聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

タイ【ワットパクナム日本別院】千葉県

2021-08-29 | スピリチュアル

 

タイ【ワットパクナム日本別院】 千葉県成田市中野294−1

 

今回は、珍しくお寺です。千葉県の長閑な田園風景の中に忽然とあるタイのお寺(ワット)。【ワットパクナム日本別院】

 

 

 

 

とても日本とは思えないような、タイにワープしてしまった様な景色。

辺りの田園風景もタイランドに見えてしまう程の別世界。

 

 

 

仏教の国タイ

国教ではないですが、国王は仏教徒でないと国王になれないという決まりがあります。

 

ちらほらいる参拝者はタイ人ばかり、、

日本人は私だけ?場違いかなと少し気にしつつも、すれ違う人は皆、合掌して笑顔で会釈してくれる。

厳かな日本のお寺にはない、アットホームな雰囲気で、心が和む。

 

寺院の前にある小さな拝殿。

 

こちらでは金箔とお線香が用意されている。自分の体の悪いところなど、目の前にある仏像の同じ部位に金箔を刷り込んで治してもらうようにお祈りする。

 

 

お線香の立て方がいまいち分からず、隣の方のを見てたらその中の1人が

「ニホンジンデスカ?」

と、話しかけてきてくれ、カタコトの日本語で丁寧に教えてくれた。

なんか、、温かい気持ちになる。

 

全て動物たち。

 

 

静かだが日本のお寺のような密厳さはない。

日本のお寺と違い、脇侍やお不動様、観音様、薬師如来などが居並ぶということはなく、タイ国王の御写真以外はともかくブッダ、

 

ベンチに腰掛けて、

この景色の中でのんびりするのもいいかもしれない、(~‾▿‾)

 

 

 

 


タイ本国、バンコクにある人気の寺院ワットパクナムはアユタヤ王朝時代の王室寺院で、他のお寺とはちょっと違う、、

タイ本国のワットパクナムの幻想的な仏塔 見事な宇宙観

日本にこの別院があるのはありがたい、

同じ仏教でもインドや日本のお寺のように、7世紀以降〜の密教や修験道の影響がそれほど濃くない仏教っぽい仏教のお寺(ワット)。

我々に馴染み深い北方仏教(中国経由)と違い、タイの仏教はスリランカから伝わった南方仏教で小乗仏教。戒律も厳しめ、?

 

異国情緒たっぷりだけど、心穏やかにやすらぐ空間✨

本来のブッタの教えを感じる聖地


群馬県【榛名神社】関東屈指のパワースポット

2021-08-28 | パワースポット

【榛名神社】
群馬県高崎市榛名山町849

 

 

御祭神
火の神「火産霊神」
土の神「埴山毘売神」

祭祀の歴史は古く約2000年前から鎮座する古神道の祭祀場

 

 

群馬県(上毛)の三山【赤城山・妙義山・榛名山】の一つ

榛名山山麓に鎮座する。

 

 

 

深い山間を縫うように奇岩群の中を抜けてゆく、

 

関東屈指のパワースポットと云われるだけあり、神社がなくても、元々パワースポットであったろうと言うほど圧倒的。

山深い荘厳さは、葛飾北斎も浮世絵に描いたほど。

参道だけで山の氣を浴びれる。参道は山門から本殿まで20分ほど歩いてく。

 

楼門

参道

 

あいにくと天気は良くなかったが、むしろその方が山の修行場らしい奇怪な雰囲気をかもし出していた。

 

 

 

途中、参道から横道にそれるとヒノカグツチ命が祭られている秋葉神社がある。本殿と同じく火の神様

 

 

 

 

瓶子(みすず)の滝

 

 

ニギハヤヒ命の御子、可美真手命父子が榛名山に神籬(木)を立てて天神地祇を祀ったのが始まりとされる、

2000年近い歴史があるパワースポット。

古神道は、社殿はなく神籬(木)や巨岩などを岩境(ストーンサークル)で囲い祭祀を行うものだったが、

 

