聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

諏訪Ⅵ.ミシャグジってなんだろう?失われた『湛え神事』と、ト

2022-10-08 | 諏訪の道

諏訪大社で、失われてしまったという
【湛え神事】についての投稿です。

『諏訪大社上社 前宮』

湛え神事の起源は、諏訪大社が祭られる以前からあるという「ミシャグジ信仰」に関わりがある。

諏訪には元々、日本神話の出雲の国譲りで建御名方命と八坂刀売が諏訪にやってくる以前から、先住民である狩猟民族の洩矢氏(守矢氏)がいて狩猟民族の信仰

【ミシャグジ神事】を司っていた。

ミシャグジ神事は、狩猟民族のアイヌの神事『イオマンテ』にも通じるものがあり、そして地域信仰の在り方は沖縄の御嶽とも同じ様だ。

諏訪に太古から存在する不思議な信仰で、石棒などミシャグジ独特のご神体の形は5000年前の縄文時代中期まで遡ることができる。


縄文民族→狩猟民族→農耕民族まで、ミシャグジは幾多な民族と宗教が融合しながらも、時代を越えて残り続けてきたジェラシック・リチュアルかと思われる。

かつて諏訪大社で行なわれていたという『湛え神事』も、建御名方命ら弥生式の農耕民族がやってきた後に、ミシャグジと融合した神事なのかもしれない。

前置き長くなりました、神事の話に😌🙏 

 

 

【湛え神事への流れ】
冬の始りから終わりに掛けて、準備が行なわれます☃️

祭祀場は、諏訪大社上社の前宮⛩️

①まず晩秋、冬の初まりに「御室」という竪穴式住居の様な地下土室を作り、中には蛇のレプリカなどを入れておく。

諏訪大社上社・前宮にある御室跡地の祠

鶏冠宮(かえで宮)という。

諏訪大社 前宮の本殿は、山裾から上がっていくが、

一度、道路に出て坂道を上がっていく。

坂の脇の巨木の後ろに祠があるだけで、竪穴式の再現住居もなく目立たずにひっそりとしている。

 

下に欅(けやき)と書いてある。リアル😅欅坂△

 

△前宮とは、元宮・奥宮ではなく、前のからの祭祀場があった宮のこと。

諏訪大社上社『前宮』はかつては神原と呼ばれ、このエリアに祭祀場と大祝の御所があった。

湛え神事とは違うが、諏訪大社前宮では75頭の鹿の頭をお供えしたりしてるので、農耕民族ではない前の先住民である狩猟民族「洩矢氏」の祭祀場だと思われるが、今は諏訪大社の前宮として融合し残存している。

 

こちらに75頭の鹿の頭を奉納していた。そのうちの一頭は、特別な矢で屠られて目印に耳を裂くという。

 

現代になり、75頭の鹿の頭でなく剥製が使われる様になったらしいが、、😳えぐい

鹿75頭という数は、年75回の神事に対応していると思われる。

その年75回の神事の中で湛えは最大の神事だった。

 

、、話しを湛え神事に戻して😑🙏

 


②正月になると、諏訪大社の大祝と洩矢族の神長が二人で「御室」に籠もって神事を行い、各地域にある「湛え」という祭祀場へ神の使いとしていかせる子供(7〜8歳の男の子)を出す村を選ぶ。(詳しくは別の投稿で書きます)

 


③3月の酉の日に、村々から選ばれてきた子供を、各地の湛え神事に出発させる儀式を行う。遠方にいく子供は初午の日に先発する。

 

 

【湛え神事ととなりのトトロ】

湛え神事出発の儀式①

(上部が平らな磐座)

神使い(おこうさま)といって正月の神事により村々から選ばれてきた子供らにミシャグジを降ろす神事で、

少年を祭壇=木の前の磐座の上に座らせ、
洩矢族の神長が、「サナギ」と云われる鉄鐸がついた鉾を垂直に持ち、上下させる動作を繰り返す。

 

サナギの形状


ミシャグジとはこの動作の繰り返しによって上空から降ろすスピリットのことで、スピリットを木に降ろし前の磐座の子供に依憑かせる。

終わると、神具が授けられ神の使いになった子供に介助役がつく。

 

実物のサナギ 

七年毎に和弊を一本づつ付けるので千年二千年と経つうちにドレッドヘアーの様になっている。現存する最古のサナギだと思われる。


湛え神事出発の儀式②

ミシャグジ降ろしが終わった子供らは、介助役にコマ(駒)に乗せられ勢ぞろいする。

雄叫びと共にコマに乗った子供たちが一斉に出発し、村々へ巡りそれぞれ村にある御裂地(開拓地)の木の下の祭祀場へ、湛え神事を行ないにいく。

 

ジブリ映画は、繰り返し観ているが、不思議と「となりのトトロ」だけは一度も観たことがなかった。🤔

諏訪に通うようになり湛え神事や諏訪の事を調べだしてから、宮崎駿監督が諏訪の考古学者の藤森栄一さんの影響を受けていたと知り、改めて監督の作品を観る様になり、

初めて「となりのトトロ」を観て、
衝撃を受けた😳💫🫨🫠

 

湛え神事で最初に神長が、サナギを垂直に持ち上下させ、スピリットを降ろす動作は、

傘とサナギの違いこそあれ、

トトロが畑の前でこうもり傘を垂直に持って上下に上げ下げながら、全身全霊を込めて畑に命のエネルギーを降ろしていくシーンと同じだ。

こうもり傘を上下させ命のエネルギーを吹き込んだ次のシーンでは
コマに乗って子供たちを村から村へ風の様に巡り、巨木に向かっていく。

駒をコマにかけているが、

雄叫びと共にコマに乗って出発する一連の流れは、湛え神事そのものだ😳


作りこみが凄すぎる😳

ちなみに「木に降ろして岩の上に依り憑く」というのは、

「依代は木か岩か」という石神論争に対するどちらもアリ説だが、私見では

一度、地中に降りてから岩へ上がるイメージだったので、

映画では上下させる度に、むくむくと植物が伸び上がっていった描写どおりで、これにもまた驚かかされた😳

諏訪に詳しいという監督の作品は、
本当に勉強になる。🙏✨

(😌あくまで個人の感想です)

感想と言うより妄想では?🙄

 


