きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

昔話『絵姿女房』のアレンジ 2018.07.27

2018-07-29 02:11:11 | 小説
 昔ある村に変わり者の若い農夫がいました。
おとなしくて内向的な青年で真面目でよく働き、彼の育てた作物は皆上質で高く売れました。
同じ年頃の村人は皆嫁をもらって子供もできているというのに、いまだに一人者なのは引っ込み思案なせいばかりではありません。
両親を早く亡くして一人暮らしの彼の心の支えは美少女の描かれた絵草紙やその絵を模した人形たち。
都で作物を売って得たお金はほとんど絵草紙や人形を買うのに使って質素な生活を送っている彼には嫁を探そうという気さえありませんでした。

 そんなある日突然若い女が彼を訪ねて来たのです。
彼の絵草紙に描かれている美少女たちが足下にも及ばないほどの絶世の美女でした。
「どうか私を貴方の妻にしてください。」
と彼女は頬を赤らめ頭を垂れて言いました。
彼は腰を抜かさんばかりに驚きました。
「ええええーっ。そ、そんなことを突然言われましても…。」
彼女は
「貴方にとっては突然でも、私にとっては必然です。都の絵草紙屋で貴方を初めて見た時から心に決めておりました。都からの帰り道そっと後をつけて来てからは、何度も村へ通って貴方が畑で働いておられる姿をそっと見ておりました。貴方こそ私の求めていた殿方です。どうか私の夫になってください。」
と言いました。
「俺のような男じゃなくても、貴女のような美しい人なら他にいくらでも良い男が居るでしょうに。本当に俺なんかの妻で良いんですか?それとも俺をからかっているんですか?」
彼は彼女の話がにわかには信じがたく、少し警戒していました。
「驚かれるのも無理はありませんが、誓って嘘でも冗談でもありません。でも私はもう長いことずっと貴方を想い続けて来たんです。今日からここで一緒に暮らすつもりで来ました。もう都には帰りません。」
彼女の表情や言葉は真剣そのもので、その迫力に押されるように彼は何度も頷きながら答えました。
「うん、うん、わかった、わかりました。貴女がそうまで言ってくれるのなら、どうか俺の妻になってください。俺の方からお願いします。一生貴女を大切にします。」
彼女はがばっと彼に抱きついてぎゅーっと彼を抱きしめながら言いました。
「嬉しいっ!私も一生貴方のお側から離れません。」

 そして彼女はその言葉通り、そのまま彼と暮らし始めました。
彼女もまた質素な生活になじみ、都で流行の綺麗な着物や髪飾りなども欲しがることなく、かいがいしく働きました。
ところが彼は美し過ぎる妻をぼーっと眺めるばかりで畑に出かけようとはしません。
料理を作る妻、食器を洗う妻、掃除をする妻、洗濯をする妻、どんな時も妻は輝くばかりに美しく、一瞬たりとも目を逸らさず、妻の一挙一動をずっと眺めていたいのです。
「貴方はお仕事に行ってください。私は真面目に畑仕事に勤しむ貴方に惚れて嫁いで来たのですよ。」
妻が彼を叱ると彼はがっくりと首を垂れて言いました。
「すまない。家事をする貴女の姿が美し過ぎて、片時も目を離すことができない。仕事を放ったらかしなのはわかっているが、ずっと貴女を見続けていたい自分をどうすることもできないんだ。」
絵草紙や人形の美少女なら眺めて美しいなと思っても、毎日仕事から戻って眺められたらそれで充分だったが、生きて動く妻の姿は一瞬も目を離すのが勿体ないほどの美しさだと彼は思っていました。
鬢の一筋の乱れ髪も、額の一粒の汗も、眉間に寄せるしわさえも何もかもが美しい。
「貴方の私を想ってくださるお気持ちはとても嬉しいけれど、それでは困ります。」
妻はそういうと1枚の紙を取り出しました。
「以前都の絵草紙屋で絵師様に描いて頂いた私の似顔絵があります。これを私の代わりに畑にお持ちください。それならお仕事中も私が一緒ですわ。」
その似顔絵は腕の良い絵師が描いたものらしく、今にも動き出したり言葉を喋り始めたりしそうなほどの素晴らしい出来映えでした。
彼は喜んでその絵を木札に貼って畑の傍らに置くことにしました。

