松風Ⅱ

茅ケ崎の風日記Part2

認識不足か

2018-02-19 10:50:26 | 想い
夫の祥月命日だった日
今年は子供孫たちも都合がつかず
一人静かにお墓参りをしようと予定していました

その前夜になって孫娘から電話があり
ウエディングドレスの予約に行きたいのだけど
母親の都合がつかないので一緒に行ってと云います
お墓参りの予定もありましたが
二十数年も前に亡くなった人より
今を生きている孫娘を優先しなくてはと
久しぶりに横浜へ出かけました


あれもいいね,こっちも素敵となかなか決心がつかないようです
小1時間後にようやく決まったドレス
生涯一度の大イベントに慎重にならざるをえないのでしょうが
きらびやかな衣装に興味がない冷淡なババは
すっかり疲れてしまいました

さて、予約の段になって驚いた
レンタル料金表を見てびっくり仰天!!
何と一着が30万円、しかもベールなど小物類は
別料金ですって(@_@;)
ウエディングドレスと色ドレスでナントナント60万円以上
これが相場の金額らしいのですが
高い!と思うのは私の認識不足なのでしょうかね
わずかなお祝いしかできない私は口出しも出来ず
ただびっくり仰天
驚き桃の木山椒の木、ブリキにタヌキにガンモドキ

おばあちゃんは無人販売所で一把100円の
シュンギクとホウレンソウを買って喜んでいます


高齢者施設を訪ねて

2017-09-29 20:17:51 | 想い
久しぶりの友人から電話があった
年賀状の返事もなくどうしていることかと
案じてはいたものの ご無沙汰続きになっていた
元気そうな声は直ぐに涙声に変わった
「一年前から、ホームで暮らしているの
淋しくて淋しくて、、、、
退屈でテレビを見ているだけなの」

我家から近い所のホームなので
翌日、会いに行くからと約束して
お土産に好物だったパフェを買って訪れた

職員さんに案内されて
恐る恐るドアを開けるとそこには
他の人かと見間違えるほど顔も姿も変って
痩せ衰えた友人ががベッドに腰を下していた
持っていったパフェも食べたくないと口をつけない
あの元気なあなたは何処へ行ってしまったの

食事とお風呂以外は部屋に閉じ籠って
しんと静まりかえた廊下に散歩する気力も失せている
日柄一日ベッドの端に腰を下して
本や新聞を読むこともなく 当然家事の心配はなく
所内のお仲間との付き合いはない
テレビを見るだけの暮らしが
いかに精神的肉体的に老化衰えを進めていることか

それぞれ家庭の事情もあり
私などが口出しすることは出来ないが
お連れ合い亡き後、舅姑に尽くし懸命に生きてきたのに、
あなたはここで生きるしか方法はないの


施設庭の草花の何と淋しく侘しいことか




決して他人ごとではない、やがて来る自分を見るようで
帰り道、霞んで見える富士に涙する



無所属時間を生きる

2017-09-01 06:18:58 | 想い
長い夏眠からようやく目覚めました
お訪ねくださった皆さま
本当にありがとうございました
またボチボチと更新して行きますので
どうぞよろしくお願いします




昨8月31日の神奈川新聞照明灯の
一部を書き写しです

作家城山三郎さんは
「無所属の時間で生きる」(新潮文庫)
の”あとがき”

《望むと望まぬとにかかわらず、
余暇時間は増大しており、
そうした時間をどう過ごすかで、
その人の人生も変わりかねない》

城山さんは定年退職者のみを念頭に連載したためたわけではない
それでも人生80年の時代である
仕事を退いてからの長い無所属の時間における生き方が
問われてくるのは致し方ないだろう


また
藤沢周平さんの「三屋清左衛門残照日録」(文春文庫)

隠居後に思いも寄らず襲ってきた心の空白を埋める手立ては
日記を書くことだった。
《日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味
残る日を数えようと云うわけではない》

文字通り団塊の世代の先頭を走り続けた
川崎市の副市長砂田慎治さん
昨春の退職後も引く手数多の健脚ぶり
まさに「昏ルルニ未ダ遠シ」の体
城山さんの言葉に倣えば
「今日を深く生きている」だろう
            
    
           
過日、今春定年退職をした身内二人の「ご苦労さん会」がありました
二人はそれぞれ学生時代にやり残した
ロシア語と古典文学を勉強し始めました
果たしていつまで続くことやらと思うのですが
目的を持つのは大変結構なことと喜んでいます
翻ってわが倅は2年後に一応定年を迎えます
彼は「無所属時間」をどう生きるのか
ちょっぴり案じ、少しばかり楽しみでもあり
母は興味津々なのです

 
     * * *


隣市【平塚】の花火がよく見えます

久しぶりに「オールフリー」を片手にベランダで花火見物といきました
最近のノンアルコールビール?は美味しくなりましたね




      

”じゃがいもの花”から

2017-07-21 12:49:55 | 想い


いつのことなのか忘れるほど前、
植木鉢に放り出してあったじゃがいもが芽を出し花が咲きました
その花を見てふと思い出したのは
昭和40年代「じゃがいもの花」というテレビドラマがありました
、、、というのはわたしの勘違いで「だいこんの花」でした、、、、
森繁久弥 加藤治子 竹脇無我
そのドラマが終わった後、野菜シリーズで「じゃがいも」を放映されていたのです
「にんじんの詩」なんてのもありました
だいこんの花の元戦艦艦長であった森繁久弥の役が
軍人と云うだけで私が思い出したのは
何の脈絡もない大昔のこと


