聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

南伊豆【縁結びの御礼参り】⛩️伊古奈比咩神社⛩️熊野神社

2024-06-30 | スピリチュアル

2023年9月、

静岡県伊豆半島の最古の神社=伊古奈比咩神社(白浜神社)と、伊豆半島最南端の神社・熊野神社にて、縁結びの祈願をしてきた。

 

『白浜神社』

 

『熊野神社』

 

去年のブログでも投稿しているが、両社は縁結びの御利益で知られる💖

 

『白浜神社拝殿』

 

 

当時はお相手もいなかったが、無事に

縁のある方と出会い結ばれたので、

お礼参りをし奉納させて頂いてきた。

 

 

伊古奈比咩神社(白浜神社)の

見目の女神さまは

三島大社に祀られる『三島大明神』の后妃となる姫神様を見つけた神様。

 

『見目弁財天』

 

お相手がいない方が、パートナーを見つけるにはさぞ御利益があるだろうなと思ったが、

まさにまさに😌

 

夫婦円満の神様でもあり、カップルで参拝されてる方が多かった。

 

✨✨✨✨⛩️⛩️⛩️✨✨✨✨

 

 

【熊野神社】

伊豆半島の最南端、⛩️熊野神社は石廊崎の石室神社の突き出た岬に祭られている。

御祭神のスサノオ様は、やはり海が似合う。

 

海上を征く船から目印になっていた事だろう。

 


普通は石廊崎オーシャンパークの駐車場からアクセスするが、閉まっていたので
麓の遊覧船乗り場から、参道を登りお参りした。

「遊覧船乗り場」

 

徒歩20分、岬の風にあたれば汗もひき心地よい。

 

 

岬の先端の小さい社に祭られている。

神恩感謝✨🙏


(伊豆は伊勢氏が北条氏と結ばれ『北条早雲』となった場所でもあり、やはりかつての偉人も結びのご縁を頂いたのだろうか、、)

 


前回の投稿で北海道日高山脈のジオパークについて書いたが、

こちら伊豆半島も、同様にユネスコ世界ジオパーク(地質遺産)に認定されている。

 

3つのプレートがひしめき合う 本州で唯一 フィリピン海プレートに位置し、
かつて海底火山島 だった島が本州にぶつかってできた半島。世界的にも珍しい。

 

 

伊豆半島自体が、

プレートの移動とともに数百キロも南からやってきて本州と結ばれた奇跡の結合であり、

それだけに、

ここに祭られる縁結びの神さまと
統合のパワースポットとしての壮大な縁を感じる。

おかげさまで唯一の方と結ばれた。

 

気軽に足を運べる場所でもないが

ここに来て願えば、

天にも地にも、願いは通じる

最強の縁結びパワースポットでした✨🙏

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨

最後までご覧いただきありがとうございました。


不思議なパワースポット✨養父神社⛩️

2023-12-19 | スピリチュアル

パワースポットですが、久しぶりにスピリチュアル系で投稿します✨

 

知る人ぞ知る『養父神社』✨⛩️

 

歴史的興味から行きたいと思いつつ、

なかなか行く機会がなかったが、

今回は、ピンポイントで兵庫県養父市を目指して行った。

 

横浜から向かう途中🚙、滋賀県甲賀市で一泊して

翌朝、ホテル近くの神社にお参りしてみたら

ナント!😳そこも養父神社だった。⛩️

 

【滋賀県⛩️養父神社】

養父神社と書いて「やぶ」神社という。

 

養父神社は兵庫県養父市(やぶ市)から、西日本に広がるが、

こちらが最東端の養父神社かもしれない。

何れにせよ、関東人にとっては珍しい神社だ。

 

 

御旅所(神輿で廻ってきた神様が留まる所)があった。

 

朝のお参りを済ませ、⛩️養父神社から200キロ離れた

兵庫県養父市の⛩️養父神社へ向かう繋ぎ参りに🚙

 

 

【兵庫県⛩️養父神社】

ご祭神

倉稲魂命(ウカノミタマ)

少彦名命(スクナヒコナ)

大己貴命(大国主神)

丹馬道主(谷羽道主命)

船帆足尼命

 

養父神社は、山陰本線沿いにある。かつてあった下の参道は、明治時代に開通と共に削り取られててしまった。

 

参道下の見事な竹細工。ライトアップされたらさぞ幻想的だろう

 

 

 

養父神社は日本海側から大和へ向かう途中の拠点があった場所で、

高句麗や魏国(燕国)の慕容氏とも関係があると考えられている。

 

歴史的所以は深い重点的な場所で、コウノトリの群生地としても知られていた。こちらは三宮になり、頂上が奥宮だったらしいが、御祭神でもある丹波道主の居城だった様だ。

日本国時代は、国内での争いの為の要衝に拠点が築かれたのに対し、

もっと古い、古事記が編纂されるよりも数百年前の

和国時代は、海外からの侵攻や上陸の為の要衝に拠点が築かれていたのが特徴的だ。

しかしそうした歴史的な興味とは別に、何と言うか、 ただならぬ感じが漂う空間だ。

 

宇宙飛行士が宇宙から光の柱が見えたという場所にある茨城県の御岩神社、

発行現象や群発地震で有名な長野県の皆神山ピラミッドの登頂の皆神神社のような印象を受ける。🤔

ここで 出口王仁三郎や竹内文書などの所以などがあれば ミステリースポットとしても紹介できそうな雰囲気だが、そうした感じではなく由緒はもっと古い様だ。


知る人とぞ知るスポットで、

全国から霊能者や医師など様々な人が訪れるという。

 

 

本殿は江戸・明治で移設されているが、聞くところによれば本殿である養父神社は実は本殿ではなく、右の奥にある山野口神社こそが本当の本殿とも言われている、

 


本殿の前にある狛犬と、狼が2基並んでいる。

後ろで尻尾を上げている方が駒狼で、

この狛犬と狛狼が並んでいる間はパワーゾーンになっていて、この間に立つと良いという。

 

 

 

【山野口神社】

御祭神 大山祇神

大山祇の神さまは厳格な神様で、お参りする時は、

頭を直角に下げる。

 

山野口神社は不思議な現象や、不思議な写真が撮られることでも密かに知られている。

丁寧にお参りをしてから、どうか不思議な写真を撮らせてくださいと、お願いしてみた。

 

着いたばかりの頃は黒雲に覆われ雨もちらほら降っていたが、

にわかに雲が割れ陽が顔を出し、なんとも不思議な写真が撮れた。

 

 

光量の変化だと思うが、不思議な写真であることには違いない。

 

 

 

 

 

不思議なスポットだった。

 

お読み頂きありがとうございました。✨✨✨✨


西宮三社巡りⅢ【西宮神社】ベイエリアのパワースポット

2023-07-08 | スピリチュアル

【西宮神社】兵庫県西宮市社家町1-17

全国 3500社ある福の神
えべっさん神社の総本社

 

 

ご祭神 
蛭子大神(エビス様)
天照大神
須佐之男

 

1月10日の開門神事で赤門から230m 先の本殿まで一斉に走り出す
雄壮な『福男』選びで知られる。

 

 

 

女性も参加出来るそうだが、福女に選ばれた方はまだいないらしい。

 

 



本殿の向かいにある、市杵島姫様を祭る神社

丁度、6月17日が祭日だった。

 

 

 

元々こちらは、廣田神社の南宮があった摂社だった様で、市杵島姫様が祭られていた。

主祭神のエビスさまは七福神の1人で

恵比寿さま
蛭子さま
戎さま

とも書く。

 

 

イザナキイザナミの国生み神話で、
最初に生まれた子だが、
体が柔らかく歩けなかった為
「ヒルコ」(蛭子)と名付けられ船に乗せて流された。


その後、
漁民に拾われ釣りの神となり
西宮に流れ着き祭られた。

 

室町時代には大漁や商売繁盛の神として
『七福神』の1人に連なり

大国主の子・事代主神と習合して、

大国主と習合した大黒天(マハーカーラ)と、親子で祭られる様になった。

今は「えべっさん」との愛称で関西で親しまれている。


紆余曲折が凄すぎる神様だ😳🙏✨⛩️

 

西宮の三社とも
(越木岩⛩️・廣田⛩️・西宮⛩️)

紆余曲折がすごく、神様や神社の名が幾つもあり、起源が重層的だ。

しかし、信仰はとてもシンプルな様だ。

こちらでは毎朝、皆で大祓を奏唱されている。

 

 

六甲山神社 菊理姫✨

 

松尾大社🍶の狛犬

 

 

庭津火神社⛩️社殿の無い神社

 

梅宮神社 お酒の神様🍶

 

廣田神社の摂社の南宮神社の末社である

『兒社』⛩️

(社系の説明長い🙄)じ社、ニ社?こ社と読むのだろうか、、

 

 

 

 

⛩️越木岩神社
⛩️廣田神社
⛩️西宮神社 

西宮のハーバービューラインは

女神様と福の神のパワースポットで、

なんというか、神社のテーマパークの様な不思議な空間だった。

✨💖✨✨🙏



お読み頂きありがとうございました。

🙏✨

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

三社巡りシリーズ最後なので、

感想を加筆します。

 

興味のある方はご覧下さい。🙏✨

 

西宮市を周ってみて感じたのは、

「氣」が違う事。

関東から西宮へ移った知人から「とても氣の良いところ」と聴いてはいたのだが、

ホントに何かが違う。エリア全体が神社の境内の様に何か精妙な空気感に包まれている。

 

日本中、車でグルグル周っていると、その土地その場所の独特な空気感を感じることがあるが、

特に運転していると県をまたいだだけでも土地柄がよく分かる。

諏訪の人は側方間隔とる、〇〇の人2割スピード増し、〇●県の人はウィンカー出さない、●〇県の人ゼッタイ道譲らないとか、適応してこちらも直ぐに運転の仕方に馴染まないと危険だ。

神社巡りで月と地球の距離くらい走っても、無事故でいられたのは神様のご加護があったと思うが、その辺りの察知もあったのかもしれない。🤔

 

西宮は、どんなに渋滞していても、イライラせず道を譲り合っている。

 

信じられないほど皆優しかった。

 

走らせて貰ってるだけで、リトリートされてたのかもしれない、西宮へ引っ越したくなった。😳

 

ちょっとスピ系の話になるが、😌

 

東京には、レイラインならぬレイロードというものが存在する。

所謂、走るパワースポットというべきか、渋谷の某所から世田谷にかけての道で、

その道に入っただけで、何か雰囲気がガラっと変わるルートがある。🐉

 

富裕層が住んでいるエリアもあり、ある方の話だと富裕層の方が住むというだけでなく、そこに住むことで運気が上がり富裕になるという事らしい。

 

六甲山から夙川へ下る途中、

何か感じるルートがあった。

六甲山の地質や風水への興味は尽きないが、

関東に疲れたら、

また西宮に行きたいと思う。(いつか引っ越したい)

ありがとうございました🙏

 


手水舎と水鏡『10選』✨

2023-03-05 | スピリチュアル
各地の神社の手水舎・手水鉢の画像をまとめてみた「10選」
 
お参りの前に左右の手と口を洗ぐ手水舎。一時使用禁止になると、
蓋をせずに花を置いて「花手水」(はなちょうず)にしていた神社も多くありましたが
他にも印象的な『手水舎』を、いくつかUPしてみます。
 
 
 
Ⅰ.東京【世田谷八幡】
 
圧巻の花づくし。
 
 
Ⅱ.淡路島【おのころ島神社】
 
 
使用する人もなく、のんびりしてる。🐸カエル水鉢
 
 
Ⅲ.三重県【二見興玉神社】
御祭神 猿田彦大神 
御相神 宇迦御魂大神
 
 
伊勢神宮にお参りする前にお参りする神社。
 
 
見事な夫婦岩で有名だが、境内はカエルづくし。
 
 
手水舎にもカエルが沢山いる。
 
水面からカエルが顔だしは、、😅全国で唯一?
 
