聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

南伊豆⛩️白浜神社 伊豆最古の神社

2023-09-26 | パワースポット

【白浜神社】静岡県下田市白浜2740

南伊豆エリアの白浜海岸にある。伊豆半島⛩️最古の神社✨

(画像多めです😌)

海の鳥居



御神木

なんと、、木の中に神様が祭られていた😮

ご祭神は『伊古奈比咩命』を祭り、

伊古奈比咩神社とも言う。

創建は、事代主神(大国主の息子)が、

こちらへ上陸してきて伊古奈姫と結ばれた事が由緒。

事代主神はその後、北伊豆の三島に移り⛩️三嶋大社に祭られた。

こちらは三嶋大社の元宮と言ったところだろうか。🤔

事代主神が上陸した浜には、⛩️鳥居が建てられていて、毎年秋には祭事が行なわれているそうだ。

今年は、

10月28日 神津島から
事代主神をお迎えする神事が行われ

10月30日、(3時頃〜夕方)
事代主神をお見送りする神事が
行われるとの事。


事代主神と、南伊豆の伊古奈姫の結婚を取り持った『見目の神』は、🩷縁結びの神として祭られていた。

「縁結び祈願」(千円)を頼んでみました。相手はいないですが、😌

【目の神様】

末社と参道


本殿に上がる参道には、何やら言葉が書かれていた。

内容は別として、これも神仏習合の名残りだろうか?と、思ったりして。🙄

本来、神道は

「神ごとは言挙げせぬ」とされ、仏教や宗教の様に説法などはしない🤔

【ご本殿】

△▼△▼△▼△▼△

日本神話の出雲の国譲りで、
大国主命と息子の事代主神は船で去った。

大国主は、静岡の三保に
事代主は、静岡のここ伊豆の白浜に
上陸した。

伊豆も出雲が語源との説がある。

南伊豆には、ご祭神の伊古奈姫様の由来と思われる『伊古奈』と言う地名があり、『賀茂』と言う名も残さるが、こちらは伊古奈姫の夫となった事代主神さまの由縁ではないかと思う。


事代主は上陸前は、伊豆七島の神津島にいて、御蔵島にはその御蔵があり、
島々の名の由緒となっている。

島づたいに北上して、こちらにやってきた。

鳥居の沖に、
伊豆七島の大島がうっすらと見える。

Others Shot

最後まで御覧頂きありがとうございました。🙏✨✨✨✨✨


不思議な【塩釜】と東北の神々

2023-09-16 | パワースポット

【御釜神社】⛩️

宮城県塩釜市本町6-1

陸奥国一宮『塩釜神社』の境外にある末社。

御祭神 塩つちの神

比較的小さな神社だが、とても由緒のある神社だ。

境内には4基の塩釜があり、「塩釜」と言う地名の由来にもなっている。

【四基の塩釜】

神世の代、塩土の神が製塩に使用したとも言われる。

日照りで枯れる事なく、
大雨で溢れる事もない、

海まで繋がっているとも言われている
不思議な井戸だ。

変事の前には水の色が変わると言う言い伝えがあり、

かつては

井戸の水の色に異変があった時は藩主に報告されていた。

実際、

東日本大震災の時は普段は褐色だった井戸水が、4基とも澄んだ透明な水になっていたという、、😳



【鹽竈神社】 陸奥一の宮⛩️

宮城県塩釜市一森1-1

宮城県の塩釜神社は、東北の歴史を代表する神社だ。

(鹽竈=しおがま)


ご祭神『塩つちの神』

塩土老翁とも言い、製塩と海流の神様🌊

塩土老翁は、日本神話では海彦と山彦の戦いに登場する。


借りた釣針を無くしてしまった山彦を龍宮に連れていき、海神族を味方に勝利に導いた神様であり、

導きに御利益があると言う海の神。


△▼△▼△▼△▼△

山彦は海神族の豊玉姫と結ばれ、
ウガヤフキアエズ王子が生まれ、

王子は豊玉姫の妹の『玉依姫』と結ばれて初代・神武天皇が誕生する。

神武天皇は長じて東へ進撃し大和王朝を開き、

時代とともに関東をも支配下にし、

関東の拠点、鹿嶋神宮と香取神宮には


⛩️タケミカヅチ ⛩️経津主命主が、国土平定の神として祭られた。

大和政権は関東から福島、宮城県へと東日本を北上していき、

先住部族の蝦夷族を更に東北へ追いやった。

宮城県の多賀城を上陸拠点とし、

この時も、⛩️タケミカヅチ ⛩️経津主命主を塩土の神が海流に乗り導いたという。

(実際はその神々を始祖として祭る尖兵となる部族だったと思います🤔)

