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医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

枯れ木も庭の賑わい

2015-02-04 18:07:22 | 雑記・断片・映像
1月、2月、この時期は一番、庭は殺風景だ。
スミレ、葉牡丹、日本スイセン、菜の花くらいしか咲いていない。
ほとんどが冬枯れの光景で、味も素っ気もない。
立春は名ばかりで、極寒の最中だ。
今朝の取手は、午前6時10分、気温1度。
家々の前には、節分の豆まきの豆が散らばっていた。
水溜りも3日連続凍っていた。











蝋梅(ろうばい)を見に行く

2015-02-04 16:54:41 | 雑記・断片・映像
自転車に乗って散歩に行ったのは、何時以来であろうか?
少なくとも昨年の3月以来のことであろう。
自転車はペダルが思いのほか重く感じ、左足が筋肉痛のようにつるので降りてしばらく歩いた。
しかも、チェーンが外れたのか空回りした。
チェーンが弛んだので調整したら、締めすぎたのか、車体が重くなった。
左右のバランスも崩れてタイヤが内側に寄っていた。
さらに調整しなければならないだろう。
東6丁目の自転車屋は閉鎖して2年も経過したので、パンクも自分出直した。
1000円ほどでパンク修理セットをミスターマックスで買った。
今朝は、知人の西田さん(仮名)に教わったので、蝋梅(ろうばい)を見に行く。
小学生たちが通学する時間帯で、幼稚園にも園児が通園していた。
親御さんたちは礼儀正しく挨拶をする。
取手消防署の前の道を右折し、吉田地区方面へ向う。
水戸街道の標識を超えた附近で、鼻をつくような香りに立ち止まったら、それが蝋梅の匂いであった。
1本きりかと思ったら、5本見つけた。
他人家の敷地内なので外から蝋梅を眺めた。
吉田地区には蝋梅が咲き、東地区、八重洲地区、取手地区、新町などを探しても蝋梅は見当たらなかったので感激した。
蝋梅は開花の最盛期を過ぎて枯れつつある。
そして八重洲地区の通称グリーベルトの盆栽の梅の花が膨らんできた。

























寒紅梅の存在を毎日新聞で知った

2015-01-29 06:11:06 | 雑記・断片・映像
今朝の取手は、午前4時55分、気温0度。
昨日と1昨日の雨は雪にはならなかったが、水溜りは今朝、氷が張っていた。
特に昨日は松戸まで行ったが、強風で体の芯まで冷えた。
寒紅梅の存在を毎日新聞で知ったので、井野天満宮まで見に行く。
取手1高のグランド前を右折、雇用促進住宅へ下る坂の左側の上に多くの梅の木がある。
寒紅梅は1本のみ。
この庭に10月桜もある。
多くの木に名札が着いている。
ここへ来れば、多くの木の名前を知ることができる。
庭に立つご婦人が以前、「遠慮はいりません。どうぞ中でご覧ください」と言うので10月桜を真下で見たのが2年前の10月ことであった。













取手・吉田地区に蝋梅が咲く

2015-01-26 00:16:31 | 雑記・断片・映像
「1月のある日、近くの公園に散歩出かけると、思わいがけず冷気をついて甘やかな香りが漂ってきた。
レモンと蜂蜜に、ちょっとシナモスのスパイスをきかせたような・・・
芳香の元は、小道から少しはずれたとことに立つ、高さ2㍍ほどの「蝋梅」の木だった。
裸の小枝に鈴のように花をつけている。
ほかに彩りのない真冬のロンドンの公園で、まるでその木だけが空から花の妖精が舞い降り、魔法の杖を振って周囲に光と香気を放っているように思えた。
個々の花は、ロウ細工のようなつややかな淡い黄色の花びらの中に、紫色のもうひとつの花弁を隠しもつ。
この個性的な花木は、250年前にはるばる中国からやってきたのである。
ロンドン在住のジャーナリスト・あべ菜穂子さん

梅(ろうばい)科。


昨日、知人の西田さん(仮名)が蝋梅を手にしていた。
「どこに咲いていたのですか?」と思わず聞く。
「消防署の前の道を入ったあたりに」と言いながら彼は香りに花に鼻を近づける。
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ロウバイは、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。
1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。花の香りは強い。
名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。