猿田彦のご妻神は天宇受売命で、
夫婦相神で祭られてることが多いので、
 
宇迦之御魂と共に祭られているというのも珍しい🤔
 
 
Ⅳ.福岡【大宰府天満宮】
 
 
 
宇宙観溢れる手水舎、、
 
 
Ⅴ.愛知県名古屋市【別小江神社】 
 
 
御朱印も多彩な神社。
 
使用はできず拝観用だがビビットな意匠😌
 
 
Ⅵ.宮城県【金蛇水神社】
 
 
 
 
 
こちらも鑑賞用。下に蛇さんがアレンジメントされている🐍
 
手水舎が使用される様になった今でも、デコレーションはされてるのだろうか、
 
手水舎10選のうち、BESTワンを選ぶとしたら
こちらの手水舎に一票入れてみたい😌☝️
 
 
Ⅶ.埼玉県【調神社】
 
 
前々回の投稿でupした兎の神社。
 
龍ではなく、兎の口から水が出ているのがインパクト『大』😳ちょっとキョわい
 
正面から見ると温泉に入るカピバラの様だ。
 
こちらも全国唯一だろうか、
 
 
Ⅷ.長崎県対馬【ワタツミ神社】
 
 
さすが海神族の神社だけあってか、
 
手水鉢も磯岩(リーフ)で出来ていた😮
 
唯一無二の海の手水舎🌊
 
 

Ⅸ.糸島【二丈岳山頂】
 
711mの登山。巨石群を抜けると、頂上には大巨石群が屹立している。


 
その巨石の陰にひっそりと、祠が祭られている。

 
その手前にあった小さな水鏡(手水鉢)
 
こんな山の上にも、、と😳ちょっと感動。
 
 
Ⅹ.広島県【熊野神社】
比婆山に葬られたイザナミ陵を遥拝する神社。日本神話の故郷✨⛩️
 
 
 
花弁の鉢⚱️仏教風、
お寺にある大きな常香炉の様な手水鉢
 
これも他ではあまり見かけたことがない、😮
珍しい手水舎。
 
 
 

✨【others】
 
 
 

 




最後までご覧頂きありがとうございました。
 
✨✨✨

お盆『先祖崇拝と自然崇拝』について、

2022-08-11 | スピリチュアル

今回は聖地・パワースポットの投稿ではなく、「お盆」の時期にちなみプライベートなご先祖様のお話しで😌す。

そもそもプライベートな事を思いのまま書くのがブログですが😅💦

後半は思いのまま加筆してます。
😌🙏(画像少なめ)


北陸某所のとある浄土真宗のお寺さん

入口の脇にお地蔵さまがある。

 

生き地蔵と云われ、囲いを作って安置されている。

 

お地蔵さまは人々の身近で見守っている仏さまだが、境内で人々が囲いを作ったのには云われがあった。

 

 

 


【洪水から村を救ったお地蔵さま】

 

今から200年ほど前、おそらくは江戸時代の天保年間のこと、、

『ある時、大雨が続き川の水かさが増していました。

三日目の夜中、

「土手が切れるぞー!」と

村の人々を起こして周る者がいました。

びっくりして起きてきた村人達は、切れかけた土手を見つけ、杭を打ち土俵を積み土手を守りました。


翌朝、泥だらけになったお地蔵さまが見つかり、

村人たちを起こして周ったのは、このお地蔵さまだったという事が分かり、

「もう二度とお地蔵さまが流されないように」と

囲いを作り、お地蔵さまを祀りました。』

 

 

私の七代前のご先祖様のお話しということ。

 

 

何故この話しを知ったかというと、『本当にいるのか分からない遠い親戚』に巡り合い教えて貰えたからで😌


「遠い親戚に○○の人がいるらしい」、、など、

親から噂に聴くことはあっても、現実に会えたり確かめたりする機会はまず無い。

近しい親戚で疎遠になる昨今、遠い親戚となれば、普通は生涯出会うことの無い親戚だ。

たとえ出会えたとしても「は?」

という感じかもしれない。

 

ある時、

私はご先祖様のことを知りたいと思い家系図を作ったことがあった。

ご先祖さまが代々住んでいた『本貫地』というのが誰にでもありますが、
武家でもないので当然家伝の巻物などはなく何処かは分かりません😅

 

まず本家筋の伯父さん(父の兄)にお願いして
『原戸籍』という聞き慣れない戸籍を役所から取り寄せて貰った。

祖父以前に遡り、残存する限りの(出生)死亡記録が書かれている。

これで7代前までのご先祖さまの名前が分かった。

江戸時代寛永年間、実に200年前。

 

明治時代の役人が江戸時代から残る記録を転記してくれていたのだと思うが、ペンではなく筆で書かれ、
昔の住所表記で今の住所だと何処に当たるかがさっぱり分からなかった。

地元であれば郷土史研究をしている人から聞けばわかりそうなものだが、
その土地がどこかもわからないので
仕方なく国会図書館に行って

(古い何かでも多分あるだろーという勝手な憶測😅)

(議事堂右向かいに図書館が鎮座する)


昔の地図などを調べたりしてなんとか

「多分ここだろう?」という場所を探しだした。

 

そのエリアのお寺巡りをし、
家系図を頼りにご先祖さまのお墓を探してますという旨を伝え
「こういう方のお墓はありますか?」
と尋ねて周り、

(厄介な来訪者や😅🙏)

たまたま、5代前のご先祖さまの名前の屋号が使われていた為、
『本当にいるのか分からない遠い親戚』の方に巡り合うことが出来た。

そして家系図の間違っているところやお地蔵さんのお話しも教えて頂き、
約200年前からのご先祖さま代々が眠るお墓に一緒にお参りすることが出来た。🙏🙏🙏

江戸時代は人の移動は禁じられてたので、基本的に江戸時代まで分かれば400年前くらいのご先祖さまはそこいた事になる。


普段の自分からは、父母という一組のカップルしかみえないので世代の時の流れを考えることもない。

七代前からだと、200年間で😮ナント
128組のカップルが子供を生み育ててくれてきたお陰で
今の自分が存在しているという事になる🤔


家系図を作ろうと思ったきっかけは、
沖縄にいた頃、ユタさんのような方に先祖供養を勧められた事があったからだ。

沖縄の人は、お墓の前にブルーシートを敷いて皆で食事を持ちより、
ゆんたく(お喋り)しながら1日中(ひっちー)ご先祖さまと一緒にすごす。中国式の紙のお金を燃やしたりなど、中国傘下だった琉球時代の習慣が色濃く残るお盆。台湾に近い。


(💴あの世でご先祖さまが使うためのお金。紙のお金は横浜中華街の関帝廟でも使われていた)

先祖を敬い、
一族の始祖を祖神として大切に祭っていたのは本土の日本人も同じ😌

 


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

【日本人は木や岩、自然全てに神が宿ると信じていた】、、という嘘😱

について書いてます、、😑

興味のある方はご覧下さい。🙏✨


昔の日本人は、

先祖や祖神が宿る依り代の

木や岩、或は埋葬した山に

祖霊(神)が宿ると信じていただけで

何も『木や岩、自然全てに神が宿る』と、、信じていた訳ではありません。😔

自然を敬うのは当り前の事ですが、

これはイギリス人のタイラーさんという学者が思いついた『アニミズム』という考え方で、

私達日本人の先祖を敬うという信仰からはだいぶ外れています。

なぜこのような間違いが起きてしまったかと言うと、

西洋一神教では『先祖崇拝』が禁じられていて、特に敬虔なキリスト教では
死後の世界観も含めて2000年近く禁じられてきたので、

先祖崇拝?が理解できず、木や岩、山そのものを崇めていたと勘違いした様です。

 

「全治全能の唯一神ヲアガメナサーイ」的な一神教にとって、

人々が過去に実在したであろうご先祖様・祖神を崇めることは極めて危険で

祖先崇拝はあってはならなかった。

 

ただ、

『日本人は自然を敬い木や岩、山、自然全てに神が宿ると信じていた』

という美々しい言葉の響きは日本の学者にも受け入れられ、今では枕言葉の様に使われている為、

大切に受け継がれてきた先祖崇拝が、→ 自然崇拝に置きかえられて

定着してしまった感があり😔

残念に思うので、

くどい様ですが今一度、主張します😢


日本人は自然を敬ってましたが、

木、岩、山、自然全てに神が宿ると信じていたというのは間違い

宗教が生まれたのも、自然崇拝からでなく

猟師は山、漁師は海、
農民は大地と天、

食を得るための感謝と安全の祈りから。

先祖崇拝も

埋葬した場所の木や岩、山

或いは祭祀を行う木や岩、山

依り代に祖霊・祖神を祭っていただけ。

(両墓制=埋葬する場所と祭事を行う場所が違うパターンもあります😌☝️)

 

