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日本語・日本語言語文化・日本語教育

主体性

2008-12-02 09:17:00 | 日記
研究テーマ:日本語言語文化における主体性の研究 

1 テーマ選定の理由・根拠
 「日本語言語文化における主体性の研究」は、日本語の統語構造の分析のもとに日本語言語文化の<主体>また<主体性>を見ていきます。本論は、日本語が「話者と聞き手が<コミュニケーション成立の場>を形成していることを前提として表現する言語であり、事態事象の推移を表現することを中心とする言語である」と述べます。
 日本語文において主語を表現しないことをもって、日本人のメンタリティに関して、「責任を負うことを忌避する」という類の日本語論、日本人論があります。主体・客体、また主語・述語、という印欧語文法の枠組みの中で研究されてきた近代以後の日本語文法は、印欧語文法の見方そのままで日本語を解釈し、主語が表面にでていないことをもって、「主語のない文は行為主体を明確にしていない」という判断をくだす見方が出され、今なおこの見方は多くの言説の根拠になされています。(注1)
 「日本語言語文化における主体性の研究」は、日本語における<主体・客体><主語・述語>の構造を俯瞰した後、日本語言語文化の中に現れる<主体性>の表現を探っていき、印欧語の<個人>とは異なる<共同主体>が言説の主体となっていたことを『万葉集』『古事記』の表現に確認し、現代日本語表現の中の<主体性>を見ていきます。

2.当該テーマに関連する先行研究の総括
 デカルトのコギト以降、「主体・客体」については、主客二元論、主客一体論など、論議が続けられてきました。デカルト以降の近代の哲学は、この「主体としてのコギト(思惟するワレ・自己意識)」という理念との関係の中で展開されてきました。そののち、「後期近代」また「近代の終焉」と呼ばれる現在の時代にあって、この自己意識の行き詰まりから、欧米を中心として<主体性>の捉え直しが試みられてきました。本論は、印欧語の側からも主体・客体について、従来とは異なる枠組みのなかで捉えていこうとする考え方が提出されてきているという面を重視します。
 これまでに提出されてきた先行研究を俯瞰すべきことは当然となりますが、発表者は、<主体性>についての論究に多くを負いながら、本論としての<主体性>を認定しながら考察を進めていくつもりです。ジョン・ライアンズ、D・E・ホールらの<主体性>についての論をふまえつつ、日本語言語文化に表現された<主体性>を論じていきたと思います。
ホールは、ガニエによる<主体性>の概念を次のように紹介しています。
   第1に、ある主体とはそれ自体の主体であり、「私」である。他者がその視点から、また、自身の経験において、これを理解するのは困難であり、不可能でさえある。
   同時に、ある主体は他者に対しての、そして他者の主体でもある。事実、それはしばしば他者にとっての「他者」であり、このことは他者自身の主体性の感覚にも影響を及ぼすものである。
   第3に、主体は認識の主体でもある。おそらく最も解かりやすく言えば、主体の存在を取り囲む社会制度の言説の主体ということだ。
   第4に、ある主体とは、―妊婦と胎児の場合をのぞいて―、他の人体と区別される肉体である。そして、その肉体とは―それゆえに主体であるが―物理的環境に密接に依存する。 (Gagnier 1991:8)

ジョン・ライアンズのいう<主体性>とは、「主観性=主体性」であり、ライオンズの<主体性>は、以下のようにまとめることができます。
「自然言語がその構造と通常の作用の仕方において発語の行為者による彼自身と彼の態度と信念の表明=表出のために提供する,その仕組み」をさしている。「非命題的・非確言的な要素」をライアンズは<主観的>ととらえ、「言語の構造・使用で表明される内容のうち,話し手の自己を表現する非命題的・非確言的な要素」=<主観性=主体性>であるとしている。(ライアンズ『直示とsubjectivity(主観性・主体性)、我発語するゆえに我あり』)

