土の音(食育のグリーンノート&土の音工房)

「食と健康セミナー」(食養料理教室や講演会)の開催中。
「土の音工房」で、オカリナ製作販売・演奏・教室(初心者~)を主宰

佐奇神社(金沢市指定文化財)春の例大祭 参詣

2015-04-14 | 日々教訓
佐奇神社(金沢市指定文化財) 春の例大祭 参詣

詳しい歴史資料が公開されるからと、ご縁の老翁のお勧めで紹介戴き、平成27年4月3日午後3時からの「佐奇神社」春の例大祭に食事道を普及する仲間と参詣させてもらった。

着いたときは、10才位の可愛い巫女が神主さんの指導で舞を奉納する作法をおさらいしているところだった。氏子さんや来賓の方が概ね着座されている中、なんとも微笑ましく人間味に溢れた村祭りという雰囲気だった。

金沢市金石港近くの佐奇森町に鎮座する「佐奇神社」は天平4年(732)の創建とされ、大工棟梁だった筆者の祖祖祖父 上村喜兵衛(江戸~明治) や祖祖父 上村善太郎(江戸末年~大正) が関わったと伝わる「天徳院」が、増改築を行った際、境内にあった5代藩主綱紀の御霊堂を、明治9年(1876)に「佐奇神社」に移築し、現在の拝殿となったという。

私たちにまで玉ぐしを手渡され「玉串奉奠」
儀礼の後、神主さんが 金沢市指定文化財となった(平成27年2月12日 指定)経緯を歴史的に詳しく話された。
貴重な文化財が活用しながら良好な状態で保存されてきた努力が各界より称えられているときく。

祭神は息長帯比売(おきながたらしひめ)命・菅原大神・表筒男命・中筒男命・底筒男命、旧社格は郷社。

※「天徳院」(てんとくいん)は石川県金沢市小立野にある曹洞宗の寺院。山号は金龍山(きんりゅうざん)。

元和9年(1623年)、加賀藩主前田利常が前年に24歳で亡くなった正室 珠姫( 法号、天徳院殿乾運淳貞大禅定尼)の菩提を弔うために創建。翌年、巨山泉滴を招聘して開山。
元禄6年(1693年)、黄檗宗の高泉性敦が伽藍を黄檗式建築で整備するが、明和5年(1768年)の火災で 主要伽藍を焼失。翌明和6年には前田重教によって再興。

大正12年(1923年)には関東大震災から避難した室生犀星が滞在している。Wiki-

いただきます!の心は、生命の深層で繋がる感謝の祈り

2015-04-14 | 食と健康
いただきます!の心は、生命の深層で繋がる感謝の祈り。4月12日(日)

83才、今なお勉強熱心な懇意のお客様より特別な講演会チケットを贈られた。
場所は先頃「手作り土笛展示会」を開催した本多の森ホールの大会場。幼少時に母に連れられ聞いたことのある生長の家主催。昼食時に頂いた弁当には、危険な防カビ剤等を使わない割り箸が添えてあった。

最も心に残ったお話の中に、

…無宗教を自任する人でも、日本人ならば食事を前にして「いただきます」と言って手を合わせ、食事が終わると「ごちそうさま」と言って手を合わせる習慣に、あまり抵抗を感じないに違いない。この習慣の背後には、食事の提供者に対してのみならず、食材を供給してくれる自然界への感謝、ひいては自然の創造主への感謝の思いが含まれていたし、今でも含まれていると私は考える。だから、食事というものは、「神と自然」「自然と人間」の関係を意識し、三者の大調和を祈る最良の機会の一つだと言えるだろう。…

という谷口雅宣氏の著書の一節があった。
「もったいない」も同列だろう。

国や文化を越えて「いただきます」の心は、生命の深層で繋がる感謝の祈りではないか!

都市への人口集中、肉食や廃棄食料の激増と森林の激減、資源の奪い合い…そして戦争!
心を鎮めて考えればわかることだろう。玄穀物菜食中心の本来の自然食がヒーリングフードと云われるのは平和への具体的基礎的な手段だと。

帰り道でお茶をご馳走になったレストランの佇まいから、先ほどの話にあった、山中で実現した「ゼロエネルギーオフィス」を思い起こしていた。

帰宅前には、一年前の4月12日に記したブログが自動メールで入ってきた。昨年の夕陽の写真は鮮やかだが、薄雲で広く滲んだ本日の夕陽と合わせ、アナログの話と学際的データで示すシビアな現実の呈示の両面からの講演内容を踏襲するようだった。