のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

ジイジと北斗(新スケール号の冒険)28

2022-09-29 | ジイジと北斗(新スケール号の冒険)

(17)-1

 

キイキイ、キャッキャッ、コロコロ、

ジャングルの夜はこんなに賑やかなのかと思うくらい動物たちの鳴き声が聞こえます。

「この星は豊かなのですね。たくさんの動物がいる。」

博士が王様の方を見て言いました。

「ストレンジは水が豊かなのだ。甘い河、苦い河、いろいろあって動物たちは好みの水によって棲み分けが出来ている。確かに動物の種類は多いかも知れぬ。」

ギャーギャー、キーッツ、クオーツ、

「でもなんだか悲しそうでヤすよ。」

「泣いているのダす。悲しいことがあるのダすよ。」

キーッツ!キーッツ!!ギャー、ギャー、ギャー、

「確かにおかしいです。助けを呼んでいる鳴き声です。ぐうすかの言うように、泣いているものもいます。何かあったんだ。」

ぴょんたが耳を立てて不安そうに言いました。

「艦長、動物たちの鳴き声のする場所を探せないか。」

「ハブハブ、」

艦長は右手を肩の上に伸ばして自分の握りこぶしをみているところでした。

「どんなものがいるか分からない。気をつけて動こう。」

スケール号は闇の中でも外を見る事ができます。

ジャングルはうっそうと植物が茂っていました。背の高い木が枝を広げて空を覆いつくしています。

昼間でもここは薄暗いでしょう。いたるところでツタが垂れ下がっています。そのツタが揺れて、

何かが飛び立ちました。その黒い塊を目で追うと、ツタからツタへ飛び移り、枝を走っているのです。

それに気づくと、同じような動きがあちこちで見つかりました。皆同じ方向に進んでいるように

見えました。動きは木の上だけではありません。茂みが揺れて飛び出してきたのは立派な角を持った

鹿ではありませんか。

「ウサギでヤすよ、ぴょんた。」

もこりんが指さして言いました。その先にピョンピョン飛び跳ねていくウサギがいました。

一匹だけではありません。明らかに皆同じ方向に向かっているのです。

スケール号はその動物たちに交じって、走りました。いつの間にかスケール号の横にはクロヒョウが

並走しているのです。走るにしたがって、動物たちの数が増えているようです。

ギャーギャーギャー、キーッツ、クオーツ、キーッツ、

泣いているような動物の声がさらに大きく聞こえました。

動物たちは明らかにその声に向かって急いでいるようなのです。

「何か異変があったに違いない。」

「あの奇妙な声が動物たちを呼んでいるのでしょうか。」

「ストレンジには、世界の最後に動物たちは皆同じ方向に走って海に飛び込むという話があるのだが。」

「世界の最後・・・今がそれなのですか。」

ピョンタは自分と同じウサギの姿を見てから、必死で走っている動物たちに特別の思いを持った

のでしょう。心配でならないという気持ちが自慢の耳に現れて片方が折れ曲がっています。

 ギャーギャーギャー、ギャーキーッツ、クオーツ、キーッツ、クオーツ

声がすぐそばで聞こえました。  

密林の籔が途切れて、ジャングルの中に大きな樹木のドームが現れたのです。空は木の枝と絡まった

ツタで覆われた広い空間になっています。その中央に動物たちが大きな輪を作っていました。

周辺の木の枝には鳥が押し合いながらとまっています。スケール号は迷わず動物たちの輪の中に入って

いきました。足の隙間をぬって進んでいくと、その中央に真っ白な動物が横たわっています。

その背中やわき腹に何本も矢が刺さっているのです。痛みに耐えながら立ち上がろうともがき、

頭をもたげました。その頭には枯れ枝のような角をいただいているではありませんか。

それは大きな白い鹿だったのです。

まわりの動物たちはみな心配そうに眺めています。サルが露のついた大葉を矢の刺さった傷口に

あてて清めていました。リスが木の実を食べさせようとしていますが、鹿は口を開けようともしません。

クオーッツ!!口から泡を吹いて白鹿は悲鳴を上げました。

ギャーギャーギャー、動物たちの鳴き声が感染して森に広がります。

「艦長、行きます。」

ピョンタがもう薬箱を持って立っていました。

「助けに行くでヤすよ。」

「ほっておけないダす。わたスも手伝うダす。」

動物たちを刺激しないように、博士はぴょんた達だけをスケール号の外に出しました。

ぴょんたが 駆け付けた時には、白鹿はもうぐったりとしていました。

ぴょんたは迷わずカンフル剤を肩に注射しました。

すると白鹿はピクリと身体を震わせ、目を開けたのです。


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6 コメント

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Unknown (桂蓮)
2022-09-30 06:07:12
こどもも楽しめる物語でしょうけれど、
もしかしたら、漢字レベルが3級(?)くらいかな?と、突然思えてきたので、少し書いておきます。
学習塾、主に高校受験を教えてたから
漢字検定には少し知識があります。
塾では、漢字検定と英検も受けられたから、年に何回も試験実施しました。