紀元6世紀に榛名山が噴火し、6世紀後半に社殿が創建された。

丁度、仏教が伝来し蘇我氏と物部氏が廃仏親仏で闘っていた頃。まだ役行者も弘法大師もいない、密教も修験道もない時代だが、その後の山岳信仰の修行場としての影響も色濃く残っている。

 

 

10世紀頃(平安時代)には神仏習合が始まり、神社の仏教化が進んだが、榛名神社はより早く山中には9世紀ごろの僧坊の巌山遺跡がある。

江戸時代までは、榛名山巌殿寺と称していたが、明治の神仏分離により仏教色が廃され、元の榛名神社に復活した。

 

巨岩にへばりつくような社殿

 

東面道トンネル

 

 

 

岩座を祭り、神籬(木)を祭っていた、

日本古来の古神道の伝統も微かに感じるパワースポット。

 

 

 

 

 

 

 


遠江國掛川【龍尾神社】

2021-08-24 | パワースポット

【龍尾神社】 静岡県掛川市下西郷84

掛川市の中心にある神社。こちらは前回書かせて頂いた遠江の國一之宮小國神社、事任八幡宮とは少し雰囲気が違い、地域の方の守り神の様な神社。

小國神社、事任八幡宮、龍尾神社、

それぞれ車で30分くらいで移動できる。

鬼門の守りということらしいが、地元の方達と共に鎮座してきた歴史を感じる。

神様と人々の関わりが良さそうな神社。

掛川城の鬼門(北東)にあることから鬼門の守りとして鎮座し、歴代の掛川城主から崇敬を受けていた。

掛川城を囲む、龍頭山、龍腹山、龍尾山が連なり、元は龍腹山に鎮座していたのを掛川城築城により龍尾山に遷宮されたことから龍尾神社という。

摂社のオオナムチ命

(光の帯が鮮やか、、)

龍尾神社というので龍神様がご祭神かと思えば、オオナムチの義父・スサノオノ命さま。クシナダ姫と共に夫婦で祭られている。

しかし、元々は中世の神仏習合でスサノオと同一視された「牛頭天王」を祭っていたらしい。

牛頭天王はブッタが誕生した祇園精舎の守り神で、

神社というよりはインド仏教色が強い。

明治維新までは、お寺が神社を支配し、

古事記・日本書紀など日本神話に登場する神々が封印され、

インド神話に登場する仏教の神々に置き換えられてしまっていた😔

明治後の神仏分離(判然)により、神道の神であるスサノオノ命が御祭神となったが、こちらは微かに仏教色が残っている様に感じる。

京都の八坂神社と同じく

スサノオ夫婦とその御子を共に祭っているが、「蛇毒気神」という毒蛇な神を共に祭っている。

摂社 稲荷神社

毒蛇、、(-_-;)

蛇毒気神の起源は、インド仏教のナーガ信仰(7頭キングコブラ)や、

南の海より出雲地方に流れ着く神の使いとされている「セグロウミヘビ」(超猛毒のヘビ)、

又は出雲でスサノオが退治した「八岐大蛇」(ヤマタノオロチ)など諸説あります。

(セグロウミヘビは出雲地方に流れ着くと出雲大社や佐太神社に奉納されるらしい…)

「蛇毒気神」はスサノオが退治した八岐大蛇のことらしく、倒した側と倒さた方を一緒に祭っている、、(*_*)

タケミカヅチを祭る鹿島神宮などでも、タケミカヅチに倒されたタケミナカタをひっそりと摂社で祭っていたりして、倒された側をひそかに祭るのはそう珍しくない、(ひっそり感が無いのは珍しいかも😳日本神話の由緒をしっかり感じます)

毒蛇を祭るのはちょっと怖い感じもしますが、元々出雲大社のオオモノヌシなどは「蛇神信仰」でした。

後に、龍神と合わさり「龍蛇信仰」にとって変わられてしまった感じもしますが、、、

と。

話しがそれましたが、

信仰の変化と、神社の変化をいくつか感じる、歴史ある掛川の聖地でした🙏⛩️

✨✨✨

ご覧頂きありがとうございました🙏



ここからは

うんちく、というか神社の変化の歴史を感じるよもやまハナシです(-_-)

