真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(三)天道問答録 1

2022-09-01 22:58:24 | 天道推奨

Ray:文中、漢字につけるフリガナが、日本語の音訓と違うことがありますが、中国語の漢字の意味を日本語に意訳にする為です。正式な聖訓は漢字で降ろされますので、西洋文化に慣れ親しんでいるため日本人本来の感性を失っていることは否めません。この機会に漢和辞典などを活用され、文字の持つ自由な世界を取り戻して頂ければと思います。

問:心さえ正しくすれば良いのに、殊更(ことさら)に得道の必要がありますか。

答:本当に心正しい人であるならば、正しい道の判断と認識ができる筈であります。

根が善縁なれば多弁せずとも、正しい生き方に目覚め、勇躍(ゆうやく)して法を求め、力を尽くして斯道(しどう)、興隆(こうりゅう)の為に計るべきであります。

まして天道は、われわれの善悪、是非を明らかに照らす鏡であります。

天道有りてこそ、真なる心性(こころ)の姿が映し出され、悪を矯正できるのであって、道を失っては心を正すことはできません。

道を心の尺度として常に道と一体に溶けあうべきで、道を離れたら忽(たちま)ち目標が狂い、中心がぼやけてしまいます。

自分の眼で何故(どう)して自分を正しいと見(み)、断定できましょうか。

殊(こと)に善良な人であれば、尚更(なおさら)、深く世道人心を懐(こころ)としている筈であります。

今や時勢はすっかり澆漓(おちぶれ)、道徳倫理が頽(すた)れて、毒邪(どくじゃ)の気が満天に冲(ちゅう)し、種々の凶事(きょうじ)や災難を招来しています。当然、道を憂い、世を慨嘆(がいたん)する君子は、朝な夕な方法を構想して浄化挽回に挺身(ていしん)すべき時であります。

今また、天道が世に公やけに伝えられた時期にめぐり逢えたならば、欣然(きんぜん)として心身を委ねるべきであります。

且つ、得道の最終目的は、死を超え古里である理天へ還元するが為であります。地獄の苦痛と輪廻の惨憺(さんたん)さを逃離(とうり)させてくれるのがその大恩典(だいおんてん)であります。

若し、片意地に「心さえ良ければ」と言い張って、折角、天来の機会を逸(いつ)してしまうことなると、まったく惜しい限りであります。

「誰にも拘(かか)わりなく、迷惑をかけずに自分だけ善人であればよい。」と思っている人は真の正しい心の持主ではなく一人よがりの独善的な考え方であります。

意識していないだけで、冷静に考えれば一挙一動から一呼一吸に至るまで深く天恵と人助を蒙(こうむ)って活かせてもらっている筈であります。

この穢(よご)れた世に道なくして自己を潔(いさぎ)よくすることは染液(せんえき)に漬(した)して尚、白い生地を保つことよりも困難であります。

道の中には亦、道徳的なものと神秘的奥義の二種類があります。

前者は初歩的修学に属し、後者は究極的目的に属しています。

一般の人は道徳的のみに終始していますが、これらの功徳は来世に転じて、福の報いを受けるだけであります。

この福碌(ふくろく)には限界があって、受けるべき期間が尽きると、又(また)して苦厄(くやく)、患難(かんなん)に見舞(みわ)われなければなりません。

それに比較して、得道して明師から心眼を開かれ、幽玄(ゆうげん)の理を参悟(さんご)しますと、永(とこし)えに窮(きわ)まりなき福寿と栄光を享受(きょうじゅ)出来るのであります。

道を学ばずして徒に(いたず)らに善良だと自尊している人は反って逆で、孔子の曰(い)う「外面、忠実に見えて、内心、巧詐(いつわり)の人は実に道と徳を害する奸賊(かんぞく)である。」人間に該当することになります。

世の流れに迎合し、人々に媚(こ)びを諛(へつら)い、内に道義なく、外に貪求して已(や)まない類(たぐい)の人は偽善者(ぎぜんしゃ)で、尽くしている事は徳に似て、徳に非ずであります。