【湛え神事の場へ】
神使となった子供は、諏訪・上伊那の村々の開裂地にある「湛え」と呼ばれる神木のある祭祀場や、ミシャグジと呼ばれる祠を巡る。

各地の「湛え」っぽい所

 

各村々の古木、祠、石棒などの前で、
出発時の神長の様に神具を振る神事を行なって巡幸し、5日後に戻る。

 

 

 

 

「湛え」っぽい祠や古木

 

 

 

 

各地を神使いの子供らが巡行する神事。

これを湛え神事という。称えとも。

 

湛え神事は、元々は狩猟民族にあった冬のはじめから終わりの儀式のようで、冬籠もりの間に魂を増やし次の狩りの大猟を祈り、北海道では冬眠中の熊、諏訪では冬眠中の蛙を奉納する。

しかし、秋の終わりと春の始まりとも言えるので、

農耕民族の種まきの前と収穫の後の神事としても融合している様だ。

 

【七木の称え木】
神使さまの巡行地と思われる各地域にある七つの称え木。

桜タタエ
檀タタエ
峯タタエ
檜タタエ
松タタエ
栃タタエ
柳タタエ

タタエには諸説あり、

『水を湛えんとする農耕の祈願』

『民の祈願を叶えんとする祟え』


↑この場合、タタエを祟りとした民族学者の折口信夫さんの説では
祟り=災いをなすという意味ではなく、
祟えとは=出現する、権現する、示現する等、現れるという意味。

各地に点在するミシャグジを統べるのは、沖縄の御嶽と同様で、
沖縄独特の信仰である御嶽も、岩と木の祭祀であり、御嶽は司(ツカサ)と呼ばれる者が祭る。

ミシャグジと御嶽、呼び方が違うだけで同じ様なものに思えるが、

 

神社にお宮が築かれる様になる前の、古神道の社殿の無い磐上祭祀の様だ。

神職も宮司ではなく、宮は無いので司と呼ばれていたのかもしれない。

 

諏訪大社では、毎年3月の酉の日に行なわるる大御立座神事が、

この失われた湛え神事の名残りと云われている。

 

そして、諏訪大社下社の方がどうやら後代の農耕民族の祭祀であるらしい。⛏️

 


古くからの歴史が続く、

聖なる国 日本✨

 

また別の投稿で、諏訪七千年の歴史を深堀りしてみる😌

ミシャグジもコアな部分に。


諏訪Ⅴ.綿津見最後の女王【八坂刀売】日本大昔ばなし② 

2022-10-01 | 諏訪の道

越の国の『八坂刀売』


遥か遠い昔むかし、

世界の果てのお話し。

長い話しです。(😌千年紀)

ユーラシア大陸の東方三千里に

世界の地の果てがあった。

地の果てから、更に東の海を越えてゆくと『越洲』(えつしま)という大きな島があり

『翡翠の女王の国』があった。

その国は、海神(ワダツミ)族の国で

「越の国」と呼ばれ、

女王の名は、「八坂刀売」といった。


【ワダツミの都】

大昔しに、遠い海を渡ってきた海神族は、最初は九州、筑紫洲・対馬に辿り着き和多津見の都『龍宮』を築いた。

長崎県対馬 和多津見神社

真珠浜に鎮座し、この宮の奥に海神族の都が築かれていた。

海神(ワダツミ)は、
綿津見(わだつみ)ともいい
どちらを当て字しても

ワタ=海
ツ=の
ミ=神

という意味は変わらない。


海神一族の『龍宮』の女王は、潮をあやつる不思議な玉を使い、

豊葦原国の王子を助け、やがて結ばれた。

『豊玉姫』と呼ばれた。

和多津見神社 海の鳥居⛩️

ご祭神 豊玉姫 彦火火出見尊

摂社 豊玉彦(大綿津見神)

△安曇氏の珍しい三角鳥居

亀甲占いをした亀甲石を祭る。海神族の祭祀は安曇一族が司った。

 

△安曇磯良の神石を祭る海中鳥居

引潮になると神石を拝みみることが出来る。世界で一つだけの海中三角鳥居⛩️


豊玉姫の眠る場所。 また、この奥にはウガヤフキアエズをお産みになられた産所があり禁足地となっている。


豊玉姫には妹君さまがいて、

妹君は一族を率いて更に海をゆく旅に出た。

 


【越の国の女王】

龍宮を出航した妹君ら一行は、対馬海流に乗り北東へ向かっていった。

そして日本海の『越洲』に翡翠の取れる河を見つけ、国母となり国造りをされ

『渟名川』の女王となった。

=宝玉
=の
=河

の意味。(渟名川=現在の姫川)

翡翠ヒスイは貴石である上、非常に硬く加工は難しい。

石を砕き、石器を加工する為に使われていた石で、

宝玉に加工出来るような石ではなく、特殊な技術が必要だった。

石器だけで加工している途中の翡翠 【越の国】長者ケ原遺跡出土

縄文時代の勾玉 鉄器の無い時代に石器だけで加工している。

😳どうやって穴開けたんだろう?

(竹と研磨剤を使い開けたそうです)

宝玉の加工は伝承され、越の国の海神族達は勾玉をうまく作り、一族は渟名川(現在の姫川)を中心に栄えていった。


女王は渟名川姫と呼ばれていたが、

玉の加工をする一族を率いた玉姫とも呼ばれた。

 

次第に周りの国々が騒がしくなり、越の国へも婚姻合併が求められる様になり、渟名川姫は、

豊葦原の国の王子とも婚姻を結んだが、時勢が変われば出雲の国の王子とも婚姻を結び、

時に攻められ、時に和合し、

天孫族(豊葦原中津国の天津神たち)の騒動に巻きこまれながらも、なんとか女王の血統と国を保ち続けてきた。

 

新潟県糸魚川市 「奴奈川神社」 天津神社が合祀されている。

 


【天孫族ヤマトの時代】

やがて、

海神族の豊玉姫さまの妹君であった玉依姫さまが、

豊玉姫さまの王子ウガヤフキアエズと婚姻し王子を産んだ。

玉依姫の産んだ王子はヤマト朝廷の初代天皇となり、

その王子は『渟名川命』ヌナカワノミコトと言い二代目天皇となり、

二代目 渟名川の尊

三代目 磯城津彦 玉手看の尊

三代目の天皇は渟名底仲姫を娶り、渟名川姫の一族は初代ヤマト王朝と深い関わりを持っていた。

(🤔磯城とは=ヤマトではなく、対馬の真珠浜に築いた磯の城『海神族』の都のことかもしれない。二代目の渟名川の尊は、磯城県主(県主=首長)を妃としていた説があり、それだと、越の国(新潟県渟名川)の海神族からと、長崎県対馬の龍宮の海神族からと、交互に王と妃を輩出していたことになる。)

現代でも天皇家三種の神器のうち、

八尺瓊勾玉だけは天皇家が所持して、八咫鏡は伊勢神宮、草薙の剣は熱田神宮に保管され持ち主である天皇でさえ見ることが許されないという。

(😅誰が天皇に許認可を?)