昭和10年~19年まで
旧松本市内に住んでいた私には
幼稚園時代からのボーイフレンドYちゃんがいました
彼は弱虫泣き虫で有名な男の子でした
近くに住んでいた元松本50連隊の上級将校の一人息子、
毎朝当番兵が馬を引いて父親を迎えに来るのですが
僅かな時間、Yは馬に乗せてもらい町内を一回りするのです
町内の男の子たちは羨望と嫉妬の目で見ているのですが
大人の目が届かない所で弱虫クンはイジメにあい
めそめそと泣きながら私に助けを求めてきます
そこで気の強いわたしの出番となるのです

戦後直ぐに頼りにする母親を亡くし
父親は美容師だった女性の元に走ります
その女性は私の長姉の女学校での同級生でした

高校を卒業した弱虫クンは一度我家を訪ねて来ましたが
やはり繊細な弱虫に感じました
5日後、母の写真の前で
彼は多量の睡眠薬を飲みました

”金魚のうんこ”よろしく私の後について来るYちゃん、
キミはやっぱり頑張れない弱虫だったね
生きていれば再会の機会もあったかも知れないのに、、、、





齢八十余年

2017-03-24 10:28:33 | 想い
60代のころ

前半、精神的にはよれよれだったが

まだまだ私は60代 体力は大丈夫と自信があった

70代のころ

もう70かと思うものの

気持ちの上では思い上がりの余裕があった


ところが一昨々年、傘寿を迎えた途端

これはまずい、とうとう80代に突入してしまった

そう遠くない内に倒れることも覚悟しなければならない年代に

なってしまった

子供たちの目の前で倒れるとは限らない

外歩きが好きなので

交通事故ばかりでなく

道の途中でばったりなどと云うこともありうる



沢山のチューブに繋がれて生きながらえるだけなど冗談じゃない!

今、元気な内に思うことや携帯用の依頼事項を

書いておかねばと下書したのにそのままになっている

そんな時、市から「エンデイングノート」が配布されると聞いた

早速、貰ってきたがこれも書き込むこともなく封筒に入ったまま

思いついた今夜は書き込んで子どもたちにも連絡しよう


私が書きおくことは簡単だ

ただ心臓を動かすためだけの医療処置は拒否する

葬儀は残った者の意思に任せるものの

ごく簡素にと願う

残し分け与える財産など何もないが

後始末、

これだけは嫌でも世話になることになる







3月11日~3月14日

2017-03-15 18:17:59 | 想い
3月11日

大船駅からの電車は凄い混み方

休日とは言えこの混雑はどうしたことか

関内駅で乗客は一斉に降りていく

駅前では〇陽軒の弁当が飛ぶように売れていた

目の前の横浜公園の通路は

人が通行できないほどの長蛇の列で埋められている

横浜球場への観客だった

横浜DeNAとロッテのオープン戦らしい

野球フアンの多さに驚く

横浜公園の早咲きチューリップが開き始めていた






3月12日

午後から

東北災害のチャリティーコンサートを聞きに行く

災害以来毎年続けているコンサートに

何もできない私は貧者の一灯で気持ちを

現すことにしている


3月13日

ブログを始めたことから

68年前、隣のクラスにいたKさん(男性)からコメントが入った

名前だけは知っていたが顔は未だに解らない

そのKさんを介して当時の恩師との手紙のお付き合いが始まった

乙女心をくすぐった素敵な恩師は享年98歳

長年、文芸評論家として文学活動を続けられていた

かけがえのない恩師を失った

Kさんもまた病床にあるとか

歳も80を過ぎて訃報が多くなることは

仕方ないと思いつつ深い悲しみに1日を過ごす





3月14日

これも16才の時からの友人から電話があった

口調はしっかりしているものの

途中から話の辻褄が合わない

これはおかしい

「貴女とどこで知り合ったのかしら、今、住所はどこなの?」

87歳ボ〇姉と同じことを云う

その後は話を合わせることに四苦八苦

年上の姉のボ〇は諦めていても

同年の友人のそれは辛かった

いよいよ我身辺も危なくなってきた














気になる3月7日

2017-03-07 17:06:36 | 想い
末の孫娘の高校受験の日

元気で出かけただろうか

朝から気になる

離れていても末の孫は我が子以上にかわいいもの


3月7日

他にも何か気になっていることがあるのに

 何だろう 思い出せない、、、、、


娘から元気で受験校へ出かけたと電話があって

取りあえずほっと一息

掃除洗濯が終わり渋茶と草餅で一服している時

突然に思い出したことは

そうだ、3月7日は私たちの結婚記念日だった

あれから60年の月日が経ち

片割れになってしまって22年が過ぎた

今更一方通行の結婚記念日でもないのに

昭和33年3月7日、

横浜は雪が降っていた


孫よ、頑張れ!


    * * * * * *

薄曇りの浜で

珍しく風紋が現れていた

自然の芸術は言葉に尽くせない




この日の収穫