にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>

2010-03-28 13:39:00 | 日本語言語文化
第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>


3.1 『夢の痂』概要
 本節では、「日本語言語文化における主体性」に関する考察の中で、「一般の日本語母語話者にとって、<主語>とはどのように受け止められているか」を考える。そのひとつの例として、井上ひさし作の戯曲「東京裁判三部作」の中の『夢の痂』をとりあげ、井上がその文法観をどのように演劇作品で展開したかを概観し、日本語の<主語>が<主体>との関連において一般にどのように受け取られているかをみていく。井上の文法観が一般的な日本語母語話者の日本語観を代表するということではないが、日本語観を直接に作品の中に描き出している例はそう多くないこともあり、ヒロイン絹子の国文法論を井上の日本語文法観に重なるものとみなした上で考察する。
井上ひさしは、2010 年4 月9 日に没するまで、小説や随筆のほか数多くの戯曲を発表してきた。晩年の作品として発表された「東京裁判三部作」9は井上の代表作と評されており、『夢の裂け目』(2001 年初演)、『夢の泪』(2003 年初演)、『夢の痂』(2006年初演)が上演されている。10 この三部作において、井上は1946 年に始まった東京裁判に切り込み、日本の戦争指導者の責任、さらに戦中戦後を生きた庶民の責任を問う。
『夢の痂』は、直接東京裁判への言及のない点が、『夢の裂け目』、『夢の泪』とは異なり、東北地方を舞台に天皇巡幸をめぐる騒動を描いている。「主語を隠してしまう日本語ゆえ天皇の戦争責任が隠され、国民に対して東京裁判の本質が隠されたものとなったため、国民自身も戦争責任について考え抜こうとしなかった」と劇中で国文法の女教師が述べる。井上は、この戯曲で「主権は天皇にあった。すなわち、日本で自分自身を主語として立てることのできる立場にいた。国民にとっては、天皇は『時代の状況』であった」、「これからの日本は、個人個人が自分を主権者・主体として自立させ、自分自身でものごとを考え、行動していかなければならない。すなわち、自分を主語として確立していくべきである」と主張している。

3.1.1 『夢の痂』梗概
『夢の痂』は、終戦から2 年たった頃、天皇の全国巡幸宿泊地候補になるかもしれないという東北の旧家を舞台に、戦争責任を見つめる人々を描いている。主な登場人物と梗概は以下の通りである。

三宅徳次:元陸軍大佐、大本営の参謀。敗戦後「戦争責任は、作戦立案した我等にあり」と遺書を残して熱海で投身自殺をはかったが、一命をとりとめ、今は骨董屋を営む兄の命で佐藤家の古美術整理を担当している。
佐藤絹子:佐藤家の長女。国文法教師。8 月15 日に中学生と「敗戦の日の意味を文法から考える」という授業を行っている。
佐藤作兵衛:養蚕織物業で財をなした佐藤家当主。財産を整理し、美術館設立をはかっている。
佐藤繭子:佐藤家の次女。東京へ美術の勉強に出ているが、実は愛人のためにヌードモデルをしている。
三宅友子:大連から引き上げ、父徳次の元へやってきた。

 敗戦後の日本では、市ヶ谷法廷で東京裁判が行われている一方で、農地改革、組合運動の先鋭化など戦後の混乱が続く中、1946(昭和21)年2 月から天皇の行幸が続けられてきた。8 月には東北地方巡幸が決定し、この町に滞在する可能性もある。養蚕織物業で財をなした佐藤家の「お蚕御殿」への宿泊もありうる。1947 年(昭和22 年)5 月3 日に施行された新憲法の中で「日本国の象徴」と記された天皇をどのように接待したらよいのか。天皇を落ち度なく迎えるために、大本営勤務時代に天皇を見たことのある徳次を天皇役にして接待の予行演習が行われる。天皇を演じるうち、徳次は次第に天皇になりきっていく。絹子は、予行演習の中で徳次扮する天皇に「なにとぞ御責任をお取りあそばしませ」と迫る。徳次は「天皇は退位すべきだった」という敗戦時の感慨を天皇として述べ、「すまなかった」と国民に詫び、「退位する」と発言する。劇のエピローグ、ラストシーンで国文法教師絹子は「自分が主語か 主語が自分か それがすべて」と繰り返す。

3.1.2 『夢の痂』のテーマ
 上演にあたって国立劇場が作成した作品紹介には、以下のように書かれている。『夢の痂』は、東京裁判をどのように把握し、これからどう生かしていけばいいのかということを命題に、井上ひさし独特の視点から、日本の社会を考えている。東京裁判は、「戦争の責任はA級戦犯にあって、天皇も国民もみんな被害者であった」というひとつの線引きであった。戦争責任を曖昧にしたことが、現在の国民の無責任さにつながり、そしてその無責任さを考え直さないと国際社会では生きていけない、といった問題意識から発想されている」
 『夢の痂』のキーワードとして「責任」という語をとりあげることができよう。井上ひさしは、2006 年の『夢の痂』上演パンフレット(2007集英社版『夢の痂』所収)において、次のように東京裁判及び戦争責任について述べている。11