そもそも『自然を敬う』、、、と言っても、

日本には自然という言葉はなかったのだ。

ありのままで在るものを西洋人の様に、わざわざ人と切り離した対象として考える発想自体😵‍💫なかった。

仕方なく、英語のネイチャーに(ありのまま)という仏教用語の『法爾自然』を対訳に当てた西洋言語だ。

人も自然の一部でありその当たり前の事を、何故わざわざ

西洋人は人と切り離した対比的な存在『自然』と考え、

切り離した上で、崇拝するなどという事を考えつくのか?😵‍💫

西洋人は、個が強め文化なので
自己中心的な考えに極端に片寄ることで、自己と切り離された他者が生まれ対象(自然)として考える様になったのだろうか、、?🤔

タイラーさんが、日本を理解するには精神性が違いすぎたのかもしれない、、、😅

また、古代から中世へと移りゆく大化の改新の前、少なくとも大和王朝には120以上の氏族が属していた。それぞれが祖神を祭っていたとはすれば氏族の数だけ、神々が存在することになり、

日本の学術的にも由緒が多元的であるより、「自然」に一元化しておいた方が何かと面倒がないのかもしれない。🤔

 

阿部氏 大彦命
安曇氏 綿津見命
葛城氏 天高彦
尾張氏 天火明命
大伴氏 天忍日命
中臣氏 天児屋根命
田辺氏 伯太命
諏訪氏 建御名方命
佐伯氏 天忍日命
壱岐氏 月読命

、、etc 氏祖神をあげれば😅きりが無いですが、

日本人は家紋や苗字から遡れば、必ず

八百万の神々の何方様かに起源があたります。

 

「古墳」とは王墓のことですが全国で16万基もあり、

それぞれ氏族や部族の始祖や王が、数多く存在していたという証しでもある。

大和朝廷が日本を統一してからは、各部族の王墓は姿を消し、かつて

王のいた部族も大和朝廷の中の一氏族という形で帰属する様になって

祖神を祭るのみの存在となっていく。

東洋人は
ご先祖様への崇敬信仰

西洋人は
唯一神への崇拝信仰

と考えた方が現実的で、何より

西洋人目線の
「自然崇拝→八百万神」説で、

ご先祖様との本来の繋がりを、
崩されてしまう事も無い。

八百万神は自然崇拝から発生した神という訳ではなく、
私達のご先祖様(始祖神)なのだから。

 

平安時代になると神別氏族として
400氏族ほどに出自分類されますが、


飛鳥時代はまだ八百万の神々と末裔の氏族は近しく(私が200年前の七代前のご先祖さまがお地蔵様として祭られていると知り得た様に😌)、

それぞれ祭りごとがあり結びつきがあった。

遡るほど、複雑化するのは確かに面倒そうですので、

学術的にはアニミズムを採用し、

「全てに神が宿ると信じていた為、八百万の神々が信仰された」

と、しておいた方が無難そうだ🤔

 

アカデミズムでの事情はさておき、、

 

私たち市民は

神社に行った時の懐かしい雰囲気や

ホッとする気分を感じるだけで充分かもしれません😌✨🙏

 

 

ともかく、、

昔の日本人は、山だらけの日本列島の中で、

神聖な場所、祭事を行う聖地を定めるのがとても上手でした。

渡来人も、中国の気学風水を知る人々にとって、先祖を祭る場所によって子孫が繁栄しますので、どこの山に祭るかはとても大切にしていました。


西洋人の学者曰く😔☝️

日本人の自然崇拝は木や岩に神が宿ると信じていて、これは子供が人形に話しかけるのと同じ幼稚な行為であると言う事です🙄
(もしかしてだいぶ上から目線?😅)

が、


自然崇拝でなく

先祖崇拝ですから、

(木)=神籬、
(岩)=磐境、
(山)=神奈備山

に祖霊・祖神を祭っていただけで、

全ての木、岩、自然を崇拝していた訳ではないのです。祟りを恐れた訳でもありません。

現代人が、お仏壇に手を合わせるのと同じ、、😌🙏

仏壇や位牌に神が宿ると信じてる訳ではなく、

祟りを恐れたり崇拝している訳でもなく、

私達、日本人は、ただ

ご先祖さまを敬い感謝し

お祈りしているだけです。🙏✨✨


昔も今もそう。

仏教の寺院に墓地が附置され、
亡くなった人を弔ったり埋葬したりするのは今でこそお寺の役割となってますが、それはここ何百年かのことで
それまでその役割を担っていたのは
神社でした。

そして古神道祭祀の弥生時代より

更に遡り


縄文時代でも、
人々の生と死の祭祀や様式は存在し、

聖地(生)
霊地(死)

があった。

イギリスや中国遼河文明と同様のストーンサークルを、埋葬地に祭る。

(生殖活動の斎や場所も存在していたと思われます。ねぶた・もあしび等かすかな残滓感😌)


5000年前、一万年前、ずっと昔から

日本列島には、亡くなられた方への思いやりと祭祀が

ただありました。

 

 

聖なる国✨✨日本の先人達✨

 

 

 

私達の命をこの世におくりだしてくれた

先祖の方々への感謝と皆様のご冥福を

心よりお祈り申し上げます🙏✨

 


入谷【小野照崎神社】東京の下町パワースポットと、狛猫

2022-07-31 | スピリチュアル

【小野照崎神社】東京都台東区下谷2丁目13−14

東京の下町 入谷に鎮座している神社⛩️

 

 

 

『小野篁公』を祭る。平安時代の従三位・参議 

弓馬に長じ反骨精神のある平安時代の歌人で、文徳天皇の教育係りも努めた。

 

 

入谷の日光街道沿いから少し路地を入ったところに鎮座されている。

東国へ下向してきた時に、こちらに住んでいたという

 


小野篁は、詩人であり画家でもあり「その才、神に至る」とまで称されていた為、

アーチストや芸能人の崇敬を集めていて、


渥美二郎がこちらで願掛けをしたところ、


『男はつらいよ』の役が回ってきたというエピソードがある。

 

 

 

神社の

 

 

狛猫😆⛩️ちーちゃんと黒ちゃん発見!

 

 

こちらが黒ちゃん(でしょうとも😅)

 

 

頼んだら顔あげてくれた。

 

 

こちらがチーちゃん

 

 

例によってお願いしたら、スフィンクスポーズとってくれた。懐っこい✨

 

 

何気にドヤ顔😂

 

 

摂社

 

 

こちらでは、月がわりの御朱印や待ち受けを発行しているらしい

涼やか✨✨✨

 

 

長文の投稿が続いてましたが、今回はさくっと😌これで✨

 

読んで下さってありがとうございました🙏✨


竹内文書【御皇城山皇大神宮】富山県ミステリースポット

2022-07-30 | スピリチュアル

【御皇城山皇大神宮】

富山県富山市の呉羽山(呉羽丘陵)にあるひっそりとした神社。

 

久しぶりの宇宙系のスポットです。

発光現象やUFO目撃などがある不思議なスポットに祭られている神社。

 

富山市の呉羽山の山麓にあるが、八幡山とも城山とも言われてるのも不思議だ

 

皇祖皇大神宮との名称ですが、

古事記・日本書紀、伊勢神宮の天照大神を皇祖としている神宮ではなく、

『竹内文書』を拠りどころとしているらしい、😮

 

 

由緒で祭られている神様は、古事記に寄せてはいますが、

馴染みのないお名前の神々が沢山😳

 

 

私は『竹内古文書』に関心がないので、よく分からないが、

ご由緒は地球が出来る前から、、😅

磁場がなければ星も銀河もできない。

地球が出来る前、既にここの座標に磁場があったということだろうか?🙄

 

 

かつて大神殿があった場所に、位山(岐阜県)の神通川から降ってきた天照大神が再建されたという。

モーゼ、ブッダ、キリスト、空海、モハメッドなど世界の聖人たちはここへ来て修行をし、それぞれの流派を開いていったらしい。🙃

 

神道というより、新興宗教にありがちな

オールインワンタイプ=「全てこちらが本元ですよ」的な

マウンティングに感じてしまう、、😂

 

と、思ったら『天津教』という教派神道の神社でした😅

 

信者の方が丁寧に掃除をされてるようで綺麗だった。

 

幕末から明治にかけて、古来より続く神社の神道

『神社神道』とは別に

『教派神道』という

新興宗教が数々起こった。○○教という教祖様がいる教団タイプで

根源的で包括的な教義・教典が特徴だ。

 

 

お参りのしかたは、手を合わせて拝むのでなく、特殊な印を結んでの四拝。

八拍手は他にもあるが、こうした拝み方は他に知らない。

鞍馬山でやってそうな人がいるかもしれない…

この参拝法も、奥義全部のせ感がある、、😳

 

『根源的で包括的』なのが=新興宗教とはいえ、、😑

モーゼ、ブッダ、キリスト、空海、孔子、など包括もテンコ盛りで、

こちらに来て皆さん修行してましたという根源感もハンパない、

世界の全ての宗教を見事にマウンティングしてる。

 

 

 

竹内古文書への信仰や宗教団体としての由縁はさておき、

竹内文書に関心がないビジター的にも、

この場所の独特な雰囲気は感じる。

 

色んなエネルギーが集まりやすいという。

 

最初の印象では、茨城県の神社に雰囲気が似てる?御岩神社(峨眉礼宮)?ぽいと思いましたが、

茨城県からの遷宮な様です。

総本庁は茨城県の皇祖皇大神宮

通称むっちゃんこと武内宿禰73代目の竹内 睦泰とは違って、

こちらは宗教教団色が強い。

 

ガイドしてくれた方は以前来た時、

ここで出会った掃除をしている方から龍神の画像を見せられたそうです。

 

案内して頂き行ってきましたが、

何故か、なかなか辿り着けず?😅?

カーナビでの路線は工事で通行止めになっていて、行ったり来たりして


最終的に富山大学の敷地の前まで来ましたが何故がまた道が塞がれ??

