真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

第八章 天道の修道法 (一)得道から了道までの行法

2024-04-18 19:52:59 | 天道の淵源

(一)得道から了道までの行法

古今を通じて秘伝付法している天道の三宝は、十六代劉祖(りゅうそ)の頃に紅陽時代を終え、それを受けて十七代祖路祖(ろそ)が白陽の初代祖となり、一般庶民の縁者に普く伝えることとなりました。

恩師弓長祖(ゆみながそ)は千九百二十五年、路祖御逝去後、実質的に道務を総掌され、三十年正式に道盤を担われ、全世界伝道を号令され、更に偏疆地(へんきょうち)に法輪を転じ、法船に登ることを容易ならしめられました。

師の恩徳によって有縁の人には一段と早く得道することができるようになったわけです。

誰でも引保師(いんほし)の紹介と保証を得て荘厳な儀式に参加せられ、一指を受けて真の面目が明らかになり、超生了死を得ることができます。

得道とは要するに、神秘の門戸、生死の関扉(かんぴ)を開かれることであります。

我々が開導され得た玄関竅(げんかんきょう)と、聖人仙仏がかって修行者の折に求めていた法と全く同じ法門であります。

今までは単伝独授の時代であったために、広域の修行者に頂点を極められなかっただけで、佳(よ)き時代に生まれることができた我々は、普伝の機会に先にその法の真髄を授けられました。

凡そ得易いものは失い易く、逆に得難いものは失い難く、艱難辛苦を経過して得た成果は永遠にその胸裡(きょうり)、脳裡から去ることはありません。

その点から言って、今の我々はもっと修行と参悟を重ねる必要を痛感します。

古聖は何万何十万名の修行者の中から選ばれて法授されましたから一旦得道すれば成道了道するまで精進を止めることがありません。

得道することが最も至難事で、血のにじむ程の苦行も畢竟(ひっきょう:結局、つまり)、永楽を求めるためで、霊的の快適愉楽(ゆらく)を無限に堪能するために、肉体の酷使・練磨を繰り返していました。

得道から了道までの段階には、修道→学道→悟道→伝道→行道→成道→了道の順序があります。これらの事柄を体得し、急ぎ課せられた役目に精勤して還源すべきであります。

先ず六根を清浄にして内外に醍醐味を満喫すべきで、世の一切の煩悩と憂愁となるべき事柄を少しでも清算し、心身を洗滌(せんじょう)し、凡俗に混じっていても心の作用によって、この生老病死のあ哀怨・苦惨を遠離(おんり)すべきであります。

修行者の毎日は客観的に普通人の苦と変わることがないかも知れません。

あるいはそれ以上にも見られますが、その根底から苦の因を削除してしまったので、主観的には苦は失っています。

霊は永遠に実在するのですから、霊自体が苦を感覚意識しなかった時は同時に久遠(くおん)の楽を得ることに繋がります。

この状態が悟りですが、悟りに至るには器の大小に関係があります。

人によって迷いから瞬間的に大悟することがあります。

ただ、そのような状態に至るには、夙世(しゅくせい:前世から)の善因善徳があるのと、得道した時から深く参悟を決意して内外の行に励むことによって到達します。

つまり修道・学道に志すことです。

法を得ながらそれを我が身心に於いて修めないのは、宝の山に入って空手のままで出て来るのと同じく宝の持ち腐れです。

一般人は身心の満足のみ要求します。

不安と煩悩しかない人生に貪欲して究極何の役にも立たないにも関(かか)わらず、心身を擦り減らしています。

古聖は俗塵を離れて清静の地、安心立命の法を探し求めました。

これには相当の犠牲を覚悟し、至誠息(や)まず、不退転の強い決心が必要であります。

これに比較して我々は他動的に法門をに会い、苦労知らずに極楽天国へ帰る法を得られました。つまり前借りをさせて頂いた訳です。

しかし、前借りをしても修道という条件は後になっても果たさなければなりません。

今と昔の修行法に多少の違いがあっても、智を高め、徳を積むことに変わりはありません。

むしろ、今の時代の方が古に比べてずっと輝かしい功徳と智慧を兼ね備えることができます。

在家のまま俗事に留まって道を修めることが許されます。

遠く深山幽谷に蔵(ひそ)むことなく、温かい家庭と在りの儘(まま)の環境で聖人の道をたどることができます。

年齢の差なく、老幼男女共平等に同等の功徳が建てられます。

勿論それには常にして変わらない誠を抱き、怪力乱神を語らず、迷信惑信に走らず、正しい真理に従って行い、妄想を断ち、疑惑を解き、規則に基づいて修めれば成道・了道は決して難しくはありません。