興味のある方はご覧下さい🙏


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

古代中国には『社稷を守る』『社稷をとる』とゆ〜言葉がある。

土地の人々の聖地、人々の始祖を祭っていた『社』に、あとから来た征服者らが更に『社』を上から囲うことを社稷を取るというらしい、、

日本でも、古い神社があった場所に新しい神社を建立し、元々鎮座していた神様は門客神社などに追いやられていることがある。

征服された側の神様はひっそりと祭られていたりするので、本殿横の杜とか小さな摂社とか、祠(ほこら)が実は

もの凄いパワースポットだったりすることがあるので、

本殿だけでなくそれらしいところもなるたけ周る様にしている(-_-)

神社の歴史を振り返ると、

その時代その時代の権力構造が変わる度に、神様も変えられてきたというのも否めない。

古来からの日本の神社を乗っ取るかの様に、八幡宮や稲荷社など秦氏系の神社が全国に広がった時期もあった。

神仏習合の中世以後は、お寺の支配下に追いやられ、スサノオは牛頭天王に、市杵島姫は弁財天に、天照大神は大日如来に、豊受姫大神は馬頭観音と言った具合に、

私達、日本人の祖神たちがインド人が考えた仏教の神との置き換えられてしまい、

明治の神仏分離で分けられてからは、ご神神がかわったり統合されていき、

元々の信仰の対象は何度も変遷してきた。

寺院山門の殆どは数百年の歴史しかないが、神社は、そうした幾重にも積み重なる時代を抜けて1000年、2000年と存在し続けてきた。

今尚、鎮座していること自体、

凄いことなのだとつくづく思う。😳


△▼△▼△▼△▼△▼△

古くにあった『蛇神信仰』も或いは

いつの間にか『龍蛇信仰』という言葉で龍神と習合され、

龍神信仰へとかたちを変えて行ったのではないか?と、

最近はつとに感じています、、、(*_*)

最近、とんと蛇神様を見なくなったので何度も書いてますが、

蛇神

龍蛇

龍神、、(-_-;)

(これは合わせとずらしというテクニックです)

いつのまにか、、蛇神なくなる説🐍


😌🙏最後までお付き合い頂きありがとうございました。✨


遠江國一宮【事任八幡宮】

2021-08-09 | パワースポット

〒436-0004 静岡県掛川市八坂642
事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)
遠江の國一宮

平安時代に書かれた『枕草子』でも紹介され、

古来より「事のままに願いが叶う」パワースポットとして

崇敬を集めている神社です。

日本で唯一、

言の葉で事をとりもつ神様を主祭神とし、言霊の神様の后神

【己等乃麻知比売命】
(ことのまちひめのみこと)を祭っている。

 

元々は本宮山に祀られていた神様、

807年に桓武天皇の勅命により坂の上田村麻呂が山頂よりこちらへ遷座してきたとのこと。

八幡宮と名称が付くのは、

【神功皇后】と、その息子
【応神天皇】を祭っている神社だが、

11世紀に世の中が、貴族社会から武家社会に変わって八幡宮ブームが起きた時に、源範義が石清水八幡宮を勧請し、

「己等乃麻知神社」から、

「事任(ことのまま)八幡宮」に

あらためられた、、、


幾重もの時代を超えて、

社格を保って存在してきた深い歴史を感じる神社です。

小國神社と同様に本宮山を拠り所としていて、

こちらも【遠江國一宮】と称している。

 

 

通常、神社でお参りする時は

『祓い給え浄めたまえ、
守りたまえさ幸はいたまえ』い
 
と、三唱するのみで
  
言葉でお願いを祈ることはない。

 

由緒のとおり、

日本で唯一の

言葉で願いを祈る

言霊の神社。


遠江国一宮【小國神社】と本宮山奥院 静岡県遠州掛川三社巡り

2021-08-04 | スピリチュアル

遠江国一宮【小國神社】 静岡県周智郡森町一宮3956−1

 

遠州三社

小国神社、事任八幡宮、龍尾神社、

一社づつ投稿していきます。

 

最初は小国神社です。

【御祭神】は大己貴命(大穴持)

大国主命の別称

 

小國(ヲクニ)とは「神の鎮まる聖地」という意味があり、

555年に本宮山に神が鎮まったことから、本宮山麓のこの地で祭祀をはじめた。

 