 <主体性>というtermは、ひとつの意味に限定されないことは承知した上で、本論としての追求をしていくつもりです。

3.当該テーマに関する研究史の中での発表者自身の研究(新研究)の位置づけ
 従来行われてきた<主体性>の論考には、たとえば、第二次大戦直後、文学・哲学の分野を中心に主体性の意義をめぐって起こった、いわゆる「主体性論争」などがあります。近代的自我の確立を主張する人々と客観的・歴史的法則性を重視する人々とに分かれてのマルクス主義の解釈論争であったり、教育学の中で<主体性のある学び>、<主体性を育てる教育>などの論が提出されてきました。
 発表者は、日本語学とくに日本語教育の実践のなかで得られた知見を土台として、日本語それ自体の中に表現されている<主体性>をどのように受容していくかを中心に、日本語言語作品読解における、作品受容、読みの問題のなかでの主体性のとらえ方などを考察し、日本語母語話者でない人々の日本語言語文化受容の可能性をさぐっていきたいと考えています。

博士論文構成
序章 
  主体・客体、主体性の定義
  本稿の論点
  先行研究
第1章
  日本語の中の「ワレ」「私」と、主体
  他動詞文における他動性と行為主体
  自動詞文に準ずる再帰的他動詞文
  事象の推移を表す自動詞文
第2章
  集合的主体
日本語言語文化に表現された「主体」の受容
 第3章
  日本語学習者の誤用文と日本語の自他
  非日本語母語話者の日本語言語文化受容
  翻訳と日本語の主体
 結語

4.新研究における考察視点の設定
 発表者が20年従事してきた日本語教育において、日本語言語文化の受容に関し、しばしば「日本人でなければ、この文章の味わいはわからないだろう」という日本語話者からの否定的言説を受けてきました。日本語話者でない者が日本語を読んで、翻訳でなくそのまま日本語として理解し、いわゆる日本的情緒や人情の機微を理解することは不可能といわれてきたのです。発表者は、日本語教育の立場から、日本語読解において、教授者の適切な助言があれば、非日本語話者であっても、日本語を日本語として受容する場合の困難は取り除くことができると考えます。
 そのための考察視点として日本語統語構造における<主体・客体>、<主語・述語>の問題と<主体性>の関わりについて取り上げます。
 筆者の考察視点のひとつとして、「ワ」「我」「私」などの、主体を表現している語がどのように言語表現の中に表現されているかを上げてみます。
 日本語は、モンゴル語などが属するウラルアルタイ系の言語に近縁しているであろうとされていますが、決定的な系統が不明なままの言語とみなされています。同じく系統が不明なままのアイヌ語や朝鮮語韓国語との対照比較は、アイヌ語の古語、韓国語の古語が文書として存在していないためになしえません。アイヌ語は音声の語りのみで伝えられてきており、古代の言語像が不明であるし、朝鮮語韓国語は、古代文書の中には記録されていません。朝鮮半島での公式文書は漢文(中国語)でのみ記録されたからです。したがって、日本語研究は日本語のみの範囲で行わざるを得ません。
 日本語言語表現のうち、初期の作品群、『古事記』『万葉集』『源氏物語』などから、<ワレ>、<ワタシ>という語の現れ方を見ていきます。
 古今集、新古今集において<われ>が歌中に詠まれているのは、全体の1割程度にすぎません。<われ>を読み込んだ歌であっても、作者と作中の主人公<われ>は別人格化しており、作者は演劇の役者のように<われ>を表現しています。
陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆゑに 乱れ染めにし我ならなくに
の「われ」も、作者源融本人であると捉えてもよいし源融がだれかの姿を借りて表現したと受け取ることもできます。歌会に出た人々にとって「我」は文学上、言語表現上の主体であるとみなされていたのであり、ワレという語を作者本人とは受け取らなくては、表現が成立しない、という歌ばかりではありません。しかるに、万葉集の時代においては、総歌数4500のうち39.5%に<われ>をよんだ歌があります。佐佐木幸綱は、『万葉集の<われ>』において、約4割の1780首に<われ>が表現されていると、数え上げています。(佐佐木2007,42)
 万葉の時代のほうが、自我意識が強かったからでしょうか。そうではないと佐佐木が述べていることに発表者は賛同します。万葉時代までの<われ>とは、集合的主体であり、集団的アイデンティティを持つ存在だったと思われます。歌を文字に書くこと、文字にされた歌を通信文としてやりとりするというのは後代の形です。文字が入ってくる以前において、歌とは、共同体の中で朗唱し、共同体全体が味わうものでした。歌が朗唱されるその場にいる者たち全体、あるいは朗唱するものが属するコミュニティ全体の表現として表す言葉でした。このひとつが歌垣であり、中国雲南省などでは現代までこの形式の歌が少数民族文化として残されています。(注2)
 山路平四郎(1973)は、『万葉集巻二95』の藤原鎌足の「吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり」や『古事記歌謡46』の大雀命の「道の後(しこ)古波陀嬢子(こはだおとめ)を雷(かみ)のごと聞こえしかども相枕まく」の歌について、「初体験の喜びを歌った民謡風の謡い物が原歌」と、見ています。早くから、記紀歌謡や万葉集の長歌短歌の中には、「共同体=ワレ」の表現が残っていたことは指摘されてきました。
 現代語では<ワレ>が複数であることを特に強調したいとき<われわれ>と畳語にしたり<ワレラ>と表現します。この畳語の<我々>が出現するのは、後代に至って御伽草子などからです。現代語でもしばしば<ワレ>は単数としても複数としても用いられるし、関西弁などでは<ワレ>や<自分>が、一人称としても二人称としても用いられています。相手に向かって「ワレ、どっからきたんや」「ジブン、名まえなんや」などと言います。
 古語の一番古い層の<ワ>また<ワレ>も、発話者本人も、相手をも指し示すことができ、単数でも複数でも表現することができました。岩波古語辞典には『宇治拾遺』での用例として、「オレ(汝)は何事を言うぞ。我が主の大納言を高家と思うか」という例を挙げています。
佐佐木幸綱は『万葉集の<われ>』において、歌は状況を詠むものではなく、意思を言葉にして朗唱することで、その力によって状況を変えることを願うものだった、と述べています。この<状況の変化を望むワレ>は、歌を詠む個人ひとりを<ワレ>と言っているのではなく、自分自身を含むこの場にいる状況全体に関わる者たちを<ワレ>と言っているのだと、発表者は考えています。
 万葉集の<ワ>、<ワレ>は、集団的アイデンティティを持つ共同体の、<全体的集合的主体>を表していると見なすことができます。この場合の<共同体的集合主体>とは、ジョルジュ・ルカーチらがプロレタリアートを念頭に置いて使用しているような限定された階級的集合主体を意味するのではありません。ドイツ語のゲマインシャフト(Gemeinschaft)、英語ではコミュニティー(community)に当たる共同体であり、日本的共同体労働集約型の農業を基礎に「協働型社会」を形成し統一された意思のもと相互互助的秩序維持を保っていた村社会の<共同体として主体>を意味しています。
この<共同主体>は、以下の歌の<ワ>が、近代以後の一人称とは異なるものであることを感じさせることにもあらわれています。
万葉集冒頭、雄略天皇を作者に擬する第一首。

籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持
此岳尓 菜採須兒 家吉閑名告<紗>根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居
師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母
「籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串もち 
この岳(おか)に 菜摘ます児 家聞かな 告(の)らさね 
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ 居れ
しきなべて われこそ座せ われにこそは 告(の)らめ家も名も」

 この歌の<われ>も、作者に擬されている雄略天皇の一人称というより、「この国を統べようとしている大王家の人間である」という集団的アイデンティティを<われ>によって表現しています。
 記紀歌謡の中に見える「埴生坂(はにふざか) 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら) 妻が家のあたり」という履中天皇の作歌とされる歌は、難波の宮を住吉仲皇子によって焼かれた履中天皇が、波邇賦坂に至って、なお燃えさかる宮を望見して詠じたという説話の中にあてはめられています。しかし、歌そのものを見れば、春、陽炎のたつ妻の郷里を眺めての、大和の為政者大王(オホキミ)による、国ほめの歌、国見歌と受け取ることもできます。この場合も<ワ>は、大王個人を表すというより、朗唱されクニを言祝ぐ大王と、大王の統べる国土全体を含んでの<ワ>方が自然です。
 <ワタシ>は、どのように文脈にでているでしょうか。現代日本語の<ワタシ><ワタクシ>は、語源的には<公(オホヤケ大宅)>に対する<私>から発しています。「私雨」が、広く全体に降る雨でなく、有馬や鈴鹿など山地に局地的に降る雨をさし、「私歩き」が、公用でなく私用で歩くことを表すなど、<個人>を意味するより、公に対する私的なことがらを意味しています。
 源氏物語桐壺において桐壺帝が靫負命婦を桐壺女御の里に使いにだす場面で、幼い若宮の祖母(桐壺女御の母)が命婦に向かって「私にも心のどかにまかでたまへ」とあるのは、「公の勅使としてでなく、気楽な私用の使いとしてこの里においでください」と言っているのであって、やはり公との対比で用いられています。<ワタシ>が個人を示すようになるのは、御伽草子など中世以後の用例となる。<ワタシ>という語が「一人称・個人」を示すようになる平安後期から中世以後となるまで、日本語にとっての「行為主体としての個人」は、表現しにくいものであったろうと考えます。
 「ワタシ」が印欧語的な一人称を表すようになったというのは、西欧的な視点で見ようとする見方の中でのことであって、日本語話者の「ワタシ」は「近代社会の個人」とは異なる内容によって使われてきたことを無視することはできません。日本語の古層での<ワレ>すなわち、「共同体=ワレ」が現代まで日本語話者に続く感覚であることを、阿部謹也は一連の「世間」に関する著作で指摘し、山本七平は「日本教」また「空気」という言葉で言い表しています。「世間」論、また「空気」論には賛否両論が出されていますが、現代まで日本語話者が「共同体と一体のワレ」によって生きる部分を持ち続け、明治以来論じられている「西欧的、近代的個人」とは異なる「主体」として存在してきたことは、否定できないと思われます。<ワ>、<ワレ>、<ナ>、<ナレ>などは、「相互関係性の中での存在」「主客未分の存在」を表しているのです。
 一方では「近代的個人」であることが「現代社会」に生きていく<主体>であるとされながら、一方では「共同体=ワレ」の存続の中に生きて、いわば引き裂かれた疎外の中に放り投げ込まれたあげく、ハンナ・アレントがいう「疎外による公的領域の疲弊を通じて、人々はアイデンティティの不確実性を埋め合わせる集合的イデオロギー、すなわち内側で大衆に共通の危機意識を植え付け外側に敵を作り出し、集団の意識を敵に集中させる全体主義」に埋没したのが、日本の「近代的個人」でした。
