~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~
5月27日、私は京都へ向かった。
この日は、山科の随心院と勧修寺をまわるので、
京都市役所前にあるホテルのロビーで待ち合わせとなっていたが、
なんと、かの君は新幹線のホームで待っていてくれた。
「おつかれさま~!お天気が良くてなによりでしたね。あれ荷物は?」
待ち合わせ場所が違ってびっくりしている私を尻目に
かの君は何事もなかったかのようないつもの笑顔で迎えてくれた。
「手荷物は先にホテルに送ってあるので…」
「そうだったんですか?鞄持ちでお迎えにあがったのですが…残念でした!
と言うのは口実で、少しでも早くお会いしたかったのかもしれません…」
さりげなくこんな事を言うかの君に、私はとても恥ずかしくてその時は
「お手数をおかけしてすみません…」としか言えなかった。
ホテルに着いてから、私はチェックインを済ませすぐに、
かの君と地下二階にあるお蕎麦屋さんで軽い昼食をして、
市営地下鉄に乗って小野に向かった。
東西線で蹴上より東に乗るのは初めてだったので、
御陵、山科、東野、椥辻…電車が駅に到着するたびに、
「みささぎ やましな ひがしの なぎつじ」などと
駅名を声にして確認する私に、
「子どもみたいだなぁ~ でも、なぎつじのいわれって何だろう?」
と言うかの君もぼそぼそつぶやいていた。
小野駅に着くと私たちは駅員さんに随心院までの行き方を教えてもらった。
二人とも随心院も勧修寺も京都検定を受験するまで知らないお寺だった。
静かな住宅街は、その昔小野氏の勢力圏内であったのだろう。
小野氏はその一族から美女を選んで采女として宮中に勤めさた。
その采女たちの後宮における部屋のことを「町」と呼ぶので
小野氏出身の「町」に住む采女で「小野小町」となり、
個人名ではないと、「新撰京都名所図会」にもある。
駅から7~8分歩くと随心院はあった。
近くにお蕎麦屋さんがあり、とてもいい佇まいだった。
「歴史がありそうな建築だなぁ!
ここでお昼にすればよかったですね。」と
かの君は残念そうにしばらく建物の外観を眺めていた。
真言宗善通寺派大本山。小野門跡。小野小町ゆかりの寺。
本尊は、如意輪観音、東密の事相である小野流発祥の寺。
雨僧正とも言われる仁海が当地に牛皮曼荼羅を祀って
曼荼羅寺を創建したのに始まる。
亡母が牛になっている夢をみた仁海は、鳥羽の地にその牛を
尋ねて飼っていたが、死んでしまったので、その皮に
両界曼荼羅を描いて本尊としたことに因むそうだ。
総門を入って右にある梅園の薄紅色のことを「はねず」と言い、
3月の最終土日に行われる少女たちの踊る「はねず踊り」が、
とても愛らしく風情があるらしい。
神殿造りの本殿や九条家ゆかりの書院などがとても優雅で
いかにも小野小町ゆかりの寺という趣があった。
また、鎌倉時代の如意輪観音をはじめとして、
定朝作・快慶作などの諸仏も素晴らしかった。
私たちは緑が美しい大杉苔の庭園をながめながら小町について話した。
「老いた小町の像は、ちょっとイメージが違うように思いました。」
「お婆さんのわりには、ぽっちゃりしてましたね。
ここに、小町について説明があるけど、
『容貌秀絶にして、一度笑えば百媚生じ、』ってありますよ!」
と言ってかの君は拝観の際にもらったしおりのその箇所を指差した。
「百媚って、どういう意味?」
「たぶん中国の玄宗皇帝あたりが使った表現じゃあないかなぁ?
例えば、楊貴妃がちょっとほほ笑むだけで、
百通りの艶めかしさが漂うみたいな感じ。男だったら一度は拝んでみたいですね。」
「わぁ~すご~い!そんな美人は、女性だってお目にかかってみたいです。
そういえば、傾城とかも美人の例えの表現ですよね。」
「いや傾城よりもっと上がいる!『傾国』ですよ。
『一度振り返れば、城を傾け、再び振り返れば、国を傾ける!』
というのも聞いたことがあります。城どころじゃなくて、国ですから
その国の民はたまったものではありませんね。
よく知らないけど、周を滅した笑わない絶世の美女がいたらしい?」
(やけに美人に詳しいなぁ…)
「百媚とは驚きました。これじゃあ少将も命を賭けて通いますね。
小町は少将の百夜通いをカヤの実で数えていたとありましたが、
どんな想いで数をとっていたのでしょう?」
百夜通いまでさせて、小町は少将に何を求めていたのかしら?
根性?それとも体力?」
「それは、やはり財力でしょう。」
「また冗談ばかり仰って~、小町なら絶対、知力だと思うな!
毎回少将から歌を貰って、どれだけ素敵な歌が詠める才能があるかって?
チェックしていたのではないでしょうか?
二首や三首なら秀歌ができるでしょうが、
百首となると少将も大変だったでしょうね」
「知力って!それは、あなた自身の好みじゃあないですか?
『古今和歌集』じゃあなくて、恋に勤める『恋勤和歌集』の編纂を目指してとか?