参道の右側に1300年前に勅使が通った参道跡があり、一般人は通ってはいけない。

勅使の通った1300年前の古参道

 

 

参道の途中、左側に池があり宗像三女神が祀られている。

ここは見どころというか、小國神社に行くなら必ずお参りして欲しいと思うところ。

 

穏やかで心やすらぐ静かな場所、、

 

境内に池をつくり、市杵島姫(弁財天)を祭っている神社は多いけど、

こちらでは末の姫・市杵島姫だけでなく


タギリヒメ
タギツヒメ
市杵島姫と


宗像三姉妹全ての女神を祀っている。女神スポット

 


そして、、さらに橋を渡った島には八王子神社が祀られている。

【八王子神社】

 

森田焼きの橋

 

水びたしになった境内

賑わっている大きな神社に行くと割とよくあるのだけど、

人払いと言うか禊の雨と言うか、この日も例によって参拝の時だけバケツをひっくり返したような大雨が降り、拝殿前に誰もいなくなってしまった。

そして、祝詞を奏上すると

何事もなかったかの様にまた青空になる。

当たり前に慣れてしまったけれど

偶然にしても不思議なことだ、

🤔

 

 

奥院までは車で30分ほど、

大洞院というお寺を目指し、その先からは横道に外れ林道を登り登山口までは車で行く。

神社で地図をいただくことができるが、登山口がわかりにくく迷ってしまった。

林道を上がり磐田市に抜けすぐの所。

舗装道から、砂利道に変わるあたりが目印。

登山口からは徒歩15分ほど山道をあがる。

 

遠江の国を見渡すのに使われた国見山というだけあって展望が広がる。

 

暫らくいくと鳥居があり奥院まではもう少し上がる。

 

 

 

 

奥院(奥磐戸神社) 大己貴命の荒魂を祀る。

 

小さな社だけど、とても落ち着いていた。

 

山の頂きから深く深くアーシングする、、

 

登ってよかった。😌⛩️

 

 


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△ 

😌⛩️神社の歴史のお話しです、、

 

一宮とはそのエリアで一番の宮という意味だが、

遠江の國の一宮は二社ある😳

一宮なのに、二つあるのは全国でも数例しかなく珍しいので調べてみました。

(歴史オタクな探究心😌)

 

一宮の小國神社の創建は古い。

小國(ヲクニ)とは「神の鎮まる聖地」という意味があり、555年に本宮山に神が鎮まったことから本宮山麓のこの地で祭祀をはじめた。 

遠江國のもう一つの一宮は

掛川【事任八幡宮】

こちらも元々は本宮山にあったが、9世紀に坂之上田村麻呂が掛川に移したという。

この地方の神事の祝詞では、

【小國一宮事任神社】と宣るらしく

どちらも起源が同じ、本宮山を頂点とした【一宮】ということなのだろう、、🤔

貴族社会から武家社会、神仏習合の時代、歴史が移り変わる中で、小國神社の神領と領民は、ずっと清原氏が実効支配していた。清原氏は時の権勢者たちと結び、中世の「神仏習合」によって神社がお寺の配下に置かれる様になると天台宗本山と結びつき、この頃より「一宮」という名称が定着したらしい。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

小国神社の境内に祭られる
【八王子神社】の八の王子とは?

男神五柱、女神三柱のことらしく、

古事記に出てくる説話の神。

天照大神とスサノオの
う誓によって、お互いが生み出した子をどうするかということになり、

男神五柱は天照大神の子として、

女神すなわち宗像三姉妹はスサノオの子であるとした。

5つのストーリーがあるマルチエンディングではっきりどちらの子とは分かりにくい、

古事記で最も謎とされるエピソードだ。

 

親神様である天照大神とスサノオを祭らずに、

男神五柱、女神三柱だけを祭っているのは何か小国神社とは特別な縁があるのでは?という感じがする。

本殿よりも、

とても心を惹かれるスポットでした。

✨✨✨✨✨✨

 

最後までご覧頂きありがとうございます🙏✨

次は、事任八幡宮へ✨✨⛩️