 

富山大学の敷地の間から、なだらかな参道を上がっていく。

 

ネットで検索すると

富山の『裏パワースポット』などと軽〜い感じで紹介されていることも多いですが、、😑

確かにそうなのかもしれませんが、、、😅

軽々しくお参りする感じではなかった気がします。

 

 

後で分かりますが、

参拝者の駐車が迷惑で道を通れない様にしていたという

不思議なおじさんが現れました。

他の方々への思いやりで、神社の下、富山大学の敷地前のジャリ道には駐車しない方が良いかもしれません🙏

 

パワースポットというよりも

ミステリースポットかもしれない、、、

行く人にもよりますが、

私はあまり長くいない方がいいかな?という感じでした。

といいつつ長くいましたが、、😅


 

 

このブログで、黒又山ピラミッド、皆神山ピラミッドなど

天然の地形を利用した縄文ピラミッド=環太平洋型ピラミッド

を幾つか紹介してきましたが、

こちらの山はピラミッド型では無いですが、

類似する世界観を感じます。

富山平野に龍が横たわる様な不思議な形をしてる😳

 

それにしても、、です。

喜界島の『大本教』の聖地にいった時も感じましたが、

新興宗教というのは、よくこういう不思議な場所を探してくるな、

とつくづく思います。

祭り方なのか、祀られる存在がそう感じさせるのかは分かりません。

根源的・包括的な教義経典やUFOや光の柱など別にしても、

スポットとしては不思議な空間です。

✨✨✨✨☝️☝️

 

私は長らく神社巡りをしてるうちに

神道と宗教は別物という意識が芽生えてしまった😅💦

もちろん神道を宗教利用しようとしたり、政治利用したりする歴史はあったし、国にとって宗教政策は徴税や軍事の様に重要なものだった。

それでも神道そのものは、宗教とは

次元の違う精神性のような気がしている。

 

竹内文書や宗教団体のことは分かりませんが、

 

最後に竹内さんのお話しをちょっと↓↓
😅🙏


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


弥生時代が終わり、大王の時代=
古墳時代となった四世紀頃のこと

神功皇后の忠臣・竹内宿禰
(タケノウチスクネ)という人物がいた。

※忠臣でなく実は天皇だった説あり
(慕容🙄)

その千年後、

鎌倉時代末〜室町時代に天皇家が南北二つに分裂して争う『南北朝』の大乱が起きた。

まず、

鎌倉幕府と後醍醐天皇が対立、

幕府軍の足利尊氏の5万超の軍勢に
対し
天皇家に味方するのは楠木正成500、

天皇方は敗れ楠木正成は玉砕⚔️
後醍醐天皇は島流しとなる。

が、楠木正成は散っておらず
後醍醐天皇は島抜けし、再び倒幕軍を挙兵する。

幕府軍を率いていた足利尊氏は突然幕府を裏切り天皇側につき、鎌倉幕府を滅ぼす。

楠木正成と足利尊氏は功臣となったが、足利尊氏は今度は天皇家による政治を行おうとする後醍醐天皇を裏切り対立する天皇を擁立し足利幕府を樹立。

後醍醐天皇は、京都から南へ逃げ仕方なく吉野に朝廷を開き、

全国の武士は南朝方、北朝方に分かれ大乱となったが、最終的に足利幕府によって南朝の後醍醐天皇側が滅ぼされた。』

南朝は滅ぼされましたが、

天皇家の忠臣・竹内宿禰の子孫が

南朝の正統性をしろしめす天皇家に伝わる秘儀や秘宝(三種の神器)古文書を大切に守っていたという、、

戦国時代に消失したと思われるが、

竹内文書と呼ばれるものは、これを出典の由緒として結ぶものが多いようです。(真偽のほどは分かりませぬが🙃実は残っていたという)

皇祖皇大神宮という天皇家の祖神を祭ってる様な御社名も、

天皇家の正統性を謳っているという事なのかもしれない、、

(楠木正成や竹内宿禰は祭られてないのかな、、?😑)

 

余談の思い出話しですが、
私が歴史ヲタクになったきっかけの一つ、小学校の頃

竹ノ内先生という方がいて、

歴史の授業で教科書を使わず、ずっと
『南北朝』時代をやっていた。

一学期まるまる南北朝😂

各自、南北朝を調べ発表することになり図書館で調べまくった。初めて歴史散策という体験をさせて貰った。

今思うと、竹ノ内先生こそが、

南朝方の竹ノ内宿禰の子孫の末裔だったのかもしれない?🤔

 

(違うと思います😅)

 

 

😌神社に話し戻します、🙏

 

今回は、普通の神道の神社ではなく、

教団の神社⛩️


明治時代に竹内巨麿

という方が竹内家に伝わる竹内古文書を受け継ぎ、

宗教団体を設立した事が教団の神社としての御由緒だ。

こちらでは、

伏羲、神農、徐福、孔子(中国)
空海、日蓮、親鸞、(日本)
モーゼ、キリスト、ブッダ、モハメッドなど(西アジア南アジア)

名だたる聖者達が、人の生きる道をここで神より教わったとあるが、

ゾロアスター(ツァラトゥストラ)は挙げらておらず、画竜点睛を欠いてるのが歴史マニアとしては何故か😅ちょっと残念だった😑

ゾロアスターは、根源的という存在ではガチの人。

プラトン、キリスト、ブッダより数百年あるいは数千年前の西アジアのアーリア人系の宗教者で、

世界で初の善悪二元論を説いた。

(🌑闇アーリマン・☀️光アフラ・マズダ)

ギリシャ哲学、キリスト教、バラモン教、仏教成立にも影響を与え、

ドイツの哲学者ニーチェ、ナチス、
占星術やタロットにまで影響を残している。

日本でも、高野山などの密教や

お盆(ちょうどお盆ですね)なども影響が残っている。

現代のスピリチュアル系でも、ゲリーボーネルさんや並木良和さんなどゲリーさんに師事した著名な方々によって語られている

「統合と分離を周期的に繰り返す」

という世界観も、

ゾロアスターさんが最初に説いた事だ。

(🙏マニアックな話しにそれました😅)

 

考えてみれば、、

(まだ続くんか😅)

『根源的で包括的』という点においては

新興宗教もスピ系のアカシックレコードも同じだ😮

「全部ここですから〜心配ないですよ」とゆ〜

オール・インワンには

人々を引き付ける魅力がある。

ただ、スピリチュアルの方々が

それでアカウントビジネスをやってるのに対し、

新興宗教という言葉の響きには「お金集め」「票集め」的なイメージがついて回るのも否めない。

昨今、新興宗教という言葉を使わず、

やたらと「新宗教」という言葉が使われているのは

そうしたイメージを払拭する意味合いもあるのだろうか?🤔

 

私は無宗教で、日ごろ宗教教団に関わる機会はなく、

宗教団体の神社は、

神社巡りをしていても、あまり

自分からは行かない様な神社なので

今回、ガイドの方の案内で辿り着くことが出来た。😌珍しい機会でした。

(しかも絶対反対キンの日に😂)

 

✨不思議な国 日本


加賀の国一の宮【白山比咩神社】菊理姫さま✨

2022-07-26 | スピリチュアル

【白山比咩神社】石川県白山市三宮町二105-1

画像多めで割と短め?の投稿です😌

全国三千の白山神社の総本社

ご祭神 菊理姫
イザナミ イザナギ

表参道駐車場より

北参道・南参道駐車場からだと本殿はすぐだが、

下に降っていき表参道から歩いていくのがいいらしい

なだらかな上り坂な参道。

 

緑のトンネルが心地よい

山側からの風も涼し気にぬけていく、、

 

 

創建二千年 

何百年後かの神仏習合の時代、

白山で山岳修験道が開山されると、頂上に奥宮が祭られ白山比咩と白山修験道が習合されたようだ。

 

 

菊理姫は、日本の祖神であるイザナギとイザナミ夫婦が諍った時に間に入りおさめた御神徳の高い神様だ。

イザナキ・イザナミ夫婦相神も共に祭られている。

 

琵琶滝

 

二の鳥居から階段…

 

入口 神門

 

 

門前にある荒御前神社

 

 

奥宮遥拝所

標高2,702mの白山の頂上に奥宮を祭っていて、

こちらから遙拝する。

 

 


今回、北陸を周るツアーは珍しくスピリチュアル系の方にガイドで同行して貰った。

いつも1人で気ままに神社巡りをしてるが弾丸ツアーが多くて、ゆっくり誰かと周るのは久しぶりだ。

 

祓い場

 

祓い社

 

なんとも風光明媚な、桃源郷のよう😌、、✨

 

 

私は、白山姫神社は四回目だったが何故か?いつも雨に煙っていて、

ゆっくり境内を周ったことがなかった。

 

 

同行してくださった方の案内でゆっくりその場の雰囲気を感じながら周ることができ、

初めてきたと錯覚するほど、知らない白山比咩神社を知ることができた。

 

しかも、降水確率90%だったが何故か突如😅快晴になり☀️

 

住吉社


不思議なことに、、😳

その方がエネルギーラインを開くと、空間の雰囲気が変わる。

すると、今まで誰も立ち寄らなかった境外の荒御前神社に次々と人がきて、

あっと言う間に列ができてしまった😂マジか、、

 

門外にある門客神社などは、元々その場所にいた神様である場合が多い。

同じエリアにまつられながらあまり参拝客もなく、寒々とした雰囲気を醸し出していたりするのが、いつも気になっていた。

 

とある神社で、神木にもそれをしていたら、終わると5人の列が出来ていた😳

 

😂客商売などには「一人来て五人帰る説」など負のジンクスがあるが、
プラスのパターン、、「何故か混みだす説」の方。☝️😂

(今度ぜひうちの会社でそれやって下さい🙏😆)

 

神社には本殿の他、摂社や神木、境外にある荒神社(荒魂)、門客神社など様々あるが、

それぞれが別々に存在してるので、それをかき混ぜると
『調和』していく、と言うことだ。

 

私達が、誰もが感じる調和感と言えば、

コンサートや

(バンドで言えばグルーブ感😎)

サッカー観戦など不思議な一帯感を感じる時がある。

 

昔の人は、神社の前で人々が踊ったりすることで自然と空間をかき混ぜていたらしい、

神様と人々が、和楽を愉しむ。

(実はこれは手ぬぐいの起源である説アリ🤔頭に巻かずフリフリする🪅)

 

今回は、

不思議な旅だった。


菊理姫さまは、古事記には登場せず、日本書紀の一端に登場する謎の神様。

 

 

😂🙏少し菊理姫さまについて書いてみます。


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

『イザナギとイザナミが別れに臨もうとしていた時、間に入った菊理姫はイザナキに耳うちをし、それを聞いたイザナキは笑顔になった。』

男と女の仲を取り持つ結びの神様だが、新羅系の神様と云われている。

この時、菊理姫が何と言ったかは謎であり古事記・日本書紀の研究では焦点となる。

🤔古事記では別のエピソード「イザナミとイザナギは言い争った」別れたところで終わり、なぜ日本書紀にだけ菊理姫が挿入されているのか?

🤔イザナギはなぜ菊理姫の言葉で笑顔になったのか?

