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医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

酒樽の酒は飲まれずに捨てられただろう

2015-04-13 21:57:17 | 雑記・断片・映像
一般社団法人 日本訪問歯科協会(理事長・守口憲三) 
社団法人 設立記念パーティー

日時:4月12日(日)13時~15時
場所:ホテルモントレ半蔵門(千代田区一番町)1階 瑠璃
(地下鉄・半蔵門駅1分、JR市ヶ谷駅15分)

記念パーティーの恒例の鏡開きには、舞台に二つの樽が並んだ。
だが、開いた樽の酒を飲む人は一人も居なかった。
酒の枡がきれいに積まれていたので、その一つを取り柄杓で枡に酒を注いだ。
枡酒は美味しかった。
「もったいない」と思ったが、酒樽の酒は飲まれずに捨てられただろう。
久しぶりに深酒となった。
本来、酒は配れるのだが・・・それがなされなかったのだ。

あなたにとって、お金とななんですか?」

2015-04-13 11:39:42 | 雑記・断片・映像
昨日は、午前8時30分、友人の車で清掃へ行く。
草むしり担当はは4人。
他の10数人は桜の花びらをほうきで掻き集めた。
花ビラは先日の雨で張り付いている感じである。
風が強く、花びらは舞い上がる。
二つのビニール袋に詰めたほか、土の穴を掘って花びらと刈り取った雑草を埋めた。
会合では今朝の新聞を読み、フランスへ47日間仕事で行っていた人の体験談を聞く。
その人はフランスは3度目で、今回はテロがあった2月から3月の間で、会社から旅行は自重するように言われたのでほとんど行動できなかったそうだ。
前回は100日以上いたので、旅行ができたと言っていた。
どのような仕事なのか聞きたかったが、日本訪問歯科協会(理事長・守口憲三)の社団法人設立記念パーティーへ行くので急ぐ。
10時12分に駅へ歩いて向かったがホームについたら27分の電車の扉が閉まるところである。
次の電車は42分であった。
喉が乾いたので外へ出て、コンビニで飲料水を買う。
ところが上野で事故で電車が停まっていた。
秋葉原と神田の間で柱が線路に倒れていたのだ。
仕方なく日比谷線で秋葉原へ出て市ヶ谷げ向かった。
市ヶ谷は1年ぶりくらいであろうか?
一線を退いてからは日本歯科医師会や日本歯科技工士会へ足を向けることはなくなった。
市ヶ谷に12時10分到着。
会場のホテルモントレ半蔵門(千代田区一番町)の1階 瑠璃の間で記念パーティは行われた。
顔見知りの方々に挨拶できた。
東京医科歯科大学の和同会歯科売店の歯科技工士の渡邉勉さんに会う。
彼は横浜市戸塚に移転していた。
彼らと「千代田会」(デンタル21の会)をやっていたのだが、千代田線沿線の住人ではなくなったのだ。
21は21世紀を見据えて親睦会の名称にした。
事務連絡は日本歯科新聞社内とした。
会場は歯科商社のバースであった。
当然、二次会は綾瀬駅前の居酒屋であった。
モリタ、ヨシダ、白水、松風、小貫医器、日本歯科商社、井上アタッチメントなどの知人、友人たちがメンバーであった。
夏の花火の日のバーベキューには70人以上屋上に集まった。
記念パーティ後は、新橋で飲んで帰る。
ところでSL広場でNHKのテレビの取材を受ける。
「あなたにとって、お金とななんですか?」との質問を受けた。

小貝川 福岡堰(ふくおかぜき)

2015-04-12 05:06:48 | 雑記・断片・映像
福岡堰(ふくおかぜき)はつくばみらい市北山にある小貝川にかかる堰。岡堰、豊田堰とともに関東三大堰の一つに数えられる。また、福岡堰さくら公園についてもここで取り上げる。


