大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

Aさん へ

2009-03-23 17:33:17 | 日記
A さん

 お元気ですか?私は何とか生活してます。
Aさん、私はいつも脳裏から離れず、ずうっと考え続けていることがあります。それは『悩み』という言葉に置き換えてもいいことかもしれません。一言で言うと、
『人はどうしてこの世に生まれてくるのか?』ということです。Aさんこんな単純で素朴なこと、考えたことありますか?
幼い頃の疑問、いや煩悶に似た感情をここに表明、というか告白しますね。
Aさん、このことは今まであまり他人に話したことはないのですが、私も50歳、半世紀も生きてしまった男ですので、心情吐露します。人はどうしてこの世に生まれてくるのか?一言で言うと『人間関係の修行』の為にこの世に生まれてくるのだとつくづく思うのです。人は泣きながら『この世』に生まれてきます。そしてまず両親に泣きながら挨拶します。両親は大抵大喜びで、赤ちゃん(子供)を祝福してくれます。私は、東北、福島の片田舎に1958年4月に誕生しました。経済的に貧しい農家の長男として生まれました。物心ついた時、父は出稼ぎ労働をして一家を支えていました。2年前に74歳であの世に旅立ちましたので、今頃三途の川を渡っている頃かなぁ、いやきっと無事渡ってくれたと信じています。
 父の出稼ぎについて記憶の糸をたぐらして、少し書き連ねてみますね。

茅葺き職人に弟子入り、黒いダイヤモンドと言われた炭坑労働者、石油コンビナートの下請けの仕事、日東紡という繊維会社の夜勤の仕事、等色んな職業を多分転々としたと思います。私は長男ですぐ下に年子の次男、妹や三男、4人の子供を裸一貫、肉体労働で育ててくれました。父のことを考えるとなぜか涙が自然に溢れてきます。いまでは感謝の気持ちで一杯ですね。父は貧しい生活を堪えて生きてきたと今さらながら思う今日この頃です。幼い頃の記憶は不明瞭というか不鮮明なのですがあまり父は家にいなかったように思います。当然ですよね、一家の生活を支える為に、出稼ぎ労働者は農業(農繁期)以外はたいがい夜行列車にゆられながら、都会(大都市)に行くしか現金収入を得る方法がなかったわけです。一家の生活の糧を得る為に、額に汗をながし自らの身体を酷使するんですね。
 父は身体が丈夫だったと思うんです。じゃないと炭坑では働けなかったし、地底何キロも深く潜り、つるはしで石炭を掘るのは想像するだけでも大変な仕事です。
(筑農に住んでいた『上野英信』の小説を読むことで、炭坑労働者の悲惨な状況をほんの少しだけ追体験することができます)私が言うのもなんですが、父はクソ真面目で、何事も丁寧に物事を処理する人でした。農作業でも茅葺き職人としてもすごく几帳面な仕事、肉体労働者の鏡みたいな存在でした。

                                                      続く

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