 内田樹(2009年08月20日)は、「自民党マニフェスト」についての感想をブログに述べています。この論の中で、内田は日本語文の「主語の欠落」を「行動責任の存在を見えなくするため」という従来の日本語論日本人論を採用しています。与党であった政権担当者のマニフェストが欺瞞に満ちたものであると内田が感じたとしても、印欧語文法での主語=行為主体が書かれていない文のせいだという論法をそのまま肯定することはできません。日本語は日本語の統語構造において解釈すべきであるからです。日本語は日本語の言語構造をもって成立しており、いわゆる<主語無し文>が日本人の無責任性を表すというような論は浅薄でしかないと言えます。内田は、「主語の欠落」は、「すべての失態を他責的な言葉で説明するため」に使われているということのあらわれと解釈しており、従来の「日本語主語なし文」の通説に沿った言説を行っています。内田は自民党マニフェストの主語無し文のほか、東京裁判における小磯国昭元首相の答弁をあげ、行動の主体が明示されない、ということの例証としてあげています。(内田ブログの言説は別記)
 発表者は、小磯の答弁と連合国側検察官の追求の論に、別の面を見いだします。小磯らは、近代的個人的自我と村落共同体的集団的アイデンティティのふたつを矛盾したまま抱えた存在であったことが、彼らの弁明に見えます。そして、そのような自我のあり方は連合国側検察官には理解できないものであっただろうということもわかります。
 「日本語は主語を表現しないから行為主体の責任を明らかにしない」と内田の論は、西欧的な「行為主体=主語」という解釈で物事を判断する見方が広く浸透していることのひとつの例といえましょう。
 「全体の推移」「事象の移り変わり」を描写するのが日本語の表現のあり方であって、行為主体が非明示化されているとしても、それが印欧語のいう「行為主体」の欠落とは別の論理であることを見て行かなくてはなりません。印欧語の論理のまま日本語をみていくなら、「日本語表現の主体性」も見えにくいものとなるでしょう。
 リュス・イリガライ1977『ひとつではない女の性』の試みは、日本語統語の方法を意識化するためにも有効と思われます。イリガライは、文法・統辞法を支配してきた男性的語りへの従属から離れようと、「主語の省略、名詞句・不定詞句・現在分詞の多用、アナグラム・類音・同音異義語の活用、脚韻効果によるリズム感の創出」によって「男性的統辞と異なる女性的な語り方」を実践してきたと述べています。イリガライの試みた「男性原理=西欧語の統辞法を逃れる語り」に現れている言語技法は、従来日本語が「印欧語に比べてあいまいで、論理的ではない」表現であるからと否定されてきた諸特徴を取り込んだものです。
 エレーヌ・シクスーの主張する「女性的主体=間主観的主体」やキャロル・ギリガンのいう「他者との相互依存関係において、他者とのネットワークの中において捉える自己」「他者との関係の中で発揮され涵養される<他者共感的主体>」は、日本語が本来表現してきた「主体と客体とが一体となって事態の推移を担う」という表現の中に表出してきたものに共通しています。男性中心的な知の見方から抜け出ようとするとき、フェミニズム論の主導者をその一例とする被抑圧的存在であった人々の見方が、東洋的、主客一体的な見方を採用していることは、主客一元的、あるいは男性的論理による主体性のとらえ方を打破するために、必要であると、西欧側も気づいてきたことの現れだと思います。
 日本語は、「行為主体を表現していないからあいまいな表現しかできない」のではなく、日本語が日本語の統辞法を自覚しながら表現していくことで、行き詰まりを露呈している西欧的思惟に対して、イリガライが試みたのと同じように、「もうひとつの語り方」を示し、シクスーやギリガンらのいう<他者共感的主体>を提示できると発表者は考えます。<共感的主体>、<自他混在型意識>、<間主観的自我・主体>、<人間関係のネットワークの中で自己を考える主体>等の、西欧論理が追求してきた<主体・客体>論とは異なる<主体性>の表現を、日本語言語文化の中に再構築する必要性があると思います。
 以下、他動性と他動詞文、再帰的他動詞文など、2008年9月、2009年7月に発表した稲村の論も重ね合わせ、考察を続けるつもりです。
 なお、小柳昇は「<所有>の意味概念をもつ他動詞文の分析」(関東日本語談話会 第103 回研究発表会 2009.3.14学習院女子大学での発表論文)において、稲村1995を参照文献のひとつとしてあげ、筆者が「自動詞相当の他動詞文」として分析した他動性を持たない他動詞文について、「所有の意味概念を持つ他動詞文」と再定義しているが、主要な観点について、筆者の分析と異なるものではないことを確認しました。