なぜ酒を半年断ったのか? 思いだせない

2015-01-22 01:20:52 | 雑記・断片・映像
取手利根川緑地運動公園で「どんどん焼き」の日の寒さで体調不良となる。
1昨年の箱根駅伝の応援の帰りも同じ状態となる。
その日(2013年1月2)帰りに川崎太師へ行く。
小学校時代、両親と来て以来の川崎太師で、記憶には全く残っていないが、こんなに賑やかなところであったのか!と驚く。
長い列ができていて交通規制がされていてたのだ。
列の混雑の中で川崎太師へ来たことを悔いる。
動かぬ列にイライラしてきたのだ。
コンビニのレジの列に並ぶのもイライラする質(たち)なのだ。
境内にやっと入れたが、空腹と寒さで気分が悪くなった。
体を温めたいと店へ入る。
その店も混雑して待たされた。
やっと席が空いて、好物の天丼を食べた。
酒は1合飲んだが、肝心な天丼が食べられない、半分も食べずに残してしまう。
このような経験は初めてであった。
以前、取手駅前の寿司屋でも具合が悪くなったが、何とか残さず1人前の上手寿司を食べられたが、300mlの酒を残していまった。
そのことを思い出した。
そしてどんどん焼きの日も、夕食も食べられず、酒も飲まず寝込んだ。
1日、酒を飲まなかったのは、実に昭和56年以来だ。
あの年は決意して酒を半年断ってみたが、新入社員の歓迎会の日、飲んでしまったのだ。
その半年間は、実に爽やかな日々であった。
毎日、朝スッキリ起きられたのだ。
酒を飲まない人は、毎日、こんな朝を迎えているのか!と感嘆したものだ。
だが、なぜ酒を半年断ったのか? 思いだせない。




















取手どんどん焼きを見る

2015-01-18 10:42:07 | 雑記・断片・映像
取手緑地運動公園は強風が吹き荒れ、帽子が何度も飛ばされた。
凧はクルクル回る。
どんどん焼きは中止かと思われた。
だが東3丁目から近づいて行くと屋台のテントが見え、人が集まっているのが見えいた。
朝は霧で富士山は見えなかったとパート先にキャノンのビルから見た家人が言う。
「雲海のような景気だった」そうだ。
福モチは3時から販売していて、松飾りなどの点火は4時過ぎであった。
実に寒い。
知人の市議会議員に挨拶し、時間もあるので駅前まで酒を買いに行く。
2合の酒を飲み体を温めたが、1時間以上も待ったので風邪気味となる。
悪寒がしてきた。
そして、大きな松明に火が点火されたが、炎は強風にあおられ燃え広がっていく。
松の木の燃える音、竹が破裂する音が響き渡った。
炎はなかなた収まらず、鉄の長い棒で消しにかかっていた。
カメラを持った人に話しかけたら「柏から来た」と言っていた。
多くの人が高級なカメラを持参していた。
プロ並みのカメラで、三脚も持参していた。
日が西に傾き、夕闇が迫ってきたら、富士山も見えてきた。


























日の出を見た

2015-01-09 08:51:43 | 雑記・断片・映像
 深夜までCSテレビを毎日観ているので、段々起きるのが遅くなる。
ザ・シネマ、ムービープラス、FOXムービープレミアム、チャンネルNECOなど。
家人がパートの仕事へバイクをで向う音を聞き起き出す。
何時もより1時間遅い散歩へ。
散歩から戻り、カメラと双眼鏡を持ち再び散歩へ。
久しぶりに日の出を見た。
それから、富士山がどのように見えるのかを確かめに行く。
友人の新町の墓地へも行く。
そこからも富士山を見た。
利根川のゴルフ場へも行く。
風がとても強く「寒いですね」と散歩ですれ違う人が声をかけた。
ジョギングする人は声のかけようもない。

○塔婆鳴る 友の墓前の 余寒かな







午前8時20分帰宅。



 