古聖は得道するために修道していましたが、今の我々は成道するために修道するのです。

得難い心法を得たら、次は旦に修行者の求道精神と確個不動の信心と恒常不変の決心と大慈大悲の仁愛の心があればよいのです。

天道の修道法に大きく分けて内功・外功の二通りがあります。これを忠実に修め、学び、悟り、身を以て行えば天人に祝福され大きく成就して大成果が得られます。

道を修めるには、先ず道とはいかなるものであるかを学ばねばなりません。

学道の方法細則に五箇条があります。

博学・審問・慎思・明弁・篤行の順序で学ばなければ、物事の正しい道理を知ることができませんから

博く学んで遺すことなく知ることです。

学んで理解することができないことはこれを問います。

故に審(つまびら)かに問うて惑いを解くことです。

次にこれを理解して自ら思索してこそ深く悟る事が出来、それ故慎んでこれを思い考えるべきです。

慎んでこれを思い考えたならば心に自得できます。

自得したものはその公私・義理・是非、真妄の区別を明らかに弁別してこの様にして善を択んだ上は、これを実際に周囲に施して、篤(あつ)くこれを実行して失わないようにすべきです。

博学・審問・慎思・明弁・篤行の五つの内、博学と審問は人に学び、人に問うものですから外的智識であり、慎思・明弁の二つは、自ら思い自ら弁ずるものでありますから、内的智識であります。

内外智識の集積によってさらに妙智が生じ、臆せず篤く実践行道することです。道を学ばなければそれまでのことでありますが、然し一旦縁あって法を得、道を修めることを決意し、玄妙の奥裡を学ぶ以上は成就しない限り中止したり廃止したりせず、必ず成し遂げるまで学び、問い、考え、分別し実行しなければなりません。

天質明強の他人が一たび書訓を読んで分かるならば、我々は百遍読んで分かればよい訳で、努力と精進を限りなく行っていれば自分が明理できるだけではなく、そのような態度は人をして感奮興起させることができ、直接・間接周囲に影響して浄化の助けになれます。

学道・悟道の課程を纏めると、

(1)御聖訓と各教の経典聖書を広く読みます。

(2)真理・妙義を深く究めます。

(3)文字・文章に表現できない仏聖の玄関・真髄を悟ります。

(4)誠心正心、身を修め、人格性格を高めます。

(5)家を斎(ととの)い、研修会に出て自他共に磨き、聞法(もんぽう)を深くし  ます。

(6)悪趣・癖性を改め、対内・対外的に模範となります。

(7)守玄の功に励み,聖賢の言動に効(なら)います。

(8)慎思明弁・明善復初し、天道の使命を明らかに悟り、善を択び、衆生済度に身命を賭けることを決意します。

以上が内的自修の在り方で、この段階に至ればそれを具現化して形の上に顕すべきです。

それが伝道・行道であります。

天道が三期の世に降って来たその最たる使命は、九十六億の原子を共にこの際理天へ帰らすことですから、その線に沿った仕事に各々の智能を傾けて尽くせば良いのです。

順に挙げて書くと、

(1)縁・不縁に由らず自分の体得した法義を説き続けます。

(2)得道者を一人でも増やし、良き人材へ成全します。

(3)仏堂を開設し、勤めて礼拝します。

(4)愚悪な人を良善に導き、近隣遠友を普く感化します。

(5)衆生の難儀を助け、災難を救います。

(6)力に応じて財施(ざいせ)・法施(ほうせ)・無畏施(むいせ)を行ます。

(7)間違いに走らず正しい方向へ大衆を導きます。

(8)聖訓を印刷し、道書を注疏(ちゅうそ:経書などを分かりやすく解説する)して広く配布します。

(9)各階層に進出して道義を説き、法船を方々に駕して得道の便を計ります。

(10)亡霊を救い、三層済度に心魂を注ぎます。

以上が伝道・行道の大要ですが、斯様(かよう)な聖事に生涯を通じて奉仕することができれば、成道・了道して天命を完(まっと)うできる訳であります。

成道・了道の状態とは、

(1)仮の身体を脱し、凡を越えて故郷である理天に帰ることです。

(2)輪廻を根絶して無量寿・無量光の境地に入れます。日月と寿(とし)を競い、天地の化育と参賛できます。

(3)功徳円満になり、白陽万八百年に芳名が掲げられられます。

(4)後世の人から尊敬と崇拝を受け続けられます。

(5)無極に帰り、天事を弁理されます。

(6)九代の子孫・七代の先祖が超抜を受けられます。

(7)霊は逍遥自在を得られ、功徳の大小高低に応じて仙仏の位を享(う)けられます。

この様に細大漏らさず、我々の思念・行為が上天に登録され、天榜(てんぼう)に号が掛下られて、先天・後天に於いて不滅の栄光を受けて尽きる所がありません。

従って、今の修行に苦が深ければ未来の楽も又比例して大きく得られます。

素直に神仏に使役される人は幸せです。

心から天命を受け入れられる人は、天時・地利・人和の三拍子に遇(めぐ)り会う縁を得られます。

以上大別して修道から了道までの在り方を順次列挙しましたが、これに又個人差別があり、学・悟・伝・行に早い遅いがあって、画一的ではありません。

それは因縁の為せる業に(わざ)に由りますが、今の時点で知覚・感覚を同様に有している我々に皆挙(こぞ)って天時到来に目覚め、至法伝来に迎合して共に新しい正しい時代を造って頂きたいのであります。

次に、内攻・外功を更に分解して参悟の助けに供します。

多少前述と重複する所もありますが、これが強調の重点と思って頂きたいと思います。

続く

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まゆともトークwith森美智代さん | トップ | 性理題釋~十五、河漢星斗(... »
最新の画像もっと見る

天道の淵源」カテゴリの最新記事