真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

2022-09-08 19:54:07 | 天道推奨

(四)各神仏の天道証明

天道はあらゆる人の所有であり、各階層の人の心とすべき存在であります。

殊(こと)に聖者、神仏にとりましては重要欠くべからず生命の糧であります。

茲(ここ)に四大聖人の天道証明を列挙(れっきょ)して御紹介いたしたいと存じます。

天道を得た各聖者もともに斯の時運に応えて道の闡揚(せんよう)に腐心(ふしん)なされておられます。

本訓は砂文字の様式に従って各地の仏堂に於いての御神示であります。

数多い御聖訓の中から特に含みの深い所を抜粋して意訳致しました。

不十分の処は訳者の不勉強に依る所でありますが、只、天界に於いての各聖者の主旨本願を現代の人々にも分かって頂きたいとの一念からであります。

どうぞ心して読まれ、人人にもお知らせ下さいましたら幸甚の至りに存じます。

尚、「釈迦古仏の御聖訓」はその全文を掲載いたしました。

(1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

仏眼を啓(ひら)いて衆々(もろもろ)の修行者を看(み)るに、多くは未だに仏道の根源をしらないようである。

暁(し)らないようである。

諸因縁を遠離(おんり)し、正覚に帰依し、波羅密多(パラミダ)、即ち彼岸へ至る道は今、眼前の間直に在る。

一人一人に皆、如来の菩提性(ぼだいしょう)が隠されて、一旦、妙智慧を得れば圓覚(えんかく)に照(かがや)いて罣礙(かかわり)や纏(まとい)が無くなるであろう。

十方界の中(内)は真理によって貫かれ、偉大なる老〇(ラウム)が統宰(とうさい)なさっておられる。

四大は皆(すべて)、空と化しても真如(しんにょ)だけは綿々として光輝くであろう。

仏と衆生は元来、異なる所はないが迷いと悟りが大きな分岐点になる。

身相(真相)や諸行は無常である理を知って意を和に帰し、心を発(おこ)して道を修め、玄を悟られたい。

徒(いたず)らに虚幻(まぼろし)や翳(かげ)や生滅(しょうめつ)に執着すると寂静(じゃくじょう)や阿羅漢果(あらかんか)を得られないだろう。

涅槃(ねはん)に入る門戸には明師の指点が必要で、無字真経(むじしんきょう)を授記(じゅき)されてこそ、始めて参ずることができるであろう。

この陀羅尼心法(だらにしんぽう)の無量無辺の義趣(ぎしゅ)を含み、諸々の悪法を捨離(しゃり)して無量の善法を保持する威神力(いしんりょく)を有している。

今までは独授(どくじゅ)の伝統を守って庶民化されなかったが、末法の世となり、天命降(くだ)って一般に其義(そのぎ)を了悟するのを許された。(中略)

私の天盤統掌(てんばんとうしょう)の時期は既に尽きて、弥勒仏の正法が新しく明らかに復された。

これは大慈大悲の天命に基づくもので群倫(ひとびと)は平等に智慧三昧(ちえざんまい)の妙証(みょうしょう)に潤うことができた。

法は法でも比類なき法でこの密語(みつご)を授かり、一念すれば大霊験が顕れよう。

如何なる禅機(ぜんき)よりも奥蘊(おくふか)く更にまた玄妙(げんみょう)である。

これを得れば極楽浄土を完璧にし、業縁を絶やし、四生と六道を離れ、非憂(ひゆう)と苦悩は滅されることであろう。

諸賢には果たして正しい四諦(したい)、五蘊(ごうん)の縁起がわっているだろうか。

天道は三世の因果を解き、妙智が現れて一切の邪見を失くし、六塵六慾を清浄にする。どうか外門を遠ざけて正道に帰せられたい。(後略)

続く


性理題釋~七十九、体用、本末

2022-09-08 19:52:27 | 性理題釋

七十九、体用、本末

体用(たいよう)、本末とは、ちょうど根本と枝葉のようなものであり、亦凡人と聖人の区別でもあります。

道で申す所の性(せい)は体をなし、心は用をなすのであり、又心を体となすならば、手足は用となすのであります。

世俗に於いても、亦人は心を以て主となす事を知っていますが、それはただ、その血肉(けつにく)の心を知っているに過ぎません。

その実、血肉の心は、即ち五臓中の一部の器官をなすものであって、真の一身の主宰ではありません。

真の一身の主宰者を認識しようとするならば、両親が未だ自分をお生み下さる以前の、自分の本来の面目(めんもく)を悟る事が真の主宰者を知る事であります。

続く


【Ray:宇宙の生命体の長い混乱は一瞬で帰結します!】Book5&6⭐️ 地球内部の真実と人類創世記 ⭐️ ラドゥ・シナマーの7巻を集約した内容

2022-09-08 09:59:55 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

Book5&6⭐️ 地球内部の真実と人類創世記 ⭐️ ラドゥ・シナマーの7巻を集約した内容

仏教の伝承では、すでに地底と人々の関係を予言しています。

仏教が廃れたようにみえても、その時になれば、地上に湧くように菩薩が現われて来て、人々と共に道を得て修道し、根源に帰ることが証されています。

法華経の中の『阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい 』とは「道すなわち真理」のことです。