元和年間の新田開発に伴い、1625年(寛永2年)に関東郡代伊奈忠治により、灌漑用水として建設された堰である。当初は山田沼堰と呼ばれ、1722年(享保7年)に福岡地内(現在の北山)に改設し、福岡堰となった。 1886年(明治19年)に木造、1923年(大正12年)に鉄筋コンクリートに改築し、小貝川の流量増大と老朽化のため、1971年(昭和46年)に再度改築。貯水量は275万tで、現在も下流域の水田の用水源となっている。

小貝川と堰の間を流れる用水の堤には、1.8km、約550本もの桜(ソメイヨシノ)が並び、桜の名所となっており、遊歩道や多目的広場が整備され、2006年(平成18年)3月には「福岡堰さくら公園」も整備されている。 2006年(平成18年)には農林水産省による疏水百選に選ばれた。

福岡堰を中心とした水辺環境整備の一環として、福岡堰周辺の昔ながらの景観を活かしつつ、生態系に配慮した「水と緑のふれあい空間」として、人々が集い、憩うことのできる公園として整備された。桜類が153本、アヤメ類が300m²の植栽がある。

元和年間の新田開発に伴い、1625年(寛永2年)に関東郡代伊奈忠治により、灌漑用水として建設された堰である。当初は山田沼堰と呼ばれ、1722年(享保7年)に福岡地内(現在の北山)に改設し、福岡堰となった。 1886年(明治19年)に木造、1923年(大正12年)に鉄筋コンクリートに改築し、小貝川の流量増大と老朽化のため、1971年(昭和46年)に再度改築。貯水量は275万tで、現在も下流域の水田の用水源となっている。

小貝川と堰の間を流れる用水の堤には、1.8km、約550本もの桜(ソメイヨシノ)が並び、桜の名所となっており、遊歩道や多目的広場が整備され、2006年(平成18年)3月には「福岡堰さくら公園」も整備されている。 2006年(平成18年)には農林水産省による疏水百選に選ばれた。

福岡堰さくら公園

所在地

つくばみらい市北山字北山2633番地7

設備・遊具

なかよし橋
水のモニュメント
藤棚の四阿
桜と風のモニュメント
四阿
ジャブジャブ池
展望台
大型遊具


駐車場

普通60台・大型2台、駐輪場80台

福岡堰を中心とした水辺環境整備の一環として、福岡堰周辺の昔ながらの景観を活かしつつ、生態系に配慮した「水と緑のふれあい空間」として、人々が集い、憩うことのできる公園として整備された。桜類が153本、アヤメ類が300m²の植栽がある。
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスみらい平駅より、コミュニティバス「みらい号」北西ルート「福岡寺前」、もしくは「水門」下車、徒歩20分。
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスみどりの駅よりバス、「福岡寺前」もしくは「水門」下車、徒歩20分。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%A0%B0







元同僚がゴミ箱に棄てた本 読み返す

2015-04-09 17:53:09 | 雑記・断片・映像
保存まであと一歩のところである。
だが、あざ笑うようにパソコンがフリーズする。
「長時間実行中のスクリプトのため、goo.ne.jpは停止しませの表示」
回復するのに、1時間、2時間、待ちきれずパソコンを閉じる。
日々、その繰り返しでホント!うんざいである。
何かが決って邪魔に入るのだ。
その執拗さ!
気分をかえて、小説を読む昭和51年発行の「毎日が日曜日」城山三郎著
この年になって読み返すと実感がわく内容。
本棚の1000冊余の書籍は元勤務していた会社の同僚の本。
彼は1日、1冊か2冊のペースで読んでは本を棄てていた。
「テレビは見ないからね。テレビを観る代わりに本を読んでいる」
彼は当時、練馬区の保谷から九段下まで通勤していて、電車の往復に本を読んでいた。
本好きは彼の母親の影響。
「俺のおふくろさんは、博識なんで大学生とも互角に話ができるな」とも言っていた。
彼がゴミ箱に棄てた本を「もったいないな」と当方が拾ったのだ。
彼は3000冊以上は棄てだろうか?