利根川堤防から雪の富士山が見えた

2015-01-08 08:31:37 | 雑記・断片・映像
知人中川さん(仮名)の家の隣の取手制作所(仮名)は3、5、7の3日間、午前5時ころ電灯が灯り徹夜であった。
昨年も同様で、新年早々からの徹夜、ご苦労さんである。
月明りが中川の庭を明るく照らしているのかと思ったが、工場の2階からの灯だった。
6日、7日、利根川の堤防から富士山を見ようとしたが、空振だった。
散歩は午前4時代~5時代なので、富士山を見るために、7時30分ころ利根川へ向かった。
6日は風が強く、雲は吹き飛んだと思ったが、上空周辺だけが晴れ、東の空も西のも雲が垂れ込めていた。
7日は快晴であったが、富士山の周辺は曇っているようで、富士山は姿を見せない。
今朝の取手は、冷え込み6日の午後に降った雨の溜まりが凍っていた。
そして、今朝の8日取手は、午前7時30分、利根川堤防から雪の富士山が見えた。
東京スカイツリーも見えた。
双眼鏡も持参したので、出会った子犬を連れた男性の人に「見てください。東京スカイツリーも見えよ」と双眼鏡を覗いてもらった。
「あれが東京スカイツリーですか?よく見えますね!」と感嘆していた。
「散歩で景色を見ているのですね」とその人は双眼鏡を返しながら笑顔となった。
「台宿の丘からは、牛久の大仏様も見えます」と教えた。






取手の定年した友人、知人が働いていたNEC千葉県・我孫子工場を利根川堤防から遠望する。
2015年1月8日午前7時25分ころ


2014年は思い返せば厄年

2015-01-04 16:07:36 | 雑記・断片・映像
○ 除夜の鐘 厄落し願う 濁り酒



2014年は思い返せば厄年のようであった。
新年早々に京都地裁から民事訴訟の訴訟状が届き、まさかの被告の身となった。
100%勝てる裁判とアドバイスも受けたが、これにはいささか堪えた。
さらに著作権問題から、仕事のスポンサー契約の更新はならず、3月31日で医科歯科通信を閉鎖した。
そこで、医科歯科通信をIK通信に変更して再出発を試みたが、これも名誉毀損で訴えられた。
そのご新たなスポンサーを知人から紹介され喜んでいたのであったが、わずか1週間で打ち切りとなる。
その後、6月でNTTのぷららブログサービスが廃止となった。
長年の友人2人と絶好もした。
12月には、NTTドコモのFOMAパケット通信料が、71万6351パケット8万811円も請求された。
3月にソフトバンクの携帯電話は、ドコモに変更していた。
その際に、パケットなしで契約した。
家人名義の携帯電話なので、「パケットは、“なし”にしたら」と家人に言われたのだ。
なぜ、71万6351パケットにもなったのか?
実はデジカメが故障して、携帯電話のカメラで写した写真をメール添付で自分の自宅のパソコンに送信していたのだ。
それが71万6351パケットにもなったようなのだ。
「おかしいのではないか?!」と抗議した。
クレーマーの本領が出てしまった。
それで、「8万811円は1月5日に自動引落されるので、そのまま払ってください。払ったあとからFOMAパケット通信料は返却します」との答えを引き出せた。
家人の名義なので、必死に抗議したら通ったのだ。
ちなみにパケット定額料は長男が1万1772円、次男は5700円、家人は372円。