  この裁判を<瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石>と考えています。なによりも、この裁判はのちの国際法や国際条約を生む基礎になりました。また、力をもたない市民が、この裁判をもとに戦争暴力に抵抗することができるようになりました。そして裁判に提出された極秘の機密資料によって、戦前戦中の隠された暦を知ったのです。では、瑕とはなにか。作戦計画を受け持った陸海軍の高級官僚的軍人たちの責任が問われず、さらにその頂点にあった大元帥が免罪された。(中略)もう一つの大きな瑕は、国民がこの裁判を無視していたことです。なぜ自分たちはあんなにも大量の血と涙を流さなければならなかったかを、国民はきびしく問うべきでした。この第三部には、東京裁判の “と” の字も出てきませんが、主題はこの瑕です。あの途方もない夢の痂を剥がして、その痂を見ようと試みました。

 井上の東京裁判への立場は、「戦争責任追及の上で完全な裁判ではなかったことを認めた上で、裁判そのものは成立していたことを認める」すなわち「天皇免罪を認めた上で、歴史的な事実への追求は国民が負うべきことだ」というものであると見なすことができよう。

3.2 井上ひさしの日本語文法観
 『夢の痂』の中の国文法教師絹子の「天皇は国民に謝罪すべきであった。天皇は戦争責任をとるべきであった」という主張から、絹子は井上の思想の代弁者と見なすことができる。
絹子の国文法観は次のようなものである。
 絹子は東京の女子大で、源氏物語の中に「けり」がいくつ出てくるか数える研究をしてきた国文法研究家であり、現在は国語教師として働いている。絹子は「無自覚に日本語を話している日本語母語話者よりも自覚的に日本語の構造を捉えている教師」と設定されている。絹子の文法観は、天皇巡幸予行練習に集まっている人々に対して「教師として日本語についての考えを披瀝する」という形で述べられる。絹子が文法について考えるのは、生徒たちといっしょに「敗戦の日の意味」を考えるためである。

  「八月十五日を境に、わたしたちの考え方がすっかり変わってしまいました」、「百年戦争だ、最後の一人になるまで戦うぞ、みんなでそう絶叫していました。でも占領軍がやってくると、とたんにウエルカムでギブミーチョコレートでしょう。わたしたち、いったいどうしてしまったのだろう。これが生徒たちの疑問です。文法を教えるのがわたしの仕事ですから、文法を通して八月十五日の意味を解きたいのです」

と、絹子は言う。さらに、歌の歌詞の中では、「文法、正しいことばの目安、文法、わたしの友よ 文法、うつくしいことばの作法文法 うるわしの友よ あなたがいないと なにもいえない 世界を読むこともできない」と文法に寄せる信念を述べている。絹子の台詞から、日本語の文法に関わる部分を抜粋し、解説する。(表示頁数は集英社版による。)

(1)実体のある語は、自分でしっかり立っている。これを自立語といいます。(27)
 (2)その自立語に、てにをはの「は」が付くと、「友子さんは」と主格になる。おにぎりに「を」が付くと目的格になる。「は」を付けたり「を」を付けたりすると、その自立語がどうはたらくか、はっきりします。どういう順序で並んでいても、このてにをはのおかげで、言いたいことがきちんと伝わる。わかりますね。(28)
 (3)日本語の語順はけっこう自由である。二つ、これが大事中の大事ですけれど、、、、日本語の自立語、とりわけ名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に主格になることができる。(29)

