「私」は4歳から19歳で家を出
るまで15年間暮らした横浜の
実家近くを浮遊しています。
夢日記をつけるうちに気づい
た自分の身長より1、2mほど
高いところから見ている独特
のポジショニング。さらにそ
のまま移動していくので、ま
るでドローンになったよう。
母校の小学校が見え、通学路
を抜け、見知った風景の中を
かなりのスピードで通過して
いきます。通常の夢の中での
移動より遥かに速く、それは
見えているものに興味がない
証拠でもありました。先を急
ぐあまり見過ごしているだけ
ただ心の中で「ここにはもう
来ない。ここには戻らない」
と繰り返し念じており、最後
のお勤めとばかりに何の感慨
もないまま通り抜けました。
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2月3日節分の日に母が91歳
で他界しました。日本に飛び
8日に葬儀を済ませ、NZに戻
ってから自宅で見た夢です。
母が亡くなりちょうど2週間
ドローンのように飛んでいた
のは「私」だったはずなのに
目覚めた瞬間にそれは「母」
だったと感じました。成仏す
る前の見納めだったのでは。
夢は幽体離脱体験だと夢日記
をつけるにつけ深く実感して
いますが、帰る肉体を失った
「母」が「私」の身体と思考
を借りて飛んでいたかのよう
最後のお勤めと感じたのも感
慨がなかったのも「母」とい
う客を乗せていたからで、た
またま「母」の視線と思考を
共有するところとなったのか
まるで夢の中のUberです。
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15年間暮らした横浜の実家と
ここに書き出してみて改めて
あれはたった15年だったのか
と愕然とするほど、子どもの
私には長く辛く苦しい日々。
不仲や仲たがいというにはあ
まりにも不公平な親子の関係
年端もいかない子どもにとり
我慢以外の選択肢はなく、私
は自分を守るために心のシャ
ッターを下ろしていました。
家を出ることで私は別の人生
を切り開くことができました
が、母の思考は堂々巡りで私
を疎む気持ちは年を追うごと
に強まっていったようです。
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「あれは母の視線と思考
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
と気がついた直後に、今度は
「私は子どもではなくなった」
という突拍子もない発想がど
こからともなく降ってきてな
んとも清々しく感じました。
子どもとしての義理は尽くす
というのが私の揺るぎない方
針だったので、疎まれても関
係を保ち葬式も出しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/65/2896807fb59ee8138eae50c499e3542b.jpg)
(※母の母のものと思われる着
物に包まれての旅立ちでした)
天井の低い家から外に飛び出
し青天井になったような気分
物心ついたときから閉まりっ
ぱなしだった心のシャッター
が初めて開いたのでしょう。
母の冥福を祈ります。