写真:2015年1月4日、取手・利根川堤防の光景
月が東に見え、西に太陽が沈み、富士山も見えた

今年も箱根駅伝の応援へ行く

2015-01-03 12:11:14 | 雑記・断片・映像
昨日は取手発6時11分の常磐線で東京駅へ向う。
快晴、寒い。
東の空が明るんで来たのを車窓から眺める。
南千住では東京スカイツリーが真横の方に見えた。
友人の居酒屋に昨年東京スカイツリーの帰りに行ったことが思い出される。
飯田さん(仮名)は取手から曳舟まで板前として通っていたが、その後店を買い取ったのだ。
曳舟の店「たまり場」は東京スカイツリーから徒歩10分ほどの位置にあった。
娘さんは長男の小学校時代の同級生。
「また、行こうか」と家人に促す。
東京駅へ着いてから、待ち合わせ場所として有名な銀の鈴の休憩場でオニギリを食べる。
温かいコンソメスープのカンを飲む。
家人はサンドイッチを食べる。
それから、大手町の箱根駅伝のスタート地点へ向う。
多くの人々が続々と早足となって、大手町方面、皇居前へ向かっていた。
拓殖大学大学の応援団、中央学院大学の応援団などを見る。
沿道の応援の人たちは例年より少なく思われた。
スタートする駅伝の選手たちを応援してから、東海道線に乗って新子安へ向う。
座席の前に立っていたのは日本大学の応援の人たちだ。
日大の帽子をかぶり、旗を持っている。
人見知りをしない家人が話しかけた。
「うちの人も日大なんですよ」と注げると帽子をとり「よろしくお願いします」と握手をする。
「文理学部体育学科の小川 聡監督が後輩なので応援しています」とその人が言う。
その人はアイスホッケーをやっていていたそうだ。
スケートの金メダリストの清水宏保さんの話となる。
「日大なめなよと言いたい。箱根駅伝の5区で見せ場をつくるはず」と強気である。
連れの人は山梨から来たそうだ。
「今日は小田原で新年会があります」とも言っていた。
「彼は小田原から箱根湯本まで5区の道を走ってみたんですよ。選手の大変さを味わうためです。半端な応援団ではありません」
その彼はスマートフォンで駅伝の中継を観ていた。
「今日は箱根で泊まります」と言っていた。
彼も体育学科であった。
当方は体育学科の講義も受けていたので、親近感を感じた。
先輩の体操オリンピックメダリストの早田卓次さんの話となる。
「早田名誉教授には先日会いました」とその人が言っていた。
日大は自転車が強いが、野球は2部に落ちて低迷。
色々と話をして鶴見で挨拶をして下車して、京浜東北線に乗り換えて新子安へ向う。
道路の右側に創価大学の旗が6本ほど。
左側に中央学院大学の旗が見えた。
大手町では中央学院大学我孫子市民の会の旗がたくさん見られた。
観光バスに乗って団体で箱根へ向うそうだ。
新子安では「ケチャップ発祥の地」の石碑の脇で応援した。
「この歩道が旧東海道です」と和服を来た男性が教えてくれた。
昔は別荘地で海水浴場であったそうだ。
新子安は工業地帯に変貌して昔の面影はないそうだ。
家人は中央学院大学の応援団の人と会話を交わしていた。
鎌倉から来たそうだ。
ハーフの人もいたが、その人も中央学院大学の卒業生であった。
その後、横浜を経由して戸塚へ向う。
家人は足を痛めてから10分歩くにも文句を言う。
「遠いね。もっと近いところで見られないの。なぜ、調べて来なかったの」と不満や愚痴をこぼすので呆れる。
当方は毎朝、1時間は歩いているので、10分など歩いた距離には入らない。
新子安のように駅前なら家人は文句をいわないのだ。
家人は毎日、バイクに乗っていて徒歩5分の範囲にある店の買い物も歩かない。
行動力があるのに歩くのが嫌いなのには、呆れるばかりだ。
家人は当方と別行動で、昨年は平塚まで一人で駅伝を見に行く。
駅から遠かったと別行動を悔いていた。
しかし、日大は今年の上位争いはできなかった。
駅伝の応援はそれでもやめられない。

今年は初日の出を見損なった

2015-01-01 08:03:03 | 雑記・断片・映像
明けましておめでとうございます。
友人、知人からメールが届いた。
今年は初日の出を見損なった。
実は昨日、朝の散歩で西田さん(仮名)に会って、Big-Aで同じ酒を買う。
彼は720miの「濁り酒」八重垣酒造(姫路市)を3本。
当方は1本。
さらにヤオコーで夕方に「しぼりたて」清須信長(愛知県清須市清須醸造)と「鬼ころし」も買う。
それらテレビを見ながら飲んで、二日酔いとなった。
快晴の1月1日を迎え、昨年のようなトラブル続きは避けたいと思う。
京都地裁から訴状が届いた昨年の1月は悪夢の始まりだったが・・

彼が町長になるとは

2014-12-29 07:06:04 | 雑記・断片・映像
長男の霞ヶ浦の友人の母親からお歳暮が宅急便で届いた。
箱に蓮と記入されていた。
家人がお礼の電話をかけたら、出てきたのはおじいさんで耳が遠い。
「誰?ああ?誰?ああ?」
「おじいさんですか?」
「うん?」
「静子さん(仮名)はいますか?」家人の声が大きくなって聞こえた。
「出かけている」
「私は、取手の山本佐智子です。また、電話します」
20年前、そのおじいさんは死にそうであったのだ。
「もう、長くないと医者に言われているの」と静子さんは言っていた。
だが、元気だったあばあさんが先に亡くなった。
○ お歳暮の蓮一箱の御裾分け
食べきれないの当方は取手の友人に御裾分けした。
霞ヶ浦と言えば、当方の酒飲み友だちの郡司さんは霞ヶ浦の町長になった。
彼は元日刊新聞の記者で東京・三崎町のスナック「藤」の常連客であった。
上野駅で会うことも多く、常磐線で酒を飲みながら帰ったものだ。
まさか、彼が町長になるとは・・・・



