週末心身の不調で携帯もPCも開けられなかった。
心の中にこの世の終わりまで続くような止まない雨が降り続く。
かつて闇に落ちていた頃に見た景色が眼前に甦る。
もうだめだ、と思った。
でも些細なことで落ち込んだ分些細なことで元気になったりもする。
勿論些細なことというのは客観的に見て言うのであってその時の自分にとってはとてつもなく大変なことなのではあるが。
さすがにブログとFacebookは開けられなくても何とかTwitterだけは暫く落ち込みに落ち込んで底を打ってから開けてみた。
「王様の耳はロバの耳」用の鍵垢に遺言めいた言葉を書き連ねてみる。
もし今自分が死んでもこのアカウントの言葉は誰にも見られることはないんだけど、と思いながら、でも何も言わずにはとても耐えられないので苦しい思いを吐き出す。
そうこうするうち何とか落ち着いてきて本垢の方に戻ってみたりTL遡上が出来るようになってふと見つけたいくつかの言葉をふぁぼる(お気に入り登録する)。
その中の一つが以下の言葉である。
「この人を好きになっちゃいけない
そう思ったら恋の始まり
この人を好きにならないといけない
そう思ったら恋の終わり」 (Twitterより)
最近身内の若い女性から恋愛相談を持ちかけられたり、自分の書いている小説に行き詰ったり、1年前の作品を読み返したりしていたのだが、まさにこの言葉はその通りだと思った。
同じ人間の根底に流れる精神世界は基本的に同じだから以前の作品も今の作品も多少の変化はあっても共通する部分というものは必ずある。
それは有名な作家さんの作品でも全集を集めたりするとそこはかとなく漂うものがあるものだ。
素人が書くほどあからさまに表現はされてなくてもなんとなく感じられるものである。
また脱線しそうなので話を戻そう。
今日たまたま美容院で読みかけていた女性誌の記事もそうだが、過去の作品にしろ、もうこのままお蔵入りになりかねない執筆中の作品にしろ、女性心理というものを表した至言だなと思った。
恋バナを咲かせている身内の若い女性ともそんな話をしていた。
最初はそれほどタイプでもなくかっこいいとも思ってなかった相手が何故だか気になりだす。
何だか素敵に感じる。
年齢とか立場とかいろいろ考えて好きになっちゃいけないと思っても気持ちが止められない。
それが恋に堕ちたということだ、惚れたということなのだ、と。
「「何となく好き」が最上級の好き。
理由を言葉に出来ないからこそ
他の人には代えられないほどの想いがある。」(Twitterより)
イケメンだから、背が高いから、頭がいいから、優しいから、何かそんな理由で好きなんだとしたらそれは憧れだ。
心底惚れた相手なら理由なんてない。
例え姿形が美しくなくても、性格が悪くても、好きなんだから仕方がない。
それこそが本当に好きだっていうこと。惚れたということだ。
そんな話もした。
一方一旦好きになったはずなのにどこか気持ちが冷めたり退いたりしていて、でも付き合ってるから、パートナーだから好きにならないといけない。
そう思ってしまったとしたら、まさにもうそれは終わっている。
「お前はもう死んでいる」ではないが、その恋はもう死んでいる。
恋が愛に変わったから情熱が治まっただけ?
…違う。
愛とは愛おしいと思う気持ちでそれは自発的なもの。
愛せと言われなくても自然と愛するもの。
愛さなくてはならない、と義務感を感じたなら、それはもう既に愛してないということだ。
もっと言うなら最初から愛していたと錯覚していたのかも知れない。
或いは向こうが愛しているというからそれに応えなければいけないと思っただけかも。
自分の小説にはよくそういうヒロインが登場する。
以前はたいてい憧れた人には相手にされなくて、好きだと言ってくれた人に縋るしかないと諦めてその思いに応えようとする。
最近変わって来たのはヒロインが諦めなくなった、というより、憧れた相手とは別に惚れた相手が出来て、自分の本当の気持ちに気づくという展開だ。
今悩んでいるのはその先。
つまり憧れた相手、惚れられてそれに応えようとした相手、惚れた相手とそれぞれ出会ったとして、ヒロインはこの先どんな選択をするのか、である。
憧れた相手には「いい夢を見せてもらいました。ありがとう。さようなら。」と別れられるだろう。
元々恋に恋する乙女の夢物語だったのだと思えば大人になって卒業していくことは当然の流れだろう。
問題はその後。
敢えて言うなら「惚れられた相手」と「惚れた相手」。
ヒロインの気持ちはとっくに離れていても「惚れられた相手」はまだ未練たらたらどころか今もヒロインの気持ちが離れたことに気づいていないか、或いは気づいていたとしても認めたくはないだろう。
そういう相手との関係を一方的に断ち切ることは極めて難しい。先の見えない果てしなく続く泥沼である。
では「惚れた相手」はどうか。
それがまだ見えない。
相手は何を考えているのか、相手の現実的な状況はどうなのか、何もわからないまま。
それを知れば終わってしまう気がする。
知りたいような知りたくないような。
しかし一つだけ言えることはその先に待っているのは「アカルイミライ」ではないということだ。
ヒロインにとっては「現在(いま)」を精一杯愛することだけ。
何の保証もない。どれほどだかは測り知れないけれど間違いなくリスクは存在する。
その状況の中でどうやって自分を納得させる答えを見つけるのか。
そして作者は途方に暮れる。
どうやって物語を書き進めたらよいか、展望が見えない。
無理に突き進めば嘘になってしまう。
暗中模索。五里霧中。
一寸先も見えない靄の中を手探りで行く先を探りながら同じところをぐるぐる迷っている気がする。
それが解決しなければ物語は終わらない。
梅雨空と同様に心の中もどんよりと曇っている。