真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

第一章 天道の淵源 (一)天道と宗教

2022-09-11 18:41:35 | 天道の淵源

(一)天道と宗教

縁深くして数多い人類の中から選ばれた人は、真の面目が明らかとなり蔽われた心霊の眼を開くことができる時がきました。

稀有な尊い生死解脱の法を掴み得ることは人間として生まれて最も幸福なことです。

この決定的救いの瞬間を約束された時、孔子様は感激のあまり声を上げて、「明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」と言われました。

これは、朝頃に道徳の話を聞けたら夕べにはもう死んでもよい、という普通一般的な解釈ではありません。

この場合言う道とは即ち天道の神秘・心伝を指しています。

一概に道と言いましても浅い深いの区別があって、生死の輪廻を断ち切り、聖賢の位に登り、一切の煩悩・苦厄を拭き払う段階になると通常の宗教行事や、並の道理説法や読経では到達できません。

「天機は時運に非ざれば降されず、地に非ざれば伝えられず、人に非ざれば授けられず。」永遠に霊魂を救い得る秘宝は容易に一般の面目に顕現されないものです。

地域にも深い因縁があります。正法を得るに適した土地でなければ伝えられず、人もまた祖徳厚く善縁の深い人でなければ授けられないものであります。

昔の聖人や仙仏は、かつて行者として修業していた折は、言語に絶する艱難辛苦を冒し、それを克服し、耐え忍ばれました。最先に人間の欲望の一切を断ち切り、名誉・利欲・権力・恩情・愛情・酒・色・財産・気煙を捨て去り、出家受戒して方々に明師を訪れ、あらゆる苦行難行をされ道を求め続けられました。

あるいは深い山の洞窟に入り、あるいは食事を断ち、瞑想座禅をされて、十数年、二十年の禅と荒行を断行されました。

又、俗塵に混っているとなかなか六根の清静が得られない為に世を隔離した幽谷か人里を遠く離れた森林に入って精・気・神の三宝を煉られたり、眼観鼻、鼻観心という坐行をして全精神の無我三昧をはかられました。

このようにして大勢のなかから、純無垢の一人のみ、密かに天命の真伝が授けられるもので、決して短期間や即席の修行でなし得られるものではありません。

この悟りの法眼が開かれた場合、人生の真諦は言うに及ばず、天地の化育に参賛でき、宇宙の妙玄にも通じ徹することができます。

つまり、あらゆる森羅万象、宇宙全体を左右する源動力であり、われわれはこれを「無極の真理」と申し、つまり天地万物を創造し、日月星辰を運行される根本であります。

宗教道徳は人間処世の間の在り方について、その方法と指針を教える役割を果たすのみであります。これによって人道的宗教の教えは、この大真理の一部であることを知ることができます。

孔子様は天道と宗教をこのように比較されました。「天の命これを性(たましい)と謂い、性を率いるこれ道と謂い、道を修めるこれ教と謂う。」と、つまりわれわれの霊魂はひとしく天命によって生まれたものであり、従ってこの霊性を救うには道が必要であり、明師により心眼の点破を受けなければならないことを強調されています。

そして、この道に至るために修めるのが宗教であります。

要約すると、

宗教とは、人格の完成を期し、霊魂の救いの法を得るに至る段階であり、

天道とは、完成者・純熟者に法を与えて生と死を超えた境界、すなわち理天へ至らせる法であります。

釈尊は、宗教を筏に喩え、天道を彼岸に準(なぞ)られました。筏は彼岸に至る道具であり目的ではありません。

宗教は、天道に至る道程であり、方法であり、手段であります。

結局最後には天道の至法によってこそ、父母未生以前の真の面目を得ることができます。

ですが、宗教を決して天道と別個に考えるべきではなく、天道という頂上に至る数多い登山口の一つです。

頂上に至る道はなにも宗教に限ったことではありません。

日常一般の中にもあり、もろもろの道も結局は山の頂に至る途上であります。

一朝、悟るところあって放心を求め、そして「真の自分を覚る」、すなわち真の自分を自覚すれば、天道に到ったと言えるのであります。

道教・仏教・儒教ともに聖道・天道を根幹として教えを立てられたのであります。

老子様は「修心煉性・抱元帰一、つまり、心を修め性を煉り、元気を抱き一を守る。」と申され、

釈尊は「明心見性、万法帰一、つまり心を明らかにして本性を見、すべての天性を養い、すべての法を一に帰す。」と申され、

孔子様は「存心養性、執中貫一、つまり本心を存念し、天性を養い、中道を執り一に貫く。」と申されました。

この三教は言葉と工夫が異なっていますが、その根本原理は同じく一つであります。

人間の本性は本来無極の真理、すなわち天性で純善でしたが、生まれ落ちた後において物欲のために清く、円く、美しいはずの性(たましい)がだんだんと蔽(おお)われて質性となり、本来の純円を失うに至ったのであります。

例えば、太陽は常に雨の時も曇りの時も照り輝いていますが、われわれの眼の前を雲が遮り太陽を見ることができないのと同じです。人に置き換えていえば雲は欲と迷いで、それに遮られて明るい天性を見ることができないのであります。

続く


天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (5)儒聖孔子(じゅせいこうし)の證道(しょうどう)

