真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

Rayの呟き~時代を守っていた司が去って行きます

2022-09-18 20:24:07 | Rayの呟き

エリザベス女王など時代を象徴する存在が去って行きますが、その陰で黄金を護って来た人たちが去って行きます。

みな高齢になって去って行きます。

黄金を守っていた人達は、霊的にも守られ、必要な時はその黄金を人々の為に活用するよう啓示を待っていました。

日本では、小和田氏が国際裁判所の判事を退任したころ、世界の金融・統治は本格的な改革の時に入りました。

リーマンショックでは、世界の銀行・証券会社が清算企業になりました。

また国際コングマリット(軍事産業はじめ基幹産業)の代表が変わり、マスコミも世界が一本化され、改革の為の軌道が惹かれました。

一方では、9.11を合図に、世界は金本位の準備のため、世界の黄金の再管理に入ったように見せられています。

ロシア・中国は経済の発展を後ろ盾に、歴史的に隠されていた金を収集しました。

中東の紛争やバチカンの破壊などは金の収奪が目的で、歴史的黄金はアメリカに集められました。

ロンドンシティの黄金の間(世界の金取引のセンター)は、20数年前にアメリカに移されています。

『ロンドン橋が落ちた』と、公にされるまで20年以上もかかりました。

その目的は『お黄金の時代を人類存続の基盤することを終わらせる』ためです。

物質文明は『黄金』に依ります。

日本では、戦後復興に要したお金は、江戸時代の藩の隠し財産が主でした。

今日の大改革に於いても、日本が衰退し国が亡びることを予測して膨大な金が準備されています。

華道、茶道等という日本の文化にその道筋があるようですが、そこには守護者が対峙していましたが、やはり役目を終えました。

その目的は達せられることなく、達せられないのが目的であることに気がつかないままです。

『弥勒の時代』がどういう時代であるのか、彼らには知らされていません。

今日まで、世界中の歴史、その金融・統治には必ず5次元レベルの啓示に依りました。

為政者あるいは支配者も皆此の啓示によって役割を演じてきました。

黄金は500年で風化します。

埋蔵技術がなければ、その黄金は無くなります。

これと同じように、天国と言われてきた気天(5次元)界も善行によって上昇しますが、趣くままに謳歌しても500年で期限が切れます。

天国というところで女色を貪れば、この世を超えて一気に地獄に堕ちる路もあります。

黄金も天国も陰陽界にはこのような限界があります。

因に天国で更に善行を積むと、厳しい修練と試験を受けでごく一部の賢者が7次元の門をくぐることが出来ます。

この世の情報は限られています。

今世界で進行している計画(ホワイトハットなど科学的な西洋的思考)は、黄金に基づくレプテリアン系の計画で、再支配の計画です。

日本に隠されてきた黄金は、この長い苦しい支配が終わった時のために用意されていました。

しかし、その守護者はもう居なくなり、黄金の存在は分からないままです。

アメリカやロシア、そして中国が豹変し、日本の黄金を奪おうとしても、その存在は永遠にわかりません。

真実の黄金、それはあなたの中で咲く『黄金の華(谷神:老子)』のことだったのです。

AD


第二章 天人一貫の妙理 (一)三開天の概略とその機能

2022-09-18 20:21:12 | 天道の淵源

(一)三開天の概略とその機能

天と申しますと、われわれは宇宙全体を連想してしまいがちですが、天道ではこれを「気天界」と称しています。

宗教に入信されている方ならば、神霊の世界を称して天界としていますが、この神霊界にも準気天に属しているものと、完全なる真理の天とがあります。

天道では後者の天を「理天界」と申しています。

物質有形体の人間界も形として存する以上、これも「象天界」と称し、これを三天に大別しています。

神霊界であっても純陰性を帯びる面があるので、ここを「地獄界」と称しています。

気天界と地獄界は人間生存中に為した因果の報いによって上昇なり、下降なりして存在する境界ですから、いずれも地球の象天界と切り離してはその存在の意義がありません。

気天には有気気天と無気気天とがあります。

無気気天とは以上述べた霊界でありますが、因果の繰り返しが続いている有限性の天界です。

有気気天には太陽とその周囲をまわる天体、すなわち地球のほかの水・金・火・木・土の五星と天王星・海王星・冥王星の惑星・彗星(すいせい)・惑星をまわる衛星、それに流星群や太陽周辺にある塵・ガス・銀河系の微光星の集団・恒星・変光星・新星・星団・アンドロメダ星雲など八万四千星座の広範囲の世界が含まれています。

