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日本に残るもう一つの【秦】Ⅱ.京都太秦

2022-05-14 | 古代ミステリー

秦の始皇帝を祭る【大酒神社】と三角鳥居の【木島坐天照魂神社】京都太秦のスポットです。

大酒神社

木島坐天照魂神社 三角鳥居

【大酒神社】京都市右京区太秦蜂岡町30

広隆寺から東映太秦映画村に向かう途中、曲がり角付近にひっそりと祭られている。

ご祭神 『秦始皇帝』『弓月王』『秦酒公』

中国には【秦】という国が二つありました。

一つは有名な始皇帝の秦。紀元前3世紀「不老不死の霊薬」を探すため徐福を日本列島に送った。

もう一つは3世紀頃、中国戦乱の時代に建国された【秦】。五胡16国という王朝乱立の時代で、

3世紀末に滅んでしまいました。

調度この頃、秦氏が日本に亡命してきて、秦氏は秦始皇帝の子孫という話しですが、

後から建国された方の【秦】の国の末裔ではとも云われてます。

中国の北西『弓月国』という国の王が戦渦を逃れ日本に亡命してきました。

王は、始皇帝の十四世孫だそうです。

その時に王が率いてきた秦氏が祭る神社で最後の王の孫・秦酒公が祭られています。

拝殿

秦氏は朝廷より京都太秦の地とその名を賜り、

養蚕、中国の機織り、「漢服」と「呉服」をこの地に伝えました。

今でも「和服」のことを「呉服」と言ったりしますが、私達日本人には北中国の漢服より、

南中国の呉服の方が馴染み深いです。

「うずまさ」の語源は、絹や布がうず高く積まれてる様を言うらしいですが、

「太秦」と書いてうずまさと発音するのは、独特の読み方で寡聞にして他に例を知りません。

始皇帝と弓月王、秦氏、そして

中国渡来の機織りを静かに祭る神社。

【木嶋坐天照魂神社】京都市左京区太秦森ヶ東町

大酒神社より徒歩10分ほど。中国渡来の養蚕を祭る神社。

三角鳥居が有名です。

綺麗に手入れされた庭園の様な参道

道路に面した鳥居は、

伊勢神宮など皇祖神を祭る様な神明型(下の棒が横に突き出てないタイプ)の普通の鳥居。

ご祭神

天御中主、大国魂神、穂々出見命、ウガヤフキアエズ、

そして養蚕の祖神を祭っています。

1500年前、秦氏がウズマサの地名を賜り養蚕と機織りを伝えましたが、

その100年後推古天皇の時代になり秦氏が養蚕の祖神を祭ったことが由緒。

社殿に向かって右が東本殿で蚕の神を祭っていて

社殿の左に降りると、日本で唯一の三角鳥居を拝むことができます。

三角鳥居 中央の石組みは、本殿ご祭神の神坐で宇宙の中心を表す。

現在の鳥居は約300年前に修復されたもの。

※静岡県藤枝市にある神神社(三輪神社)は、かつては三輪鳥居という『三角鳥居』から後方の三輪山を拝するという、社殿を造らないタイプの神社だったらしいので、現存する三角鳥居では日本で唯一ということだと思われます、🤔

ついでに神神社の狛兎😆☝️


太秦の三角鳥居は、

もともとは、1300年前に日本に伝わった『景教』(=キリスト教ネストリウス派)の遺物ではないかと伝わっている。

応神天皇の時代に秦氏を率いやってきた融通王の『弓月国』も景教徒の国であり、やはり何か関係はありそうだ、、🤔


本殿で祭られる『天御中主』はこの世界の創造主で、八百万の神々とは別柱の神様。

ユダヤ教・キリスト教でいう創造主=ヤハウェ(エホバ)のことで、

天御中主を

「天の御中にましますわれらが主よ、、」と、唱えると

そのままユダヤ教・キリスト教の礼拝になりそうなお名前です。

宣教師たちも最初は「天御中主を崇めなさい」と言ったほど。ユダヤ教・キリスト教の創造主の様な響きがあります。

三角鳥居の起源や、この太秦の地を本拠地とした秦氏の起源の謎も深い。

しかし、中国渡来の機織りと養蚕は確かにあり

大酒神社と木嶋坐天照魂神社に祭られている。

謎という言葉とは無縁なほど、とても心地よい空間で、

ある種の神聖さを感じました。

とても、落ち着かせてくれる、、

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

4世紀末、仲哀天皇・応神天皇は、親子二代に渡って

弓月国の王親子を日本に亡命させました。

秦始皇帝

始皇帝十四世孫・功満王

※仲哀天皇の元へ弓月国から亡命

功満王の子・融通王(弓月君)