八尺瓊勾玉だけが天皇家にある事は逆に越の国との深い関係を示している😌


神器・八坂邇勾玉の意味は

八坂=ィヤサカ=栄える
邇=に=麗しき宝玉の
勾玉=曲がった玉

であり、八尺瓊勾玉と当て字しても
ヤサカニノマガタマの意味は変わらない。

(実際に2m42cm=八尺の勾玉があったという訳ではないです😂多分☝️)


越の国で、硬い翡翠の加工が出来た渟名川姫の一族だけが造り得た宝珠だ。

硬い翡翠を勾玉の形に加工するのは、越の国の研磨技術の粋を集めた造形の証に他ならない。

時代が下り、

渟名川姫の一族が越の国を去って諏訪にいくと、翡翠の加工も産出することさえも忘れさられ、勾玉は柔らかく加工しやすい瑪瑙で作られる様になり出雲や奈良で代わって加工される様になった。


渟名川姫のあと、渟名川姫の王族である

『八坂刀売』が、その御位を受継いだ。

越国の綿津見、最後の女王となった。

(※ウガヤフキアエズ朝、天女の羽衣伝説は置いておき八坂刀売の辿った話しを進めます😌)

 


【出雲の国譲りから諏訪へ】

越の国の女王・渟名川姫は、出雲と越の国が合併することになり、出雲の国の大国主の妻となったので、渟名川姫の一族は八坂刀売を一族の女王として立てていた。

一族の女王のことを『族刀自』といい

ヤマト言葉で 刀自=戸主という意味で、

女系を重んじる国では首長は全て女性がなっていた。

家にあっては母戸主、
里にあっては里戸主、
一族にあっては族戸主となり

国にあっては女王となった。

なので『八坂刀売』は『八坂刀自』とも呼ばれていた。

今でも自分の国を母国というのも母系社会の名残りであり、

人間は皆、母から生まれてくるので女性は人々に尊ばれていた。

なので太古のアジア世界では、男権社会よりもこうした女系を敬う国々の方が沢山あった。

婚姻し相手の姓になる時は、必ず女性の姓を継ぐ。

そもそも「姓」とは、どの女性から生まれてきたかを示すものだ。

もしも王家に皇女がいなくなって、王子だけで子を産めなくなると

他の王家から、女性にきて貰って家を継いで貰い、子どもを産んで貰う。

これが『嫁』であり、当主を継いで貰い

女の家になるのであって

家の女になる訳ではない😮

婿養子に家を継いで貰う様な現代の価値観とは、全く正反対の性格を持っていた。(現代人の反発は予測される😅)

 

女王に求婚し結びをつくる渡来部族は多く、敵味方の両方と婚姻することもあった。

それほど迄に、女系軸は国造りに重要な存在だったので、皇女二人が、相手部族と婚姻を結ぶということは、相当強い繋がりがある証だ。

 

日本神話では、

天孫族と婚姻した姉妹
綿津見の豊玉姫・玉依姫、

大国主と婚姻した宗像氏の姉妹
多紀理姫と多岐都比売がそれで、

何れにせよ、女系社会から男権主義への系嫡混濁の時代を何世か経てヤマト朝廷は開かれた。

 

この様な古代からの女系社会の伝統を受継いでいる

八坂刀売は

越の国の一族の代表として、出雲の国の建御名方命と婚姻し、

先代の大国主と渟名川姫の婚姻に続いて、二代目の懸け橋となる存在だった。

しかし、

天孫族の男王は是を認めず、男系の王を立ててきて、出雲の連邦国であった越の国も『国譲り』する事態へとなってしまった。

出雲・越の国の婚姻合併はこれで途切れてしまい、天孫族の王が支配する国へと譲ると、

建御名方命と八坂刀売は、異民族が住む異国の地【諏訪】へと追放されてしまう。

『二度と天孫族の王地には足を踏み入れない』と誓うことで二人は追放処分となったので命まで狙われることは無かった。

一方、

突如として他民族に踏み込まれた諏訪の方では、諏訪の狩猟民族の「洩矢氏」が応戦した。しかし決着がつかず、建御名方命と一騎討ちの力比べで決着をつけることになり、建御名方命が勝利した。

 

洩矢神社 両陣営は天竜川を挟んで対峙し戦った。洩矢氏側には『洩矢神社』(守矢神社)、川を挟んで対岸に建御名方命側の『藤島神社』が今も祭られている。

 


【国土の神が諏訪を拓く】

諏訪盆地 長野県茅野市


かくして、諏訪入りした建御名方命は妻・八坂刀売や息子たちと共に、諏訪を開墾し、各地に弥生式の農耕を拓いていった。

建御名方命の諏訪入りを阻んで力比べに敗れた先住氏族である洩矢氏(守矢氏)は、建御名方命の第二子に姫を嫁がせて外戚となり、洩矢氏が神事の長となって建御名方命が大祝(大王)となることで、諏訪の新旧勢力の祭政合併は結着した。

八坂刀売は、建御名方命とその子らと共に諏訪・佐久平の国造りを行っていったが、新興の農耕文化の開拓はすくなからず土着の人々から「外来の神々のなせることなど」と、反発を生み定着には時がかかった。

 

出雲の国譲りの後、

天孫族にクニを譲った大国主命は妻・美穂津姫をともない静岡へ逃げていた。

静岡にはかつては海面下にあった場所に大きな平野が誕生していて、大国主らはここに稲作文化をもたらした。

建御名方命の父である大国主は、太平洋沿岸の静岡から山に囲まれた諏訪の国へ「塩」を送ることが可能となり、例え日本海側から「塩どめ」をされても備えが出来る様になった。