 孤立語である中国語や孤立語的屈折語である英語は、語順が文法上の役割(主語・目的語など)を決める。それに対して、膠着語である日本語は、自立語(実態のある語、名詞や動詞など)に、付属語(助詞や助動詞)が膠着することによって文法上の役割が決まる。 絹子が「てにをはを付けると自立語がどうはたらくか、はっきりします」と述べているのは正しい。しかし、絹子が「名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に<主格>になることができる。」と言っているのは、まちがっている。「は」は、係助詞のひとつであって、名詞について格関係を表す格助詞ではない。現代日本語の<主格>は、格助詞「が」が付属して表される。(古典日本語ではゼロ表示の<主格>もある。例「むかし男ありけり」)「友子がおにぎりを食べた」という文の<主格>は「友子が」であり、「友子が」を話題(トピック)として取り立てるために付属するのが、係助詞の「は」である。「は」が付けば<主格>になるのなら、「おにぎりは友子が食べた」という文において「おにぎりは」も<主格>ということになってしまう。「おにぎりは友子が食べた」は、<目的格>「おにぎりを」をトピックとして取り立てているのであって、<主格>ではない。係助詞「は」が格助詞「が」と「を」を取り立てると「が」「を」の上に重なって「が」「を」を隠してしまう。格助詞「で」「に」は隠されないので「京都ではお土産を買った」「東京には行かなかった」などの文では、「京都で」「東京に」を「は」で取り立てたとき、「で」「に」は隠されない。
 日本語は「主語述語」関係で文を構築するより、「主題解説」関係で出来事を述べる言語である。発話された文は、言語情報理論から<トピック(話題)―コメント((話題に対する解説・説明)>の組み合わせとみることができる。または<テーマ(主題)―レーマ12(伝達内容)>の組み合わせとみることができる。英語などの主語優勢言語では、<主語>が文を構成する必須の単位であり、話題(トピック)マーカーとして"As for"、"Speaking of" などでトピックを明示することもあるが、話題(トピック)は明示しない限りは<主語>と一致する。日本語などの話題優勢言語では、<主語>の明示は義務ではない。話題の提示の方が重要であり、話題解説構文(topic-comment frame、あるいは主題題述構文theme-rheme frame)が基本的な構文である。日本語では係り助詞「は」がトピックマーカーとなる。また、統語論から見て、文の成分に分けるとき、<主語subject><述語predicate><目的語(対象語)object>などの要素に分けられる。そして、述語(述部)に対する名詞句の関わり方を、格助詞を伴って<主格><目的格>などで表す。いわゆる学校文法(橋本進吉文法を中心として学校教育で採用されている文法)では、文節と文節の結びつきによって文を分析している。トピック―コメント関係を担う係助詞「は」と、格関係を表す格助詞「が」を、同一平面上で扱うため、学校文法を教えられた多くの人は<主題topic>と<主語subject>を区別して受け止めない。日本語においては、主題の多くは「は」で表示される。主題は統語関係から述べると主語と重なることが多い。「私はパンを食べた」において、<主語>の「私」は、そのまま主題として「私は」と、取り立てられているので、主語と主題が一致している。しかし、「パンは私が食べた」という文において、「パンと私のどちらが主語か、わからない」と質問する日本人学生が今でも教室に存在する。「パンは私が食べた」という文では、「パンは」は述語動詞の対象である「パンを」を主題として取り立ててtopic として示したものであり、「食べる」という述語の動作行為者は「私」である。主題・解説関係で言うと、「パン」がテーマで「私が食べた」がレーマである。学校文法では、「日本語では、「が」「は」などの助詞を伴った文節が主語である。主語が省略されることも多い。」と<主語>を定義している。「友子はおにぎりを食べた」の「友子は」を、学校文法では<主語>として認める。しかし、どのような文法説によろうとも、「は」は格助詞ではない。絹子が「「は」が<主格>を示す」と述べたことにより、絹子(=井上ひさし)は、<主語>と<主題>と<主格>を混同していると考えられる。絹子は、「日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。」と述べる。述語が行為動作を表す動詞文であるとき、論理的に文をとらえる場合、述語動詞の動作行為を行う<主体>を<動作(行為)主体agent>として扱う。<動作(行為)主体>は、述語動詞に対して述べられているのであるから、「次郎は太郎に殴られた。」において、殴るという動作を行っている動作主体は太郎である。次郎はこの発話の「話題の中心人物=<主題>」であるとともに、「殴られる」という受け身述語の主語である。「太郎は次郎を殴った。」という文を三つのレベルで分析すれば、
(1)あるひとつの情報を伝えるという話者の意識からいうと「太郎」を話題の中心に据え、太郎についての情報を述べている。トピックである太郎についての情報(コメント)が「次郎を殴った」である。
(2)「殴った」という述語に対して文の成分からみた主語は「太郎」であり、目的語(動作の対象となる語=対象語)は「次郎」である。
(3)「殴った」という動作行為を担っている動作主体は「太郎」である。
 学校文法は、この三つのレベルを区別しないまま教えられてきた。『夢の痂』での文法論も、この範囲を出ていないことは、絹子の台詞に見た通りである。
 以上、文法用語としての<動作主体agent>と<主語subject>はレベルの異なる語であるのに、従来混同されてきたこと、<主語>とトピックも範疇が異なるものであるのに、同じ平面上で扱われてきたことを確認した。
 日本語の主語をどう定義づけ、どう文法論の中に位置づけるかという主語論争が続いてきたが、現在までの日本語文法界において論争が終結してはいない。 しかし、<主語>の定義がどのようなものになっても、<主語>と話題(トピック)は区別しておかないと、文の構造を理解できない。
 次に絹子の国文法解説中の、コピュラ文(名詞措定文)に関する台詞を検討する。

(4)よく意味のわからないカタカナ語であっても、「は」を付けさえすれば、簡単に日本語文の主格になってしまうんです。たとえば、よくいわれたことばに、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」というのがあった。この「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です。「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。(30)
 (5)意味もよくわからないのに、日本語文としてはとてもりっぱです。そしてなにかりっぱなことを云っているつもりになってしまう。(31)
 (6)てにをはの「は」を使って、そのときそのときのいちばん強い力に合うように名詞を入れ替えた。(31)

