静岡の叔母の家からシマカボチャとサツマイモなどが送られてきた。
昨年も送ってもらったシマカボチャ。
スープにすると絶品で、先日叔父の葬儀で会った叔母のご主人さまに
「今年も送ってください」と催促していたもの(笑)
静岡には二人の叔母がいてそのどちらのご主人さまも会社を定年退職した後は
優雅に「晴耕雨読」の日々である。
私も畑仕事や農作業しながらの老後を夢見ているが、
我が家のご主人さまはもっぱら芝刈り専門なので、
きっと夢みているだけで終わってしまうだろう(笑)
叔父さん、叔母さんありがとうごさいます♪
昨年も送ってもらったシマカボチャ。
スープにすると絶品で、先日叔父の葬儀で会った叔母のご主人さまに
「今年も送ってください」と催促していたもの(笑)
静岡には二人の叔母がいてそのどちらのご主人さまも会社を定年退職した後は
優雅に「晴耕雨読」の日々である。
私も畑仕事や農作業しながらの老後を夢見ているが、
我が家のご主人さまはもっぱら芝刈り専門なので、
きっと夢みているだけで終わってしまうだろう(笑)
叔父さん、叔母さんありがとうごさいます♪
薯蕷饅頭って本当に美味しいですよね♪
銘から想像すると在原業平の歌が浮かびますが、
「ちはやぶる」と聞くと私は小学生の時に
「青菜」と共に好きだった落語の「千早振る」が浮かんで
思わず井戸に飛び込んだ気の毒な千早の事を思い出してしまう(笑)
銘から想像すると在原業平の歌が浮かびますが、
「ちはやぶる」と聞くと私は小学生の時に
「青菜」と共に好きだった落語の「千早振る」が浮かんで
思わず井戸に飛び込んだ気の毒な千早の事を思い出してしまう(笑)
修学院離宮の参観が終わったのが、11時30分。
そこから相国寺の承天閣美術館へとまわったが、応挙を堪能しているうちに
あっという間に13時近くになってしまった。
13時30分からの仙洞御所の参観に10分前に集合なので、
大慌てで御苑の砂利道をパンプスで走ることとなった(笑)
参観はは今でも皇室の方々や国賓が入洛された際に使用される
大宮御所の御車寄のある玄関からスタートとなる。
仙洞御所の庭園は北池と南池にわかれた回遊式庭園で
後水尾上皇の時代に作事奉行であった小堀遠州が作庭したが、
直線的な石積や武家風が上皇のお好みに合わず、大改修されていて、
南池の片隅に当時の遺構がほんの少しのこっていた。
また北池の六枚橋がかかる入江に阿古瀬淵があり、
そこが紀貫之の邸跡である碑もあった。
写真は南池であり、美しい州浜が続いているが、
この州浜の石を集めるのに、1個を米一升とされた由来から
「一升石」と呼ばれる形の整った石がどこまでもひきつめられていた。
ご案内下さった方が、和歌を朗詠してくださったり、
京都の十二ヶ月のお菓子をご紹介してくださったりと充実の内容であったので、
大変有難く雅な上皇のくらしに想いを馳せる一日となった。
そこから相国寺の承天閣美術館へとまわったが、応挙を堪能しているうちに
あっという間に13時近くになってしまった。
13時30分からの仙洞御所の参観に10分前に集合なので、
大慌てで御苑の砂利道をパンプスで走ることとなった(笑)
参観はは今でも皇室の方々や国賓が入洛された際に使用される
大宮御所の御車寄のある玄関からスタートとなる。
仙洞御所の庭園は北池と南池にわかれた回遊式庭園で
後水尾上皇の時代に作事奉行であった小堀遠州が作庭したが、
直線的な石積や武家風が上皇のお好みに合わず、大改修されていて、
南池の片隅に当時の遺構がほんの少しのこっていた。
また北池の六枚橋がかかる入江に阿古瀬淵があり、
そこが紀貫之の邸跡である碑もあった。
写真は南池であり、美しい州浜が続いているが、
この州浜の石を集めるのに、1個を米一升とされた由来から
「一升石」と呼ばれる形の整った石がどこまでもひきつめられていた。
ご案内下さった方が、和歌を朗詠してくださったり、
京都の十二ヶ月のお菓子をご紹介してくださったりと充実の内容であったので、
大変有難く雅な上皇のくらしに想いを馳せる一日となった。