諏訪にとって塩は生命線だ。

狩猟民族であれば獲物の血から塩分を接種することも可能だが、農耕社会になっては致命的である。

信濃の国の上杉謙信が、海無き敵国の甲州・武田信玄に塩を送った人道的配慮は有名だが、多くの餓死者が出た江戸時代の天保の大飢饉でも諏訪の人々は餓死でなく塩不足で落命した。諏訪を支配した領主たちも、まず塩尻峠(長野県塩尻市)で塩を止めることで領民らを支配した。

三河・浜松からの辰野を抑えられれば、静岡の富士川から信濃堺へ塩を入れるしかない。

なので、父が太平洋岸の静岡にいる建御名方命の諏訪入りは、必ずしも諏訪にとって悪いことではなかなったと思われる。

合併後、諏訪の大祝となった建御名方命は諏訪の宮中にいたが、母・渟名川姫は鹿に乗り諏訪入りしてきて、御座石神社(茅野市)へと居を移していった。

その後は、ひょっとすると諏訪の釜無川から下流の富士川へ下って太平洋側にいったかもしれない、、🤔

 

建御名方命と八坂刀売は、宮中で夫婦仲睦まじく暮らしていた。

しかし、

あるとき諍いがあり、八坂刀売は宮を出て船で下諏訪にいったという。

何故か、出ていったきり八坂刀売は
二度と戻らなかった。

宮(=諏訪大社上社本宮)


諏訪大社は、四社で一つの神社で
御札も一つしかない

(上社本宮・前宮/下社春宮・秋宮)

にも関わらず、

本宮だけは

『建御名方命・八坂刀売』お二人

夫婦相神で祭らず

建御名方命だけが祭られている。


八坂刀売は何故、下諏訪へ去ったのか

 

ちなみに諏訪大社の御札は、御柱祭の柱から作られているそうです😌☝️

 

【八坂刀売その後の謎】

諏訪には「綿に化粧に使う温泉水を浸して持ち、八坂刀売は船で下諏訪へ出ていった」という伝承があるだけで、諍いについては詳らかではない。

 

諏訪温泉発祥の地

 

宮邸内での洩矢氏との内訌か、

洩矢氏の神事が原因か、

八坂刀売でなく、八坂刀自として
女王の独立性を維持しようとしたのか
、、?


毎年、冬になると諏訪湖が凍り、
諏訪の御神渡りという現象が起きる。

これは、居なくなった八坂刀売に合いに行こうと、建御名方命が凍って歩ける様になった諏訪湖を渡っていくのだという。

御神渡り


建御名方のことを「南方」さまと呼ぶ神社がある。

「南方神社」 ミナカタ御社宮司社

※南方神社は、九州鹿児島や宮崎にも多く祭られている。薩摩には神代三代=豊玉姫や玉依姫の時代の伝承が残り、三山陵という天孫ニニギの尊と、豊玉姫の夫・彦火火出見尊、豊玉姫が産んだウガヤフキアエズの陵墓があり海神族とも縁故が深い。

薩摩の南方神社は相神で

南方刀美=ミナカタ男王 八坂刀売=ィヤサカ女王と、夫婦で祭る。

これとは別に、鎌倉時代に源頼朝旗下で島津氏の始祖島津忠久が、信濃の地頭、薩摩の守護に任じられた事が薩摩の諏訪信仰の始りの様だ。

南方神社も武神としての建御名方命が代々薩摩藩主に崇敬されていて(ご神体は鎌)、諏訪大社からの勧請らしいが、諏訪神社でなく何故?南方神社なのが気になる。南方の王族系統という意味もあるのかもしれない🤔

、、しかし

諏訪湖の南方に、建御名方命の宮邸があったので(諏訪大社上社本宮)

『南方』と呼ばれていたとも考えられる。


すると諏訪湖の北側の下諏訪には『北方』さまもいらっしゃるのだろうか?


※🤔八坂刀売が出て行った「綿の湯」と建御名方命が合いに行く「御神渡り」のエピソードは有名な話しだが、八坂刀売の綿の湯の話しには謎が多い。

伝承の説話では

八坂刀売が綿に浸した温泉の湯が、ポタポタとたれた所から温泉が湧き、今でも諏訪湖の周りに下諏訪まで温泉が点々と湧いているのだという。

八坂刀売は船で逃げたのに周辺の地に湯の雫が落ちることはなく、そもそも「綿」が日本列島に伝えられたのはこの五百〜千年近く後のことで、後世の誰かが意図を含んで説話にしたと思われる。

綿津見ワダツミを

綿浸(わたしみ)にかけて、

かつて諏訪には、綿津見の女王・八坂刀自がいた事を示してくれたのかもしれない。🤔

✨⛩️🙏


「北方」=下諏訪には今でも八坂刀自の末裔の方達がひっそりと暮らしているのだろうか、、


二千年前に栄え、消え去った王族たち

三種の神器
📿八尺瓊勾玉、🗡️草薙剣、🧿八咫鏡も

かつての

石器時代
青銅器時代
鉄器渡来時代の過ぎ去った宝物であり

それらを代表する神器がヤマト朝廷の天皇家の神器となったという事は、

古代から連綿と続いてきた先住民・先先住民族の時代は終わり、天皇の新しい御代になったということに他ならない。


しかしすぎ去った今でも、

この時代を生きた出雲、越の国、天孫族らの三種の魂筋は

小さな川の様に

諏訪に

密やかに流れている気がする。

✨✨✨✨


『万葉集』

渟名河の底なる玉 

求めて 得まし玉かも  

拾ひて 得まし玉かも 

惜しき君が 老ゆらく惜しも

読み人知らず

 

諏訪大社上社 前宮 三の柱

 

この後ろに、八坂刀売さまが眠るという

 

 

もう一つの玉姫伝説

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

(😅まだあるのか)

弥生時代の次にやってきた古墳時代を経て、世の中は力強い「男権主義」にかわり男王の時代へと入った。

飛鳥・奈良時代の推古天皇、斉明天皇、中宮天皇(ナカツスメラミコト)、孝謙天皇ら女帝の時代が最後になる。

海神の血を引く女系の一族らは、
東方へ去っていった。

千葉県一宮には、
出雲大社とのレイラインで知られる
上総一宮『玉前神社』があり、
玉依姫さまが祭られている。

そして
玉前神社から30 ㌔ほど離れた海岸には


【東浪見の鳥居】が⛩️立てられ、

ここに女系集団が上陸したことが記されている。

東浪見の鳥居⛩️✨

毎年9月13日には、付近の十二の神社から出た神輿が

玉依姫さま由縁の神々を乗せこちらの浜に集まる

十二社祭りが千二百年前から続いている。

鳥居から500mほど陸へ進むと、神洗神社という

玉前神社の元宮がある。

 