 「A=B」という文型は、どの言語にも普遍的に存在する。いわゆるコピュラ文(繋辞文・連辞文・つなぎ文)である。日本語では、「A=B」を「A はBである/だ/です」という文型で表現し、A を措定しているので「措定文」と呼ばれる。 措定文「AはB である」のB の部分に対してA を入れ替えることができるのは、当然のことである。「猫は動物である」に対して「蛙は動物である」、「恐竜は動物である」、「ピカイアは動物である」など、B に含まれるA は入れ替え可能である。であるから、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」の「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です、と絹子が言っているのは、係助詞「は」に関わることでも主語また主格に関わることでもない。絹子はこの理由を「「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。」と、述べているのは「述語に対して<主語>を入れ替えて用いることができる」ということの説明としては不適切である。
 次に、絹子の文法観のうち、主語の非明示(主語なし文)に関する台詞を検討する。

(7)「日本語には主語がない」こういう仮説を立てたんです。「主語がいらない」(130)
(8)「わかんない」にも主語がない。「苦手だなあ」にも「死ぬほどきらいよ」にも主語がない。(131)「主語と述語が文の基本と学校で習いましたよ」にも主語がない。(132)「閉口するよ」にも、主語がない。(133)
(9)ほかのみなさんも「わたしは」という主語を立てていませんでしたね。
 (10)海の向こうからやってきた教師たちが、わたしたちの先輩に、どんなことばにも主語と述語があるんですよと教えた。そこで、わが先輩たちも、日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ。(中略)教師たちも先輩たちも、日本語には、主語を隠す仕掛けがしてあることに気づかなかったわけですから、まちがっていました。とりわけ、日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。(134)

絹子が例示している「わかんない」、「苦手だなあ」、「嫌いよ」、「閉口するよ」などは、発話主体の「今、ここ、私」の感覚感情を述べている。発話時における発話主体及び動作主体の非明示は<主語無し文>として主語論争から日本人論まで広く論じられてきた。しかし、絹子があげている例文は、英語を中心とした「主語を明示することが必要な言語」から見ると「主語がない」とされているものであるが、日本語は日本語の論理によって発話されているという見方からすれば、どの発話も「主語を隠している」のではなく、「もともと発話主体を明示する必要がないから、言わない」、「あえて発話主体・認識主体・動作主体を明示すると、日本語として不自然になる」種類の文である。「わからない」と誰かが述べたとき、発話主体にとって事態が「わからない」のである。もしこの「認知認識の動詞」の主体を付け加えるなら主格を付け加えて「私がわからない」ではなく与格を加えて「私にわからない」となるのであり、主題化して「は」でトピックを示すなら、「私にはわからない」となる。「A にはわかるだろうが、私にはわからない」という対比表現なら「私はわからない」という発話は可能であるが、「私がわからない」と主格をつけることはできない。「死ぬほどきらいよ」という文の「きらい」という感情を持つ感情主体を「私は」と主題化して示すことはできるが、「あの人、私が死ぬほどきらいなのよ」という文が表出されたとき、「嫌い」という感情を持つ主体は「あの人」であって、「私」の感情を表しているのではない。「あの人」の感情の対象者が「私」と解釈される。「きらい」という述語の<感情の主体>は、主格の「が」では示せない。高子の台詞で示される「わたしは、文法が死ぬほどきらいよ」であるなら、このとき「が」格で示される「文法が」は、感情が向かう対象を示す。(時枝文法の用語では対象語)。「私は」は、「文法が嫌い」という述語全体の感情主体であって、単に「文法が嫌いよ」と言っても、感情の主体が誰であるか、日本語の構造上明白である。感情感覚の述語が、発話者が発話時の「今、ここ、私」の感覚を述べているとき、その感情の所有主体は発話者自身である、ということは、話し手聞き手に明白に了解されている。発話者と聞き手双方が了解していることは、明示されなくてもよい。これは、日本語だけでなくどの言語にも備わっている言語の基本的なことがらである。「嫌い」「好き」には、感情の主体と感情の対象が必ず存在することは、双方が了解している。相手に向かい合って「好きです」とだけ言うことは自然な発話であるが、「私はあなたが好きです」という文は、よほど感情主体と対象を意識して表現する以外には翻訳調であると受け取られるだろう。「苦手だなあ」も同様である。絹子が「日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ」と述べているのは、西洋語(特に英語)の文法をそのまま日本語に当てはめた文法研究の誤りを示している点で正しい。「日本語には主語がない」のではなく、「日本語は述語を表現の中心とする言語であって、話し手聞き手双方が了解している主語を、発話時に明示する必要はない」のである。また、「感情感覚を「今、ここ」の発話として述べるとき、その感情感覚の主体は発話者である」という日本語統語の基本からいえば、「ううっ、寒い!」という発話においてその感覚の持ち主は発話者である。他者を主体にしたなら、「彼は寒がっている」と、別の表現形式を用いなければならない。
 次に、絹子の文法観のうち、自動詞文と状況変化主体文に関する台詞を検討する。