どの選手もファーストストライクに手を出さない!

2015-04-09 05:40:52 | 雑記・断片・映像
CSテレビで観戦しているが、阪神がまた負け越してしまった。
3試合連続の負けである。
中日戦での開幕3連勝は何であったのか?
2回も訪れた満塁のチャンスに1点も取れなければ、流れは相手チームへ行ってしむのは必然。
どの選手もファーストストライクに手を出さない!
ガッツのない選手ばかりのチームなのだ。
チャンスに打てない打率低迷の外野手大和選手を外したのは正解だが、同じく打てない上本博紀選手を使い続けるのは如何なものか?
新井良太選手に交代すべきはずだ。
昨年の打点王のマウロ・ゴメス選手や首位打者のマット・マートン選手も肝心なところで打てない。
藤浪晋太郎投手や能見篤史投手も早い回に打たれてしまい、相手打者を打ち取れないのだ。
1点が遠い貧打打線では勝てるはずががない!
イライラが募り自棄酒となった。
家人は「何でそんなに、怒ったり興奮するの、野球ぐらいで馬鹿じゃない!」と侮蔑するが・・・



都内の北西の方では雪が降っている

2015-04-08 12:02:01 | 雑記・断片・映像
桜が咲く中、東京・八王子で午前11時40分、雪が降っているテレビ映像。
午前9時ころから都内の北西の方では雪が降っているようだ。
今朝の取手は、午前5時5分、雨が降り強風でさしていたビニール雨伞がバラバラになる。
雨合羽を着ていなければずぶ濡れになるところであった。
木綿製の手袋は雨で濡れてきたので冷たくなる。
長くつの底に穴が空いているのか、靴下が滲みてきた。
午前7時に食事をして横になる。
「また、寝るの」と家人に言われたが、食事をすると眠くなる。
午前2時に寝たので寝たりないのだ。
コンピュータの将棋は相変わらず上達せずに負け続ける。
その後はテレビで映画を見る。
午前9時、牛久方面へ友人と3人で行く予定で待機してきたが、大森さんから8時20分、「風が強いし、寒いから明日にしようよ」と言ってきたので、そのまま電機炬燵で横になり眠る。
約2時間寝た。



取手の「さくら坂は道の拡張で、残された桜はわずか1本になってしまった。

千葉方面 八千代台を経て、花見区へ行く

2015-04-07 23:42:31 | 雑記・断片・映像
昨日は友人と3人で千葉方面へ行く。
友人の佐々田さんは午前中、松戸へ行きってきたそうだ。
午後1時に大森さん(仮名)と待ち合わせであったが、夜中に寝られず体がだるくて眠くて、朝方に寝てやっと12時に過ぎに起きたそうだ。
柏の方角から八千代台へ向かった。
友人の大森さんは体調不良で、ギリギリの時間まで寝ていたために昼食を食べていなかったので道の駅で休憩した。
彼は道の駅でオニギリを買う。
道の駅の裏は川で川沿いに桜が咲いていて花見をしている人たちがいた。
また、サイクリンをしている人もいた。
道の駅で千葉の地酒を買おうかと思ったが止めたが、結局、帰りに取手市内で酒をかったので、千葉の地酒を買えばよかった
彼の証券時代の同僚や後輩などに会いに行く。
八千代台を経て、花見区へ行く。
午後6時過ぎに帰宅した。
車に乗っているだけでとても疲れた。
我孫子の丸亀製麺で讃岐の釜揚げうどんを食べた。
ぶっかけ(並)290円。
3月29日、牛久へ行った帰りにも丸亀製麺でぶっかけ(並)を食べた。
利根川の橋を渡って左折すれば近道なのに、佐々田さんは習慣なのだだろう、自宅の桑原方面から東6丁目へ向かったのだ。
埼玉へ行った帰りも同じルートで戻ってきた。



