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そのスケール号の中で、ストレンジ星の反乱軍討伐の作戦が話し合われたのでした。
一つ、タウ将軍はバリオン軍を率いてストレンジを目指し、
大気圏外に結集して反乱軍の動きをけん制する事。
しかしそれは簡単に決まったわけではありません。大気圏に突入して一気に反乱軍を壊滅させるという
タウ将軍の強硬策と王様の考えが真っ向から対立したのです。二人は共に譲らず決着がつきません
でした。そこで博士が代案を出して仲裁しました。それはスケール号が作戦に参加するという提案
でした。王様の作戦を軍から切り離すためにスケール号が王様と共に行動するという提案が、
ようやく二人の合意を生みだしたのです。
王様の作戦はまずストレンジの王軍と合流し、姫君の救出を優先させ、チュウスケの魔法を解く方法を
探る。というものでした。それは軍の行動を遅らせるばかりか、指揮に乱れが生じるとタウ将軍が異議を
申したてたのです。けれども、隠密性の高い王様の作戦をスケール号が負うとなると話は別です。
スケール号の力を目の当たりにした王様もタウ将軍も反対する理由はありませんでした。
こうして軍による攻撃を保留にしたうえで、スケール号が作戦に参加するという合意が生まれたのです。
二つ、スケール号が密かにストレンジに侵入して山中に潜む王軍と合流し、
ストレンジの姫君救出作戦に参加する。
この作戦に合意するにあたっては、王様が一つの条件を付けました。それが王様自らスケール号に
同乗するということだったのです。もちろんスケール号の乗組員たちは王様を大好きになっていました
ので皆大賛成です。こうして作戦会議は決着したのでした。
タウ将軍は大気圏上空から反乱軍の動きを監視し、王軍を助けるために必要な援軍を随時派遣する
ことになりました。目指すはストレンジの自立なのです。
軍議が終わるころにはスケール号は金色の恒星バリオンを視野に入れました。王様がスケール号の
窓からバリオンを回る惑星たちを教えてくれました。バリオンの惑星は六個ありました。
ストレンジ星はその六個の惑星の中の三番目の軌道を回っている星でした。バリオンの光を受けて
オレンジ色に輝いています。一番内側に青色の星、二番目が黄色でした。四番目が緑色、
一番外を回っているのが赤い星です。六つの惑星がそれぞれ独自の軌道を回っているのです。
博士がバリオンに一番近い星を指さして言いました。
「わが地球は、あのように青いのです。」
「そこにはあのような赤子がたくさんいるのか。」
「ふつうはありえません。あの子も元気に育てばこのような体になります。」
「艦長を見ているとそれは分かるぞ。」
その北斗艦長は、小さな握りこぶしを盛んに舐めています。人差し指を折ってその上に親指を
重ねて口に入れているのです。しゅばしゅばしゅばしゅば、艦長の握りこぶしをなめる音が時々
ウエッとなります。口の中で曲げた人差し指を伸ばして喉をついてしまうのです。その声で
もこりんはコックさんに変身します。そろそろミルクの時間なのを知るのです。もこりんが
コック帽をかぶって哺乳瓶を暖め始めました。グウスカはいつもそれをうらやましがります。
ぐうすかの食事はスケール号が王の間にたどり着いてからの話し。まだまだ先なのですね。
こうしてストレンジを救うために姫君の救出作戦が始まったのです。
王様を乗せたスケール号はバリオンの民と王宮の重臣たちに見送られて旅立ちました。
目の前にバリオンの惑星ストレンジがオレンジ色に輝いています。それがスケール号の位置によって
丸く見えたり半分に見えたりします。さらに進むとストレンジ星は三日月型になり、折れるような
光のリングとなって、ついに見えなくなりました。けれどももちろん、闇の中に見えなくなった
だけで、無くなったわけではありません。スケール号は完全にストレンジ星の影に入ったのです。
ストレンジ星から言えば、真夜中なのです。スケール号は隠密裏に真夜中の密林に降り立ったのでした。
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(ちょっと一休み)
私は信仰心の持てない人間で、基本的に神とは自分自身のことだという考えを持っています
そんな私が、近くのお寺通いを始めまして、あるものをな眺めはじめました。
なにかと言えば、参拝者がお線香を焚く大きな常香炉(じょうこうろ)です。
大きな火鉢のような形で、中に灰が敷き詰められそこに参拝者が線香を立てるのです。
ところが立てた線香は、足元で火が消え、中に突き刺した線香の先が残ります。
燃え残った線香をそのままにしておくと不浄ですので、心ある信者さんが金網ですくい取り
ふるいをかけて、再び灰をきれいにならし丸い形にします。それを毎日続けておられます。
そこで何を見るのかと言えば、毎日きれいにならされた灰に現われる模様なのです。
(1)
これがその乗香炉の中の灰で、上にちらっと見えるスコップとザルで作業をしているのです。
信者さんはただきれいにしようという一心でやっている事ですが、
それが心を惹きつける一枚の絵になっていると気付いたのです。
(2)
何という自然でのびやかな絵でしょう。
私は何十年もこんな絵を求めて描き続けてきたと言っても過言ではありません。
(3)
何の作為もなく、目的もなく、それが見事な絵を描くのです。
(4)
私は40年近く絵を描いていますが、まだこんな絵を描いたことがない!