中学受験受ける生徒なら
本文の漢字は読めるかもですが、
内容は理解できないでしょう。
でも擬態語や隠喩法から
なんとなく、流れは感じ取ることができるかもです。

中学3年生も偏差値が45以下だと
本文の把握が難しいかもです。
内容の前後をつなげ場面を把握できるのは
恐らく、偏差値58くらいの生徒でしょう。

ちなみに偏差値45なら
普通の期末試験で平均60点とれるくらいで
58なら、平均75~80点くらいです。
(100点満点採点方法)

物語は大人から読んでは
(大学卒業レベルは平均準2級くらいの漢字検定れべる)
物語が易しいすぎるし
中学生向けには大概合ってますが、
彼らは次元概念がまずわかりません。

高校生(大学受験も教えたからわかります)には
馬鹿にしてるの?みたいな感じに捉えるかな?

大人10人中(学歴関係なく)一人くらいは
物語を楽しめるかも?と思いました。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-09-30 07:25:39
ありがとうございます。
心から御礼申し上げます。

私にはまったく分からないことなので、とても参考になりました。自分の思いを表現するというのは、結局自分の素養を丸出しにするしかないので、恥ずかしいですが、こんな分析をしたことがありませんでした。

そしてこのアドバイスは私にとってとてもタイムリーでした。重ねて御礼申し上げます。

この物語に手を加えるのは今は難しいのですが、絵本の方に参考にさせてもらおうと思っています。
送りした二部の絵本を(午前部)(午後の部)にタイトルを付けて一冊にまとめる工夫をしているところですので、本当に助かります。

私の頭では、ほとんど理解できていませんが、言われていることを意識してやってみます。

漢字は、学習漢字辞典という本を頂いたおかげで、小学6年までに学習する漢字を学年別に知ることが出来ます。

これもつい最近のことで、必要な事が起こっているような気がします。

世界情勢を見ても、武力の限界はあまりにも虚しいですね。人間が平和に暮らすのは武力では決してなく、人間の意識改革(ただ在るがままのことに気付くだけのことですが)が必要だと痛感します。五次元の思考は何年かかろうが、人間が成長しなければならないスケール概念の目覚めだと思っています。

つたない表現力ですが、声を出し続けるしかないです^ね^。
桂蓮様、あらためて御礼申し上げます。
返信する
Unknown (桂蓮)
2022-10-02 15:04:41
分かってくださって嬉しいです。
学習塾を15年やってましたね。
小学生から入って、高校受験して、大学受験まで
それから講師になって、また塾に戻るパータンが多かったです。

毎日、生徒と一緒だったから
文を読むと、
彼らがどう理解して
どう分かって、
どのような結果を出せるか、もう分かるのです。

今まで、このシリーズを
生徒の立場、主に小学6年~中学3年までの観点から
読んできましたけど、
恐らく、次元感覚がまだ持てない年齢層だから
宇宙やエイリアンが済む、場所みたいな感じで
置き換えて捉えるのでしょう。

あの年齢の子たちは時間感覚が大人とまるで違います。
彼らの1時間は大人の3時間くらいなので、
(小学上級と中学生)
時空間の感覚も全く違います。

時間概念が違う、目に見えない思想は彼らには無に等しいです。
それは、言葉を優しく砕くこととは全くちがう性質で
概念自体、細胞がまだ育っていないことなのです。

というのは4次元を理解することも難しいことなのです。
しかも、日本の教育は思考を育つよりは
問題の正解力を問うので
次元の説明を始めると
10人中、9人は寝ちゃいます。
次元より、ゲームのスコアの方が大事なのです。
もし、次元を扱うゲームをやったことがある子どもなら
4次元までわかると思いますが、
彼らの頭の中では、そのゲームが広がっています。

でも、頑固な頭を芸術で開く!ことになると
物語が高校生向け、大学生向けになると
未来は変われます。
中学生までは、目に見える次元もろくに処理できないですしね。
目に見えない概念を理解でき始めるのが
高校生だから
彼らが次元概念を理解してくれると
そうです、未来は開拓できます。

大学生が次元感覚をつかめると
そうですねー未来はふわーっと軽くなれますよね。

易しい内容は、言葉を優しくいうとか、ひらがなで書くとかでなく、
読むことでその世界に入れることだと私は思います。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-10-02 16:22:43
丁寧に教えて頂いてありがとうございます。