水と緑 私のふるさと八千代

http://www.yachiyo-fs.net/

Webサイトに継続して問題が発生

2015-04-07 22:00:47 | 雑記・断片・映像
パソコンはさらにフリーズする回数が増えてきた。
パソコンの背景の画面も日々数回も変わっていく。
「情報の損失を防ぐためにプログラムを終了してください」の表示も出る。
Goo.ne.jpに戻ることができません。
Internet ExpiorerはこのWebサイトの復元を中止しました。
Webサイトに継続して問題が発生している可能性があります。
前回のプラウズ セッションは予期せずに終了しました。
セッションの復元の表示。
Gadgetbox Searchの表示に変わる。




「最善の道」があることに気付きないまま

2015-04-07 03:22:17 | 雑記・断片・映像
人のことをとやかく言える立場ではないが、人は習慣や既成概念、日頃の行動から抜け出せないものだ。
単純に思考すれば最善の近道があるのだが、そのことには想いが至らない。
言わばその道を行くことは合理的であり、あるいは経済的、効率的なのであるが「新しいの道への選択」を考慮しない。
つまりこれまでの行動に縛られて、「最善の道」があることに気付きないまま従来の行動しか選択出来ないでいる。

「絶対にやり遂げる」という決意

2015-04-04 23:02:10 | 雑記・断片・映像
存在することに意義がある。
誰にも「一歩踏み出す勇気」があるはずだ。
その勇気が自身の存在意義を明らかにするだろう。
「何かでお役に立ちたいですね」と挨拶がわりに言ってみた。
友人の山口さん(仮名)に「これまで付き合ってきたけど、何も良い事がなかった」と言われてしまった。
愚痴をこぼしたら、「聞く耳、持たない」とも突き放されてしまった。
「あんたは評判が悪いんだね」ともたたみかけられてしまった。
不徳のいたすところである。
「もう、絶交だ」とこちらは感情的になったが、年賀状をもらったことから、気分を変えて会いに行く。
「お酒を飲もうよ」と相手はケロリとしている。
この友人は憎めない人である。
気分が晴れて次の出会いを約束したのだ。
話が変わるが、友人の松尾さんのことが毎日新聞(4月3日)の茨城県南版に掲載された。
取手から情報を発信したいと思っている当方としては、大いに刺激された。
どうすれば、自ら立てた目標を達成できるのか。
一度、立てた誓いは、何があって果たす「祈願」の心が不可欠ではないか?
「絶対にやり遂げる」という決意から・・・
強靭な意志を胸に前進するのみ!



お腹の痛みが3日続いたが

2015-04-04 07:55:24 | 雑記・断片・映像
最近、左側の腰が痛くて参った。
強い風にコンビニの買い物袋が舞っている。
その袋は友人の荒川さん(仮名)の玄関前で止まった。
思わず袋を拾おうと屈んだら激痛が走った。
立ち上がったらさらに痛みが増して歩けなくなる。
その痛みは消えたり突然起こったり繰りかえられた。
ところが朝の散歩でお腹が痛み出す。
それも10分ほどで消えたが、午後2時ころまた痛みだした。
仕方なく酒で痛みを紛らわせた。
お腹の痛みが3日続いたがそれも収まった。
車で牛久へ行った日は、また腰が痛んだ。
そして、花見で福岡堰きへ行った時は、またお腹が痛んだ。
昨日は友人の大森さん(仮名)と佐々田さん(仮名)で埼玉県の春日部市、新座市、埼玉市などへ行く。
お腹の痛みがおさまったが、腰は立ち上がる時に痛む。










約550本の桜の木 小貝川の福岡堰

2015-04-02 00:37:23 | 雑記・断片・映像
家人の元仕事の同僚で親友の蛯原さん(仮名)の車で小貝川の福岡堰へ行く。
雨が時折、落ちてきたが花見にはさわりがない程度の降り。