女性を首長として海を渡る海神(ワダツミ)一族は、

黒潮文化圏の海洋民族に属する女系集団だ。

女系国家では、女王と婚姻したものが王となる。海神族は遥か西方の大陸より海を渡り、上陸地の氏族と婚姻し拠点を築き、別の一隊が次の上陸地を目指し、沿岸航法で飛び石づたいに新たな王と共に東へ東へと移動してきた。

黒潮は、フィリピン諸島から沖縄など南西諸島、鹿児島、四国、和歌山、伊豆諸島、千葉、茨城まで環太平洋ラインを流れている幅約80kmの巨大潮流で、九州で対馬海流という支流が生まれ日本海側への移動手段となる。

海神族の移動ルートにも、皇女の姉妹らによってそれぞれの流れがあったのかもしれない。

越の国は、沿岸沿いに長細く、確かに朝鮮半島より海を越えてきた国という説に適う様な形をしている。しかし、対馬から海流に乗り出雲、能登、越、と沿岸航法で飛び石づたいに拠点を築きながら進出してきた様にも思える。

 

何れにせよウガヤフキアエズ朝の存在を考えると、海神一族の謎もまだまだ深いが、

諏訪に残る八坂刀売の存在は確かに感じる。

、😳もしかすると千葉の事も

下総しもうさ
上総かみうさ

というのは、


下諏訪しもすわ
上諏訪かみすわ

が、語源では、、🤔

(違うと思いますが😂早口で言うと全く同じに聴こえます)

しかし、北側を下○○、南方を上○○と呼ぶのは

千葉と諏訪だけの様だ、、😮

 


諏訪は、

弥生からヤマトの世へ、

紀元前500年〜紀元500年の千年の時が刻まれている

遥か遠い昔を感じる聖地✨✨✨

🙏✨😌長い話しを最後まで読んで下さってありがとうございました。


諏訪Ⅳ.1500年前の神代鉾【サナギとは!?】長野県⛩️小野神社

2022-09-29 | 諏訪の道

信濃国二ノ宮【小野神社】長野市塩尻市

ご祭神 建御名方命

創建不明(千五百年前以上)

神代の鉾=古代に失われた『サナギ』という神宝が、保管されている神社⛩️

ご祭神である建御名方命が越の国から諏訪へ向かう途中、諏訪の先住部族『洩矢氏』に行手を阻まれ、暫くこちらの小野に駐屯していた。

この場所は、建御名方命の、元宮・仮宮といったところだろうか?

諏訪では『御柱祭』と言って六年に一度、社殿の周囲に立てている四本の木を新しいもの換える祭りがある。

一の宮の諏訪大社から始め、諏訪※の神社という神社の柱を全て新しいものに替えて、翌年、二の宮である小野神社の御柱を最後に替えて終わる。

※諏訪=諏訪盆地全域の岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市、富士見町、原村の6市町村のこと。

諏訪で祭りと言えば御柱の事で、なので神輿を担ぐ祭りが無いのは全国でも諏訪だけの様だ。

長野県の諏訪大社では神宝『サナギの鈴』と言いわれ、

矛の先に付ける鳴り物用の鉄鐸がある。

鉄鐸の形状はドアチャイムと同様で、それぞれ長さが違い異なった音色を出す。

鉾の先にその鉄鐸を付けたものを

通称、サナギ(=矛鐸という。

神代鉾ともいわれる。

バリエーションは幾つかあるが、

基本的な形は、この様になる↓↓↓

鳴り物の他には麻弊が結ばれ、小野神社では七年事の祭祀で一本づつ付けてきた伝承があり、その数を数えた方によると1500年以上前に遡るという。

青銅器文化が残る二千年以上前、元々は鳴り物は小銅鐸だったが、製鉄技術の進歩と共に鉄鐸、鈴へ変化していった様だ。

『天鈿女命の神具サナギ』

古くは【日本神話】天照大神の天岩戸隠れの時に、天鈿女命がサナギを振ったという由緒ある神具だ。

弥生時代の終わりから古墳時代にかけてはまだ神代鉾『サナギ』は残っていたと思われる。

この祭祀は古墳時代から飛鳥時代にかけて(3〜6世紀)、忌部氏から中臣氏へと大和朝廷の祭祀が移っていくと失われてしまった。

かつての小銅鐸だけでなく、青銅器文化の象徴である銅鐸や銅剣も完全に姿を消して、忌部氏の一族の忌部広成を最後に古代祭祀も淘汰されていったが、

諏訪大社には鉄鐸が宝鈴として残っていた様で、比較的新しいところでは武田信玄の書状から、信玄が礼銭を払い誓約や祈願をしていた記録が確認されている。


『小野神社』ではこの社宝を拝観させて貰える。

(社宝館は随時開館している訳でら無いので予め確認が必要☝️)

おそらく日本で唯一、この鉄鐸のついた状態で使用されていた神代鉾が拝観できる。

1500年前以上から実際に使用されてきたサナギ。

明治天皇がサナギを鳴らした時に

「もゆらに取りて、動かせば

今も神代の声ぞ 聞こえる」

と、歌を詠んだそうだが、

本当に天鈿女命(天のうずめ)が神具として

使ったサナギなのかもしれない…(-.-)

通称は「サナギ」で、

神代鉾・『鉄鐸』・御正体とも云う。

諏訪にだけ唯一残されてきた神具だが、鉄鐸の出土遺物だけなら茨城県筑波の男体山からも出土していてる。

周辺には諏訪の地名相似や千鹿頭神との関わりも微かに残るが、諏訪の様に武田信玄の誓約(ウケイ)の書状など、神社の神具としての具体的な証拠が残されている訳では無いのでこちらは神具のサナギでなく、山で修行をしていた修験者が法力を得る為に慣らしていた修験道の呪具として考えられている様だ。

【サナギの使い方】

・鉄鐸を鳴らす祭祀の動作と、

・終わりに左薙ぎの動作がある。

①神降ろし
サナギを垂直に立て、上下に振り
を繰り返す。(4回でワンセット?)