(11)(日本語の主語は)そのときの状況の中に隠れるんです。日本語では状況が主語なんです。(135)

 日本語は、自動詞文あるいは受け身文の表現を多用し「状態状況の変化を経験主体が経験する、身に感じる」という「なる型」の言語であり、英語が、動作行為動詞を述語とし、動作行為主体を主語として「する」を述べる文が表現の中心となるのとは異なる。日本語が<主体>による動作行為を表現するよりも、状態の変化、状況の移り変わりを述べる表現を多用する言語であることは、日本人論とも結びついて幅広く論究されてきたのである。
 絹子が「日本語では状況が主語なんです」と言うのは、動作主体を<主語>にするのではなく、自動詞文や状態変化、状況を表現する日本語表現の特徴について述べているのだと考えられる。しかし、どのような文が「状況のなかに主語が隠れている文」であるのか、実例は出されず、絹子は、恋仲であった小作人の清作が戦死した話題に移る。絹子は清作を「別の主語をたててものを考えられる人」と評している。

(12)いまはマッカーサーの御代、これが新しい主語なのでしょうね。(140) 天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。(141)

 「動作主体・行為主体」として述語の動作行為を実現させる「主語」について、天皇が大元帥であった時代には、天皇が「主語」であり、GHQ 占領下では最高司令官のマッカーサーが「主語」である、と絹子は言う。ここでの「主語」とは、述語に対して「実行者=行為の責任を負う者」という意味であろう。「(戦前戦中の国民にとって)天皇は状況そのものであった」というのは、自分自身の外界の動きや変化を「状態変化」、「状況の移り変わり」として我が身に経験するという「なる型」言語の日本語母語話者にとって、「天皇を頂点とする社会状況の中にいて、状況の変化を経験しつつ存在してきた」という意味に受け取ることができる。日本語においては、「自分自身を動作主体として他者に対して動作を実施する」、「<主語>として述語行為を実現する」のは、<主体>が意図的に行動を行った場合に用いられる表現である。茶碗を洗っているとき、割ることを意図せずに手が滑るなどの不測の事態で茶碗が下に落ちたという場面なら「茶碗が割れた」と表現される。手がすべって茶碗が下に落ちたとき、茶碗が割れた瞬間「あ、しまった、今、私が茶碗を割ってしまいました、ごめんなさい」と言うより「あ、しまった、茶碗が割れてしまった、ごめんなさい」と言う方が自然な発話となる。非意図的な事態に対して、動作主体を主語とする他動詞文を用いるのは不自然なのである。池上(1981)は、「英語は変化を引き起こす動作主体を中心に据えて表現する言語である。一方、日本語では、動作主体の意志的な行為を明確にして「こんど結婚します」と発話するより、事態の推移を表す「このたび結婚の運びとなりました」という表現のほうが好まれる」と指摘している。「する」と「なる」の対比は非常にわかりやすく、個体を表現の中心に置くことなく、「出来事全体」に表現の焦点があるという論は、英語日本語の比較研究においてもさまざまに論じられてきた。池上は、「英語では、出来事(イベント)におけるある一定のものに焦点が当てられて言語表現が行われているのに対し、日本語では、イベント全体の状況を捉えて言語で表現する傾向にある。英語では“do-language”(する的表現) を行っているのに対し、日本語では“become-language”(なる的表現)を行っている」と述べている。英語のように「信長は桶狭間での戦さを開始した」と表現するのは、特別に「信長」に話題の焦点が置かれ、行為者としての「信長」を強調するときの表現である。しかし、絹子や高子らにとっては、「天皇が戦争を開始した」や「軍人が戦争を始めた」と、動作主体を明示する表現は日常的な会話では特異な表現であり、「戦争が始まった」と表現するほうが自然であった。1941 年12 月8 日に、日本国民は宣戦布告のニュースを聞いた。国民は、天皇から国民への命令を受け取った。

  「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス。朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」という宣戦布告の天皇のことばを聞き、天皇から「朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」

新聞が「いま宣戦の大詔を拝し、恐懼(きょうく)感激に耐へざるとともに、粛然として満身の血のふるへるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もつて宸襟(しんきん=天子の御心)を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥ぢることなきを期せねばならないのである。」(『朝日新聞』社説)と述べているのを読んだ者のうち、「天皇が戦争を布告した」、「日本軍部が戦争を開始した」と受け取った者は「一億同胞」のうち、どれほどいただろうか。「朕カ衆庶(天皇の国民)」一同は、「戦争が始まった」と受け取った者のほうが多かったと思われる。「戦争を開始する」という意図的な事態に対して、それを自分自身が意図的な行為として選んだという自覚がなければ、自動詞表現「戦争が始まった」と受け止めるほうが日本語母語話者にとって自然な言語表現であるからだ。「天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。」という絹子の台詞は、天皇を主語として「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と述べられたことを、国民は「状況の推移」として「戦争が始まった」という自動詞表現として受け止めた、ということである。
井上ひさしの文法認識をまとめておく。
 『夢の痂』は、1947 年の東北地方を背景にストーリーが組み立てられており、ここで述べられている日本語文法観は、「1947 年当時にはこのような国文法観であったろう」として井上が絹子の口を通して語らせたものである。絹子は言う。