欲望を抱いては正、不正を計り難く、己(おのれ)の在り方も見極められないものであります。

道を心の糧としてこそ、天性に合致(がっち)し、至善(しぜん)、真善の境地に至って明徳を明らかにすることができるのであります。

続く


性理題釋~七十五、六門を常に閉づ

2022-09-01 22:55:41 | 性理題釋

七十五、六門を常に閉づ

六門とは、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)であります。もしこの六門を閉ざさず、随意(ずいい)に出入りすれば、ただ成道(じょうどう)出来ないばかりではなく、臨終(りんじゅう)の時に、六道輪廻(ろくどうりんね)に落ちる恐れがあります。

何故かと申せば、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)は四生(しせい)の門であり、又四道(しどう)とも為すのであります。

眼が花色(かしょく)を貪(むさぼ)り過ぎて甚だしければ臨終の時、性(せい)は眼より出づる訳でありますが、来生は必ず飛禽(ひきん)に転生し、人々の賞玩(しょうがん)を受ける訳であります。

耳が邪言(じゃげん)を聞き過ぎて極度になれば、臨終の時に性は耳より出て、来世は必ず胎生(たいせい)に転じ、牛・馬・羊・騾(ろば)の類になりますが、その耳は人言に通じて、人の使用を受ける訳であります。

鼻が異香(いこう)を嗅(か)ぎ過ぎて極度に達すれば、臨終の時に性は鼻より出づる訳出ありますが、来世は必ず蚊(か)・蠅(はえ)・蛆(うじ)・蟻(あり)に転生して、一切の悪臭(あくしゅう)の汚穢(おわい)を賞(もてあそ)び、人を咬(か)んだり、血を吸ったりして、命を喪(うしな)う訳であります。

口舌(こうぜつ)でよく人の名節(めいせつ)を傷つけ、人の是々非々(ぜぜひひ)をよく論ずる者は、臨終の時に性は口より出づる訳でありますが、来世はかならず鱗(りん)・虫(ちゅう)の類に転生するのであります。

口は八卦(はっけ)に於いて坎(かん)に属しますが、坎は水に属しますので、鱗(うろこ)の象(かたち)となるのであります。

人生に於いて、もし身を以て邪僻(じゃひ)な行動をとり、自然に逆らい、親不孝をして、色々の不法な行為をなせば、来生は必ず悪報(あくほう)に逢(あ)うのでありますが、この循環の理は一定して変わらぬ者であります。

世間には、たまに品行が端正(たんせい)で、行為の善良な人がおりますが、ただ仏様との縁がなく、道を受けられない者は、来世に公(こう)・侯(こう)・将(しょう)・相(そう)となって一世の永禄(えいろく)を受けられます。

然しそれも数年の栄光であって、臨終が至れば又地獄(じごく)へ帰るのであり、これを六道輪廻(ろくどうりんね)と申すのであります。

故に仏様は、人々に六門を謹んで閉ざし、六道の輪廻を免(まぬが)れるよう教えたのであります。然し外の五門は守り易い訳でありますが、内の意門(いもん)が閉じ難い訳であります。意は脾臓(ひぞう)に藏(おさ)まっていますが、これを名づけて陰神(いんしん)と申します。

仏教には一つの笨法(ほんぽう)がありまして、二十六時中(一日中)一心を玄関(げんかん)に注(そそ)ぎ、老陽(ろうよう)の真火(しんか)を以て焼煉(しょうれん)して、愚(ぐ)の如く癡(ち)の如く、乾々(けんけん)として息(や)まず、百日の工夫(くふう)があれば、心清智郎(しん瀬一郎)の味わいを得ることが出来るのであります。(注:二十六時中は現在では四十六時中)

この修行を久しくして行けば、道心(どうしん)を以て事に当たることが出来るのであり、六門を閉じようとしなくても、自然に閉ざされるのであります。

続く


世界よ目を覚ませ!オランダ政府に逮捕されても闘い続ける有名活動家インタビューヴィレム・エングル氏 Interview with Willem Engel  Short ver.

2022-09-01 07:14:07 | ONEメッセージ

世界よ目を覚ませ!オランダ政府に逮捕されても闘い続ける有名活動家インタビューヴィレム・エングル氏 Interview with Willem Engel  Short ver.

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