何度か繰り返し終えたら

②サナギを一度右に倒し水平にし静止

③静止後、直ぐにサナギを立て今度は左り側に倒し水平を維持

④その姿勢で矛先を左に向けたまま、左から右へ水平に薙ぎ払う様に(左薙=サナギ)体を旋回させていき、体ごと周って右に一回転させる。

⑤元の位置へ戻ったらサナギを垂直に立て静止、膝をつきサナギを地面に突き立て終わる。

大体、お分かり頂けるかと思うが、

サナギ神事の動作は

左から薙ぐ、つまり『左薙ぎする』ことで終了する。

「サナギ」と呼んでいるのはこの動作が語源かもしれない。

剣道で言えば「水平切り」、一連の所作は水平の切り返しの様な動作だが、

剣道以外では水平切りとは言わず、
何故か水平の動きに対しては、薙ぎ『はらう』という神道用語の様な表現になるのが面白い。

(※最初のサナギを上下させる動作は映画『となりのトトロ』で、トトロが傘を立てに持って上下させ、全身全霊を込めて畑に命のエネルギーを吹き込んでいくシーンと一緒😌宮崎監督の映画は、本当に勉強になります。)

境内には、神事を行なったという禁足地の池の前に、サナギを立てた神鉾石が残る。

神鉾社の祠

🙄

大きく重たい矛鐸(サナギ)を使って舞ったのは天鈿女命の時代だけだが、

鳴り物の形が軽い巫女舞の鈴に変わっても左から右ヘ旋回する型は残る。

【矢作神社】

ご祭神 大己貴命 事代主神

小野神社境内に並び左側に鎮座するが、右の小野神社は塩尻市であるのに、左の矢作神社が辰野町になる。

矢作神社のある辰野町はかつては木曽であり尾張の国や美濃の国に領有が変遷してきた。信濃の国『諏訪盆地』との間の緩衝地帯に祭られる要衝の歴史ある神社だ。

【小野神社の注連縄】

昨日、新たに換えたばかりとのこと。


ちょうど御来光タイムになってきて光輝きだした。

使用してるGoogleピクセルのスマホカメラは、

何のエフェクトもせず✨光の筋がくっきりと写るので面白い😂☝️

☝️但し、御来光のタイミングだけで普通に太陽を撮っても写らない。

季節による射角でも撮れる時が限られてます😌


摂社に、奴奈川姫を祭る『子安神社』発見🤩✨

こちらも御来光タイミングになり、子安神社も輝きだす。

てか、輝きすぎ😳


なんと🌈虹のスペクトルまで😮✨✨✨

こんなのは流石に初めてだ、、😭✨🙏


この場所で、

同じに光に包まれている自分はとても心地よい。😌

✨✨☝️✨☝️✨✨

子安神社の御来光の光の中に

自分も入ってみた⛩️🙏

頭頂部へ光を合わせ✨😂

光遊び🤩ちょっとテンション上がる


翡翠色の光があらわれた

秋分の日に越の国へ奴奈川姫リトリートツアーに行ってから

すっかり奴奈川姫のファンになった😍

当て字でなくちゃんと書こう、、

『渟名川姫』

ぬ(に)=美しい珠の意味。

子安神社には、建御名方命をお産みになられた母神さまとして祭られ安産祈願など御利益があるが、御利益とは関係なしに😅越し国の姫・渟名川姫そのものが好きになった。⛩️🙏✨

また別に越し国の投稿で、詳しく書いてみたい。

聖なる国 日本の渟名川姫さま✨⛩️🙏

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

その他の展示品・・

珍しい室町時代の唐猫(狛犬)

やたら目が大きく、まるで猫バスみたいだ…

(またトトロか🙄)

まだ狛犬が石で作られる前の、木製のもの。

中国春秋時代 紀元前770~403年の編鐘

小銅鐸や鉄鐸の起源と云われている。


八坂刀売命とされるが、かつてこちらにあった八幡宮焼失後の遺物なので

神功皇后ではないかと言われている。

京都 松尾神社の市杵島姫像にも心なしか似てる気がする、、

見事な翡翠の大珠✨

紀元前の縄文時代から弥生時代、そして紀元後の私達が知る歴史の時代まで、小さな時間基地の様に、貴重な遺物がぎゅっと集められ展示されていた。

海の正倉院と呼ばれる沖ノ島の様に、

山を越えてきた部族達が、神宝をこちらに捧げてから諏訪へ入国していたのかもしれない🤔

山の小さな正倉院。

(拝観料300円でした。開館日は限定されてます。予約が必要な場合も)


展示されている宝物はゆうに億単位の価値のあるものだと思います。

(あくまでも個人の感想です)

長野県塩尻市と辰野町の境

小野神社は

上古からの歴史を感じるスポット✨✨✨✨😮


諏訪Ⅲ.約7000年前の【阿久遺跡】と赤トンボ

2022-09-27 | 諏訪の道

🌾秋分の日の連休に長野県の諏訪を周ったが、初の体験と、出会いが面白すぎて😂諏訪について投稿する前にちょっとピックアップしてみた。


⛩️行く先々の神社では出会った方から素晴らしい情報を頂いたり、 

諏訪から糸魚川の『奴奈川神社』に行った時は、出雲から来たという方と出会うなど、神話や人との出会いや繋がりも感じたが、

 

人との出会い以外にも、貴重な出来事を体験させて頂いた🤩✨✨✨

 

 

【赤トンボと出会う😅✨】

前回の投稿でも書いたが、守屋山の奥宮登山のとき赤トンボが現れ、8合目あたりから山頂まで一瞬に登ってくれた。

お礼を言うと、

ナント!

私の肩にとまってくれるという貴重な体験をした。(人生初🎊)

そして

翌日、

この日予定に無かった阿久遺跡という遺跡になんとなく寄ってみた。

何の遺跡かも知らないで行ったが、120mのストーンサークルが発見された6500年から5000年前の縄文前期の遺跡だった

😳そして、、

路上から写真を撮ろうと

スマホを遺跡に向けてると、

「ここですよ」と、言わんばかりに

スマホに、

すっと

赤トンボがとまった。

驚きとゆ〜よりもはや感動🤣

 

「昨日はありがとうございました。今日もサポートありがとうございます🙏」とゆーと、

こくん、とトンボが頷いた。

マジか😳

(もう神の使いか宇宙人のトンボ型ドローンか?など勝手な妄想が😅👽)

なので、更なる意志の疎通を試みる😂

スマホに止まってるトンボにむかって

「出来れば画像に残したいのだけど、そこだと撮れないから、指にとまって貰っていいですか?」

と、頼むと

🤣普通にとまってくれた。

 


人生初🎊トンボが指に!