(13)文法がなぜ、おもしろくなくて役に立たないか。それはどんな学者の文法も和歌を解釈するためのものだからよ。何百年も前の、和歌のための文法を、いまの、わたしたちの時代のことばに当てはめようとしているの。(159)
(14)今のことばの中からことばの規則をくみ出さなくてはね。(159)

 絹子たちが教育を受けた戦前の国文法は古文の時間に教えられ、主に「古典文学解釈のために役立つ」とみなされてきた。明治時代以後の標準語を中心とする近代日本語口語文法もまた、江戸中期以後の「国学」の流れを汲む日本語研究と西洋語文法直輸入によって研究されていたのであるから、絹子の「和歌を解釈するための国文法」という文法観は、やむを得ないものであろう。江戸時代末期から明治にかけて、日本語文法研究は西洋語文法をどのように日本語に適用するか、という方向で進められた。もちろん、戦前においても松下大三郎のように古典解釈中心の国文法とは異なる「日本語文法」の確立をめざした文法研究もあり、「どんな学者の文法も~」ということはできない。しかし、学校教育で採用された国文法が、松下大三郎らの文法論ではなく、橋本進吉らの文法論が中心であったことにより、日本語文法が「おもしろくなくて役に立たない」と受け止められてきたことは、おおかたの文法教育に対する感想であろう。学校文法では「格助詞ガによって示される主語」と「係助詞ハによって示される主題」の区別すらしてこなかったのであるから、「象は鼻が長い」という文の「象」と「鼻」のどちらが主語なのか、教師にも説明できないという時代が長く続いたのも当然であった。
 井上の文法観は、1981 年刊行の『私家版日本語文法』、2002『日本語観察日記』、2004『日本語日記』2006『日本語日記2』などに述べられている。これらの書に書かれた井上の日本語文法観と2007 年の『夢の痂』(『すばる』2006 年6 月号初出)の間に大きな変化はない。『私家版日本語文法』の「格助詞ガの出世」および「ガとハの戦い」の中で、井上は、大野晋、三浦つとむ、川本茂雄、三上章らの「ガ」と「ハ」の違い、使い分けの論述に基づいて自論をまとめている。主語論、格助詞「ガ」と係助詞「ハ」についての研究について、1981 年前後に発行されていた文法書を読み込んだ上での『私家版日本語文法』
であることがわかる。井上は1976 年にオーストラリア国立大学日本語科で客員教授として講義を行っている。もとより言葉に関して長年の探求を続けてきた井上であるが、オーストラリア滞在中は特に「日本語を母語としない人に対する日本語文法」についても意識が向けられたはずであり、一般的日本語母語話者よりはるかに日本語文法への関心は強いと思われる。井上は『日本語日記2』で「人間がコンピューターに指示を与え、データを知らせるのは、全てキーボードからの入力によります。」(富士ゼロックスマニュアル)という文に対して、「文の冒頭の「人間が」が余計である」と述べ、「説明書のその箇所
を読んでいるのは、購入者か使用者にきまっている」(22) と、書き手読み手双方にとって明らかである「コンピュータに指示を与える」の動作主体について、「人間が」とわざわざ記すことで不自然な文になっていることを指摘している。日本語文にとって動作主体の明示は不必要であることを認識していた井上が、『夢の痂』において、絹子に「主語をかくす」ことに異議を申し立てさせているのは、どういう意図があるのだろうか。井上は「主語を隠す日本語」という表現で何を言い表したかったのだろうか。


3.3 比喩としての<主語>
 『夢の痂』によって表現したかった作品のテーマは明らかであるが、「日本語では<主語>が隠されている」、「<主語>が担うべき責任が曖昧にされたまま、天皇免責は既成事実になった」という絹子の主張は、日本語文法論から見て妥当なものと言えるかというと、これまでに述べたとおり、「主語の非明示」と「行動の責任所在の言明」とは別問題だ、と言わざるを得ない。日本語の主語は、発話者と聞き手双方が了解している限り、明示する必要はないと井上自身も表明しているのである。
井上が『夢の痂』において「天皇は主語であった」と絹子に語らせ、国民にとって「天皇は状況そのものであった」と言うときの<主語>とは何を意味しているのか。第一義には、天皇は「日本国体の主体」であった、ということである。ここで、<主体>について、広辞苑から辞書的な語義を示しておく。