 翌日から彼は木札を持って畑に赴き、一日妻の似顔絵を見ながら仕事に勤しみました。 
ふと仕事の手を止めて似顔絵を見ると妻の似顔絵が微笑んでいるようで、力が湧いたのです。
畑仕事のできない雨の日以外は毎日木札を持って出かけ、帰りには持って帰っていましたが、ある日仕事の後に村の寄合に行くことになり、うっかりと木札を畑に忘れて帰ってしまいました。
 翌日畑に行くと妻の似顔絵が消えていました。木札は立っていましたが、貼られた絵だけがなかったのです。
風で飛ばされたのかとあちこち探し回ったのですが、どこにも見当たりません。
彼は大切な絵を失ったことだけでなく、妻に対する申し訳なさでひどく落ち込みました。
妻は
「失ってしまったものは仕方ありません。もう良いじゃありませんか。ぼちぼち絵がなくても仕事ができるようになりなさいという神様の思し召しでしょう。」
と彼を励ましましたが、彼はなぜあの時忘れて帰ってしまったのかと自分を責め続けていました。

 村の寄合のあった日、早めに仕事を切り上げて彼が去った後の畑に側に人影がありました。
傍らの木札の前でその人影は立ち止まり、しばし木札に貼られた似顔絵を眺めた後、木札から絵を剥がして持ち去りました。
その人物が向かった先は領主の館。
 領主の前に家来は似顔絵を差し出しました。
「それは何か?」
領主が尋ねると、平伏していた家来が顔を上げて答えました。
「恐れながら、申し上げます。
領内で噂になっていた美人画を手に入れて参りました。」
領主は訝しそうに家来を見て尋ねました。
「どんな噂か?」
「恐れながら、とある村の畑の脇に立てた木札にまるで生きているかのような美人画が貼られている、という話でございまして。調べてみると、その畑の持ち主の男の女房の似顔絵だそうで。何でもその女房は都から嫁いで来た絶世の美女で、亭主は都の腕の良い絵師が描いた女房の似顔絵を貼った木札を畑の脇に立てているというのでございます。普段は木札は毎日持ち帰ってしまうのですが、たまたま忘れて帰ったようで畑に残されていたので、美人画をお館に持ち帰りました。」
家来が畏まって答えました。
「ほぉ。どれ、その美人画とやらを見せてみよ。」
領主は興味を示し身を乗り出しました。
「ははあ~。」
家来は恭しく絵を差し出しました。
領主が手にとってみると、確かにその絵には美しい女性の姿が描かれていました。
形の良い額、すっきりと整った眉、きらきら輝く瞳、ふっくらとしてほんのりと赤みを帯びた頬。確かに生きているかのように美しく、今にも動き出し言葉を話しそうな素晴らしい絵でした。
(美しい…。こんなに美しい女は見たことがない。一介の農夫の妻にしておくのは勿体ない。何とか我が物にしたいものだ。)
領主はすっかり似顔絵の美女に惚れ込んでしまいました。
「この女をその農夫より召し上げる。即刻連れて参れ。夫が逆らえば手打ちに致せ。女にも断れば夫の命はないと言え。」
「御意。」
領主は横恋慕から無茶な命令をしましたが、元より領主も家来も領民の生活や生命を軽んじているようで、当然のように家来は答えました。

 似顔絵を失ってしまい、再び家から出ようとしなくなってしまった夫を、妻が必死に説得していた時、家の前で馬が止まり領主の家来が降りて声をかけて来ました。
「畑の木札に貼られていた絵に描かれた女はここに居るか?」
「それなら私ですが、どのようなご用件でございましょう?」
妻がそう答えると、家来はあの絵より遥かに美しい本物の姿にちょっと驚いて、こほん、とひとつ咳払いをして言いました。
「畏れ多くもあの絵が領主様のお目にとまり、
『あの絵の女を召し上げる。即刻連れて参れ』
とのご命令だ。断れば亭主の命はない。」
家来の言葉を聞いて、夫が駆け寄って来ました。
「ご無体な!如何に領主様とはいえ、妻を差し出せとはあまりにも酷いご命令ではありませんか!」
「逆らえば手打ちに致すぞ!」
家来が刀の束に手をかけたので妻が夫を制しました。
「わかりました。参りましょう。その前に少しだけ夫と二人きりにしてくださいませ。それくらいはよろしいでしょう?」
妻の目力に押されるように、家来は少したじろいで答えました。
「わ、わかった。しかし、長くは待たんぞ。」
妻は夫を片隅に誘い、耳元にそっと囁いたのです。
「私の言うことをよく聴いてください。納戸の行李の中に旅芸人の衣裳と笛があります。貴方はその衣裳を着て旅芸人になりすまし、笛を奏でてください。それが聞こえたら私がうまくお館に入れるようにします。怪しまれないように笛や歌や踊りの稽古をしてから来てください。私は大丈夫。貴方が来てくださるまで、決して領主の好きにはさせません。」
夫は驚いて妻の目を見つめ、妻はまっすぐ夫の目を見つめ返して黙って頷きました。
「わかった。できるだけ早く向かえに行くから。」
二人はしっかりと互いの手を握りしめ、最後に固く抱き締めあいました。
そして妻は家来の馬に乗せられて領主の館へ連れて行かれました。