😳

 

 

トンボは指にとまると聞き子供の頃は、指トンボ☝️何度やってみても駄目だったが、、

こんな日がくるとは、、😭

 

(虫と話すという、ナウシカな体験+😅)

 

そして、トンボが飛びさった方に行くと縄文遺跡の聖地があった。😮

 


遺物は移されて高速中央道の下になり、残ってるこちらにも何も無いが

モニュメントが残されていた。

 

植わったままの木の株に、そのまま削り出されている

 

 

縄文人には、蛙や蛇を描く

『絵文字文化』があるが、
(そんなのあるのか?🙄)

阿久遺跡では、蛇と蛙に出会った。

 

 

蛇はこの鷹の像の下にいた、🐍

本物だったら蛇の天敵なのに😮

建物も順路も何もない、誰もいない空地だが

トンボ→蛙→蛇→鷹と、奇しくも命の連鎖の順に出あえさせて貰えた。 

💫ネイティブ・アトラクション😂

 

子どもの頃は水中で過ごしたトンボや蛙が多いのは、大地が潤ってた証しで、そしてその蛙を食べる蛇もそうであり、

トンボ→蛙→蛇の食物連鎖は、

稲作文化の人々にとっては豊作の象徴だ。

ミミズも土地が肥えて潤っている証拠✨

なので、縄文土器にも紋章としてよく描かれている。

(クリーチャー好きという訳ではないらしい、、😅☝️)

バッタは、蝗害や不作の危機があったという絵文字たろうか、、?

🤔

 

阿久遺跡は120mの巨大ストーンサークルをはじめ、縄文前期(7000年前から5500年前)の常識を覆すような発掘だった。

人っ子一人いなかったが、

命の循環と

心からほっとする穏やかさを感じさせて貰えた場所。

 

ここから諏訪7000年の歴史が始まった聖地だ✨

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

これから、

諏訪7000年の歴史を、7回くらいに分けて投稿していきたいと思う。

一回千年?🙄


諏訪は歴史が深く、色々な関わりが多いので、謎も深くて
ハテナ?がいっぱいすぎる😵‍💫

とりあえずハテナから書いてみます、

(🙄強気だな)

😑↓↓順不同タイトル(仮

 

1.「矛鐸ってなんだ?」失われた神宝の謎 

2.「ミシャグジってなんだ?」失われた湛え神事とトトロの謎

3.「八坂刀売ってどんな姫?」諏訪大社のご祭神建御名方の妃の誕生

4.「銅鐸ってなんだ?」失われた青銅器文化の謎

5.「越の国ってなんだ?」海神族とウガヤフキアエズの謎?!

6.「狩猟民族の洩矢族って?」秦氏も手が出ない古代ユダヤ・シュメールの人々?!

7.「縄文人ってなんだ?」諏訪に残る古代人たちと封印の謎


そして更に加筆できれば😂諏訪を飛び出して番外編まで

+「山の民ってなんだ?」鬼、土蜘蛛、デイダラボッチ、ヒバゴン、トロール、そしてビッグフットと呼ばれた巨人たちの謎

 

これだけの投稿で

【諏訪7000年の歴史】


が綴れるか分からないですが、、書きます😌🙏

 

(🙄なんか張り切ってるけど書けるのか)

 

どうか、 

興味のある方はご覧下さい🙏✨

そして

最後まで読んで下さってありがとうございました🙏✨

 

🥸その後の追記です。

この投稿の後、諏訪の歴史についてあれこれ書きましたが、

ブログに全て書こうとするには長文になり過ぎるので、

本に書く事にしよう、、と、思い。

1年が過ぎ、ようやく書ききれなかった事なども

書籍化した『聖なる国日本』の方に載せ出版にこぎつけました。😌

 

しかし、更に本にも書けなかった事は

YouTubeで配信することに😂

 

どうか書籍の方の『聖なる国日本』も宜しくお願いします🙏

 

 

 


諏訪Ⅱ.偶然でしょうけど『驚いた話し』✨😌

2022-09-25 | 諏訪の道

本日は一日中、諏訪大社付近をあちこち周った。

なかなかお目にかかれなない様な、珍しい事があったので幾つかあげてます🤩☝️


【御柱祭り特別篇】

諏訪大社の御柱祭りは、七年ごと(寅年と申年)に行なわれる。今年は寅年🐯だったが、御時勢で山から豪快に木を落とす「山出し」が中止になった😔

諏訪大社の御柱祭は終わってるが、今は各地域の小宮の御柱祭が始まっていた。

やはり山出しはせず、里引きだけでやるらしく、偶然にもトラックで運ぶところを😳みてしまった。

ある意味、貴重かもしれない🤔

 

二度とない光景であってほしい😑

 


【御頭御社宮司社のドングリ】
諏訪大社の本宮と前宮の間くらいにある守矢資料館の奥に、ミシャグジという古くからの信仰の総社が祭られている。

代々、守矢氏が神長となり世襲され続けられてきた神事。古代狩猟民族の伝統で、鹿などの獲物が奉納される。

 

剥製だけど、ちょと怖い😅

諏訪大社上社・前宮には、75頭の鹿が奉納され一頭だけ特別な矢で屠られ、耳を裂いて奉納するという😱今は実物では無いらしいですが、、


きょわい、😱

右の耳が裂かれてる、、

 

げんなりしてしまい😔

御頭御社宮司社にお参りするのもビビって、社前で憚っていた。

😳すると、カランッと響きのいい音で目の前の階段にドングリが落ちてきた。🌰

「ぬ?!」😅ちょっと驚く

なんか、映画であったやつみたい😂☝️

と、今度は、カッ!カッ…カッ!カッ!