 (1)帝王の身体
 (2)元来は根底にあるもの、基体の意(subject イギリス hypokeimenon ギリシア)
 (3)性質・状態・働きの主
 (4)主観と同意味。認識し、行為し、評価する我を指す。主観が主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性・実践性・身体性を強調するためにこの訳語が用いられるに至った。
 (5)団体や機械などの主要部分

 井上が『夢の裂け目』『夢の涙』で、「天皇免責の異議申し立てを国内外から出さないために東京裁判が行われた」ということをテーマにしているのは、「ほとんどの日本人が東京裁判に関心をもたず、自分たちの行った戦争を考える機会を妨げられてきた」と感じたからである。絹子と徳次は、「天皇は責任を明らかにして国民に謝罪し、退位すべきであった」と考えている。絹子はそれを「天皇が戦争の主体であった。主語であった」と表現している。『夢の痂』の「日本語の主語は隠されている」という絹子の主張が「戦争犯罪人としての大元帥はかくされている」ということの比喩表現であるなら、公演パンフレットに記されている井上の主張が文法論として展開されていることの理由がわかる。「日本という国家の主体=主語」として1945 年以前の大日本帝国の「主体」であった天皇が、東京裁判においては「主語を明示しなくても表現できる日本語」のように、「主体であったはずの天皇」が隠され、「天皇の責任」を明示しないままの裁判になったのである。絹子の言う<主語>とは「日本国体の主体=天皇」であると解釈すれば、「<主語>のない日本語」とは「戦争責任を負うべき<主体>=天皇のいない東京裁判」の比喩であると解釈できる。「国家の責任主体が裁判の場に現れたのか」が意識されないまま戦後65 年が過ぎ去った。井上が絹子に「<主語>が隠されている」と言わせているのは、「東京裁判においては、<主語>として動作行為の責任を負うべき<主体>が隠されてきた」ということを言いたかったのだと考えられる。東京裁判の中に明示されなかったとしても、「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と詔勅を発した<主語>は「朕」である。「<主語>が曖昧にされている」どころか、「朕」が戦争を宣言していることは明記されている。この「朕」は英語に翻訳するなら「I」とする以外に方法がない。しかし、この「朕」とは天皇個人を表しているのではなく、「国家主体」であると解釈し、明治憲法第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」や「国務大臣は議会を通じて国民に対して責任を負う」によるなら「朕」すなわち天皇個人は「責任を負う主体」ではなかったということになる。一方、法的な解釈が何通り在ろうとも、「朕」が「戦を宣した」ことは明らかであり、道義的には個人として責任をおうべきであったとする考え方もある。絹子は「なにとぞ、御責任をお取りあそばしませ」と詰め寄る。「天子さまが御責任をお取りあそばされれば、その下の者も、そのまた下の者もそのまたまた下の者も、そしてわたしたちも、それぞれの責任について考えるようになります」と語る。一般の国民は、天皇免責とともに「国民全員が戦争の被害者」になってしまい、加害者としての責任をとることを放棄してしまったということを、絹子は追求しているのである。絹子の台詞によって、井上は、天皇の責任を明らかにした上で戦争についての国民自身の責任をも考えるべきだと主張している。「天皇が主語そのものであった」という絹子の台詞は「天皇は行為主体であったが、それを明示しなくても話し手聞き手が了解しているのなら、主語として明記しなくてもよい。ただし、明示されなくても主語であることはわかっていることであり、行為の責任は負うべき存在であった」と主張しているのである。
 井上の文学的表現として「天皇は、日本国家の主体として宣戦布告を行った」を「主語として、行為をおこなった」という比喩で表現したと解釈できる。


3.4 行為主体と責任
 多くの日本語母語話者が「主語は、表現すべきであるけれど省略してもかまわない」という文法観から抜け出さないでいるのは、学校文法がいまだに西洋文法を基本とした内容のまま教えられてきたからである。「日本語は、動作行為主体が発話者と聞き手双方に了解できるなら明示されない」のが基本であり、「主語が明示されていないから主体性に欠ける民族性となっている」のではない。明示されなくても、主語は発話の中に理解されている。「主語を明示していない日本語は、行為の責任を明示しない」という日本語観に対しては、「そのような日本語観は間違っている」と言わなければならない。一方、他者に対して意図的な動作行為を加える場合に他動詞文が用いられるが、非意図的な動作行為には他動詞文を用いずに自動詞表現、受け身表現が用いられるという日本語の表現の仕方があることは確かである。大多数の日本人は、意図した行為として自らが主体的に決断して「日本国民が戦争を始めた」とは考えなかった。自分が決めたのではないけれど、社会は戦争の中に突入してしまっていた、という事態の中におかれ、「戦争が始まった」そして「戦争が終わった」という、絹子のいう「主語は状況の中に隠される」表現で戦争を受け止めてきた。したがって「戦争責任」という「意図された行為」をあらためて考えるには、井上のように改めて「行為と責任」を取り上げ、互いに考え合うことから始めなければならないのだろう。
 『夢の痂』エピローグで、絹子は「ある女流文法学者の半生」という歌を歌う。絹子は、自分を主語として確立すべきであること、すなわち、自己を主体として意識し、行動する必要を確認する。

