皮肉だねぇ。
名前負けしちゃったのかな。
教師とか、医師とか、弁護士だとかの子供で、
人殺ししちゃう人いるけど、厳し過ぎるのかなぁ。
障害者じゃなくても、人はみんな、「物」みたいなもんでしょ。
機械みたいに、同じ事言わされて、やらされて、
死んだら、ただの器だよ。
障害者にゴールが無いなんて、言ってるけど、
誰だって、そうじゃないの。
知らない間に、スタートさせられてるんだしさ。
ゴールが無いのは、彼の方でしょ。
だから、見たくないんでしょ。
でもね、好きな仕事をして一流になったら、
更なる試練が待ってるよ。
それに耐えられる人が、一流なの。
彼の手紙の前半は、よく分かる。
スタッフの疲れた顔とか、面会に来ない保護者とか、
これでいいのかって思うよね。
身内だって、手に負えないわけでしょ。
老人介護だって、同じだよ。
静かにしてくれてるならいいけど、
街中で、暴力的な障害者が、1人でいるのを見ると恐い。
議長に手紙を出すって事は、
パブリックに訴えたいって事でしょ。
追いつめられた時、公的機関に行くんだよ。
私も、エスカレーターでケンカ売られた時、
頭にきて、交番に行ったもん。
わざわざアポとって、カウンセラーに、
綺麗事なんて言われたくないの。
アキバの人殺しもだけど、
よくそんなエネルギーあるなと思って。
計画立てるだけで、疲れる。
気が変になるほど、物事と向き合ったりしない。
刺青も大麻も、いらん。
でも彼は、教師になったらなったで、
今度は、小学生に悩まされるんだろうな。
人殺ししてしまうと、その理由は忘れられ、
殺人という記憶だけが残る。
他人の人生を、ジャッジする必要はない。
そんな事しても、世の中は変わらない。
いつか人類は滅亡すると、ほくそえんでいればいいのだ。
セカオワの歌に、「世界平和」というのがある。
「世界平和」にかぶせて、「人類滅亡」を願っている。
セカオワは、表現できているだけ、健全なのだ。
自分が殺してしまったら、おしまいだ。
名前に、負けるな。
自分が負けてしまうような、仕事はするな。
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