私事ながら自分には既に父はいない。
娘のように可愛がってくれた連れ合いの父も実父の亡くなった翌年に鬼籍に入り共にもう10年以上経つ。
親孝行のできる父君がご存命の友人たちが少し羨ましかったりする。
常に公言しているが自分は教科書通りのエレクトラ・コンプレックス、ファザコンであった。
父親は非常に女性に人気があった。
女学校の教師だった祖父も生徒に人気があったらしいし祖母も曾祖母も地元では「~小町」と言われた美人であった。
自分には年子の妹がいて彼女がそのDNAを独占してしまったらしく、大嫌いで憎んでさえいた母親に似ている自分を呪ったものだ。
父親には自分たちが生まれる前からずっと愛人がいて週末はいつも別宅に居たし、亡くなった時もまた別の愛人が遺体に縋って泣いていたりしたが、それは家族も周囲も公認で、幼い頃から最愛の父の愛情を奪う愛人に対してジェラシーを感じることはあっても父を憎いと思ったことがなかった。
それは恐らく原因は母にあると刷り込まれた所為であったろう。
父の妻として嫁として相応しくない母が悪い。
注意しても聴く耳を持たない頑固で強情な母が悪い。
だから父が愛人を持つのは致し方ない。
そう言われて育った。
そのこと自体に対してはともかく幼い自分に多大な影響を与えたことは否めない。
壮絶な夫婦喧嘩を寝ている振りで耐えた妹と違い、温室で純粋培養された箱入り娘が修羅場を直接見なかった代わりに得たものは毎度おなじみの見捨てられ不安であった。
父にとって家にとって相応しくない娘だったら母のように見捨てられるのだと無意識に脅えたのだろう。
それが以後何十年と自分自身を苦しめ終には精神に破綻をきたす寸前まで追い詰めたなどと父や祖母は思いもよらなかったであろうが。
田舎なので寡婦の祖母が出かけると「都会へ男を漁りに行く」と陰口を叩かれた地元で、よくの自宅のすぐ近くに勤める女性と半ば夫婦同然の生活が出来たなと思うが、父は極めてメンタルの弱い人間であったからこそ逆にその愛人と過ごす時間だけが生き甲斐だったのだろう。
父自身が望んだ訳ではなく運命に押し迫られて自らの人生を捻じ曲げられた父は恐らく別の自分になれる時間が欲しかったのだろうと思う。
母親の実家の養子として改姓され家に縛られた自分の人生に悲鳴を上げてこんなはずじゃないと思ったのだろう。
旧家の当主でもなく夫でも父でもない一人の男に戻りたかったのだと思うのだ。
父の人生は決して人に褒められたものではないが父は父なりに必死に足掻き続けていたのだと思うと私は責める気がしない。
しんみりとそんなことを思った父の日であった。