  (15)しあわせかどうか。それは主語を探して隠れるか 自分が主語か それ次第。自分が主語か 主語が自分か それがすべて(160)

 日本国民が自分自身を民主社会の<主体>として、すなわち自分を<主語>として行動していくことへの希望を歌ったものである。日本国民は、天皇免責と同時に「国民は被害者だった」という「国民全体の気分」によって「戦争を開始した主語」としての自分たちを免責した。戦争は「始めた」のではなく「始まった」のであり、すべての出来事は「状況」として自分の周囲を流れていき、自分たちは流されるままに主体性を失って生きてきた。日本人は自分たちも被害者なのだ、という戦争観を持つことによって敗戦から立ち上がった。絹子が「戦後社会において、国民は自ら主体となり、主体性を持って生きていくべきだ」と解釈できる歌を歌って一幕を終了したのは、井上からの「あるべき日本社会」の姿を描いたメッセージであると受け止めることができる。


3.5 日本語母語話者の文法意識と日本語言語文化 
 我々は言語によって思考し、言語によって行動を表明する。しかしながら、主語を非明示とするという言語上の特徴が、主体性が失われ「集団志向」、すなわち「集団内での調和を望み大勢に従って行動する」という民族性を作り出したということはない。共同体全体がひとつの文化を生みだし、共通の民族性を発揮してきたとして、それは列島1万年の歴史や現代社会の中に探るべきものである。朝鮮語・韓国語は日本語と同様に「主語」を明示しなくても会話ができるが、日本よりはるかに自己主張を強く表明する民族だと言われているし、日本語と統語を同じくしないタイ語も、日常会話では主語を明示しないでも対話が成立する。英語も日記文体では一人称は非明示となるし、シンガポールで発達中のクレオール言語 シングリッシュも主語非明示で会話できる。戦後社会において、「主語として生きる」とは「主体的に生きる、<主体性>をもって歴史の中に存在する」という意味だと井上が書いている。しかし、<主語>が明示されないから、述語の動作行為の責任を負うべき<主体>が曖昧になる」という文法解釈は、日本語への誤解を生む。言語として明示しなくても、我々は自己を他者に対して<主体>として存在させることができ、主体的に生存することができるのである。「自分を<主体>として確立する」ことは日本語において「自分を<主語>として明示する」ことと同義ではない。しかし、「動作行為主体」を明らかにしなければならない場面に身をおかねばならないとき(たとえば、国際会議での発言であったり、国際貿易の契約の場であったり)、発話の際、自分を<主体・主格・主語>として意識化して明示し、「この行為において、どのような責任が求められているのか」を理解して表明しなければ、これからの国際社会で発言の意図、真偽、そして責任を問われる場面も出てくるということは了解できる。「過去の行為の責任の所在を考え、自分自身を自分の行動の主体として意識しつつこれからの時代を生きていくべきだ」という『夢の痂』に込められた井上のメッセージを受け止めた上で、「<主体>であることを自覚する」ということはどのようなことなのか、「常に<主体>を明示せずに生きていくことがグローバリゼーションの時代のグローバル・コミュニティにおいても可能なのか」ということをさらに考察していく必要がある。



第1章まとめ
 日本語は、自己の認識した外界の事象を、表現主体の主観による直接的な表現として表すものである。外界への認識を全体的に捉えて事象の推移を表現する自動詞文は、状態主体を文の中心者として表現する。
 他動詞文は、動作行為者を<主語>として<客体>へ動作行為を向ける他動詞文もあり、<主体>は<客体>と所属関係を持ち、動詞文全体で事象の推移を表す再帰的他動詞文もある。自動詞と他動詞は截然と区切って用いられるのではなく、他動性の強さによって、段階的に移行する。また、動詞内容の完結性(限界性)によって、自動詞表現のほうがより、強い完結性を有するために、他動詞表現が用いられない場合もある。
 日本語は、情報の伝達を行う場合、「主題・解説」の構造による文が表現の大きな部分を占める。日本語の主語、主体などの用語は、西洋語の文法的範疇と一致する面も備えているが、統語が異なる西洋語の主語、主体とは異なる面も持っている。subjectの訳語としての主語から出発していても、日本語は日本語統語の範囲で主語を捉えていかなければならない。
 日本語母語話者は、西洋語文法が適用された国文法教育を受け、「日本語文法」として日本語の論理に適した文法教育を受けないで来た。その結果、日本語について深い理解を持っていると思われる表現者であっても、「日本語は主語を明確に表現しないので、行動の責任者が曖昧になってしまう」というような文法観を持ち続けている。井上ひさし『夢の痂』に表れている文法観も、上述のような意識から書かれているがその文法観は間違っていると指摘した。


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