唯一絶対の創造主、老〇様(ラウム)が主宰する道が降りてこそ得られる天命です。

この動画の内容は、宇宙の未成の歴史物語ですが、彼等が地球の宝物を探して関与してきた内容です。

テクノロジーは発達していますが、人間の性(ラウムの分霊)の全能の力を得ることはできませんでした。

人類は今、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい(三宝)を得る段階にあります。

日本の役割、つまり覚醒が如何に大事か、宇宙・そして地球世界がこの時を待っていました。

従地涌出品じゅうじゆじゅつほん第十五

そのとき他の世界から来た、八つのガンジス川の砂の数ほどの菩薩たちは、起立し、合掌し、礼拝して釈尊に言った。
「世尊よ、もしわれらに、世尊の入滅ののち、この娑婆世界でこの経をまもり、読み、誦し、書写して供養することをお許し願えれば、 われらは広くこの経を説いて廻りましょう」
釈尊は諸々の菩薩たちに告げた。
「いや、その必要はない。わたしには六十のガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちがいる。さらに一人一人の菩薩に 六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者がついている。このものたちが、わたしの入滅ののちにこの経を護り、読み、誦して 広くこの経を説くだろう」
そのとき、娑婆世界の三千大千世界のすべての国土が激しく揺れ、地が割れ、その中から幾千万億の菩薩たちが一気に 湧き出てきた。身は金色に輝き、如来の相を有し、光明を放っていた。みな娑婆世界の下の虚空に住んでいて、釈尊の声を聞いて 現われてきたのである。菩薩たちは湧き上がって、虚空に浮かび、七法の塔の多宝如来と釈迦牟尼仏に向かって頭面に足を 礼し、また諸々の宝樹に座している諸仏にもそれぞれ礼拝し、二仏を仰ぎ見てまたそれぞれの菩薩が仏を賛嘆した。こうして五十 小劫が経ったが、その間、釈迦牟尼仏は黙然として座していた。会衆には半日に思われた。
この菩薩たちのなかに、四人の導師がいた。それぞれ上行じょうぎょう無辺行むへんぎょう浄行じょうぎょう安立行あんりつぎょうといった。一同は釈尊に挨拶の言葉を述べた。
「世尊よ、つつがなきや。救うべきものたちは、教えを信受しておりますでしょうか。世尊にご面倒をかけて おりませんでしょうか」
「おお、その通りだ。面倒なことは少しもない。この衆生は過去世において諸仏に仕え善根を植えているので、わたしの所説 を聴いて、容易に如来の智慧を得るに至っている」

そのとき弥勒みろく菩薩は不思議に思い、 また八つのガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちもみな同じ思いをもっているのを察して、 弥勒菩薩は詩句をもってその思いを釈尊に問うた。
「世尊よ、この大量の菩薩たちはどこから来たのでしょうか、またどうして来たのでしょうか。菩薩の数は無量であり、 菩薩たちが率いる随行者たちの数もまた無量である。ある菩薩たちは六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れており、 それより多くの菩薩たちが 五十ガンジス川の砂の数に等しい随行者を率い、さらに多くの菩薩たちがあるいは四十の、あるいは三十の、あるいは二十の、 また十の、また五の、四の、三の、二の、一のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れている。その数は幾千万億 こうかかっても 数えることができない。さらに多くの菩薩たちが、百万、一万、百、五十、十、三、二、一の随行者を従えており、 またただ独りを楽しむものもあり、それらの菩薩たちはさらに多数います。これらガンジス川の砂の数に等しい劫の間数えても、 その数を知ることはできないでしょう。誰が、これらの菩薩や随行者たちに法を説き、彼らは、どのような仏法を称揚し、 どのような経を信じ、どんな仏道を修行したのでしょうか。世尊よ、われらは未だかってこのようなことを見たことがなく、 わたしはこの中の誰一人として知りません。どうかわれらの疑問に答えてください」

釈尊は弥勒菩薩に答えた。
阿逸多あいったよ、実にいい質問をしてくれた。わたしは今お前たちに告げよう。この無量阿僧祇の菩薩たちは、わたしが娑婆世界で、 伽耶城がやじょうの近く尼連禅河のほとりの菩提樹の下で 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを得てから、わたしが教え導いたものたちである。 この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住し、衆のなかにいることを願わず、静かな処を好み、精進を重ねて休むことを知らず、 深い智慧を求めたのである。今、真実を告げよう。わたしは久しい昔からこれらのものを教え導いて来たのである」
弥勒菩薩は釈尊に問うた。
「世尊よ、世尊は太子であったときに釈迦族の宮殿を出て、伽耶城の近くに座し、阿耨多羅三藐三菩提を得られました。それから 四十年余の年月しか経っておりません。その間にこのような無量の菩薩たちを無上道に導かれたのですか。この菩薩たちの数は、千万 億劫をかけて数えたとしても数え切れません。またこの菩薩たちは久しい昔から、幾千万億劫のあいだ、諸々の善根を植え、 菩薩道を修して来たものたちであるとします。このような有り得べからざることは、世間の人は信じられないでしょう。たとえば、 二十五歳の人が百歳に人を指して、これはわたしの息子であると言い、百歳の人が年少の人を指して、これはわたしの父である、 と言うようなものです。わたしたちは信じたとしても、世尊の入滅ののちの人びとは信じないでしょう。 そしてこの経に疑いをもつでしょう。どうかこの疑惑をとり除いてください」

弥勒菩薩はこれらのことを、重ねて詩句をもって唱えた。

云々