真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

第九章 道親諸賢への信書 後半 完

2024-01-31 22:26:20 | 天道の淵源

第九章 道親諸賢への信書 後半

道理・道義を説く立場の人は、聞く人の程度の高低に合わせて理義の深浅を傾けるべきで、一つの方式に固まってはなりません。

自分の説法には責任を感じ、良心に従い、誇大化を戒めるべきです。

自分の講和によって相手に信仰心が湧き、正法を悟り、使命を認識して普伝の旗手の担い手になれば、その功績は莫大であります。

逆に自分の不修学・不精進によって相手を認識不足にさせ傷つけた場合は、相手がよき人材であるほどに後悔が続きましょう。

勿論、相手の縁の加減もあるでしょうし、そこまで想い詰めて苦しむこともありませんが、修行者としてはそこまで考える必要があります。

道親として行功を重ねていくに従い、徳も高くなり、その一言一句は直接、道務に影響してきます。つまり過失は許されないのです。

天道では個々の徳を重視していますので年齢の差別はありません。

老を敬い、賢を尊ぶのを前提として、老若男女を打って一丸としています。

年配の豊富な体験と知識を用い、若い人のほとばしる生命力を支えとして循々たる誘(いざな)いを必要としています。

才能ある者は適宜に平等に任用されるのが大道の本義です。

何十年伝道しても、昨日自覚して伝道を始めても、人を救う立場に変わりはありません。

功徳はその人個人の者であり、任務は公の仕事ですから混同して考えるべきではありません。

功徳は天が結果として与えてくれるものであり、任務は我々が目下急拠行ぜねばならない役割であります。どうか互いに尊敬し合い、長所を伸ばし、欠点を埋め合わせて、いかなる階層の人にでも順応して説破できる力を培って頂きたいのです。

お互いの因果が違いますから、個性も異なって各人各様の思考や見解が生じてきます。

一つの型に統一する必要はなく、その優れた所を尊重し伸ばして、良き人材の感化に当たってほしいものであります。

性来、雄弁・能弁の人もあれば、想う事を詞で表せない人もあります。しかし誠ある人は言動をもって感化しますから上手に話せないことを苦にすることはありません。

多数の人に話すのに越したことはありませんが、一人一人をおろそかに扱わないように僅(わず)かな人にでも心血を注ぐべきです。

むしろ本当の成全・感化の成果は少人数や個別説法の中から期待されることが多く、勝れた説得力は一人一人の個性に適合し、心琴(しんきん)に触れるか触れないかにかかわります。

新しい土地、未知の地方に縁を繋いで、伝道の基礎を確立する影響力は、その及ぼした範囲と浸透程度によっていよいよ盛んになります。

従って、よく説くと同時により悟り学び自己を観詰(みつ)める事が大切です。

自分独りの時間を持つことは必要です。

独りで考える時間を造り、更に人の話を聞けるよう努めるべきです。相手は何を表現しようとするのか、その詞(ことば)に現れ出ない心言を聞くべきであります。

人を救う立場の人が相手を知らなければ感化力が半減します。

相手を知れば相手に親しみ溶け込んで一体になれます。

徳ある者は必ず雄弁でありますが、饒舌家(おしゃべり)は必ずしも徳があるとは言えません。

誠なき語(ことば)は人の心深くに感じられません。

徳ある者は無駄話がなく必要の度合いに応じて、その口をついて語が出てきます。

足は地について空転せず、厳しく自ら実行して成果を挙げるべきです。

考える時間が必要と申した真意は、その反応として行為に実があるように願っているからです。

聖賢仙仏から直接指示を受け、根本的に多くの智慧・智識を得ている我々は至福です。

早く自分の手で道務の上に悠久の白陽史に遺るに足る輝かしい仕事を完成すべきです。

前賢・同僚への批判の口を噤(つぐ)み、後賢・迷頑の人への啓発の口を大きく開いて獅子吼(ししく)すべきです。

遠大の計画も足元から細密な地固めをせねばなりません。

伝道者の立場は苦を嘗(な)めるための役目であり、楽を享(う)けるための地位ではありません。

快挙を賞(ほ)める人はなく、過失を責める人もないでしょうが、全て自分と

老〇様との約束のうちに完璧に処理されるのです。

手段も結果も宜しくし、天事を双肩に荷って巨歩邁進し、大飛躍あることを望みます。

厳格な真理探究と敬虔な信仰報恩を秘め、理性と感情の秀れた覚者となり、異端を化し、妄信を断ち、純真性を保持すべきです。

師を尊び道を重んじ、悪癖を改め、心徳を培い、一刻正に万金に値する貴重な光陰を惜しんで、九六の原子を光明の覚路へ導いてもらいたいのであります。

老〇様の御心を奉戴(ほうたい)し、恩師の御意を承継し、普度収円の天業完遂に心尽くされるよう願います。

最後に諸賢の道業成就を深く老〇様にお祈り申し上げます。

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