実は。私は小学3年~4年にかけて極度の不登校児でした。当時は今ほど取り上げられることも無かったでしょうが、ある意味トラウマ的なものがあって、このようなタイプの作品をつくるときはたいてい小三の自分に向かって話しています。
もっともその頃、次元など知る由もなかったと思いますが、その時の思いを大人の私が解きほぐしていく感じですね。
次元の知識が無くて、次元からやってくる思いや疑問に触れると、まるで身をよじられるような気持ちになって、そこに何かがありそうで、自分がどこかに連れ去られる不安や、闇に対する恐れにおののいていました。友だちはみな、毎日楽しそうに遊び笑ているのに、自分は違うという想いでしたね。友達の輪に入って行きたいのに、どれだけ待っても自分の話しを挟む隙間は無かった。みじめでしたね。
私の芸術活動、特に論理や物語は、そんな心を解きほぐしてやろうという想いで生まれているのですね。

私に形而上学的な思考が芽生えたのは確かに高校時代だったかもしれません。分からぬまま自然に倫理・哲学的な話に魅かれたように思います。大学ではカントやサルトルなど、脈絡なく読みましたが、どれも自分とは違う感がありましたね。しかしどれも理解できずに形而上的な世界で落ちこぼれ感に悩まされていました。ある日までは。
大学の最終学年だったか忘れましたが、寝ているときに五次元のイメージ(スケールの螺旋)を夢に見たのです。驚いて目覚めた私はその内容を走り書きしました。
そこからあふれるように言葉が出始め、夢中で書き留めて行きました。
まだワープロもなかった時代で、電車の中で思いつくまま夢中で書きとめるだけでしたが、待望のワープロが出回ると一気にそれが活字となったのです。
それが銀座でお渡しした宇宙論でした。
本を書きつくすと、ぴったり言葉が出なくなって今に至っていますが、今はその本の正しさを検証するばかりなのです。小さな修正はあってもほぼな違っていないと思われます。
要点はただ一つ、人間の新たな認識能力は存在する。時間とスケールが座標軸となって心を理解すると、神に匹敵する大きな世界を思い描けるというものなのです。

次元を超えた巨大世界を思い描く能力を人間は手にすることが出来る。それが五次元(スケールの概念)なのですね。
返信する
Unknown (桂蓮)
2022-10-05 11:08:13
実は、私も不登校でした。
結構行かなかったです。
学校に行くふりをして出て、近くの小山で隠れていました。
それが学校から知らせがあって、
父にばれて死ぬほど殴られましたね。
だから算数ができないです。
分数ができなくて居残りとか結構させられました。

今も山に隠れていた時の記憶が新しいです。
けど、それがトラウマになってないのは
おそらく、不登校の理由があって
正当化できたからでしょう。

昔は学校にいかないのはほぼ犯罪級?でしたよね。
罪意識の強さは不登校やってみた人しかわかりませんしね。
卒業できたのは、算数除いては他の科目は平均以上だったからだと思います。

小学3~4年での思い、闇への恐怖は強いですね。
他の次元、私は一度も思ったことなかったでしたね。

でも、詳しい背景が理解できて
空間認識論が増して理解できました。

閃きだけで一冊が書けるのももう天才級かなと。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-10-05 21:26:47
桂蓮様に不登校時代があったというのは意外でしたね。
でも、ピュアな心が社会(学校)に出た時、自分と違ういろんなものに出逢って反応する形の一つが不登校なのかもしれませんね。
そう考えると、小学時代の山籠もりもなんとなく分かる気がします。

ちょっとした冒険や不安、たとえば遠足前夜の胸の高鳴りのように、自分を100%動員して感じていた時代がその頃だったと思います。

いつの間にかそんなものは無くなり、日常がありふれた退屈なものとしか感じない自分に気付くのです。

どこかで生き方が間違っている?そう思って自分をみまわすと、ありました。自分のほぼすべてが固定観念
で覆われているのです。
小学校のあのころはそれがない分生のままの自分でいて、傷つきやすかったのでしょうね。

ある意味、五次元の思考方法はこの固定観念を打ち破って生れた思考の概念なのですね。

例えば、素粒子や原子は太陽や地球と同じ「天体」だということ。
自分の大きさは「可変的」だということ。つまり太陽や素粒子の大きさになって世界を想像することが出来る。
人はみな「空間に浮かんでいる」
等等、

みな固定観念の正反対の考えを手に入れることになるのです。

つまり私の思うのは、大人になった私達は、小学3~4年の頃のピュアな自分を思い出して、そこから考え直してみる大切さなのですね。
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