2022-09-11 18:38:19 | 天道推奨

(5)儒聖孔子(じゅせいこうし)の證道(しょうどう)

一貫して伝わっている天道は妙理を伝え、天機の秘宝を至(もっと)も微(び)としている。

広大の理を細密の義及びその体用をすべて網羅(もうら)し尽くしている。

物に本末有り、事に終始有るのは当然で、其の先後を知ってこそ天道に近づいたと云えるものである。

人の神(こころ)を知れば定着を得て清浄のになり、安心立命から仁慈的深慮(じんじてきしんりょ)に進んでやがて大完成を得られるであろう。

心の在り処を知らずに只修めるだけでは私の曰(い)った「天命之れ性と謂い、性に率(したが)うを之れ道と謂う。」の理(ことわり)が解せないだろう。

天機は朗(あき)らかに書(しょ)に洩らしているが明師に遇(めぐ)り会わなければ心得(しん得)は不可能である。

若し今直ちに心を低くして天道を求めなければ異類(いるい)に彷徨(さまよ)い続けて魂は超(すく)われないだろう。(中略)

究局(きゅうきょく)の明徳を明らかにし、至善の極所に達し、大理学(だいりがく)の道に至れるのは斯の時だけで、天命を畏れ遵(したが)ってこそ大同の世が促進され一人一人が親民(しんみん)となれよう。

緡蛮(めんばん)の黄鳥(おうちょう)でさえ落ち着いた安全な丘や森を求めて棲(す)もうとするのに人間と為(な)って小鳥に劣るとはどうしたことか。

わが天性の帰宿(きしゅく)と還源(かんげん)を計る為に吝(やぶ)さかであってよかろうか。

当(まさ)に天道降世に備え、逸早(いちはや)く意(こころ)を決して、日に新たに、日々新たにして人々を同化すべきである。

己れの本性の在り処を会得(え得)した暁(あかつき)にこそ、物欲、邪見を格徐(かくじょ)して意が誠となり、心が正しくなり、身が修まり、家が斎(ととの)い、而して国治まり、天下は太平になるだろう。

天道はすべての条件を叶(かな)えてくれるが、伝えられる時期はそう持続されないだろう。

速やかに道を行い、遅れることなく、私の列国伝道に習って、大いに伝播(でんぱ)し、真理を探究し、功徳を立て一番と奔走して貰いたい。

私の道を学ぶ人は切に此の点を重視し、且つ精勤することを願うものである。(後略)

続く


性理題釋~八十一、智 人

2022-09-11 18:36:18 | 性理題釋

八十一、智 人

智人の智とは知であります。ただ智慧(ちえ)のある人は、天道のある事を知って之を修め、聖教ある事を知って之を学び、明師ある事を知って之を求め、善ある事を知って之をなし、罪ある事を知って之を懺悔(ざんげ)するのであります。

その上世間のある事を知って世間を出で、輪廻因果(りんねいんが)を超越することも出来るのであります。

昼間に太陽がるが如く、又夜間に灯があるが如く、能く知り能く見ることが出来て、善悪の応報(おうほう)を一度知見した後は、即ち悪を捨て善に従い、邪(じゃ)を改め正に帰す、理に非ざれば説かず、道に非ざれば行わず、又理に合わぬ物は取らずして、念々中正(中世)、常に真実にして、功徳を積み名をなして、後世に伝える事の出来る人こそ、実に智人と名づけるべきでありましょう。

総論すれば、仁義(じんぎ)を講じ、道徳を説き、己(おの)れが立って人を立たし、己が達して人を達せしめ、人々を聖人や賢人の境地に到達せしめる事を目的とする人を智人と申すのであります。

続く


【Rayの呟き:パーソナルの尊厳とは!】【第306回ライブ】中秋の名月如くのインテル情報⁉️

2022-09-11 08:52:51 | Rayの呟き

ロシア国民のプーチンに対する指示率が80%、アメリカ国民のトランプに対する支持率がやはり80%を超えているとか、世界史の大転換に明るい兆しがユーチューブなどの最先端に見られます。

これこそが旧体制のプロパガンダだと、より慎重に捉えるべきです。

この動画は、戦後、チンドン屋が鐘・ラッパを鳴らし、自由を応化するようにパチンコを奨励しているサンドイッチマンの様相です。

映画やスポーツ、そしてマスコミの攻勢が日本人から魂を奪った時のように、これからは驚くような宇宙科学技術を馳駆して、人々の官能を微妙に操り始めます。

様々なことが次々起こります。

この世界の大転換は彼等闇の再支配のための大転換なのです。

核が廃絶され、国家間の争いがなく、税金が無くなり、医療や福祉が充実し、衣・食・住すべてが備わる豊かな世界が創り出されます。

あなた方に、ただ一つのこと『悟り・超生了死・解脱』という進化さえさせなければ、彼等は存在の意義を見出せるからです。

弥勒の世は『道すなわち真理』を探究する世界、社会構造が根本から変わります。

美辞麗句が顕現されてきたら、それは偽りです。

夢の中に『菩薩や極楽浄土』が顕れたら、それは邪魔の誘いです。

これからは『正念場』です。

何も変わりない、日常の生活がより清楚になり、世風を俯瞰する時、機会は訪れます。

【第306回ライブ】中秋の名月如くのインテル情報⁉️