夜空に散在する無数の綺羅星(きらぼし)、古代神話の英雄や怪物にかたどって名付けられ、八十八に区分されている星座、これらはいかに広く大きくてもそれなりに限度もあります。

形としてすでに観察され、究められるところの天界は、もう一つ上の無限の世界「理天界」の創造と支配に基づくものであります。

古今東西の天文学者はあらゆる機会を利用し、多大の労力と知能を傾けて天体現象を貪欲に追い求めています。

整然たる太陽系内の運動法則、華麗なる銀河系内の天体の配列、そして広大なる星雲宇宙の規模、一つも無駄なく秩序と調和に満ちてそれぞれの軌道を転運しています。

この有気気天の支配せる星座に個々の象天が成立している訳であります。

地球人間界を「象天」と称していますが、この理・気・象三天は別々に絶縁された存在ではなく、理天を主とした大きな連携帯を形成しています。

それが巧妙にも小さな人体とは切っても切れない密接な続き柄になっており、われわれの生命もこれと寸分も離れられない関係にあるのです。

つまり天人同一、または天人一貫している訳であります。

われわれにはこの地上数百キロの高さに電気を帯びた電離層があり、昼夜、四季に正しい変化をきたすことがわかります。

太陽銀河および惑星以外の天体にも今まで約二千の電波、孤立電波源が発見されていることもわかります。

ところが理天界から無量・無尽蔵の霊子・霊光が千億万条の放射状となって降り注いでいて、その光の速度は秒速三十万キロで、一年かかっても達する距離を「一光年」といいますが、これより何千万倍速い速度をもってわれわれに降り注いでいることを案外知らないようであります。

ここにわれわれの故郷であるところの理天を説明し、造化の妙と人体成立に及ぶ一連の構造を述べてみます。

老〇様(ラウム)の在します真理の天を無極と称し、真空妙有の天界ですので別の名を「理天」と称し、至上最高の極楽の境界であります。

理天は太極気天を貫き、欲界・色界・無色界を包含し、主宰しておられます。

またあらゆる欲界・色界・無色界の界外を超越しており、巍然(ぎぜん)として宇宙に満ち塞いでいます。

仏典では欲界を地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間および六欲天を含む総称としています。

これらの世界は食欲・睡眠欲・淫欲の存する世界です。

色界は欲界の上に位し、欲界に比べて貪欲から離れていますが、未だに無色界のように物質を離れた純霊界にはなっていない中間の気的世界を言います。

この色界には禅定の深浅粗妙によって、初・二・三・四の四禅とし、十八天に分けています。

無色界は形式がなく、受・想・行・識の四蘊(しうん)のみがあり、空無辺処(くうむへんしょ)・識無辺処(しきむへんしょ)・無所有処(むしょうしょ)・非想非非想処(ひそうひひそうしょ)の四天があるとしています。

理天はこの無色界を含んで無限無尽の天界です。

始めもなければ終焉もなく、常住にして変わらず、万物・万有を養って遺しません。

天体はいかに広大であっても有限ですが、無極真理の大は外囲なく、小は内臓の所がありません。

偉大なる力をもって絶えず静と動の両極を主しています。

ここにある欲界とは人間界およびその因果の天界を指し、色界は大は宇宙全体、小は原子核・陽子・中性子・電子の小型微子を含んでいます。

もちろん、天体電波から電磁波・中性微子、パイ・ミュー各中間子、光子などもこの範疇に(はんちゅう)に属しています。

理天は、独一不二であり、相対性ではありません。

常静・常動体であり、純陽性を帯びて生ずることも増減集散もありません。

経典にある無色界の性質はかなり悠久性を帯びた天界あることがわかりますが、受想行識の四蘊が存在する純霊界とあるのを見ますと、気天界のことであって、ここでいう理天界とするわけにはゆきません。