 「そちが美人画の女か。誠にそちは絵より遥かに美しいのう。そちのような美女は領主の妻にこそ相応しい。夫のことは忘れてわしの妻になれ。」
領主にそう言われても、彼女は眉ひとつ動かすことなく俯いて黙ったままでした。
「わしの妻になれば綺麗な着物もうまい食物も何でも望みのまま。もうあくせく働くこともない。ただ側にいて微笑んでくれたらそれで良い。」
領主は更に言葉を続けましたが、彼女はぴくりともせず押し黙っていました。その表情は固く冷たくとりつく島もありません。
「なに、今すぐにとは言わん。今はまだ夫に未練もあろうが、わしとどちらがそちの夫に相応しい男か、わしの妻になることがそち自身の価値に見合うと直にわかるであろう。」
領主がそう言うと彼女は顔を上げて硝子玉のような無表情な目を領主に向けましたが、その視線はその先に何も存在しないかのように虚ろだったのです。
しかし領主は背筋がぞくっとするような悪寒を覚えました。
それは領主の存在の全てを拒絶するような無言の圧力だったからです。

 そして時は流れましたが、彼女は相変わらず領主の言葉に答えることもなく、まるで人形のように無表情なまま押し黙り続け、贅を尽くしたご馳走に箸をつけることもなく、豪奢な着物に袖を通すこともありませんでした。
それでも窶れて益々鬼気迫るような美しさを増す彼女に対して領主はただご機嫌を伺う以外になす術もなくなっていました。
言うことをきかないからと手打ちにしたり罰を与えたりは恐ろしくてとてもできないほど彼女は美し過ぎたからです。

 そしてある日、領主の館に近づく笛の音が聞こえました。
何とも言えない切ない調べを奏でながらその音が近づくと、突然彼女が息を吹き返したように明るい表情で言ったのです。
「旅芸人が来たわ!私の好きな笛の音が聞こえたわ!」
初めて彼女の声を聞くことができた領主は飛び上がらんばかりに喜びました。
領主は家来に旅芸人を館に入れて彼女の前に連れて来るようにと命じました。

 ピーヒャラ、ヒャララー…
笛の調べを奏で、ひらひらとした薄絹の衣裳を纏って目深に花笠を被った旅芸人が館の側をゆっくりと歩いています。
領主の家来は旅芸人を呼び止め、領主からの命令を伝えました。
旅芸人は深々とお辞儀をして家来に付き従って館に入って行きました。

 「旅芸人を召し連れましてございます。」
家来がそう言うと、次の間で旅芸人が平伏していました。
「今しがた館の外から聞こえて来たと同じ笛の調べを聞かせよ。」
領主が命じると家来は下がり、旅芸人が立ち上がって笛を奏で始めました。
領主の隣にいた彼女は嬉しそうに微笑んで
「何と素晴らしい調べでしょう。笛の音だけでなく歌声も聴きたいわ。」
と言いました。
すると旅芸人は笛を懐にしまって歌を歌い始めました。
「何と素晴らしい歌声でしょう。踊りも見たいわ。」
旅芸人は被っていた花笠を外して歌いながら踊り始めました。
彼女は満面の笑みで
「踊りも素晴らしいわ。本当に素敵。大好きよ。」
と言って旅芸人に駆け寄り、抱きつきました。
領主は驚くと同時に彼女を虜にした旅芸人が羨ましくてたまらなくなりました。
「そちはわしに向かってそんな笑顔を見せてくれたことも言葉をかけてくれたことも抱きしめてくれたこともなかったのに、そんな旅芸人が好きなのか。」
すると彼女は
「そうよ。私が好きなのは素晴らしい笛や歌や踊りを見せてくれたこの人。でも、ご立派な領主様にはとてもできないことでしょうね。」
と冷たく言い放ったのです。
「何だと!わしにだってそれくらい…。」
領主は苛立ちを隠せませんでした。
「おい、旅芸人。そちの衣裳を脱いでわしに寄越せ。」
そう言って領主は旅芸人と着物を交換しました。
「どうだ。これで笛を吹いて歌い踊れば良いのであろう。」
すると彼女は
「姿形だけ真似ても駄目です。そうね、例えば館の外で笛を吹いて歌い踊り、道行く人に本物の旅芸人と思われるほどでなければ。」
と言いました。
領主は、領主の着物を着て彼女と抱き合ったままの旅芸人を忌々しそうに睨み付けながら、半ば意地になって言いました。
「よし、ではこれからこの姿で館の周りを廻って来よう。わしが戻ったらそちはわしの妻だ。」
旅芸人の姿になった領主は笛を吹きながら館の外へ出て行きました。

