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明日へ続く道

080728 野球チームモデル

2008-07-30 | 特別支援教育
前回のブログで、北海道の石川晋先生が話されている「町医者モデル」という話を聞いた。
町医者は、幅広く治療を施すことができる。
ただし、専門的な対応が必要な場合は、付属病院などに回す。
「通常の学級の担任」もこの町医者に近い存在でいいのではないかというのが
「町医者モデル」の考えだととらえている。(ちょっと違っていたらすみません…)
この考えが、自分は大いに必要だと感じている。

先日、この話を、いつもお世話になっている地域の通級学級の先生に話をした。
そのとき、「町医者モデル」の考えに賛同してもらいながら、
更に、特別支援がチームで行うものという話になり、野球チームに例えた話になった。

あえて「野球」に例えたのは、この先生が自分が野球を好きなことを知っていてくれていたからだ。

この「野球チームモデル」とは、次のようなことだ。

野球チームには、投手、内野手、外野手、打者、走者など、様々な役割がある。
どの役割がすごいとか、偉いという訳ではない。
それぞれの役割が機能した時に、よいチーム、強いチームができる。

例えば、一人のピッチャーと、一人のバッターが、
お互いの考え方や技術などをアドバイスし合うことに、効果があるだろう。
相手の技術や考え方を知ることは、自分のプレイの向上にもつながる。
けれども、ポジションが違う相手に、
なぜ速く投げれないのか、なぜうまく打てないのかということを強いても意味がない。
それぞれの役割を知り、それを尊重する態度が大事なのだろう。

そして、もう一つ、むずかしいのは、スーパープレイヤーの存在だ。

野球でも、複数のポジションをこなすことのできる選手もいる。
あるいは、一つのポジションを極めた技術の高い選手もいる。
でも、この存在をベースに、チーム力を考えるわけにはいかない。

実際のチームには、自分のポジションをこなすことも不安であることも多い。
そのために必死に練習をして、それでも三振をしたり、エラーをしたりするのが現実だ。
練習を怠り、ミスをする選手に対して、厳しく接することは必要だろう。
でも、必死に取り組んだ結果、それでもミスを犯したことに対して
それを過度に指摘してしまっては、おそらくチームは、いい方向に向かわないだろう。
そう、どんなピッチャーだって打たれることがあるし、
どんなバッターでも、半分以上は打ち損じているのだ。

どのポジションを担う選手にも失敗があり、不安もある。
その反対に、プライドももっている。
そうした思いを、共有することが、チームが強くしたり、継続したりしていくためには、大事なことだ。

特別支援教育もそれと同じだろうと思う。

お互いの専門性の足りない部分を指摘し合ってしまったり、
専門性を見過ごしてしまったりする部分がまだあると感じる。
そのことが、特別支援教育が以前よりはずいぶん浸透してきてはいるものの、
未だに、特別支援教育に対する困難さや負担感、距離感につながっていると思う。

本当の意味で特別支援教育が通常の教育に根付き、効果を上げていくためには、
こんな野球チームをモデルとしたお互いの役割への意識や尊重というものが
必要なのだろうと感じている。
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080716 特別支援への思いと迷い

2008-07-17 | 特別支援教育
前回も書きましたが、自分は今特別支援教育について
次のように分けて考えています。

1 特別でない特別支援教育(教室・授業のユニバーサルデザイン)
2 特別な特別支援教育
(1)障害にかかわる専門性
(2)通常の学級の担任としての専門性

この中で、通常の学級の担任経験しかない自分には、
2(1)の「障害にかかわる専門性」には弱いです。

当然、この時代、ある程度の知識や技能が必要ですが、
そこにあまり深くかかわらなくてもいいのではないか
というのが、今の思いです。

その部分については、まわりの専門性のある人たちと、
連携をとって、それぞれの特性を生かしていくことが
特別支援教育が広まるためには、必要なのだろうと感じています。

幅広く指導の必要な通常の学級の担任が、
専門性のある人たちと同じくらいのレベルになるのは
現実的ではありません。
特別支援教育が一部のスーパー教師にだけできるものに
なってしまいそうです。

北海道の石川晋さんが言っている「町医者モデル」という考えに
とても共感しています。


今日の研究会でも、ついついそんな話をしてしまいました。

ただ、ちょっと反省しています。

自分の授業や学級を見て、通級の先生や巡回相談の先生が
高い評価をしてくれたことがありました。
自分では十分でないと思っている発達障害に関する専門性や視点を
実は、他の通常の先生と比べると
それなりにもっているのかもしれません。

だとすれば、自分の立場は、もっと障害の専門性や視点に目を向けよう
ということを発信するべきでしょうか?

通常の学級の先生たちがもつ特別支援教育という言葉への壁を
何となく相変わらず感じています。
その壁がなくならいないと特別支援教育は浸透していかないはずです。
でも実は、もうそんな壁は、ほとんどないのかもしれません。
それでも、どうもそのことをつい意識しすぎる自分がいるようです。
つい思いや発言が行きすぎてしまいます。
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