ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

「聖」という名で人殺し

2016-08-18 09:33:29 | Weblog

皮肉だねぇ。
名前負けしちゃったのかな。

教師とか、医師とか、弁護士だとかの子供で、
人殺ししちゃう人いるけど、厳し過ぎるのかなぁ。

障害者じゃなくても、人はみんな、「物」みたいなもんでしょ。
機械みたいに、同じ事言わされて、やらされて、
死んだら、ただの器だよ。

障害者にゴールが無いなんて、言ってるけど、
誰だって、そうじゃないの。
知らない間に、スタートさせられてるんだしさ。

ゴールが無いのは、彼の方でしょ。
だから、見たくないんでしょ。

でもね、好きな仕事をして一流になったら、
更なる試練が待ってるよ。
それに耐えられる人が、一流なの。

彼の手紙の前半は、よく分かる。
スタッフの疲れた顔とか、面会に来ない保護者とか、
これでいいのかって思うよね。

身内だって、手に負えないわけでしょ。
老人介護だって、同じだよ。

静かにしてくれてるならいいけど、
街中で、暴力的な障害者が、1人でいるのを見ると恐い。

議長に手紙を出すって事は、
パブリックに訴えたいって事でしょ。
追いつめられた時、公的機関に行くんだよ。

私も、エスカレーターでケンカ売られた時、
頭にきて、交番に行ったもん。

わざわざアポとって、カウンセラーに、
綺麗事なんて言われたくないの。

アキバの人殺しもだけど、
よくそんなエネルギーあるなと思って。
計画立てるだけで、疲れる。

気が変になるほど、物事と向き合ったりしない。
刺青も大麻も、いらん。

でも彼は、教師になったらなったで、
今度は、小学生に悩まされるんだろうな。

人殺ししてしまうと、その理由は忘れられ、
殺人という記憶だけが残る。

他人の人生を、ジャッジする必要はない。
そんな事しても、世の中は変わらない。
いつか人類は滅亡すると、ほくそえんでいればいいのだ。

セカオワの歌に、「世界平和」というのがある。
「世界平和」にかぶせて、「人類滅亡」を願っている。
セカオワは、表現できているだけ、健全なのだ。

自分が殺してしまったら、おしまいだ。

名前に、負けるな。
自分が負けてしまうような、仕事はするな。

 


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