 久しぶりに再会できた夫婦は再び互いに強く抱き締め合いました。
「長いこと待たせたね。」
「やっと会えた。きっと来てくださると貴方を信じてお待ちしておりました。」
「貴女が言った通りに旅芸人になりすまして館まで来たが、まさかこれほどうまくいくとは。」
 二人が語り合っていると門番の怒鳴り声が聞こえて来ました。

 「こら、館に入って来てはいかん!」
「ええい、無礼者!わしがわからんのか。この館の主、この地の領主であるぞ。」
旅芸人の姿の男がそう言っても門番は全く取り合いません。
「嘘をつくな。貴様は先ほど館から去った旅芸人ではないか。」
領主が旅芸人と着物を交換しただなどと、門番が信じるはずもなかったのです。
「確かに旅芸人の衣裳は着ているが、わしは本物の領主だ。わしの着物を着た旅芸人が館の中にいるはず。確かめて来るが良い。」
門番の一人が家来を呼び、その言葉を伝えると、家来は領主の部屋へ向かい、戻って来て門番に『領主は部屋に居た』と言いました。
「ほら、領主様はちゃんと中に居られる。旅芸人の分際で『領主だ』などと言い張るとはとんでもない。黙って去るなら見逃してやるが、これ以上騒ぐようなら容赦はせんぞ。」
刀も持たない旅芸人姿の領主は門番に逆らうこともできず、諦めて一旦その場を離れることにしました。きっとすぐに誤解が解けて元通り館に戻れるだろうと信じて、館を去るしかなかったのです。

 「お館様、お館様。」
家来が部屋に来た時、領主の着物を着た男は確かにそこに居ました。
「門の前で旅芸人の男が『自分こそ本物の領主だ』と騒いでおりますが。」
と家来が言うと、領主の妻にと連れて来られた美女が答えた。
「領主様ならここに居られるではありませんか。」
領主の着物を着た男は黙って頷きました。
「私のわがままを聞き入れてくださったお優しい領主様のお心の広さに触れ、私は領主様のお申し出をお受けして妻になることに決めました。ずっと領主様とご一緒におりましたから間違いありません。この方こそ領主様です。」
家来は女の言葉を聞きながらまじまじと男の顔を見たのですが、確かに領主に間違いないと思いました。
「左様でございますね。では、そのように門番に伝えて旅芸人を…。」
「放免してやるが良い。」
領主の着物を着た男が言った。
「妻がわしを受け入れてくれたのはあの旅芸人のおかげでもある。その功に免じて許してやれ。」
「御意。」
家来はそう言うと門番の元へ戻って行きました。
 「やれやれ。」
家来が出て行った後、男はほっとため息をつきました。
「一時はどうなることかと思ったよ。貴女は何故、いつから、こうなるとわかっていたんだ?」
妻は微笑んで答えた。
「館に連れて来られて領主様の顔を見た時は私も驚きました。貴方と領主様があまりによく似ていたので。いつか村のおばあさんたちが話していたのを聞いて、『貴方のお母様が先代領主のお手つきで、それを知りながらお父様は嫁にもらったのだ』と知りました。もしやとは思っていましたが、やはり貴方は領主様の腹違いの兄弟だったのですね。亡くなったご両親や村の皆は貴方には知られないように隠していたのでしょう。元々旅芸人だったお母様は先代領主に見初められて館で仕え、後に暇乞いをし拝領妻としてお父様と夫婦になって村へ移られたようです。あの衣裳と笛は納戸の奥に隠されていたのを掃除をしていて私が見つけました。それであの時咄嗟に思いついて貴方には言ったものの、本当にうまく行くかどうかは賭けでした。」
男は驚いたが、それならこの先妻と共に自分が領主として館で暮らして行くのも、見えざる手に導かれた運命なのかもしれないと思いました。

 そしてそれから二人は末長く幸せに暮らしました。
追い出された前の領主とは違い、新しい領主夫婦は質素な暮らしをして、賢く美しい妻もよく夫を支え、領民を大切にしたので領民たちからは慕われ、領地は栄えたということです。
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