(注1)
<金谷2003>
  日本語に自動詞文が溢れている最大の理由は、存在文として表現することで行為者を消すことができるからなのだ。こうした言語を母語とするわれわれは、積極的行為をとろうとしない。何か問題が起きたとき、英語話者ならなんとか手を打って対処してしまおうとする状況下で、日本語話者は多くの場合諦めてしまう。

(注2)
岡部隆志1973「繞(めぐ)る歌掛け--中国雲南省白族の2時間47分に渡る歌掛け事例報告 (共立女子短期大学文科紀要17号」
田主誠1977「中国雲南省少数民族の歌と踊り 国立民族学博物館.・民博通信1号」

(注3)
 リュス・イリヤガイは『ひとつではない女の性』で次のように考えた。「これまでの想像界についての理解、女についての理解は、常に男性の視点からなされてきた。結果、私たちが唯一知っている女性とは、「男性的女性」すなわち「男から見た女」に過ぎない。たとえば、特にフロイトの理論に見られるように、「常に価値を独占する唯一の性である男性の性の欠落、萎縮、裏面として描写」とされてきたのである。そこで、イリヤガイは、想像界や女について別の視点から考えることで、《女性的なもの》を表現しようとした。その中で、最も有効なストラテジーとして提示されているのが、第三のストラテジーである「模倣」、すなわち「歴史的に女性的なものに割り当て当てられてきた(中略)役割を故意に引き受けること」である。これにより従属は主張へと転じ、そのことによって、従属の裏をかくことができる、とイリガライは考えている。