スピリチュアル系では、

『見た目の美しさでなく本来の美しさを見てください』

と伝えたと言われている。

スサノオも新羅系であり、スサノオの母イザナミも新羅系であったのかもしれない。

新羅は女系を大切に守っていて、
新羅の前身から受け継がれてきた
血統聖母の様な神聖な存在がいた。

イザナミも神聖な女性血統であり、
菊理姫もまた神聖な存在で
もしかするとイザナミの血を引く王女
或いは、イザナミとイザナキの娘だった可能性もある。

『本来の美しさ』とは見た目でなく魂そのものの輝きを指してると思うが、
そこには純粋な血統であるという神聖さもあったのだろう。

古事記でなく、日本書紀に登場したということは、
菊理姫が娘かあるいはもっと後の子孫、違う時代にイザナキイザナミ夫婦の仲を祭った存在だということを示すためかもしれない。

古事記・日本書紀は、西洋で言う旧約聖書・新約聖書の様な日本版となるべく編纂が命じられたと言う。


遣隋使から遣唐使の時代〜  知識人に国境はなく、

中国に集められた世界中の多くの知識が日本に入ってきた時代。

そこへ来て唐が高句麗と百済を滅ぼした為、日本列島には亡命百済人や高句麗人で溢れていて、かつてないほどの政治的・文化的な飛躍的進化が日本列島に起こっていた時代だ。

かつてない多様な世界観から、数々の神話が編み出されたが、その中でも特に菊理姫さまの存在は唐突で際立っている。

日本の祖神さまであるイザナギイ・ザナミ夫婦の諍いの間に、突如として現れ二人のひび割れた関係を修復する。

その為だけに存在している結びの神様のようだ。

それだけ結びのご神徳は高い。☀️☀️☀️☀️

 

※ちなみに古事記・日本書紀が編纂され始めた七世紀は新羅ですが、
イザナミが活躍した弥生時代にはまだ新羅はアリませんでした。

朝鮮半島南端に存在していた任那(『日本府』、『加羅』、『倭』とも呼ばれていた)は6世紀頃まで存在し和国が宗主国だった時もあったが、大伴氏・蘇我氏など豪族の時代に割譲を繰り返し、和国→百済→と領有が代わり、シロ国から勢力を伸ばしてきた新羅が最終的に吸収しましました。

したがって、スサノオと母イザナミや
菊理姫の時代は地理的には例え新羅の歴史であっても、

国的には日本(和国)の歴史と言えるのかもしれません。

 

 

 

 


願いを叶えるパワースポット

2022-06-12 | スピリチュアル

スサノオさまを巡る旅シリーズ?の途中ですが、

このところ、古代ミステリーロマン的な投稿が続いているので、

たまにはスピリチュアル系っぽい投稿をしてみます。

 

願いを加速させるパワースポット。神戸岩

神戸(かのと)とは大嶽神社の入口という意味らしい、

 

 

 

知る人ぞ知る「神戸岩」の岩のくぼみにひっそりとある祠。

 

こちらで、知人があるコミットメントというかイニシエーションをしたところ、その日のうちに、夜になって急転直下のできごとがあり驚くような展開になったという。

 

知人からこの話をきき私も早速行ってみた。

宣言があっという間に具現化する祠、、?!🤔

 

何組か観光客がいたが誰も祠の存在に気付かず、

私も最初は何処にあるのかが分からずに往復した。

 

 

願いを叶えるというよりも、

変容を受け入れる準備ができている方がいくと、

一気に転換するという感じかもしれない、、

 

 

私は、どちらかと言うと繊細な方で(HSP?😅)、いつも人前では心にも無いとってつけた様なことばかり言っていて、本音や本当の願いが自分でもよく分からない人だ。

 

防衛機制の「自分はこうしたい」ではなく、

 

世界が100%安全で安心で、愛に溢れていて、どんな常識外れなことを望んでも、誰かに詰られることや恥ずかしめもなく、肯定に満ちた世界だったら「何を望む?」

 

それでもよく、分からない😅

 

自分からブレていることも多かったので、取り合えずこの半年は、徹底的に断捨離をしてみた。🤔

 

物も人との関係も、環境も、価値観も、SNSアカウントもTVもYouTubeも、思い切ってしがみついていたものも手放してみると、寂しくなるかな?と思ったけど、思ったよりそうでなくすっきりして、本音や、真の願いがようやくキャッチできる様になってきた。😌💖✨

 

で、今や祠の前でそれをコミットしてみた。

 

 

(祠の前に来るとモヤの様なものが降りてきたので写してみたら、祠の上でオーラの様に霞がかってました。こういうのもオーラ写真というのだろうか😮)

 

そして、、

なんと!

 

その日の夜、仕事の電話で話しているうちに急転直下の変容が。

 

今までの自分の常識や、自分のやり方(寧ろブレていた古いやり方)を一気に覆すような内容😮

 

でもそれが自分に嘘のないやり方で、(feel ture!!)

自分で話しておきながら驚いた。

 

ネタを明かせば別段新しいツールという訳ではなく、沖縄の方達がごく自然にやっている「結まーる」というやり方。ただ、それが仕事の中で活かせるのが嬉しい。

事業の進め方にも負担がなくなった。一夜にして仕事のやり方が変わった😮

 

 

神戸岩というだけあって、

本当に神様に扉を開いて貰った気分😳✨

急転直下とは書きましたが、急激な変化というわけではなく

扉の前に立つまでの準備期間があり

扉を開けて貰ったら、

見たこともない光景が入ってきたという感じです、、

(あくまでも個人の感想です😌)

それにしても、、

feel ture 〜真実であることの内なる平和を

セラピーやヒーリングの場ではなく

仕事で感じるとは、、😳

マイナスイオンをたっぷり浴びて、

お蕎麦を食べて

温泉につかって帰るだけの1DAYリトリートでは終わらなかった、、😂☝️

 

神戸岩の神様の御神威✨🙏


奈良県宇陀【龍穴神社】龍神のパワースポット

2022-01-23 | スピリチュアル

 

【室生龍穴神社】奈良県宇陀市室生1297

 

【御祭神】 高靇神 善女龍王

『水神』高靇神(タカオカミ)と

『龍神』善女龍王(善如龍王)を祭る。

創建は不明ですが、古い神社と宇陀の紹介です。画像多め文章多めです。

 

 

千年以上前に、奈良時代の大和朝廷の雨乞いの神事が行われてましたが、

神社が創建される以前から聖域だったと思われます😌✨

 

宇陀市は、奈良県と三重県の県境

奈良盆地の東方、笠置山地の山に鎮座する神社で

宇陀の室生川沿いにある。正式名称は『室生龍穴神社』

(龍穴神社だけでググったら、同じ宇陀市内の青龍寺境内の龍穴神社へ導かれました😌)

 

木立からのぞく空が穴のようでもあり、

木々の一本一本が天昇る龍にも見えてくる、、

なんとも言えない情景

 

境内

 

 

手前の社は、善女龍王の拝殿。

 

奥の朱色の社に祭られているのが、水神【高靇神(タカオカミ)】?

柵があって入れませんでした。守られている様ですが、この造りだとまるで水神が龍神に封印されてる様な感じも、、🤔

 

タカオカミとクラオカミは『龗神(オカミ)』と呼ばれる水の神様で

クラオカミは谷の川の神、

タカオカミは山の川の神。

龍穴神社がある室生川は宇陀川の支流で、更に宇陀川も淀川水系の奥深い支流であり、大阪から瀬戸内海に注ぐ流れの遥か上流に位置する。

まさに、山の川の神らしい。

 

【龍穴神社奥宮】

吉祥龍穴という。龍穴神社から上流へ、車で数分行ったところ。

途中、天の岩戸神社がある。

 

吉祥龍穴へ向かう途中にある天の岩戸神社

 

 

崖崩れで林道が一部車で通行できず、、

結構歩きました。

 

 

 

室生龍穴神社奥宮『吉祥龍穴』入口

 

鳥居をくぐり下に流れている渓まで降りると、

「龍の棲家」と言われる洞穴があり、

遙拝所から拝むことができる。

 

 

遥拝所の奥に見えるのが、龍の棲む洞穴。

龍が棲むという淵の洞穴が見えるのはここだけで

日本三大龍穴のひとつだそうです。

 

【龍穴遥拝所】

この洞穴には、スサノオの娘で大国主の妻となった

『須勢理姫』が隠れたとの伝承があります。

宇陀は神秘スポットで様々な憶測や伝承がありますが、比較的新しいものが多く

こちらの吉祥龍穴の『須勢理姫』伝説が一番古いかと思われます。

 

 

大国主と言えば出雲大社【蛇神】、=奈良県三輪山の大物主も然り【蛇神】

大国主の正妃となる須勢理姫がここの

龍穴に匿われていたという伝承は、

何やら謎めいていて興味深いです。

 


△▼△▼△▼△
古事記にも登場する『宇陀』。奈良の人でもあまり行かない様な僻地ですが、歴史は古く大和朝庭より以前から存在していました。

古事記によると、、


大和朝庭を開いた初代・神武天皇が東征を行い、紀の国でナガスネヒコを討ち果たし、紀伊半島を周り奈良に入ると、

宇陀にはナガスネヒコの残党、兄ウカシ、弟ウカシという兄弟がいて、大和に服するか?抗うか?で兄弟は対立していました。

宇陀の兄ウカシは鏑矢を射ち神武軍の先導者『八咫烏』を追い払います。そして、罠を仕掛け神武一行の暗殺を企みましたが、大和側についた弟ウカシはこれを密告し、兄ウカシは討たれてしまいます。

こうして最後の抵抗勢力が討ち払われ、奈良で大和朝庭が開かれました。


大和朝庭になってからも、宇陀は朝庭の雨乞いを行いました。

古来からの霊力が宿る場所のようです。

宇陀市の『宇・陀』自体が梵語で、サンスクリット語で水は=ウダカと言い、

宇陀市の語源かもしれません。

 

【深谷川】

 

奈良盆地の東側を囲む山々には、

龍穴神社、丹生川上神社中社・上社・下社、天河弁財天など『水の神』が祭られている。

他にも宇陀市室生には、「九穴八海」という伝説があり、九穴とは、三つの龍穴と六つの岩屋のこと。

また、八海とは、五つの渕と三つの池のこと。吉祥龍穴は三つの龍穴の一つ。

 

誰でも気軽に立ち寄れる、という感じではない神秘的なスポット。

 

神社、、というより『龍の棲み家』

お参りする準備が出来てる方は、行っておきたいところ。

 


