いつもお世話になっている北海道の石川晋さんが、
ブログの中で自分の特別支援の雑誌原稿を取りあげてくれていました。
その中で、このブログも紹介されいたので、
そこからここに足を運んでくださる人がいるかもしれません。
なので、誤解されることがないように
自分の特別支援教育の立場について、ちょっと長くなりそうですが、
書いておきます。
自分は、これまでずっと通常の学級の担任です。
だから、専門的に障害児教育に携わったことはありません。
そのことについて、特別詳しく勉強しているわけでもないので、
正直、専門性に長けてはいません。
ただ、未熟な自分は、これまで学級作り、授業作りに悩み、苦労してきました。
そうした取り組みの中で、発達障害の視点にも目を向けなければなりませんでした。
通常の学級の中で、発達障害の子どもたちが生きるにはどうすればいいのか
ということについては、いくらか他の人よりも意識が高かったかもしれません。
数年前、東京コーディネーター研究会が立ち上がる際、
通常の学級の担任の立場で関われる人が欲しいということで、
声をかけてもらいました。
最近は、通常の学級の中での特別支援が、ずいぶん注目をされていますが、
通常の学級担任の中でそこに携わる人間は、そう多くはないようです。
なので、そうした立場での雑誌原稿が回ってくることが時々あります。
自分の原稿は、その程度の背景での発信です。
先日、区の特別支援部の研究会に講師?として声をかけていただき、
実践報告をしてきました。
その中で、自分は、特別支援教育を次のように分類してみました。
1 特別でない特別支援教育(教室・授業のユニバーサルデザイン)
2 特別な特別支援教育
(1)障害にかかわる専門性
(2)通常の学級の担任としての専門性
最近「特別支援教育は特別でない」というような言葉を耳にします。
でも、何だかそれはおかしいと感じます。
特別でないならば、「特別支援教育」なんていうものが叫ばれなくてもいいはずです。
特別でないならば、個別や少人数で「特別支援教育」で携わっている人たちは、
大人数を相手にする通常の担任に比べて、とても楽な仕事になってしまいます。
でも、そんなことはないはずです。
こういう言葉のやりとりのようなことで、
実は、誤解を生じたり、理解が深まっていなかったりすることが
現場の先生たちの中には、まだまだあるような気がしています。
それは、「特別支援教育」が指す範囲が大きすぎるからだと思っています。
「特別支援教育」と聞いたときに、イメージする世界が
その人やその時によって違いすぎるからだと思います。
なので、「特別支援教育」を上記のように分けて考えてみました。
そして、この中で、自分がかかわっていられることは、
1と、2(2)ということになるのです。
この範囲については、成功、失敗も含めていくらか経験を重ねています。
けれど、2(1)の「障害にかかわる専門性」については、
とてもでないですが、人前で語れるような知識はありません。
(これからもっと勉強しなければとは、思っていますが…)
ずいぶん長い説明になってしまいましたが、
これが今の自分の特別支援教育での立場です。
雑誌や研修会の中に名前が載ってしまうと、つい誤解をされがちですが、
障害の専門性に長けている人物ではありません.
ブログの中で自分の特別支援の雑誌原稿を取りあげてくれていました。
その中で、このブログも紹介されいたので、
そこからここに足を運んでくださる人がいるかもしれません。
なので、誤解されることがないように
自分の特別支援教育の立場について、ちょっと長くなりそうですが、
書いておきます。
自分は、これまでずっと通常の学級の担任です。
だから、専門的に障害児教育に携わったことはありません。
そのことについて、特別詳しく勉強しているわけでもないので、
正直、専門性に長けてはいません。
ただ、未熟な自分は、これまで学級作り、授業作りに悩み、苦労してきました。
そうした取り組みの中で、発達障害の視点にも目を向けなければなりませんでした。
通常の学級の中で、発達障害の子どもたちが生きるにはどうすればいいのか
ということについては、いくらか他の人よりも意識が高かったかもしれません。
数年前、東京コーディネーター研究会が立ち上がる際、
通常の学級の担任の立場で関われる人が欲しいということで、
声をかけてもらいました。
最近は、通常の学級の中での特別支援が、ずいぶん注目をされていますが、
通常の学級担任の中でそこに携わる人間は、そう多くはないようです。
なので、そうした立場での雑誌原稿が回ってくることが時々あります。
自分の原稿は、その程度の背景での発信です。
先日、区の特別支援部の研究会に講師?として声をかけていただき、
実践報告をしてきました。
その中で、自分は、特別支援教育を次のように分類してみました。
1 特別でない特別支援教育(教室・授業のユニバーサルデザイン)
2 特別な特別支援教育
(1)障害にかかわる専門性
(2)通常の学級の担任としての専門性
最近「特別支援教育は特別でない」というような言葉を耳にします。
でも、何だかそれはおかしいと感じます。
特別でないならば、「特別支援教育」なんていうものが叫ばれなくてもいいはずです。
特別でないならば、個別や少人数で「特別支援教育」で携わっている人たちは、
大人数を相手にする通常の担任に比べて、とても楽な仕事になってしまいます。
でも、そんなことはないはずです。
こういう言葉のやりとりのようなことで、
実は、誤解を生じたり、理解が深まっていなかったりすることが
現場の先生たちの中には、まだまだあるような気がしています。
それは、「特別支援教育」が指す範囲が大きすぎるからだと思っています。
「特別支援教育」と聞いたときに、イメージする世界が
その人やその時によって違いすぎるからだと思います。
なので、「特別支援教育」を上記のように分けて考えてみました。
そして、この中で、自分がかかわっていられることは、
1と、2(2)ということになるのです。
この範囲については、成功、失敗も含めていくらか経験を重ねています。
けれど、2(1)の「障害にかかわる専門性」については、
とてもでないですが、人前で語れるような知識はありません。
(これからもっと勉強しなければとは、思っていますが…)
ずいぶん長い説明になってしまいましたが、
これが今の自分の特別支援教育での立場です。
雑誌や研修会の中に名前が載ってしまうと、つい誤解をされがちですが、
障害の専門性に長けている人物ではありません.