ベクトルの向きが変わってしまうこと。
おおっ。と思いました。
ただ個人的には、
そもそも「ゆがみ」という言葉の定義がよくわからないため、
「これが空間のゆがみだと考えられますI think this is the proof of the existence of ゆがみ」
よりも、
「これを空間のゆがみと定義しますI call this phenominon "a ゆがみ"」
のほうがすっきりくるのですが、
どうでしょうか?
(日本語は時にあいまいなので、勝手に英語を使いましたが、もしたかはしが意図した意味と違ってたらごめん。)
5次元ではなく、もっと多次元の宇宙を提唱している研究者もいるはずです。>
たしかに。前「エレガントな宇宙」みたいなタイトルの本がブームになったときは、7次元だかそんぐらい高次元だったね。
一般的に次元が変わっても無限が有限にはならない気がする>>
するってーと、有限の紙を球にするみたいに、
われらが住んでいる4次元世界(一応、自分には無限に思えるので)をまるめて球にすることはできないのでしょうか?
量子力学でいう多世界解釈>>
ちょっとこの言葉が分かりませんが、
関係ありそうな番組の記憶を書きます。
彼女はフランスパンをスライスして、
そのスライス一つ一つが3次元世界だとかいってました。
(これが「多世界」かな???)
んで、その各スライスの間の空間が5次元だったかな。
んで、3次元世界で(具体的にはジュネーブの地下で)超高速でぶっつけた、
水素の原子か陽子が砕ける。
そのときに、その破片が3次元(パンのスライス)から飛び出して、
スライス間の空間に飛び出す。
われらの目からは物質が突然消えたと認識される。
こんな実験がうまくいったら、嬉しい。
みたいな話。
でした。
------
再び関係ないですが、4次元目にtを持ってくるイメージが今思いつきました。
イメージなので素直に思いついたまま書きますが、
10cmの立方体の箱を考える。その中で俺らが生活している。
その箱の1cm上に、
一秒後の世界が入っている10cmの立方体の箱を重ねて置く。
以下繰り返す。
ドラゴンボールの残像拳みたいな感じ。
次にすべての箱を10cmの立方体ではなくて、3次元空間すべてに広げる。
この箱たちをすべてひっくるめて4次元。
2次元平面を、重ね合わせて3次元にするイメージの焼き直しですが。
おおっ。と思いました。
ただ個人的には、
そもそも「ゆがみ」という言葉の定義がよくわからないため、
「これが空間のゆがみだと考えられますI think this is the proof of the existence of ゆがみ」
よりも、
「これを空間のゆがみと定義しますI call this phenominon "a ゆがみ"」
のほうがすっきりくるのですが、
どうでしょうか?
(日本語は時にあいまいなので、勝手に英語を使いましたが、もしたかはしが意図した意味と違ってたらごめん。)
5次元ではなく、もっと多次元の宇宙を提唱している研究者もいるはずです。>
たしかに。前「エレガントな宇宙」みたいなタイトルの本がブームになったときは、7次元だかそんぐらい高次元だったね。
一般的に次元が変わっても無限が有限にはならない気がする>>
するってーと、有限の紙を球にするみたいに、
われらが住んでいる4次元世界(一応、自分には無限に思えるので)をまるめて球にすることはできないのでしょうか?
量子力学でいう多世界解釈>>
ちょっとこの言葉が分かりませんが、
関係ありそうな番組の記憶を書きます。
彼女はフランスパンをスライスして、
そのスライス一つ一つが3次元世界だとかいってました。
(これが「多世界」かな???)
んで、その各スライスの間の空間が5次元だったかな。
んで、3次元世界で(具体的にはジュネーブの地下で)超高速でぶっつけた、
水素の原子か陽子が砕ける。
そのときに、その破片が3次元(パンのスライス)から飛び出して、
スライス間の空間に飛び出す。
われらの目からは物質が突然消えたと認識される。
こんな実験がうまくいったら、嬉しい。
みたいな話。
でした。
------
再び関係ないですが、4次元目にtを持ってくるイメージが今思いつきました。
イメージなので素直に思いついたまま書きますが、
10cmの立方体の箱を考える。その中で俺らが生活している。
その箱の1cm上に、
一秒後の世界が入っている10cmの立方体の箱を重ねて置く。
以下繰り返す。
ドラゴンボールの残像拳みたいな感じ。
次にすべての箱を10cmの立方体ではなくて、3次元空間すべてに広げる。
この箱たちをすべてひっくるめて4次元。
2次元平面を、重ね合わせて3次元にするイメージの焼き直しですが。
>ドラゴンボールの残像拳みたいな感じ。
懐かしいw
たかはしの話だと、普段自分たちの暮らしている世界を4次元と捉えるか、5次元と捉えるか、それは考え方次第という印象だったんだけど、合ってるかな?
例えば、経済の話で言えばm人、n財存在する市場なら、それをm×n次元空間として観察する。でもそれは現実にm×n次元空間が存在することを言っている訳じゃない。そう考えると便利だからそう考えているだけ。
4次元以上の空間を座標平面のように認識するっていうのは人工的なものなのか、それとも自然的に存在しているのか、それが知りたいなり。アインシュタインのような天才は僕らには見えない、暁君が想像するような残像拳的な4次元世界がリアルな物として見えちゃったのか、それとも想像の産物に過ぎないのか?どうなんだろう?
よりも、
「これを空間のゆがみと定義しますI call this phenominon "a ゆがみ"」
のほうがすっきりくるのですが、
どうでしょうか?>>
僕が書いたのは、あくまでニュアンスで定義と言うには足りない表現なので「考えられます」と書きました。
するってーと、有限の紙を球にするみたいに、
われらが住んでいる4次元世界(一応、自分には無限に思えるので)をまるめて球にすることはできないのでしょうか?>>
球にできるってことはそれはある有限領域を丸めている気がするけど。違うかな?
ゆがみっていうと僕らの頭の中には球みたいなものしか思いつかないけど、多次元の場合そもそも思い描けないものだし、空間が閉じている(球のように)必要もないと思う。
4次元以上の空間を座標平面のように認識するっていうのは人工的なものなのか、それとも自然的に存在しているのか、それが知りたいなり。>>
それは濱根が書いている経済の場合と同じじゃないかな。僕が思うにはだけど。
物理っていうものは自然現象を数学の言葉で表したもので、端(はな)から既に人工的だよね。アインシュタインの頭の中で考えていたことは、実際実験してみるとどうやらそうらしいってことになった。
今のところ、そういう考え方で現象が説明できているからその考え方でいくって感じではないかな。
雰囲気は分かりました。
学問は楽しいね。心から。