財力も当時としては重要なポイントですよ。
さて、そろそろ次に行きますか?」
こんな馬鹿話をして笑いながら、私たちは随心院を後にした。
随心院の庭園や門前には野趣あふれるマツバウンランが盛りであった。
5月27日、私は京都へ向かった。
この日は、山科の随心院と勧修寺をまわるので、
京都市役所前にあるホテルのロビーで待ち合わせとなっていたが、
なんと、かの君は新幹線のホームで待っていてくれた。
「おつかれさま~!お天気が良くてなによりでしたね。あれ荷物は?」
待ち合わせ場所が違ってびっくりしている私を尻目に
かの君は何事もなかったかのようないつもの笑顔で迎えてくれた。
「手荷物は先にホテルに送ってあるので…」
「そうだったんですか?鞄持ちでお迎えにあがったのですが…残念でした!
と言うのは口実で、少しでも早くお会いしたかったのかもしれません…」
さりげなくこんな事を言うかの君に、私はとても恥ずかしくてその時は
「お手数をおかけしてすみません…」としか言えなかった。
ホテルに着いてから、私はチェックインを済ませすぐに、
かの君と地下二階にあるお蕎麦屋さんで軽い昼食をして、
市営地下鉄に乗って小野に向かった。
東西線で蹴上より東に乗るのは初めてだったので、
御陵、山科、東野、椥辻…電車が駅に到着するたびに、
「みささぎ やましな ひがしの なぎつじ」などと
駅名を声にして確認する私に、
「子どもみたいだなぁ~ でも、なぎつじのいわれって何だろう?」
と言うかの君もぼそぼそつぶやいていた。
小野駅に着くと私たちは駅員さんに随心院までの行き方を教えてもらった。
二人とも随心院も勧修寺も京都検定を受験するまで知らないお寺だった。
静かな住宅街は、その昔小野氏の勢力圏内であったのだろう。
小野氏はその一族から美女を選んで采女として宮中に勤めさた。
その采女たちの後宮における部屋のことを「町」と呼ぶので
小野氏出身の「町」に住む采女で「小野小町」となり、
個人名ではないと、「新撰京都名所図会」にもある。
駅から7~8分歩くと随心院はあった。
近くにお蕎麦屋さんがあり、とてもいい佇まいだった。
「歴史がありそうな建築だなぁ!
ここでお昼にすればよかったですね。」と
かの君は残念そうにしばらく建物の外観を眺めていた。
真言宗善通寺派大本山。小野門跡。小野小町ゆかりの寺。
本尊は、如意輪観音、東密の事相である小野流発祥の寺。
雨僧正とも言われる仁海が当地に牛皮曼荼羅を祀って
曼荼羅寺を創建したのに始まる。
亡母が牛になっている夢をみた仁海は、鳥羽の地にその牛を
尋ねて飼っていたが、死んでしまったので、その皮に
両界曼荼羅を描いて本尊としたことに因むそうだ。
総門を入って右にある梅園の薄紅色のことを「はねず」と言い、
3月の最終土日に行われる少女たちの踊る「はねず踊り」が、
とても愛らしく風情があるらしい。
神殿造りの本殿や九条家ゆかりの書院などがとても優雅で
いかにも小野小町ゆかりの寺という趣があった。
また、鎌倉時代の如意輪観音をはじめとして、
定朝作・快慶作などの諸仏も素晴らしかった。
私たちは緑が美しい大杉苔の庭園をながめながら小町について話した。
「老いた小町の像は、ちょっとイメージが違うように思いました。」
「お婆さんのわりには、ぽっちゃりしてましたね。
ここに、小町について説明があるけど、
『容貌秀絶にして、一度笑えば百媚生じ、』ってありますよ!」
と言ってかの君は拝観の際にもらったしおりのその箇所を指差した。
「百媚って、どういう意味?」
「たぶん中国の玄宗皇帝あたりが使った表現じゃあないかなぁ?
例えば、楊貴妃がちょっとほほ笑むだけで、
百通りの艶めかしさが漂うみたいな感じ。男だったら一度は拝んでみたいですね。」
「わぁ~すご~い!そんな美人は、女性だってお目にかかってみたいです。
そういえば、傾城とかも美人の例えの表現ですよね。」
「いや傾城よりもっと上がいる!『傾国』ですよ。
『一度振り返れば、城を傾け、再び振り返れば、国を傾ける!』
というのも聞いたことがあります。城どころじゃなくて、国ですから
その国の民はたまったものではありませんね。
よく知らないけど、周を滅した笑わない絶世の美女がいたらしい?」
(やけに美人に詳しいなぁ…)
「百媚とは驚きました。これじゃあ少将も命を賭けて通いますね。
小町は少将の百夜通いをカヤの実で数えていたとありましたが、
どんな想いで数をとっていたのでしょう?」
百夜通いまでさせて、小町は少将に何を求めていたのかしら?
根性?それとも体力?」
「それは、やはり財力でしょう。」
「また冗談ばかり仰って~、小町なら絶対、知力だと思うな!
毎回少将から歌を貰って、どれだけ素敵な歌が詠める才能があるかって?
チェックしていたのではないでしょうか?
二首や三首なら秀歌ができるでしょうが、
百首となると少将も大変だったでしょうね」
「知力って!それは、あなた自身の好みじゃあないですか?
『古今和歌集』じゃあなくて、恋に勤める『恋勤和歌集』の編纂を目指してとか?
財力も当時としては重要なポイントですよ。
さて、そろそろ次に行きますか?」
こんな馬鹿話をして笑いながら、私たちは随心院を後にした。
随心院の庭園や門前には野趣あふれるマツバウンランが盛りであった。