真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~七十九、体用、本末

2024-01-31 22:24:55 | 性理題釋

七十九、体用、本末

体用(たいよう)、本末とは、ちょうど根本と枝葉のようなものであり、亦凡人と聖人の区別でもあります。

道で申す所の性(せい)は体をなし、心は用をなすのであり、又心を体となすならば、手足は用となすのであります。

世俗に於いても、亦人は心を以て主となす事を知っていますが、それはただ、その血肉(けつにく)の心を知っているに過ぎません。

その実、血肉の心は、即ち五臓中の一部の器官をなすものであって、真の一身の主宰ではありません。

真の一身の主宰者を認識しようとするならば、両親が未だ自分をお生み下さる以前の、自分の本来の面目(めんもく)を悟る事が真の主宰者を知る事であります。

続く

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