話しはそれますが、日本古来の神社は、創造主・創生主をのぞけば通常、

祖神(ご先祖様)や人々のために生きた偉人を神として祀っている。

例えば、

お釈迦様、イエスキリスト、

関帝廟(中国の関羽を祭る神社)、

空海、神武天皇、ヤマトタケルの様に、各地を歩き、人々のため、

国のために生きた人などが亡くなられた後に、

子孫やその教えや加護を受けた人々が神様として祭っているもので、

元々は人として生きた存在です。

 

こちらも神社である以上は、そうなのかもしれませんが、


普通の⛩️神社とはちょっと雰囲気が違います、、

😳なんというか、、、

 

人よりも龍がすぎる。そして、水の神さまがすごい。

 

神聖な「磐境」

 

 

 

古代、大勢の神依り達が集っていました。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△

古事記の『須勢理姫』と大国主のお話し

稲羽の白兎を助けた大国主は、兄たちに殺されそうになって逃亡し、

伯耆の国から紀の国、スサノオの治める黄泉の国まで逃げてきました。そこで、

スサノオの娘『須勢理姫』と出会い結ばれます。

須勢理姫は父・スサノオに報告すると「葦原の醜男だ」と言い、大国主命を

蛇の、に入れました。須勢理姫は密かに「蛇払いの比礼」を渡し大国主命はそれで

難なくしました。(室生の語源??😳)

次にスサノオは

蜂の、に入れましたがまた須勢理姫は「魔除払いの比礼」を渡し大国主命はそれで

難なくしました。

(古事記に登場する室から生還したエピソードが、室生川、室生龍穴神社などこちらの『室生』という地名になっている?😳)

こうして幾多の試練を乗り越え、二人はスサノオの十種宝を持ち出し逃げました。

スサノオは黄泉平坂まで追いかけてきて

「お前は兄弟を退け大国主となり娘を妻にして、天に届くほどの高い宮柱のある宮殿を建てよ」

と命じました。

大国主は、命じられたとおり世界最大の木造建築と言われる宮を建て国造りを始めました。

 

このエピソードの「室」とは、部屋のことではなく穴のことですので、

大国主の別名が、

大穴持(オオアナムチ)
大穴牟遅(おおなむち)
と呼ばれた所以でしょうか、

大穴牟遅は、=牛(スサノオの声)によっての試練で即位のれたいなる人(王)とも読めます、🤔

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古来、日本では水神や蛇神が祭られていました。

龍神も元々は、

仏教の護法神でお釈迦様の守護をしていた蛇神「ナーガ」(ヴァースキ)という存在でしたが、

インドから中国へ仏教の護法神が伝わると蛇神は全て龍神に変えられてしまい、ここで八大龍王善女龍王が誕生します。

(中国人すごい😅)

4世紀頃のことでしょうか、、

やがて中国仏教が日本に伝わり「龍神」が広がってくると

日本でも古来からの水神や蛇神が「龍神」にかえられていき、

だんだん姿を消していきます。

(本場インドだけは「蛇も龍も同じ」という考えはなく、蛇神が龍神に変えられる事は無いようです🤔)

 

しかし、

 

こちらに来るとそんな紆余曲折も感じないくらいに、

今は昔の、深淵で懐かしいパワーと、人々との繋がりを感じます。

 

深谷川は、室生龍穴神社がある室生川の西側、ダム湖に注ぐ上流にあり龍が鎮座されています。

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

最後に😌B 級歴史ヲタクなお話しを

「龍」について、、少しまた🙏


古来日本には龍神という概念は存在しなかった。

プロパー日本人である縄文人たちは蛇を刻み、縄文人に近しいと云われるアイヌ人たちも白蛇を祀っていました。


出雲の大国主

三輪山の大物主然り

少なくとも天孫族に国譲りをする前の本州では古代は、蛇神を祀っていたようです。中国の龍が伝来すると蛇神は土着の神とされ、龍にかえられます。

では、made in CAINAである【龍】🐉はいつ日本に入ってきたのか?

中国仏教の守護神である
八大龍王など「龍神」さまは中世、遣唐使の時代に日本に伝わったと思われますが、

龍そのものはもっと古くから、
それより1000年くらい前に

「漢字」の伝来と共に日本に入ってきたと思われます。

まだ、インド仏教が中国に伝わる前の事です。


弥生時代、2000年ぐらい前の硯が九州で発見されていますので、

その頃にはすでに中国の【龍】という漢字と共に「龍」という存在は日本に伝わっていた。

硯は弥生時代中期、紀元前1〜2世紀の頃の物らしく相当古いです。😳


まだ神社仏閣さえ無い時代ですが、

中国で雨を降らせる存在である龍が伝わり、九州で雨乞いが行なわれていた。

稲作の伝来は南北諸説ありますが、

日本のお米の起源であるジャポニカ米は、
中国江南地方が原産で雲南省あたりから南海ルートで日本列島に伝わってきたと考えられています。

稲作に必要な雨を司る存在【龍】も伝わっていた。

 

神社も仏閣も無い時代から既に

神事としての龍は、稲作と共にあった、、

とすれば、

このあたりが私達日本人が

古事記・日本書紀に登場しない中国伝来の龍を

『龍は日本古来からの、、』

と、感じる所以かもしれません。

🙄

日本で古くから人々が持ち続けてきた信仰は、

「土着の信仰である」として格下げされ、後から渡来してきた

大きな宗教にかき消されてしまう傾向がありますが、

それでも、遡って探ってみると

龍と日本人の関係は案外古い、、

 

二千年の時を超えて、今も私達と繋がっています。


🙏長い話を最後まで読んでくださって

ありがとうございました。

 


初詣✨瀬織津姫【小野神社】武蔵一の宮

2022-01-02 | スピリチュアル

武蔵一の宮【小野神社】東京都多摩市一ノ宮1丁目18−8

 
 
ご祭神 瀬織津姫

 
このところ初詣は毎年、小野神社に参拝させてもらっている。
 
1月2日、
参拝客もまばらで、駐車場に車を止めることができた。
 
こちらの神社はなぜか、参拝時間が皆さん短いような気がする。
 
 
 
初詣以外にも月に1回はお参りにきている。
 
 
以前宮司さんに
 
「瀬織津姫に縁がある男性は女性に優しい方なんですよ」
 
と言われたことがあり
それで来続けてるのかもしれない😌
 
 
拝殿に見事な寅の絵🐅
 
いつも何故か、社殿の裏で祈ってる方がいて
 
そして、何故か皆さん右側から裏へ周ります、、🤔
(私もそうしてますが、、)
 
 
瀬織津姫を祀る神社は少ない。
 
一の宮で祭られているのは全国でこちらだけかもしれない、、
 
(一の宮=そのエリアで一番の社格の神社)
 
 
 
古事記・日本書紀には瀬織津姫の名は一切登場せず、
祝詞の大祓いの中に祓戸大神として登場し、文字通り歴史から封印されてしまった神様として知られる。
 
 
歴史上は封印されつつも、
 
スピリチュアル業界ではマグダラのマリア様の様につとに有名で、
 
優しい女神様✨
 
悲しみを超えた慈悲のような
 
深く大きな愛のある優しさは、
 
女神ガイア✨地球🌏のよう
 
日本神話とは違うアセンションの世界。
 
神話には登場しないが、祝詞の【大祓い】の中では、
 
「佐久なだりに落ち滾つ早川の瀬に坐す瀬織津姫という神」
 
といい、長野県の佐久に坐された神だった様だ。
 
或いは
 
神州(信州)に、梓弓を鳴らす梓巫女という巫女がいて
 
瀬織津姫とも。
 
 
 
 
 
△▼△▲△▼△▼
 
こちらに来ると
 
 
悲しみをこらえ群神たちとともに
宮に歩いて行く瀬織津姫の姿が浮かぶかもしれない
 

良縁結び💖宝満宮【竈門神社】

2022-01-01 | スピリチュアル

宝満宮【竈門神社】(かまど神社) 福岡県太宰府市内山883

太宰府天満宮の北東2㌔、宝満山の麓に鎮座する縁結びの神社。山頂に上宮がある。

ご祭神 玉依姫

創 建 西暦650年

古代より続く縁結びの神。

昔は16歳になると宝満山に登り良縁を祈り、山頂付近の木に願いのコヨリを結んだそうだ。

 

緑豊かな神社

 

鬼滅の刃のモデルになった神社として話題になってたが、ヤイバな雰囲気とは程遠く、

ともかく優しくて穏やかな、氣の善きところ。包まれる・・・

 

 

玉依姫さまは、女子力UPの神様💖で


聖母✨

姉・豊玉姫の子ウガヤフキアエズを育て、初代神武天皇をお産みなられた母性溢れるマリア様のような女神様👸

 

男性も女性性とのバランスに良いと思います。陰陽

だいじ…😌

 


全国あちこち周りましたが、私の知るかぎり🌸こちらは日本一綺麗な社務所かと思います😳

 

 

 

【愛敬の岩】

ここから目を閉じて歩いて、もう一方の岩に無事つくことができると恋が叶うという

 

他に

木に向かって好きな人や大切に人との再会を祈る【再会の木】

こよりに願いを書いて木に結ぶと良縁に恵まれる【幸福の木】

顔を映して心を清め神前で祈ると願いが叶という【水鏡】など

境内には想いを願うスポットが沢山あります。

 

 

 

九州で大宰府といえば天満宮ですが、天満宮から車で5分ほどの

こちらの宝満宮【竈門神社】もぜひ立ち寄りたいスポット✨

次は宝満山登山してみよう…標高829m☝️

 

 


福岡古えの津【那珂川】パワースポット5選

2021-12-05 | スピリチュアル

現人神社・妙見神社・安徳宮・裂田神社・高津神社

(妙見神社 鳥居)

博多から車で30分程。那珂川市にある『現人神社』から、

那珂川上流の妙見神社、安徳宮、裂田神社、高津神社と周ります。

光映りがすごい✨

 

【現人神社】
ご祭神 住吉三神『底筒男命・中筒男命・表筒男命』

御神徳は仕事運、就職運アップ、商売繁盛など。

 

イザナキが、亡くなられた妻イザナミに会いに黄泉の国に行った後、

禊を行い穢れを払った時、沢山の神々がお生まれになり、住吉三神は

そのうちの海の神様。他に【綿津見三神】ワダツミという海の神様も一緒に生まれた。

 

 

神功皇后の三韓征伐の時に、

海の神様、底筒男命・中筒男命・表筒男命ら住吉の三神が、人の姿となって現れて神功皇后を助けたことから、三韓征伐の後、神功皇后が「現人」と名付けたのが由来。

(三韓征伐=4世紀末、神功皇后が新羅、任那、百済を朝服させに那珂川より出航した)