そして、東北を平定した両神は関東に凱旋した。

8世紀頃に多賀城に国府が置かれ『北の都』として栄えた。

蝦夷勢と堺を接していた為、多賀城の国府の北東5㌔(=鬼門の方向)にあった⛩️【塩釜神社】は、
鬼門の守り神になっていた様だ。

平安〜武家の時代まで、奥州藤原氏や奥州伊達家など崇敬は篤く、

伊達家は守り神として、本殿の塩土老翁とは別に、

国土平定の神=武甕槌神、経津主命の両神を塩釜神社に祭った。

『伊達政宗』

新たに正面の東宮・西宮に武甕槌神、経津主命の両神が伊達氏によって建立されると、

元々あった、『塩土の神』の本殿は正面右に移され別宮として祭られた。

不思議な空間配置になっている神社だ。

伊達政宗以降は、伊達藩主が塩釜神社の大神主を兼務していた。

大名が祭る神社はあれど、大神主となっていた神社は全国で唯一かもしれない🤔塩釜は重要だった様だ、



【志波彦神社】

塩釜神社の境内にある神社。

志波彦の神は、古事記などの古典には一切登場しない不思議な神様。

シナツ彦と言う風神と呼び名は似ているが、

シワ=端、という意味で最北端を祭った神様だったらしい。

東北の国津神名のだろうか?🤔

由緒は古いが、塩釜神社の摂社として社殿が建立されたのは明治になってから、

明治天皇による。


神世の代の塩土老翁に始まり

蝦夷と大和の時代から、

戦国の伊達政宗公、

明治天皇まで、

塩釜には、東北の歴史が重層的に重なり大切に残されていた。⛩️


✨✨✨✨✨✨

最後まで、御覧頂きありがとうございました🙏


陸奥の国⛩️宮城県多賀城 アラハバキ神社と多賀神社

2023-09-09 | パワースポット

仙台市から東岸へ、高速で30分ほど行くと宮城県多賀城市がある。

1300年前~大和朝廷の国府が置かれていた。

 

『多賀神社』

ご祭神 経津主命 武甕槌神

飛鳥時代654年、

常陸の国(茨城県)より北へ版図を広げた大和朝廷は

陸奥の国(宮城県)まで進出し、多賀城市に国府を置いた。

九州の太宰府から東北の多賀城までが大和朝廷の領域となり、

ここが蝦夷と大和の境界で、大和側の最東端の拠点でもあったが、

多賀城は869年の貞観津波で流さてしまい、今は見る影もなく、何も無い。

 

『多賀城神社』

 

『アラハバキ神社』


アラハバキ(荒脛巾)は足の神様として、東日本に多く祭られている古い神様だ。

先月の投稿【妙見信仰】も東日本に多いが、

アラハバキ信仰はそれよりも500年以上は遡る古くからの信仰だ。

民家の庭に入っていく感じでお参りする。

 

 

足の神様だけあり、履物が沢山かけられていた。

 

 

隣には太子堂。

 


荒脛巾=アラハバキのハバキとは、
忍者が足に巻いている脚半の様なもので、足のスネに巻くもの。

「荒脛」は神武天皇の東征神話に登場する「長脛彦」の

「長脛」(ナガスネ)とも意味は同様である事から、

同一の神と言われている。

神武天皇が、大和を征服した時に抵抗していた先住部族だった為、

表向き「長脛彦」と言う御名で祭る事を憚って

「荒脛巾」と言う御神名で足の神様として祭られたとの説がある。

 

『十三湊』

長脛彦らは東北まで逃げて古代東北をまとめた。

十三湊の古墳に長脛彦は埋葬されたという。

祭られる神社は、長脛彦神社とも荒脛巾神社とも呼ばれたらしい。

 


陸奥の国(みちのく)は、大和朝廷側とは違う

古い神々が、ひっそりと祭られているスポット。

✨✨✨✨✨🙏

最後までお読み頂きありがとうございました。


『江戸東京たてもの館』近しい御先祖の世界

2023-09-03 | パワースポット

【江戸東京たてもの園】

今回は神社ではなく、近しいご先祖さま達のレトロな世界✨

(画像多めです😌)

映画のセットなどと違い、

実際に都内で住宅として使われていた建物を、移設展示しているのでリアリティがある。

レトロファンにはたまらない。来園者も和装姿が多い。

 

『田園調布の家』(大正14年)

 

 

当時としては珍しい全室洋間。田園調布4丁目から移設。

 

 

江戸東京たてもの園には、

ジブリアニメのモデルとなった建物もあり、一度来て見たかった。😳

 

 

 

 

 

『江戸時代の農家』

綱島家(世田谷区)

 

吉野家(三鷹市)

 

 

125年で一番暑い夏。猛暑で🔥うだる様な暑さだったが、

農家の中は何故か涼しい❄️😮土間があるからだろうか・・・

 

 

『デ・ラランデ邸』(明治43年)

ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ邸。平成11年まで新宿区信濃町に建っていたと言う。

 

 

ジブリに限らず『ゴールデンカムイ』など、その時代の作品はどれも彷彿とさせられる。

 