1722年に小貝川をせきとめて造られた福岡堰には、現在約550本の桜の木が植えられており、水面に映るおぼろ
の桜花が目を楽しませる。
茨城県で一番の桜の名所であろうか?
楽しませもらい、お酒も美味しかった。
毎年4月上旬には桜祭りも開催される。
1722年に小貝川をせきとめて造られた福岡堰には、現在約550本の桜の木が植えられており、水面に映るおぼろの桜花が目を楽しませる。毎年4月上旬には桜祭りも開催される。

















統一地方選挙が激戦と伝えられている記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-03-30 08:26:05 | 雑記・断片・映像
昨日は、利根川の向う岸の小堀の赤尾宅(仮称)で午前9時からのも集まりもあったが、
老人会の人3人で午前9時30分に集合して、牛久へ向う。
統一地方選挙が激戦と伝えられているので、支援活動である。
まず、佐々田さん(仮称の)派遣先である刈谷町の拠点宅へ寄って資料を入手。
その近辺を回る。
確認するとすでにポスティングをしていた。
対話ができた人は一人のみ。
当方の次男の取手一高の父兄のお父さん。
あとの4軒は不在。
「花見にでも行っているのではないか」と大森さん(仮称)
木蓮、コブシが咲く広い道路の牛久地区の街路中や公園や溜池に桜が見られて、土手の垂れ桜も満開であった。
紫色の木蓮も目立った。
猫柳も咲いている。
上柏田の選挙事務所へ向うが、まだ告示前なのでポスターや看板もなく、電話をかけて場所を確認したら、病院の裏コンビニの並びであった。
係りのご婦人が道まで出迎えてくれた。
お茶をいただき、地図をコピーして回る場所を確認。
友人の中田さん(仮称)の住所を電話帳で確認。
「10分で戻りますから」とその電話帳はわざわざ係りの人が自宅まで帰り持参していただいた。
だが、友人の名前がない。
亡くなってしまったのか?と懸念された。
母親の介護のために早期退職した人で、東京・京橋の製薬企業に勤務していたのだ。
上柏田を回ってから田宮町へ行く。
旧住所で分かりにくかった。
移転している人もいた。
ところで、選挙事務所の近くの病院に友人の林さんが入院していたのは2年前、見舞いに行くと「退院しました」ナースがナースステーションで言う。
「介護施設へ戻ったのですか?」「個人情報ですから教えることはできません」
息子の一人は行方不明になっていた。
元の介護施設へは戻っていなかった。
「どこへ行ったのですかね」と気にかけていたが、昨年3月に亡くなっていた。

3月31日は、歯科医院を訪問することにした。










老人会へ行く 花の写真を写しながら・・・

2015-03-26 16:24:04 | 雑記・断片・映像
2か月ぶりに老人会へ行く。
先月は欠席した。
毎月、友人2人がプログラムを持って会合を知らせてくれるが、うっかりして出なかったのだ。
「どうしたの?」と会合が終わった後に、寺川さん(仮名)が訪ねてきたので、「風邪をひいて、欠席にしました」と弁解した。
「そうなの。次には雑誌の巻頭言の朗読をお願いしたい」と頼まれた。
本日は本を読んで感想などを述べる人が2人。
あとは地域活動の報告を数人がした。
自分も報告と次の活動の抱負を述べた。
3月31日、午前9時30分に集合して、牛久に行くことになった。
歌の合唱をし、啓発ビデオを見てから、会長の挨拶などがあり、最後に中国の曲に合わせて健康体操。
ゆっくりした太極拳風の体操である。
首、手、足、腰、背など体全体の筋を伸ばし、ほぐす。
ゆっくりとした動きは約10分ほどであるが効果的であった。
参加者は何時もより5人ほど少なかった。
行も帰りも片道40分を歩いた。
花の写真を写しながら・・・
気づいたが沈丁花も思いのほか多く咲いていた。
コブシの花、椿、梅もまだ咲いていた。
菜の花の上の方には早咲きの桜も花開いた。
「木蓮とコブシの区別がつかない」と家人が言っていたが、椿と山茶花も似ているのだ。
白い木蓮より遅咲き紫色の木蓮も咲いた。


















コブシと木蓮の差は?