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Ⓘ‐28.ジャン・ジオノ著;「森に木を植えた男」考(1/2)~ストリー

2023-08-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

「森に木を植えた男」 (フランスの作家;ジャン・ジオノ) 

木を植えた男表紙

 

 

 


 

 本の概要は、南フランスの山岳地帯を舞台に、荒れ果てた大地で一人黙々と木を植え続け、緑あふれる森によみがえらせた男を描いたもので、 「」が主人公で回想ーといった形式をとっています。

あらすじ】 1913年、「私」は南フランス・プロバンスの山岳地帯を歩いていた。
 そこは荒れ果て不毛の地となっていて、わずかに暮らす住民たちはすさんだ生活を送っていた。ベルゴン村を過ぎ山へ入った私は、疲労と脱水により遭難しかけるが、初老の羊飼いと出会い救われる。男は村を離れ、この荒涼とした土地で羊を飼いながら独りで暮らしていた。 男の家に泊めてもらうことになった私は、夕食後男がドングリの実を選別するのを見る。そうして、傷んでいないドングリを100個揃えた男は無言で床に入った。

 そのことに興味を抱いた私は、翌朝出発を1日延ばし、男と共に山に出かける。 羊の世話を番犬に託し、持っていた鉄製の杖を使い地面に小さな穴を掘りそこにドングリの実を埋める。 「この土地はあなたのものですか?」と聞いた私に、男は「違う!」と答える。 所有者すら知らない不毛の土地に男は、丁寧に100個のドングリを埋めていくのであった。昼食後、男はまたドングリの選別を始める。しつこく質問する私に男はようやく重い口を開く。ドングリは柏の実で、3年前から埋め始め、既に10万個の実を埋めたこと。そしてそのうち2万個が芽を出したが、自然淘汰でその半分の1万本の木しか育たないであろうことをー。 「妻子を病で失った自分が、この土地でできる仕事はこれだけだ。願わくば この木々が山を埋め尽くすまで生きて、この仕事を続けていきたい」ーと。

 翌年始まった第一次世界大戦で従軍した「私」は生き延び、再び男と会ったのは5年後のことだった。男が植えた木はこの5年で育ち、不毛の大地を替えていた。 私は、「人間は破壊以外の領域でも神と同じく全能なんだ」と実感する。 男の手と心で生まれたこの林のことを、人々は自然林と信じて疑わなかった。 そしてそのおかげで男は邪魔されずに黙々と木を植え続けていたのだった。
 私は1920年以降、毎年男のもとを訪ねた。 その間も男は黙々と木を植え続け、林は森へと成長していくのだった。森が重大な危機にさらされたのは、1939年に始まった第二次世界大戦の時期だ った。木材切り出しのため、1910年代に植えた柏から伐採され始めたのだった。 しかし不便な山奥にあったことが幸いし、採算割れのため伐採計画は中止となる。 男はそんな世界の情勢にかまうことなく、黙々と木を植えていくのであった。 この大戦により私は8年間男を訪ねることがかなわなかった。
  1945年、バスに揺られて目的地に近づいた私は、あまりの変わり様に目を見張る。 かつて荒れ果てていたベルゴン村は、豊かにそして活気づく町へと様変わりしていた。 このマチは、誰もが住みたいとあこがれる土地に変わっていたのだった。 新しく移住した住民を合わせおそらく1万人以上の人たちは、この羊飼いの男= エルゼアール・ブッフェ、たった一人のおかげでその恩恵を受けているのであった。 しかし、それは誰も知る由もなかった。 彼
は、1947年養老院で安らかに息を引き取ったーという。
 

 

自分で決めたことを、失敗しても、くじけず、黙々と同じ作業を繰り返す男の話です。妻子を失った孤独な境遇と男の生きざまが描かれています。その地で男と出会った青年=「私」には、そのことがとても崇高なものに思えました。第一次世界大戦で戦場に出た「私」が、戦後心をいやすために再び訪れたその土地には、カシワの森が育ち始めていました。

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