(5)
繊細さと大胆、深い空間
(6)
一転おおらかな心、引き締まったけじめが何と強いことか
(7)
これはもう達観の域に入った神の絵です
(8)
心に現われる嵐、決して人間を忘れない
(9)
天空を舞う龍に見える
(10)
天と地の融合。人と神の綱引き
最近私は毎朝ここに絵の真髄を見ております。
見事な展覧会です。
普通の多数の人は、
なんてありがたいことだ!と思い、また感謝して
それでおしまい、でしょう。
行為への感謝
それでペリオードPeriodになって
そこで連鎖は切れます。
だが、のしてんてんさんは
そこで絵の真髄を見たのですね。
もし、私がその供養の場を目撃したとしても
普通の人のように
供養に感謝して
それで良し、善しになっておしまいになったでしょう。
でものしてんてんさんのカメラアングルから
まるで、未知の世界が
初めて切り開いたような感じが表れましたね。
見る次元が違うともう納得しました。
同じ位置から眺めて頂いて感謝いたします。
人間の濃さと言うのでしょうか、
悟りと、人間と、どちらの側に立つのかと問われれば、私は即座に人間を選びます。普通と逆かもしれませんね。
寺は悟りを目標にするようですが、その目標に向かって各駅停車より特急が格が上だと思うようです。
けれども、真実はこの常香炉の灰のように、毎日が各駅停車ではないかと思うのですね。
高僧が崖を飛び越えるように悟りを開いたとしても、そこからもう一度ふもとに戻ってこない人は、各駅の味を知らない。人間としてもったいない話ですね。こんな素晴らしい絵があるのに。と言う感じですかね。
私が提唱する五次元は、人間が人間のままで、悟りの世界に近づいて行く思考方法なのですが、桂蓮様はまさにその前提で人生を挑戦しておられるように思えるのです。
だから分かって頂けるのかもしれません。
感謝いたします。
20代では特急に乗ってましたよ。
30代は新幹線でしたね。
それが40代になって、
新幹線のお陰で目的地に着き
もう、行くところが無くなりました。
で、来た道を歩いて逆戻りしているのです。
歩いて。
車も電車も無い戻り道
ザリを踏みながら
険しい道を毎日歩いています。
のしてんてんさんは
もう何十年も歩いて来られたでしょう。
鉛筆の一筆一筆
毎日、毎秒
いつかみわたす場所に着いたら
その光景を書く気になるかもしれません。
言ってることを分かってもらえて
余計な計算しなくて済むから
楽ですね。
そうかも知れませんね。
行き着いたところ、私の体験ではそれは空です。そこは行く場所そのものっですから、永遠に行く必要もなくなるわけですね。
人間そのものが消えると言えばいいでしょうか。
しかしそれでは生まれてきた甲斐も意味もない気がします。
悟りを得たかったのに、得た途端人間を失う。それでは違うのですね。
そんな悟りが欲しいのじゃない、人間としての可能性を悟りに向かって広げていくことが必要なんだと思うのです。
その意味で五次元は人間が認識できる最大の世界であり、悟りへの人間の挑戦なのですね。
自分の足で歩いて、自分の足で悟りの門をくぐりたい。共に歩く人と助け合いながらと言う感じです。