のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

2020年画廊ぶらんしゅ個展(3)

2019-10-18 | のしてんてん絵画を知っていただくために

輪廻その1 (910×910)キャンバスに鉛筆

 

 

おまえは死ぬぞ

 

街角に立って一休禅師は道行く人々に呼び掛けたという。

しゃれこうべを持って叫ぶ姿を想像したら震える。

どれだけ不気味で奇妙な辻説法であったことだろう。

 

しかし死を避けて通ることは出来ない。

未曽有の災害の想像を絶する死ですら、

見ないふりをして生きてはいけないのだ。

 

死を見つめると

濁流に飲み込まれ、汚物まみれの泥水に肺胞の空気を奪い尽くされる

悲壮な死を意識しなければならなくなる。

 

土砂に埋まり、身動きならぬ圧迫の闇に

命奪われる死を自分の身に引き受けなければならなくなる。

 

一休禅師の一喝は

その真実から眼をそらすなということだ。

 

救いは

その真実から眼をそむけていては機能しない

命のシステムなのだ。

 

忘れられない映画のワンシーンだが、

ビルより高い津波にのみ込まれる瞬間に

愛し合う二人が互いを結び合い抱擁する姿、

目に焼き付いた救いの姿だ。

 

救いは

この一瞬を受け入れるということだ

死を受け入れる。

握りしめているこの命を自然のもとにお返しする。

身体を自然界に返せば

心が解放される。

 

津波にのみ込まれた二人は

わが身を捨てて互いの愛の中に救われたのだ。

 

あるいは

祈りと共に己のすべてを神にゆだね

神によりそって生きる救われの世界、

宗教と共にある者は幸いと言えるだろう。

 

だが、恋人も、宗教も持てない者はいったい

どこで救われるのだろうか

ただやってくる死に怯え続けるしかないのだろうか。

 

安心したらいい

五次元がある。

 

五次元は自然を理解する考え方の方法であって

宗教ではない。

むしろ宗教と自然科学をつなぐ働きをする

自然を大きな目で理解する考え方の方法であり道具、

概念なのだ。

 

濁流に飲み込まれるその刹那に

人は己の執着から解放されて

宇宙の摂理の中で生き始める

実は己そのものが初めから神であったことを知る。

それが救いである。

 

この身体は死ぬのではない

宇宙に還るのだ。

それを論理的に理解できるのが

五次元の概念なのだ。

 

考えてみよう

何の障害もなく時間のことを考えられる私達は

何の支障もなくスケールのイメージを描くことが出来る。

時間をイメージ出来たらスケールも考えられる

同じ概念だからだ。

 

濁流と泥に命を奪われた人々の死を

悲惨という言葉で

ごまかしてはならない。

 

冥福を祈ろう

その死は、苦痛と苦悩にまみれている命ではない。

 

素粒子も太陽も銀河も、

万物の一切を宙に浮かべているたった一つの空間

そこにに還った命が

至福のリズムを刻んで揺れている。

 

残された者の、

そんなイメージこそ

死者への冥福であり、

死者をも安心する人の行く道ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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