小説があり、その中でもさらに詩には短歌・俳句・自由詩などがあるというように、限りなく細分化の道を歩いてきている。(これは芸術以外の全ての分野にも当てはまる)したがって、わたしたちは深く関心を持っていない分野に関しては、入りこんで簡単に論評してみるというわけにはいかない。


 したがって、現在の芸術の渦中から見渡せば、世界はそれぞれに専門化された近寄りがたい迷路のような構築物に見える。しかし、始まりの芸術は、太古の壁画や太古から受け継がれたような音楽・舞踊などを見たりすると、おそらく各分野に分かれることなく融合的であったはずである。


 それに、人類の生み出し積み重ね来た本流の底流に流れているのは、割とシンプルな欲求や願望として取り出すことができそうに思う。それが時代時代によって神話に向かい神を呼び寄せたりする意識や世界に対する祈りや信や願望など様々に姿形を変えてきていたとしてもである。


 その底流に流れる、芸術の起源の太古から現在まで通して言える芸術の本質は、この短い生涯という時間としても限られた世界で、個や他人との関係的な世界でよりよく生きようという意志の表現だと思う。現在の言葉で言えば、それは少し概念的すぎるけど自由(美)と言えるかもしれない。このように、わたしたちは芸術なら芸術の本質としてはだれでも取り上げ、論じることができると思われる。


 現在は芸術でも迷路の果てまで来ているように見えるけれど、人間は大きな歴史の段階で考えれば、ある方向に突き進んでは内省し、また包括的に本質を捉え返すというようなことをくり返してきているのかもしれない。そうして、現在はその捉え返しの時期に当たっているように見える。このことは、芸術に限らず政治や経済でもそうであり、あらゆる分野について言えることだと思う。


 ところで、芸術に関して補足すれば、芸術の表現でこれでもかというほど登場人物の悪(業)が描かれるということがある。先に述べた「自由(美)」ということには当てはまらないように見えるが、作品の表現がその深みにおいて志向するのは、意識的あるいは無意識的な自由への欲求と見なせるだろう。つまり、人間の負性を徹底的に追究する過程には自由への欲求が潜在していると見なせるように思う。


 また、太古から現在の方へ、生活意識として個の意識が先鋭化してきている(一方に、公が大事という復古イデオロギーも存在するが、わかりやすく言えば、それは自分中心ということ)のと呼応するように、芸術は個の意識が中心を占めるように変貌してきた。芸術表現は現在では個の内面世界に終始するようになって、そこでの解放感の獲得ということが大きな動機に見える。しかし、作者たちもまたわたしたちが生きるこの社会と無縁であるわけではない。社会の方に引き寄せてみれば、芸術表現の作者たちは、生き呼吸するこの社会をその秩序意識のようなものとして感受し、意識的あるいは無意識的にそれらへの親和や異和を作品中に散りばめているはずである。おそらくは生き難さの孤独な表現を通して、ひそかな結合手をわたしたち読者(観客)の方に伸ばしていると言えるかもしれない。

  (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)