聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

奈良県【高鴨神社】⛩️出雲王朝の界隈

2024-03-24 | 古代ミステリー

【高鴨神社】

奈良県御所市鴨神1110



全国の賀茂氏(鴨一族)の神社の総社⛩️

(※御所市=「ごせ市」と読む)

⛩️御祭神
阿遅志貴高日子根命
(あぢしきたかひこね)
またの名を
迦毛之大御神(かものおおみかみ)

妹の👰下照姫も祭られている。

 


鉱脈の上にある神社で、多くの気が出ていることで知られる。

 

 

神社の案内によれば、
『夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体にたいへん良く、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共によみがえられることをお祈り申し上げます。』

とのことだったが、確かに
リトリート感のある神社だった。✨✨

 

 

そして、境内にたくさんの神々が祭られていたことも心やすけた。

 

 

 

 

鴨一族の始祖『アジスキタカ彦根』は

大和に繋がる古い神様だが、

大和より古い出雲に繋がりあった神様で、

出雲の大国主命多紀理姫の子。

農業の神様として祭られている。

 

 

 

創建不明だがこちらへ祭られたのは、
出雲の国譲り後かもしれない。


上鴨社⛩️高鴨神社

中鴨社⛩️御歳神社

下鴨社⛩️鴨都波神社

と、三社を呼ぶように、この地域は古くから鴨一族が拓いた農地だった様だ。

 

 

大和王朝にも繋がりが浅からずとしても

それより古い、

葛城王朝とも繋がりがあったと思われる。

 

 

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古事記では、

高天原から「出雲を譲れ」と派遣されたアメノワカヒコにそっくりだったと言うエピソードが記されている。

 

✨✨✨📖

高天原より国譲りの為に派遣されたアメノワカヒコは、出雲にやって来ると

アジスキタカネ彦根の妹💖下照姫と結婚して出雲側についてしまい、高天原陣営から殺されてしまった。しかし、

アメノワカヒコの葬儀に、
アジシキタカ彦根が現れると、

そっくりだった為に「生きていた!」
と驚かれる。

アジシキタカ彦根は、

「自分はアメノワカヒコでは無い」

と怒り、

下照姫もアメノワカヒコではないと否定する歌を詠んだ。

アメノワカヒコは、高天原を捨て出雲に亡命し

出雲の神アジシキタカとなったことを物語る様なエピソードであり、

当時は高天原より出雲の方が勢いがあったであろう事が覗える。

この後、高天原からの

三回目の遠征で出雲はとうとう

高天原側に王権を譲り渡し消滅する。

 

『アジシキタカヒコネ』を始祖とする鴨一族は

王朝を超えて在り続けてきた由緒のある氏族だったのだろう。

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました🙏

✨✨✨✨✨✨✨

 

 

 


出雲大社の界隈⛩️Ⅲ

2024-03-19 | 古代ミステリー

今回はパワースポットではなく、

古代ミステリーの投稿です。

 

【スサノオの墓】
出雲大社から車で30分ほど。稲佐浜から海岸線を北上する。


日御崎神社方面、隠れが丘と言う地にひっそりとある。

鳥居をくぐり、暫し緑の参道をゆく。

 

 

スサノオ様の神魂がいつき祀られるところ。

 

 

もともと、美佐伎神社と言い日御碕神社と合わせ

⛩️『日御碕大神宮』と称せられていたのが、

明治時代に日御碕神社に改名されたらしい、、

 

 

【日御碕神社】

 

 

スサノオの墓については奈良説もあるが、出雲ではまずこちらが候補にあがる。


日本神話ではスサノオは、
高天原(新羅)を追放され出雲にやってきて、ヤマタノオロチに差し出されそうになっていた櫛稲田姫(稲田姫)と出会った。

 

【稲田神社】

稲田姫の生誕の地に祭られている。

島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1

 

スサノオはヤマタノオロチを退治して姫を守り、二人は結ばれてスサノオは出雲の王となった。

⛩️出雲大社も、スサノオに命じられた大国主が建てた宮であり、古代出雲の起源はスサノオ無しでは語れない。

 


【八重垣神社】
スサノオが櫛稲田姫をかくまった場所に祭られる

 

 

【須我神社】
スサノオと妻・稲田姫と結ばれた神社

〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260

日本の宮

 

スサノオが稲田姫に詠った

日本の和歌。

 

古事記では、スサノオは出雲の王になったと記されるが、

通説では、スサノオは初代『大国主』になったとされている。

出雲は、
方々の国々と婚姻合併を繰り返し連邦王国となって勢力を拡大した国であり、

出雲連邦王国の盟主の事を

『大国主』と言う。

 

 



四方を海に囲まれた日本列島では、

『海峡を制する者が日本列島を制する』

と言われた程で、

日本海の制海権を持てるかどうかが、
地上の支配にも大きく影響していた為、

日本海側にこうした連邦国ができるのは当然の成り行きだった。

 

朝鮮半島から日本列島へ向かう船は、
リマン海流で南下し対馬海流と合流すると、海流に乗って日本海沿岸の何れかに到着する事になる。

 

