ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:世界最長の戦争記念碑

2023年06月22日 | オーストラリア:グレートオーシャンロード

2022年11月のオーストラリ
ア2日目。ビクトリア州の海
岸線全長243kmを行くグレ
ートオーシャンロードの旅



起点のトーキーを抜けたもの
の、それらしい標識はなく、
「もう始まってるんだよね
と言いながらさらに行くと、


「これだ

忽然と現れた大きな木製アー
チ。写真で何度も見ました。


大きいですが素朴な造りで、

グレートオーシャンロードと
ありブログ7本目にして到達
イースタンビューという場所


ここにアーチがあるだけで、
グレートオーシャンロード自
体はやはりトーキーが起点。


なのですでに40kmを走って
いました。大らかな大陸、細
かいことは気にしちゃダメ


グレートオーシャンロードは
第1次大戦(1914~18年)の復
員兵の福利と雇用の促進のた
めに民間が中心になって始め
た海岸道路建設計画でした。

また戦争で命を落とした兵士
への慰霊事業でもあり、グレ
ートオーシャンロードは今も
世界最長の戦争記念碑です。


調査と初歩的な工事は1919
年から徐々に始まり、資金と
復員兵の数に合わせて段階的
に進められ、計3,000人の復
員兵が建設に携わったそう。

完工したのは1932年でした。


「採掘者」と名付けられた記
念碑。軍服を脱いで銃をつる
はしに持ち替え、手掘りで新
たな道を切り開いた男たち⛏

重機などなく、そもそも道が
ないので周囲の岩や木材を使
い、運搬は荷馬に頼るばかり


海岸線は岩盤だったり砂のよ
うに柔らかかったり。夏は猛
暑、冬は南極からの寒波が押
し寄せる過酷な環境での労働



山側にはテント村が用意され
ました。復員兵には十分な報
酬が支払われ、料理人がいて
ピアノまであったという逸話
には、国のために戦った彼ら
への敬意が感じられました。



彼らへのオマージュなのか、
山肌にテントそっくりな家が



ここにアーチがある理由は、
最初の区間がここからローン
までの10kmだったため。19
22年に有料道路として開通。



アーチの正式名はグレートオ
ーシャンロード戦争記念アーチ




初代のものは料金所も兼ねて
おり1936年の無料化で解体

(※アーチというよりゲート)


2代目は1939年に完成し、19
73年に道路拡張に伴い建て替
えられ、3代目は1983年に起
きた森林火災「灰の水曜日」
(発生した当日が復活祭より
46日前の灰の水曜日だった) 
で焼失し、現在は4代目です。


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