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ぽかぽか春庭「翻案とパクリー朔太郎とジブリ」

2008-12-01 22:31:00 | 日記
2007/01/05 金
ことばのYa!ちまた>朔太郎の「こころ」

 2日から4日まで続けて高村光太郎の詩を掲載しましたが、急に光太郎ファンになったというわけでもなく、光太郎の著作権がきれて、2007年1月1日から自由につかえるようになったので、遠慮無く引用した、という次第。
 著作権は、著者が亡くなった年の50年後の12月31日できれる。光太郎は1956年4月2日になくなったので、2006年12月31日に著作権消滅。

 「無料、タダ、ご自由にお持ち帰り下さい」などが大好きな春庭、いつものクセで「自由に使えるものなら、つかっちゃえ」というセコい精神でのコピーペーストです。
 引用した作品「牛」「冬よこい」「道程」は、「小中学校の教科書への掲載が多い光太郎の詩」のベストスリー。なじみの作品です。

 昨年の春庭コラム「文学の中の猫」連載で、で萩原朔太郎(1886~1942)の「青猫」や「猫町」を引用しました。
 朔太郎は1942年に亡くなっていますから、とっくに著作権はきれています。
 だれでも自由に自著のなかに引用することができるし、リメイクも節度を守れば、自由に行ってさしつかえないと思います。さて、ここで、「節度」ってのが問題になるみたい。

 昨年末、アニメ映画宮崎吾朗監督『ゲド戦記』のなかで歌われた劇中歌「テルーの唄」が、萩原朔太郎の「こころ」のパクリか、と話題になりました。
 
 「こころ」は、1925年発行の詩集『純情小曲集』愛憐詩篇の中、「夜汽車」につづく第二番目の詩として発表されました。

「こころ」萩原朔太郎

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり

 「パクリ」だと糾弾されている部分は、以下の通り。
こころ「こころをばなににたとへん」/テルー「心を何にたとえよう」
こころ「音なき音のあゆむひびきに」/テルー「音も途絶えた風の中」
こころ「たえて物言ふことなければ」/テルー「絶えて物言うこともなく」など。

 スタジオジブリは「今後、テルーの唄には、必ず萩原朔太郎へのオマージュをいれる」と、発表しました。
 年末の歌番組をみていると、テルーの唄が流れている画面には「萩原朔太郎から着想を得て作詞された云々」というおことわりがでていました。

 朔太郎が亡くなって64年以上たって著作権はとうに切れており、リメイクも自由にできるとはいうものの、やはり作品に敬意を示す必要はあると思います。
 最初から「テルーのうた・朔太郎のこころによせて」というタイトルにしておけば、「パクリ」だ、「盗作だ」と、いわれることなかったのに、と思います。

 次回は「時間は夢を裏切らない」について

<つづく>
00:39 |

2007/01/06 土
ことばのYa!ちまた>「時間は夢を裏切らない」

 昨年、「創作と盗作」について、いろいろ考えてみました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0203b7mi.htm

 創作とは、大なり小なり先行作品の影響や模倣を含みつつ成立するものであること、しかし、真にオリジナリティにあふれた作品は、先行作品を越えて輝くものであるということを考察したつもりです。

 2006年、槇原敬之「約束の場所」作詞中、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という部分が、「銀河鉄道999」の「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と、松本零士が槇原に抗議して騒動になったこともありました。

 短いフレーズのつづく唄の歌詞に、さまざまな引用や、他の作品から着想を得たフレーズが入ることは多いし、槇原の「約束の場所」の中に、銀河鉄道999のほかに、いろんなところからの「インスパイア」が入り込んでいるだろうと思います。

 この抗議に対して、当初、槇原が「999だって、宮沢賢治の銀河鉄道をパクってるじゃない、盗作というなら、法的に訴えてみればいい」と、開き直ったというのは、ちょっと傲慢に聞こえました。

 銀河鉄道999が賢治の「銀河鉄道の夜」から着想されたものであることは、松本本人も認めています。宮沢賢治は1933年に亡くなり、1983年に著作権が切れたので、松本が漫画雑誌に「999」連載を開始した1977年には、まだ宮沢賢治の著作権が切れていなかったのも確かです。
 しかし、当時著作権者もこの作品を「盗作だ」などと言っておらず、賢治の童話とは異なる松本独自の世界を築いた作品であると認められています。

 松本は、著作権法違反とか、盗作とか、責め立てたいのではなく、自分の作品から着想されたフレーズであることを認めてほしかった、無断で使用したことに、ひとこと謝ってほしかったのだ、と言っています。
 CDを制作したレコード会社社長らが松本さんを訪ね謝罪したものの、槙原敬之が同席しなかったことに対して、松本は不快に思い、「創作家同士のプライドの問題。男同士なら分かってほしい」と本人の謝罪を要求した、ということのようです。

 現行の著作権の法的解釈範囲内で争うなら、たしかに「盗作」「著作権侵害」にはあたらない範囲の引用ではあるのでしょうが、ことの経緯を報道された範囲内でみた限りでは、槇原の態度は気持ちのよいものではなかった。

 スタジオジブリが即座に「今後テルーの唄をだすときには、必ず萩原朔太郎の名を出す」としたのは、大人の判断でした。もともと著作権が切れているので著作権料などの問題は発生しないことがわかっているからすぐに謝罪会見できたのだと思うけれど。

 槇原は、多くの人に受け入れられた「ひとつの花」などを送り出した才能豊かなシンガーソングライターと思うのに、なぜ、こんな開き直りをしたのか、わかりません。

 作詞した段階では松本の「銀河鉄道999」のことを思い出さずに、自然に自分の頭のなかに思い浮かんだフレーズとして作ったのだとしても、現実に先行作品が存在し、自分がそれを見聞きした可能性があったなら、記憶のなかに「999」の名がなかったとしても、素直に「松本零士の『銀河鉄道999』」に対して敬意をあらわすべきだったのじゃないかと感じます。
 
 これからも「インスパイア」だの「オマージュ」だの「そっくりさん」だの、と騒動は繰り返されそう。
  インターネットの発達により、コピー&ペーストは、今後ますます増えていくことでしょう。
 敬意をもちつつ引用し、節度を守りつつリメイクして、言語文化の多様な広がりを楽しみたいと思っています。

<おわり>