この日本海沿岸ラインの国々が、大国主により結ばれて連邦国となったお陰で、着岸地である出雲や越の国の人々は、大陸側半島からの最新式の武器や技術を手に入れられる恩恵を授かっていた。

出雲はその日本海勢力の中心国だった。

大国主(出雲連邦の盟主)と
 
九州の多紀理姫と湍津姫、

新潟の奴奈川姫、

東西との婚姻による大型合併がかなった事で、

九州→朝鮮半島

朝鮮半島→日本海沿岸の

海上ルートは、確実で強固なものになった。

 

 

 

八千矛神、大己貴命、大穴牟遅、宇都志国玉、葦原醜男、など

大国主命には沢山の名がある。

これは大国主命とは一人の人物の固有名詞ではなく連邦の盟主をさして言う王号であり、初代大国主のスサノオの様に、幾人かの王たちの呼び名ではないかとみられている。

大国主命には70人以上の兄弟と、150人にも及ぶ息子がいることからも、
一人の人物ではなく、歴代の人物と思われる。


最後の大国主命が、
天孫族に対して出雲を譲ったと言う
『国譲り』の場所。


出雲大社の西、稲佐浜の近くにひっそりとある。

 

出雲連邦王国は大和王朝に先駆けた前王朝である為、

大和王朝の歴史書である日本書紀には記されず、

古事記の神話の中に描かれている。

 

その描き出しは、征服王朝らしい正当性で勇ましい書き方をしているが、

出雲から大和へと、政権が譲られた

「出雲の国譲り」とは、実際は、

同族・同盟の中のお家騒動であり、嫡系争いによるクーデターの様なものだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 


出雲大社の界隈⛩️Ⅱ

2024-03-09 | パワースポット

【出雲大社】素鵞社
(そがのやしろ)

出雲大社本殿の裏にあるスサノオを祭る神社。

「スサノオの御砂」で人気の裏スポット。

稲佐浜からとってきた砂をこちらの社殿の下まで持ってくると、社殿の下にある砂を御守りとして持って帰ることができる。

稲佐浜は、出雲大社から西へ徒歩15分ほど。

稲佐浜

まずこちらへ参拝し、足もとの砂を頂いて出雲大社へお参りをしてから、

その裏側にある素鵞社にお参りして御砂を頂く。



【杵那築の森】
大国主命の住居跡地。

神々が集まりここに大国主命の住まいを築いた事が「杵築」という地名の由来になったらしい。

もともと出雲大社も古来より、

『杵築大社』

と言う社名だったが、明治時代になり出雲大社に改名された。

なだらかな参道を下ってくると右手に開けた場所があるが、杵那築の森はその縁にひっそりと鎮座されている。



【御柱の跡】

大国主命はヤマトでスサノオと出会い、スサノオの娘スセリ姫と結ばれ、
『十種の宝』を手に入れた。

「お前は出雲に行き、兄弟たちを退けて大きな宮を造り大国主命となれ」

と、スサノオに命じられ、

天にも届く様な巨大な宮を造った。


20世紀になり、出雲大社の境内から直径 3mの巨大な柱の跡が発見された。

三本の大木を鉄輪で合わせ一柱の柱としていた。

最大のもので直径 6m、

出雲大社宮司の千家国造家に伝わるとおりであり、

出雲大社は15階建てに匹敵する

高さ48メートルにもなる巨大な建築物だったことが分かった。


古代では96mあったと記され、世界最大の木造建築だったようだ。


スサノオはその後、ヤマト(奈良県)で亡くなったとも、

最後は娘夫婦がいる出雲に行ったとも云われている。

最後まで御覧頂きありかどうございました。


✨✨✨✨✨✨✨

Other shot


…次回は、スサノオのお墓へ。


出雲大社の界隈⛩️Ⅰ

2024-03-02 | パワースポット

出雲大社摂社【命主社】⛩️

 

出雲大社の境内にはなく、境外の右奥にある。

 

出雲大社の銅鳥居をくぐらずに右手の社家通りを行くと、最奥にある密かなパワースポット⛩️✨✨✨

⛩️右折→

 

御祭神 神産巣日神(カミムスヒ)

大国主命の命を救った神。


樹齢千年の名木

 

 

社殿の裏に巨石があった場所とされる真名井遺跡があり、その奥の竹林に磐座が鎮座している。

 

諏訪のミシャグチ信仰の様に、

祠と木がピッタリ寄り添っている。

 

⛩️出雲教【北島國造家】

出雲大社は、 

本殿に向かって左右にある  

左・出雲大社教(千家国造家)
右・出雲教(北島国造家)

と、

中央の出雲大社と、

合わせて三組織が祭る神社がある。

 

【千家國造家】

 

出雲大社と命主社の間にある

『北島国造館』は静寂なスポット✨

 

 

 

結婚式も行なわれる。

 


北島國造館内の亀の尾の滝

 

 


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出雲大社の宮司は、代々、天穂日命の子孫である出雲国造が務めてきたが、
南北朝時代(700年ほど前)に、千家(左側)と北島家(右側)に分裂した。