 

全国に2千以上ある住吉神社の起源といわれる。

(博多の住吉神社は、最初の住吉神社らしいです)

 

『恋ぼんぼり💖』境内摂社 地禄神社 ご祭神【埴安彦・埴安姫】

 

弥生時代は博多方面は海だったので、この辺りが海岸線で海の神様が祭られたのかもしれません。

7世紀頃、福岡県に大宰府や水城が次々と構築されるまでは那珂方面が拠点で、

弥生時代は糸島半島(伊都国)が玄関口となり、那珂川市・春日市(奴国)が王の拠点となってました。

 

(手水舎)

住吉三神の『筒』という字は、『星』の意味もあるらしく、三つ星(=オリオン座三連星)は、勝利の星として武将に崇められてました。

オリオン座三連星は発見しやすく、海を渡る船乗りにとって目印にもされた馴染みのある星。

仕事運だけでなく勝負運や旅にも縁起良さそう😌✨⛩️

 

 

【妙見神社】

現人神社から那珂川の上流へ車で10分ほど行っただけですが、

雰囲気が変わり山に祭られてる神社が多くなります。

 

御祭神 天ノ御中主(アメノミナカヌシ)最古の神様です。

今度は、三つ星(オリオン)でなく「北極星」

神社の名称となってる妙見とは=北極星のことで、

北極星もまた船乗り達にとっては一番の目印にされていた星。

 

社殿はなく小さな祠だけの神社

 

沢の斜面にひっそりと鎮座している神社。

 

 


【安徳宮】

安徳台にあり、安徳天皇を祭る。

安徳天皇は平氏の平清盛の孫で幼くして即位し(3歳)、政治は平清盛が行ってました。

安徳台という60M ほどの台地の上にあり少し分かり難い場所です。

ミカン園さんの手前からいきました。

 

(ハート型の巨大古墳?🙄)

 

12世紀源平合戦の頃、平家が安徳天皇と三種の神器と共にこちらに都落ちしてきて仮宮を置いたのが起源で、安徳台という地名の由来になってます。

 

(安徳宮 ✨不思議な光…)

 

 

(下り龍??🙄)

 

7世紀には百済援軍の際、斉明天皇が磐瀬宮を置き、

5世紀には神功皇后がここから出航し、

2世紀には奴国の拠点があったとされ、

安徳台遺跡からは銅剣や鏡、43個のゴホウラ貝の腕輪をつけた王や王妃の遺体が発掘されている。

西暦107年に漢に使者を送った『倭王帥升』こと角杙尊の王墓との説があり

今のように福岡平野が広がるまでは、古代の重要拠点だったようです。

 

 

【裂田神社】

 

 

安徳台の麓にある小さな神社。ご祭神 神功皇后

 

 

「神功皇后は三韓征伐へ、那珂川のこちらから出向し無事に戻ってきた。

神々へのお礼に「現人神社」の神田をここに開くことになった。

しかし用水路に大きな岩があり困り果てていたところ、

神功皇后が家臣に命じ神に祈りを捧げると突然、

凄まじい稲光と雷鳴が響き落雷し大岩は裂けた。」

 

 

以来、この辺りを轟きの丘といい、

用水路を『裂田の溝』といい、ここ裂田神社に神功皇后を祭ったという。

 

こちらの裂田神社付近を流れる「裂田の溝」は、

1600年を経た現在でも用水路として使われていて、全国でも類例が無い貴重な流れ。

 

今も変わらない澄んだ水を湛えている。

 

 

 

【高津神社】

那珂川市の中でも謎が深そうな神社です。

ご祭神 高津稲荷(豊受妃大神)

『高津宮』は仁徳天皇の宮を言いますが、こちらではお稲荷さんとして祭られている。

 

元寇の時に砦があった城山、岩門城跡近くに鎮座し、

急な石段を登るトレッキングコースで、子供も老人もいい汗がかけます。

鳥居が続き、登りきると大きな岩座があり、岩の上に社が祭られている。

 

 

 

子供しか通れない小さな鳥居。(子供会の登山コースになりかぢ…)

麓にある『伏見神社』というところが里宮で、こちらの高津神社が元宮ともいわれてますが、

伏見神社では「お稲荷さん」は祭ってなくご祭神 は【ヨド姫】です。

 

難波=波が打ち寄せ住みにくい場所のこと。

博多が海だった頃は、もしやこの辺りが難波だったとか?と思いも浮かびますが

この辺りは「奴国の地」で奴の津→ 那の津→ 難の津と、こちらが難波であるとの説もある様です。

 

(伏見宮)

 

 

 

那珂川の歴史は深く、

一様には伺い知ることのできない畏怖の念を感じますが、

懐かしくて尊い場所でした。

 

紹介しなかった所も含め、

また機会があれば行ってみたいです。

 

 

 


大分県【宇佐神宮】光輝く✨ 八幡宮総社

2021-12-04 | スピリチュアル

八幡総本宮【宇佐神宮】(宇佐八幡宮) 大分県宇佐市南宇佐2859

宇佐神宮大尾山【大尾神社】八幡大神

今回見るだけで運気が上がる』様な画像が多くフォトチャンネル並みに画像多めです。

大鳥居

【宇佐神宮】大分県宇佐市南宇佐2859

宇佐八幡宮とも言い全国にある八幡宮44000社の総社。豊ノ国一之宮でもあり60万平方メートルの広大な敷地に鎮座する。八幡宮は日本一多い神社で、神社総数が11万とすると、神社の半数近くが八幡宮ということになる。

神橋

大分県北部、国東半島の付け根にある宇佐市、卑弥呼説やかつて秦王国があったエリアに祭られ

『天皇家第二の祖廟』とされ栄えた由緒ある神社。『下宮』と『上宮』がある。

大鳥居から真っ直ぐいくと『下宮』。その右側にひっそりと『払所』がある。

心が洗われるような光、、

手前の下宮からお参りします。上宮も同じ神様が祭られている。

【ご祭神】応神天皇 姫神 神功皇后

下宮への階段の横の「払い所」

優しい光が溢れるとても穏やかな空間で、

心が洗われる様な光のシャワーでした。

何もかも不要なものが流されて、浄化されます。

時間が経つに連れて輝きを増していき、ここまで光るともう元の払所見えません。

まるで、 祝福されてる様な光に、優しく包まれた奇跡のショット✨📸

スマホカメラの進歩で光遊びはだんだん鮮やかになってきましたが、

それでもたんに「光とカメラの角度」というだけでなく、

その日その時間だけ、

天候と、季節による太陽の高さと、方角と神社が重なって、雲や木々の葉のゆらぎが光をスペクトル化してくれて、はじめて撮れる不思議な映像です。

撮る人によっても違うみたいですが、私が撮るとピンク色が入ることが多い。

この日は10月31日11時過ぎに此処にたどり着きました。

宇佐神宮へ向かう途中、軽トラがノロノロ前を走ってたり急ぐアオリ屋さんに道を譲ったりなどスピードに緩急はありましたが、この場所にこの時間に着けて良かったです。

神社巡りをする時はよく、

道に迷ったり渋滞に巻き込まれたり、逆に思った以上に早くついたりしますが、

急いでもゆっくりでも到着する時間は結局同じという時があり、そんな時は予定はおいて流れに任せてくと、ああ、この場所にこの時間に到着で正解だったな、😳と感じることが往々にしてあります。

たまたまですが巳歳の人と神社に行きちょっと迷い、結果的に巳の日に、巳の刻、巳の方角、からだったという時もありしました😂

『下宮』社殿

左【応神天皇】中央【姫神】右【神功皇后】

何故か理由は分からなくなったそうだが、古来より二拝四拍手でお参りする習わしらしい…

下宮に向かって左側には『上宮』への階段があり登ると手前に若宮社がある。

若宮神社 ご祭神【仁徳天皇】

鳥居の正面は工事中・・・完成予想図が描かれた緞帳が掛かっていた。

『上宮』社殿 こちらも 

左【応神天皇】中央【姫神】右【神功皇后】二拝四拍手でお参りする。

社殿の正面には「大元神社」遥拝所がある。

神代のころ最初に比賣大神(ヒメおおかみ)が三神、向かいにある御許山(宇佐島)に降臨し、

大元神社が鎮座したのが宇佐神宮の発祥とのことで、こちらから遥拝(おがむこと)ができる。

左【応神天皇】

中央【比賣神】さま

「下宮」「上宮」と周り、一旦下に降りて「八坂神社」へ

隣の春日社も工事中らしくこちらで一緒にお参りする。

大鳥居の前まで戻り、東方に鎮座する大尾神社へ向かうことに。

さり気なく立札と「大尾山参道」石版とが標示されてるが、

歩いていくと結構距離がある。

その上、参道を抜けてから石段を登り山へと上がる。

登頂まで車で行ける様だったので、ここで引き返し車で行くことにした。

宇佐神宮はともかく広く、宇佐神宮球場から大尾山までが神域のようだ。

ゆっくり一日かけて周りたいところ。周れない社もあったが、今回は『大尾神社』までに。

【大尾神社】おおお神社

😳驚く様なよび名の神社✨見るだけで運気が上がる【光輝く神社】⛩️

雲の形も、神々しい✨✨

御朱印に描かれている雲紋(神紋)の渦巻模様みたい、、

大尾山の上にあり、車で登れるがここまで来ると参拝客は殆どいなかった。参拝時、宮司さんご夫婦らしい方と出会ったが、それからはずっと1人きりだったので暫くここに滞在した。


749年 八幡大神が奈良に行かれ戻った後、大尾山にしばらく滞在すると告げられた為、こちらに社殿が設けられ15年間滞在したのが起源という。その後、宇佐神宮の八幡大神の分祀として祭られた。

ひっそりと鎮座されている。格子戸を開け中に入り参拝する。

この八幡大神様は、八幡大神=応神天皇とされてますが別の神様であるとの説があります。八幡大神が奈良に行って戻りこちらに鎮座したというエピソードと、応神天皇も不思議な示現をして顕れ祭られたエピソードがあるので、二柱の神様が習合しているのかもしれません。