※応神天皇の助けで弓月国から日本へ亡命。

途中、百済で百二十七県の民18000人を率いその後、新羅に足止めされていたが、応神天皇は精鋭部隊を朝鮮半島に送り新羅を威圧。

航海の大族・壱岐氏の協力で、融通王こと弓月君らは無事に対馬海峡を渡り

秦氏は古代日本最大の渡来氏族となった。

渡来後は、大分県の国東半島で『秦王国』を造り拠点としていた。

7世紀の遣隋使の時代になると通訳として活躍し、隋からの初めての使者は
『秦王国』に立ち寄るなど日中を結ぶ貴重な存在となり、その後、京都に拠点を移していった。

秦氏は始皇帝と同様、ユダヤ系とされ

古代神々の謎「壱岐の島」月読神社の投稿でも詳しく書きましたが、

秦氏の秦河勝は、始皇帝14世孫の功満王から9世代孫にあたります。

開拓事業を続け亡くなられた後は『大避神社』(大酒神社)に大避大神として祭られました。

大避神社の【大避】=(大酒)とは、簡略化される前の元々の漢字は避→闢で、

【大闢】は中国語で=ダビテのことらしい、、(😮ダビテ神社か)

闢→避→酒、、と表記が簡略化されていきますが、

これは封印というより、表向き「酒の神社」として何かをユダヤ系の何かしらを暗示している様にも感じます。

(だいたいお酒、祭ってないし、、機織りだし)

次は、秦氏の拠点・太秦寺(広隆寺)と松尾大社に向かいます✨⛩️

🚐🚐🚐🚐

そもそも今回の旅は、

中華街の媽祖廟から始まりました😌

中国の海の女神『媽祖神』は、

女体神社や弟橘媛神社など日本の女神の神社に習合されたらしく、

(弟橘☝️水戸光圀公による合祀)

埼玉県、武蔵国一宮『女体神社』へ行ってみました。そして、

同じく武蔵国一宮『男体社』として祭られている『氷川神社』へ行き、

ここから、

氷川神社のご祭神である『スサノオ様』を巡ってみようかと、

スサノオ様が祭られる

和歌山県の『熊野本宮大社』と
京都の『八坂神社』を目指しました。

こちらは神仏習合の時代の影響が色濃いです。

(中世=『神は本来は仏が姿を現したものだから、日本神話の神でなくインドの仏教神として崇めよ、、』と、日本神話の神々が、インド神話の神々、仏教の守護神に代えられて、神社全体が仏教の傘下に置かれた時代)

スサノオ様は、インドの寺院祇園精舎の守護神である『牛頭天王』様にかえられました。

まだこちらにスサノオ様はいらっしゃるのだろうか?と、

想いを馳せつつ、いざ
和歌山と京都に到着すると

つい思いつきでなんとなく、

和歌山の徐福の墓と

京都で始皇帝を祭る大酒神社へ
寄りました。

秦氏、秦始皇帝、徐福は、
ユダヤ系と言われてますが、
(始皇帝=母方がユダヤ系)

とうとう秦氏の拠点、太秦の松尾大社まで足を伸ばすことが出来。

結局、中国由来のルートを巡ってる😳

スサノオ=徐福説

も、あるそうですが、

或いは、それも有りかもしれない🤔

だとすれば、寧ろこちらの方がスサノオ様を巡る旅?!😳


空気感というか、落ち着く感じは、

和歌山の
徐福の墓、徐福の宮、

京都の
大酒神社、木島坐天照魂神社、

は似ています✨💖

島根の熊野大社も、、

私は、部屋の中であれこれ考えてみるのも好きですが、

実際にその場に行って感じてみるのも好きです✨😌

何周回ってみても

聖なる国 日本✨✨✨



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