紆余曲折ありの出雲大社は、

日本の宗教政策史上、極めて興味深い神社だ。

明治時代の「政教一致」と言う宗教政策では、日本は神国であり天皇は神の化身であるとして、明治政府は様々な取り決めを行ってきた。

 

神官の布教を禁止し、全国の神社は神社本庁の包括下に置かれ、伊勢神宮の天照大神を拝み、出雲大社の大国主命は遙拝されず、出雲大社も神社本庁下の神社となった。

しかし、出雲大社の神官らはこの支配からは離れて、千家國造家と北島國造家は、それぞれ別の宗教法人として独立した。

それが

⛩️出雲大社教

(出雲おおやしろ教と読む)と、

⛩️出雲教だ。

 


戦後は、GHQの宗教政策の影響を受け
出雲大社と出雲大社教は統合されたが、


本来、

宗教と信仰は別物であると言う事、

宗教とは民衆に広布する政策的なものだったと言う事が、歴史を通じて感じることができる。

 

 

出雲は、

近代の宗教政策のみならず、

武家社会、貴族社会、

部族社会の時代を超え、

古代、神代より古くから続く聖域で歴史が深い。

伊勢神宮に祭られる天照大神の一族に先駆け建国していた超古代国家であり、

国譲りで、国権を移譲しつつも神権だけは残り連綿と続いてきた。

 

出雲に坐される神々は、

弥生時代より長い間

日本列島の変遷を見守り続けてきたのだろう🌌

声が聴けるものならば、教えを請うてみたい。

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後までお読み頂きありがとうございました。🙇


GOD SAVE Theアース❄️風の岬【襟裳岬】

2024-03-02 | パワースポット

「やはり、今年は雪が少ないですか?」

「いつもは、毎週2〜3回は雪カキしとったのが、この冬はまだ3回くらいしかしてない」

襟裳岬の銭湯で居合わせた方に、話しを聴いてみると

こんな答えがかえってきた。

今年は、青森や北海道でも雪がなくて閉鎖するスキー場があった。

風極の地・北海道の襟裳岬でも、風が吹けば寒いが日差しが強く雪が溶ける。

風は冷たいが、陽射しの温かさは本州とそう変わらないのでは?と感じた。

真冬にフリース2枚で北海道を巡ったのも初めての経験だ。

何年か前、

「いずれ本州では温暖化により農作物が採れなくなり産業の中心は北海道に移るので今のうちに北海道の土地を・・・云々」等という話を耳にしたことがあったが、

本当にそんな日が来ることも、遠く無いかもしれない。苫小牧が首都?

今年2月20日横浜で25度を体験した。

それにしても、真冬に夏日って何なんだ…?!

気温も異常だが、それより

異常気象に対する危機感の無さを異常に感じてしまうのは

私だけだろうか、、

『SDGsは大衆のアヘン』とまで揶揄される様にまでなってきたが、

そんな言葉に酔わされたとて、このままでは持続可能な未来は難しいのかもしれない。

毎年ごとに、春一番の様な強風の日が増えている様にも感じる。

温暖化もただ暑くなるのではなく、

寒暖差と強風に揺さぶられながら進行していく。

この日の襟裳は、強い台風並みの風速43メートルが吹き荒れた翌日で、襟裳岬周辺は、ゆうにダフルオーバー(4~5m?)はありそうな波が寄せていた。

冬の北海道では、スノーボードよりも

サーフィンの方が人気になるという日もやがてやってくるのかもしれない🌊

しかし、そんなことより地球は大丈夫なのか??と🌏

襟裳は、本当に何も無い😂

と思ったが、そうでも無かった♨️

ラジウムのお風呂を見つけて寄ってみた。

銭湯なのか温泉なのかよく分からない。

お爺さんが1人浸かっていたが、

「垢がたくさん浮いてるから今、溢れさせて流してるところなんだよ」

と言う。😅

(それって家庭のお風呂でやるやつじゃないか😂)

確かにたくさん浮いている。😱きっちゃない風呂だ!(てか湯の花?)

お爺さん、自分の周りの水面を手でかきはじめて

「そっちの方に流れてくから、かいて流してくれる?」

と言うので、

「分かりました」😂

と、私は流れてきた垢らしきものを湯船の淵に向かって流しはじめた。

いきなり

見知らぬ爺さんと二人、

アカ取りをしていると言う謎の展開🤣🤣

面白すぎる🤣

しかも、アカは

なかなか無くならなくて、上がるに上がれないまま

たっぷり浸かってしまった💦

オープンなお爺さんのおかげで、

全く遠慮はいらず

温まってゆく事ができた。♨️

なんか、歌の歌詞のとおりになったみたいだ😌

風が吹きすさぶ襟裳だからこそ、温かい。

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後まで、ご覧頂きありがとうございました🙏😌

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話しは変わって😌脱未来へ、

2ヵ月ほど前、

稲の多年草化プロジェクトで

斎藤幸平さんという方の講演を聴く機会があったが、

最近になってその著書

「人新世の資本論」を読み始めた。

大きすぎて見えない事でも、確実に目の前の事から変わり始め、

自然の恵みと共にある日本の農業は

新しい未来へ歩み始めている様に思えた。