応神天皇が弓矢の名人だったことから「弓矢八幡」とうたわれ武士の崇敬を集め全国に八幡宮が広がっていったのは確かなようです。

【頓宮】


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

ここからは、

『宇佐神宮の謎』に迫ってみた✨⛩️

古代ミステリーロマン的にまた長々と書いています(¯―¯٥)今までも長かったですが、、🙏

天皇家第二の祖廟といわれ、古代では伊勢神宮を凌ぐほど栄えていた宇佐神宮。

最近では安倍昭恵夫人とドルフィンドクターが自粛中にお参りし話題にもなったが、大分の片田舎の神社の様に思われ天皇家第二の祖廟とまではあまり知られてはいない様だ。

宇佐神宮は、小椋山(亀山)という小高い丘の上に建てられているが、ここが伝説の女王『卑弥呼』の古墳だという説がある。

魏志倭人伝に「卑弥呼の墓、径百余歩」とあり、丁度その大きさに小椋山が合うらしい、、

八幡造りという社殿の形も巫女が神意を伝えた宮であろかと彷彿させるし、

何よりも拝殿の中央に姫神が祭られていること、

もともと三女神が降臨したことが信仰の起源であり、

それが「宗像三女神」ではなく「姫神」「三神」等と名前を伏せて祭られていること等が、

ある特別な女神の存在を感じずにはいられない。

これが宇佐神宮の謎だ。

日本の史書「古事記」「日本書紀」には

卑弥呼の名は一切登場しないし、邪馬台国や狗奴国、魏国との関係も全く書かれてないので、素直に考えれば大和朝廷の歴史とは直接は関係はないのだろう。

中国の史書「魏志倭人伝」と朝鮮半島の史書だけに卑弥呼は登場する。

魏志倭人伝では『ヒミコ』の後『トヨ姫』が跡を継ぎ、

その後記述は不明だが、

『タマ姫』『ヨド姫』がトヨ姫の跡継ぎとなったのかもしれない。

三女神「ヒミコ、ヨド姫、タマ姫」或いは

ヒミコの跡を継いだかもしれない

三女神「トヨ姫、タマ姫、ヨド姫」

ここ宇佐に女神・三代が鎮座していた可能性はある。

その後は応神天皇、神功皇后の時代となり宇佐で新しい信仰の歴史が始まった。

(この三女神は「古事記」「日本書紀」には登場しない神々で、まだまだ謎が深く闇に包まれてますが、何れ明らかになっていくかもしれません😌)

宇佐神宮大尾神社の起源である八幡大神は、奈良に行ってきてから大尾山に15年間滞在したというので元々は人間だと思われるが、神として祀られる存在でもあった。

⛩️☝️(今更ながらの当たり前ですが🙏一般的に神様とは『創造主』『創世主』をのぞき、空海、ブッダ、イエスキリストがそうであるように人々のために生きた人が亡くなられた後、神として崇められた大切な存在というのが殆ど😌)

もし宗像三女神がこの地に降臨したならば、それも素晴らしいことだと思う。宗像三女神は、多紀理姫と湍津姫命は同じ大国主に嫁いでるが、三姉妹ともそれぞれを生きた感じがしてるので、三女神が同じ地に降臨したというエピソードは貴重に感じる。

しかし、何といっても

宇佐神宮と言えば「御託宣」集である。

(宣託=チャネリング)

宗像三女神が神託を降ろす神というのは、あまり聞いたことがない。

上古の『祭政一致』の時代は

女王=巫女であり、神意を伝え

「祭りごと」と共に「政りごと」も反映したが、大和朝廷が日本統一を果たしてからは宇佐神宮は託宣を伝えるのみの政治分離した存在となった。

8世紀に権力者の「道鏡」という僧が、宇佐神宮の御宣託を偽り帝位につこうとした事件があったが、少なくとも8世紀頃までは宇佐神宮は御宣託を降ろす宮として大和朝廷に対しその役割を担っていた。

道鏡は、宇佐神宮の御神託さえ得られば皇位につけると本気で考えていた。

大和朝廷の天皇から宇佐神宮への使者・清麻呂に

「道鏡が天皇になれば天下泰平になる」というご神託に沿うこたえを持ち帰れば大臣にするとはたらきかけた

しかし清麻呂は節を曲げず

「天の日継ぎは必ず、帝の氏が継ぐ」というご神託を持ち帰ったところ、

権力者道鏡は怒り清麻呂を流罪にしたうえ名前を清麻呂から「きたな麻呂」に改名させてしまった。

宇佐神宮のご神託が大和朝廷に重く扱われていたエピソードのひとつであり、

伊勢神宮とは別に、天皇家第二の祖廟として御神託が重く受けとめれていた事が分かる。

第一の祖廟である伊勢神宮は、もともと大和朝廷の近くに海がなかった為、渡海氏の磯宮だった場所に天照大神様を祭ったものだが、更に伊勢神宮に『内宮』を造営して、伊勢神宮を日本一の社格にまでしたのは天武天皇だ。

この僧・道鏡のご神託事件の時代は天智天皇系に戻る前の時代で、

伊勢神宮を造営した天武天皇系の時代だったにも関わらず、宇佐神宮のご神託が重要視されていた事は、第二の祖廟と言われるだけある。

或いはまだ、宇佐神宮の様な御神託(チャネリング)が受けとれる巫女が他にいなかったのかもしれない、、🤔

巫女や御神託の話しになると長くなるので、詳しくはさておき、

宇佐神宮は天皇家第二の祖廟と言われ、伊勢神宮を凌ぐほど古代の人々の尊崇を集めていた。

他の神社の様な「二拝二拍手」でなく

二拝四拍手の習わしは、

大分の【宇佐神宮】

新潟の【彌彦神社】

島根の【出雲大社】の三社のみ。

宇佐神宮のある九州は胴鏡

彌彦神社のある新潟は翡翠

出雲大社のある出雲は鉄剣が手に入った為、

大和王朝は、胴鏡(八咫鏡)・翡翠(八咫勾玉)・鉄剣(草薙剣)などそれぞれ神器を差し出させて

征服者側の大和朝廷の封じ込めによって、二拝四拍手の習わしになったのでは?との説もある。

確かに、三社の共通点を紐解くとそうかもしれない。

元々、三種の神器というものはなく【剣】と【鏡】の二種が神器だった。

後に、【勾玉】が加わり『三種の神器』になったが、

神武天皇の東征ルートにある様に、九州、中国地方を降して奈良にいき大和朝廷をひらいたが、その後に新潟の越ノ国を降したとすれば、翡翠の勾玉が最後に差し出された神器となり丁度辻褄が合う。

出雲の「国譲り」は知られているが、他にも古事記・日本書紀に記されてない大きな合併があったとしても不思議ではない。

至極当たり前のことだが、

古い祖先がいない人など、 いない。

人間である以上

必ず父と母、2人の人間から生まれる。

祖父方の【祖廟】、

祖母方の【祖廟】、

祖神(おやがみ)の存在も

二つあって当たり前なのだ。

古代では、同じ祖廟を持つ近親婚姻も当然あったにせよ、

婚姻による合併で国と国を統べてきた経緯が多くあるので

その系譜によっては

第二の祖廟として同じように敬われる大切な存在があったのだろう。

私達にも、必ず2人の

お婆ちゃんとお爺ちゃんがいる、

父方母方どちらのお婆ちゃんが好き?

どちらも。

古代の人々も、その様な素直な気持ちで二つの祖廟を愛し

崇敬していた時代があったのかもしれない。

天皇家第二の祖廟といわれた

宇佐神宮は優しくあたたかく、

とても懐かしさを感じる

ヒーリングスポットでした。

✨✨✨✨✨✨🙏🙏🙏

次は1日ゆっくり周りたい😌🙏


神仏習合の起源【丹生都姫神社】和歌山県 紀の国一ノ宮

2021-11-10 | スピリチュアル

【丹生都比売神社】にうつひめ神社  

和歌山県かつらぎ町上天野230

【御祭神】 稚日女命
【創 建】 1700年以上前

和歌山県の奈良県との県境近く、紀の川沿いにある標高450mの紀伊山地に鎮座する。

丹生の『丹』とは、朱色の鉄鉱石の『朱』のこと。

鉄の鉱脈のある所には丹生の地名と神社が祀られていて、丹生都比売神社は全国180社ある丹生神社の総本社。紀の国一ノ宮でもある。(一ノ宮=そのエリアで一番の社格の神社)

弘法大師【空海】が真言密教の根本道場を探していたところ、こちらの御祭神である稚日女命の息子が犬に化身して空海を高野山に導いたと言う。

空海は丹生都比売神社の神領であった高野山を借り受けて、高野山真言宗を開山した。

高野山表参道の二つ鳥居が神社境内の入口であり、中世ではこちらの神社にお参りしてから高野山に登ったという。

この丹生都比売神社と仏教の関係のエピソードは、中世の神仏習合の始まりであると云われ、

『神道と仏教が融合した景観』で丹生都比売神社は世界遺産に登録されている。

(神仏習合=神道の神様は仏教の守護神の化身であるとされ、中世〜江戸時代までは仏教の神様に置き換えられていた。※豊受大神→馬頭観音、天照大神→大日如来など)

最初に稚日女命が祭られ、後から他の神々が勧請され社殿は四社ある。(北条政子寄進)

一 稚日女命 機織、農業の神
ニ 高野御子 空海を高野山に導いた神
三 大食都姫 食べ物の神(気比神宮から)
四 市杵島姫 財運と水の神(厳島神社から)

【若宮】 高野山の僧 行勝上人を祭る

【佐波神社】 境内にある地域の神社を合祀した宮

稚日女命は、天照大神の妹で、天照大神の岩戸隠れの原因となったスサノオの乱入に巻き込まれ亡くなった機織りの神様でもある。

(亡くなったのは下照姫では?など…諸説アリ)

何故、こちらでは丹生都姫というのかは不明😔


【稚日女命】は名前が多く、

天照大神の幼名とも、結婚後に

「下照姫」と名乗ったとも云われ

また天照大神の別称とされる『大日靈』(オオヒルメ)であるとも云われます。

(※オオヒルメは、卑弥呼説もあり)

🙄ようするに稚日女命は天照大神に近しい人物ということか、、🤔

鉄鉱の神であり、機織りの神でもあるというのはイメージしにくいが、

鍛冶や機織りなどの殖産を全国に広げた秦氏が崇めている【宇佐八幡宮】に祭られてる神功皇后を

稚日女命が助けたという説話があるので、何か関係があるのかもしれない、、🤔



神功皇后が祭られる壱岐の島に行って以来、このところ神功皇后の由縁の神社に導かれることが多い。

宇佐神宮に行ってからは『姫神』の存在に触れ、

次は、卑弥呼の故郷と云われる

奄美大島へ向かいたいと思います。

あまみきよ~

そしていずれは、

【卑弥呼の終焉の地】

平原遺跡へ、、✈️