階段下のあやしい扉

 

 

都バス

 

次は、私も和装で行こう。🙄

 

『高橋是清邸』(明治35年)

 

港区赤坂にあった大邸宅の一部を移設

 

近代政財界のドン「高橋是清」は江戸時代に渡米し、留学するも奴隷扱いされ、帰国後に大臣、ホームレス、日銀、総理大臣、日銀総裁、そして2.26事件で亡くなると言う波乱万丈の人生。

2階は、その現場になったらしい😳

 

 

二帖にも満たない 小さな女中部屋が、何故かトイレの前にあった。

 

何故わざわざこんな所に?と複雑な気持ちになってしまった😔

 

 

隣は「トトロな浴室だ」と皆さん写真を撮られていた。

 

 

 

『都電』

 

 

『子宝の湯』

こちらが、千と千尋の神隠しの油屋のモデルとなったというお風呂。

 

光の差し込みが、富士山の絵になんとも言えない表情をつけている😳

 

 

 

 

『レトロな町並み』

 

 

 

部屋も見て周り、2時間ほど。エキサイティングなタイムトリップでした。

江戸から東京へ、近代日本をもの凄くリアルに感じるスポット✨

 

✨✨✨✨✨✨🙏最後まで御覧頂きありがとう御座いました。

 

 

2023.9月の東京の街並み


下総の国⛩️二の宮【玉崎神社】玉依姫と弟橘姫

2023-09-02 | パワースポット

【玉崎神社】千葉県旭市飯岡2126-1

外房の九十九里の東端にある。玉依姫さまを祭る神社。

 

 

ご祭神の玉依姫さまは、上総の国⛩️一の宮の【玉前神社】(たまさき神社)の御祭神と同じだが、

玉前神社の分社と言う感じではなく、

神社名の由来も違う様だ。

 

 

 

鳥居をくぐると左方に、みごとな四本爪の龍がいる。

 

千葉の九十九里浜は
「玉の浦」といい東端を
「玉ケ崎」と言ったらしく、神社名の由来となっている様だ。

なので玉崎神社は、玉浦神社とも言うらしい。

 

 

 

上総の玉前神社は元宮⛩️神洗神社に玉依姫が上陸してきた由緒があるが、

下総の玉崎神社はヤマトタケルが東征の時に祭ったと言う⛩️由緒だ。

 

玉崎神社『拝殿』

源頼朝~平田篤胤まで、武人・文人たちから崇敬を集めていた。

 

 

玉依姫の上陸拠点『神洗神社』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△

関東には、ヤマトタケルが東征時に創建した神社が多く残る。

三峯神社にイザナギ・イザナミを祭り

橘神社に妻の弟橘姫を祭った。


弟橘姫は、ヤマトタケルの妻で東征の時に荒れた海を鎮めるために犠牲になり、

橘神社、橘樹神社、吾妻神社などに祭られている。

内房(東京湾側)には弟橘姫の袖が流れ着いた為、「袖ケ浦」など、弟橘姫の所以の地名や神社が多い。

外房(太平洋側)の玉崎神社は違っていて、興味深い。

ヤマトタケルが犠牲になった弟橘姫を偲び建立した神社だが、

「弟橘姫」を祭らずに、「玉依姫」を祭っている。

 

下総の「香取神宮」の向こう
香取海(古代)側には、北東アジアの扶余系の渡来氏族が盤踞していて、

ヤマトタケルは征服戦をひかえ、

心にかかる事が何かあったのかもしれない🤔

神武天皇の東征にあやかり、

神武天皇の母である「玉依姫」を祭ったという伝承がある。

神武天皇が東征時に上陸した熊野にも「勝浦」と言う地名があり

千葉の外房にも「勝浦」と言う地名が残るのもそうした由縁だろうか、、

 

扁額

内殿には徳川吉宗の筆による扁額があるらしい。

 

 

 

摂社の後ろの気になる石碑。

正面には阿夫利神社(大山祇命)という石碑があったが、

祠の裏には三峰神社(イザナギ・イザナミ)がある。

何やら事情があるのかもしれない、🤔

 

もしかすると、

こちらがヤマトタケルが祭った

列島最東端の神社かもしれない。

突っ込んであれこれ 書いてみたいところだが、この辺で🙏

 

最後まで

お読み頂きありがとうございました。

✨✨✨✨✨✨🙏

 

 

Other Shot 📷

『玉崎神社⛩️一の鳥居』

 鳥居の横に、座頭市の居宅跡

 

『九十九里の展望』

灯台の展望施設から

 

因みに千葉県の勝浦は、良質な魚がとれる漁港で知られる。

所謂『時価』と呼ばれる魚の価格があるが、

勝浦漁港で水揚げされたカツオの価格が、全国の価格基準になってるらしい😮

 

玉依姫さまのお膝元は、

お魚が美味しいです😌