参照図

続く


天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その二

2022-09-18 20:19:02 | 天道推奨

お詫び:以下の部分は分脈上、前回の「砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その一」に加筆いたしました。

天地の運数は至り宇宙の気運も已(すで)に満ちた。恩ある者は恩に報い、罪ある者は罪の応報を受け、生命でさえも仇を受けねばなるまい。これは六万年来に積み重ねてきた善悪の応報であって空前絶後の懼(おそろ)しい天災地変や人災による災難となって現れて来るであろう。四海の内は、みな、わたしの同胞(はらから)であるから当然救い起こさねばならない。】と

Ray:今回、教義以外の別伝の秘宝【三宝】の授記を享けることによって得られる霊験の御利益は、すべての【苦】を逃れることができます。一字一句、心に記し求道の励みにして下さるよう特にご推奨いたします。

老〇様の御慈悲深い御旨(みむね)を奉(う)けて普遍化された天道は、三宝をわれわれに授記(じゅき)し、救いの証とするものであります。

心法の御利益は極めて大きく、我々が必要缺(か)くべからざる救いの条件をすべて満たして下さいます。次の御聖訓がその最も肝要な所を適切に御示唆なされたものであります。

【われ老〇の命に依って伝え下した真言咒(しんごんじゅ)の霊験(れいけん)と効果は莫大であり、一般宗教の教理以外の別伝、秘宝があって、心有る人に口を以て授け、心を以て印(しる)し栓(むす)ぶのであります。

一、授記を得ることに依って、爾等(なんじら)の霊を永遠に老いたり、死したり、滅尽(ほろ)びたり、亦は残灰(ざんかい)したりすることないように永らく安らぎをたもたせよう。

二、授記を得ることに依って、苦の縁(えにし)を断ち切り、常に快楽を享け、理天界に帰って逍遥(しょうよう)自在の生活をし、仙仏と共に真丹(しんたん)を修練させよう。

三、授記を得ることに依って、子孫と祖先とを四生六道の輪廻の途上から救い出し、萬々年、蓮台の位に坐り、仙真、羅漢となさしめよう。

四、授記を得ることに依って、天人ともに爾(なんじ)の偉大なる徳を供養祝福し、法門であることが分かる先見の慧眼(慧眼)、明眼を与えよう。

五、授記を得ることに依って、智慧を長(のば)し、以って究竟(きゅうきょう)の理である根本真髄を洞察させ、世の仮(いつわ)りの法の為に誘惑されて、滅び顚(こ)けないようにさせよう。

六、授記を得ることに依って、疑い躇(ため)らう心を浄め、正しき信仰ができることを調(ととの)え直し、是と非、正と邪、善と悪の両極端の区別を明らかにさせよう。

七、授記を得ることに依って、苦悶(くもん)の厄運(やくうん)を絶やし、煩悩を浄め尽くし、恐怖を除き、顛倒心を滅ぼし安心立命を得させさせよう。

八、授記を得ることに依って、妄(あやま)りと濫(みだ)りを離れ、定着心を明らかに顕し、人生の真実の諦義(ていぎ)を暁(し)り、諸々の理を明らかに弁(わきま)得させよう。

九、授記を得ることに依って、一旦、危急(ききゅう)の時に、神仏、聖仙が護佑(まも)り、三災八難が身辺に臨んでも心神に泰然(たいぜん)を得さしめよう。

十、授記を得ることに依って、更に功徳を建てれば一万八百年間、栄耀に輝き、己れの孽(つみ)を消し、人々の寃(あだ)をも消して聖賢と成さしめよう。

わが乾坤(けん婚)の子等に望むらくは一層心を誠にし、学び、時(つね)に習い、外に人を感化し、内に己を省察し、たとえ今、極所に至っても更に一段、奮起して進歩して貰いたい】(昭和三十四年夏季聖訓)