若き日の思い出につながる場所

2014-12-19 08:25:11 | 雑記・断片・映像
昨日は、午後4時35分ころの電車で東京へ向かう。
富士山が常磐線の利根川鉄橋を渡る時に見えた。
「何て綺麗なのだろう」とつぶやく。
夕日に輝いている富士山は絵の中の富士山のように燦然と輝いて見えた。
正に赤富士である。
家人はパート先であるキャノンの社屋7階あたりからこのような富士山を見ているのだと思う。
取手に住んで初めて赤富士を見た。
神奈川県の百合ケ丘に住んで居た学生時代、多摩丘陵から富士山を見ていたことも思い出された。
忘年会を兼ねて新橋へ向かう。
新橋は病院新聞時代、徳間書房系の印刷所の新光印刷へ毎週、校正のために通った。
また、近くの慈恵医科大学へは取材へ行く。
さらに、厚生省(当時)、文部省、自治省へも行った。
自治省には病院課があったのだ。
病院新聞の前は公益新聞で、やはり自治省へ行く。
水道課があった。
公益3事業はガス、水道、病院である。
自治体病院が病院新聞の最大の購読者であった。
また、新橋駅ビルには精神病院協会の事務局があったので通う。
事務局長は元産経新聞の記者であった。
興味があって精神病院はかなり取材した。
特に自閉症児問題を連続して取材した。
また、大学生時代は新橋の居酒屋「山形屋」でアルバイトをしていたのだ。
酒を飲みながら喧騒のなかで歯科医師のことも思い出された。
新橋駅ビルで開業していたO先生とは親しくさせていていただいた。
歌舞伎役者の声色が上手であった。
先生がスナックで声色をやったら店の女の人たちが「そっくりだわ。お上手ね!」と感嘆していた。
娘時代の中村玉緒さんとO先生が並んだ写真を院長室で見たこともあった。
歯科医師で誘拐事件を起こした死刑囚は同期生と言っていた。
不思議なもので新橋は神田とともに、若き日の思い出につながる場所で酒を飲むと追憶に浸る。







冬の追憶

2014-12-18 10:50:04 | 雑記・断片・映像
今朝の取手は、午前3時50分、気温0度。
風は吹いているため、体感温度はさらに低く感じる。
雨が溜まった水溜りが凍てついて、一層寒々と感じる。
合同タクシー前の空き地の水溜りは池のようになっており、その中をバリバリと音を響かせてタクシーが出て行く。
戻って来るタクシーもあり、事務所へ肩をすくめるようにして運転手が入って行く。
午前5時ころ知人の佐野さん(仮名)夫妻が家を出て来た。
旦那さんは右方面へ。
奥さんは子犬を連れて左の方へ向かう。
夫婦で同じ方向へ散歩する姿は見たことがない。
旦那さんは脳梗塞のあと足が不自由となったが、奇跡的ほど回復して今では前かがみの姿勢で足早に歩いている。
奥さんは74歳であるが、毎日、午前6時過ぎに家を出て東京の人形町まで通っている。
「辞めさせてくれないのよ」と先日言っていた。
旦那さんは7月ごろ肺がんで取手医師会病院に入院したが、1か月ほどで退院した。
その時期は休みに日には奥さんは病院へ行っていた。

○ 雨だまり 張った氷に 乗ってみる三日月が東の空に大きく見えた。
満月のころは西の空に見えたが、月がかけるごとに上空に移動、現在の三日月は東の空に見えていた。
○ 三日月や 大きく見える 寒の空
先日、午前5時こと雪が降ってきた。
取手市内の街灯はすべてLED電球になっており、雪が光に輝き舞い降りていた。

○ 寺の鐘 近く聞こえる 雪の朝

ところで、北国では台風並の強風が吹き荒れて、豪雪に埋め尽くされていた。
学生時代に川端康成の小説「雪国」を読み、母の実家の沼田から越後湯沢へ一泊の旅に出た。
3㍍の積雪で雪道では和服姿の美しい女性と身を横にしてすれ違ったことが思い出された。
道幅は1㍍もなかったので、すれ違う人はみんな身を横にしていた。
あれもど高い雪のトンネルは初めての体験であった。