続く


性理題釋~八十七、堯舜(ぎょ・しゅん)相伝の心法

2022-09-18 20:16:51 | 性理題釋

八十七、堯舜(ぎょ・しゅん)相伝の心法

堯舜(ぎょ・しゅん)相伝された心法は『人心惟危(じんしんこれあやうし)、道心惟微(どうしんこれび)、惟精惟一(これせいこれいつ)、允執厥中(いんしゅうけつちゅう)』であります。

人心惟危(じんしんこれあやうし)とはー:人は三才の一つであるので、理性が俱備(ぐび)され、万物の霊長と申すのであります。

心は万物の中心であり、万事の主宰者であります。

言い換えますと、人心とは、識(しき)であり、情であり、汚染した妄心(もうしん)であって、いわゆる後天(好転)の気質の性であり、善と不善の入り混じった識神(しきしん)であります。

識神を事に用いれば、情慾が叢(むらが)り起こります。

人心は半陰半陽(はんいんはんよう)であり、善であり、悪であって、どちらかにかたよってしまうもので、陽に偏れば則ち散乱し、陰にかたよれば則ち昏沈(こんちん)しますが、散乱・昏沈共に危うく安らかではありません。

故に『人心は惟危うし』と申されました。

道心惟微(どうしんこれび)とはー:道は天地の始めであり、万物を包羅(ほうら)して、衆生の祖となります。

道心とは智であり、性であり、清静妙明(せいせいみょうめい)の真心であります。

いわゆる先天本然(先天本然)の理性で、善も不善もなく、蓋し(けだ)智体の円明(えんめい)にして、性は本より虚静(きょせい)で、不生不滅(ふしょうふめつ)・不増不減(ふぞうふげん)であり、微妙にして測り知ることが出来ません。

故に『道心は惟微なり』と申されました。

惟精惟一とはー:精はこれを明らかにしたもので、一はこれを誠にしたものであります。

故に惟精(これせい)を以て昏沈(こんちん)を治(じ)し、惟一を以て散乱を治します。

精これを明らかにし、一これを誠にすれば、静寂(せいじゃく)となり、定慧(ていえ)相助けて、情を攝(と)り性に帰って、知識は真智慧(しんちえ)となり、危うき者も自ら安らかになり、又微なる者も自ら著(あら)われるようになりますので、いわゆる明は即ち誠となり、誠は又明となるのであります。

簡単に言えば、即ち妄(いつわ)りを変えて真に帰えし、善を明らかにして復(かえ)らす効用(修行)を『惟精惟一(これせいこれいつ)』と申したのであります。

允執蕨中(いんしゅうけっちゅう)とはー:允(いん)は信(しん)を篤(あつ)くし順に随うを申し、執(しゅう)は遵守(じゅんしゅ)し帰依(きえ)することであります。

中は真空妙有(しんくうみょうゆう)でありますが、真空とは大きいこと外になく、小さいこと内にない理であり、妙有とは前に始めがなく、後に終わりがない境地で、縦には三界を窮(きわ)め、横には十方にゆきわたる。これは三界の正道であり、宇宙の真理であります。

これを簡単に申せば、允執蕨中(いんしゅうけつちゅう)とは即ちその正道に随順(ずいじゅん)し、その真理に帰依(きえ)することであります。

これが即ち堯(ぎょ)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文(ぶん)・武(ぶ)・周公(しゅうこう)・孔子の真伝であり、先聖(せんせい)は後聖に心々相印(しんしんそういん)したものであります。

三教は共にこれに遵う(したが)う所のものであり、万世に不易(ふえき)する所のものであります。

すべて心々相印(しんしんそういん)は不可思議(不可思議)な道統(どうとう)の真伝であるので、本(もと)より無(む)一字であります。

これはすべて、金剛経(こんごうきょう)に須菩提(すぼだい)仏に申して曰く『善男子、善女子に菩提心(ぼだいしん)が発すれば如何にして常に住して退かず、妄念起これば如何にしてその心を降伏(こうふく)すべし』とありますが、菩提心とは道心であり、妄念とは人心であって、是(書く)の如くとは『允(まこと)に厥(そ)の中を執(と)る』(允執厥中:いんしゅうけっちゅう)ということになります。

続く