と、何発か連発で落ちてきて、

マジか😂😂😂

 

となりのトトロメイがドングリにつられて森の中に入って行った様に、

ドングリを目で追いながら、あまりに不思議なので境内の中まではいってしまった😅

人生初となる、メイの体験をした😂

 

導かれたようで、

⛩️🙏✨結局、お参りさせて頂きました。

 

『ミシャク神』と書かれていた。

みみ・サク?!😱

 

しかし、ドングリって自然に落ちる時はこんな感じで実に包まれてるみたいで、誰かが威勢よく落とさないと普通はカッ、カッ!とは落ちてこない、、😳

偶然にしても、不思議だ、💦

誰か落としたのかな🤔

(誰が?🙄)

 


【守屋山奥宮の赤トンボ】
諏訪大社の神体山と言われる守屋山🏕

守屋山頂の奥宮にお参りする為、1651mの登山をした。

立石コースは、登山口まで車でけっこう上まで行けるが、


それでも1時間半近い登山😵‍💫

(🙄龍みたいな雲やな、、)

 

8合目付近まで来ると流石に痺れる、、

トンボがやたら飛んでいて、目立つ赤いトンボが、

まるで導く様に、

ちょっと先をヒュンヒュンと飛んでくれている。

面白くなってきて😂暫く、疲れも感じず人生初のトンボと登山🤣☝️

お礼をいうと、近くまで飛んできて

ナント!私の肩にとまった😳

人生初🎊トンボが肩ににとまる😂

頂上に着くと山頂碑の前で「ご苦労さま」と言わンばかりに待っててくれた。

(🙄偶然やろ)

 

【子安神社】
ご祭神 奴奈川姫

先日、新潟県糸魚川市の奴奈川神社までお参りに行ってきたが、

諏訪大社上社・前宮で、奴奈川姫様を祭る子安神社を発見⛩️😍

 

ベストタイムだった様で、陽の光が心地よかった✨

 

 

やっぱり神社は落ち着く😌タイミングに感謝✨🙏

 

(諏訪大社も、神社だが😅)

 

【立石公園からの諏訪湖】
映画「君の名は」の、湖を見下ろすシーンのモデルとも言われている😌

立石公園からの展望✨

今日は不思議な雲だった。

 

 

 

ちょうど下の方で御柱の建てをやっていたらしく、掛け声が一帯に響き渡ると、どよどよと形が変わっていった😳

 

今日も、何気に不思議な日だった。😌

 

【藤森栄一】

最後に、一番驚かされたこと😳☝️

諏訪大社前の『諏訪博物館』に考古学者の

故・藤森栄一さんコーナーがあった。が、

少年のころの藤森さんが、

 

✨眉目秀麗すぎて🤩驚いた!!

 

大正時代?

 

なんと😍美少年な、

これが、こんなオッサンになってしまうとは、😂

 

(耳をすませばのお父さんぢゃないよ😅)

 

それにしても、、

背後の山々の風景はもののけ姫の最初のシーンに似てる。

 

宮崎駿監督は藤森栄一さんの影響を受けていた様だ、、

(すると少年の藤森さんはトトロに出てくるカンタか?😂)

というより私自身が、諏訪七千年の歴史を知るほどに宮崎駿監督と藤森栄一さんの世界にぐいぐい惹き込まれている😌

 

最後まで、

読んで下さってありがとうございます🙏✨

 

 


諏訪Ⅰ.越の国『奴奈川姫』諏訪入りルート🌾秋分の日弾丸ツアー

2022-09-24 | 諏訪の道

諏訪大社に祭られる建御名方命と、
母・奴奈川姫が、越の国(新潟県糸魚川市)から諏訪までやってきたルートを巡ってみた。

諏訪から糸魚川までのワンデーリトリートツアー🚐

 

島根県の出雲市、新潟県の糸魚川市・長野県の諏訪市は、日本神話にちなみ、神話のかみがたりネットワークを結んでいる☝️

 

 

『日本神話』
出雲国(島根県)の大国主命が遠く
越の国(新潟県)の奴奈川姫にまで妻問いをし、建御名方命(タケミナカタ)が生まれた。

『出雲の国譲り』で、出雲は侵攻してきた天孫族に帰順する。

大国主が逃げた後、建御名方命は最後まで戦った。

しかし、天孫族のタケミカヅチに敗れてしまう。

建御名方命は、越の国の母・奴奈川姫と奥信濃を抜けて信濃国の
諏訪まで逃げてきた。

 

1.御座石神社

鹿に乗って諏訪入りしてきた奴奈川姫はこちらに居住したという。


「どぶろく祭り」が有名で、出雲大社と同じ火切りの臼で火を起こし振舞う。

 


諏訪入りした時の鹿の足跡が残るという石。

 

 

 

2.洩矢神社と藤島神社

洩矢神社

 

藤島神社(小さい😳)

 

建御名方命らが諏訪入りした時、先住氏族の洩矢氏に阻まれ天竜川を挟んで対峙した。

洩矢氏は、鉄鐶を使い
建御名方は、藤の蔓で
一騎討ちをして建御名方が勝った。

その時挿した藤が育って、藤島神社が祭られた。

川を挟んで対岸には洩矢神社が鎮座する。

 

 

3.南方御社宮司社
タケミナカタでなく🙄ミナカタ?

諏訪の謎。諏訪の神社は諏訪大社の様に社殿の周りに四本の柱が立てられている。

ある方が意味深な事を教えてくれた。
「神社の周りを四本の御柱で囲っているが、順に辿って中心を探せば本殿の位置が分かる」という、、😳

という事は、本当に祭ってる場所が違う場合もあるってこと?!

それに従えば、南方御社宮司社の中心はこっちになる😮

なんと、、榊が😳☝️

 

 

4.諏訪大社
ご祭神 建御名方命
洩矢氏との一騎討ちに勝って、諏訪入りしたタケミナカタは諏訪大社上社の大祝となった。

諏訪大社拝殿の下に立てられている『一の御柱』の後ろの沓石の、更に後には「天の逆鉾」と言われる九州からきた石剣が祭られている。

 

何故か、良く見ないと分からなほど、ひっそりと祭られている。

 

 

 

5.松本考古館
塩尻峠より北、松本平

珍しい顔面土版

 

 

千鹿頭神社
ご祭神 建御名方命

諏訪からの、勧請らしい

 

が元々は「服神社」といってご祭神は不明?🤔

 

 

6.穂高神社
安曇平にる。海の神・綿津見神⛩️

豊玉姫を祭る

 

九州の安曇氏の始祖・安曇磯良も祭られている。

 

更に北へ、姫川沿いを日本海に向かって下る。姫川は、奴奈川姫が由来。

 

7.白馬村 青鬼神社

善い鬼の名が残る。

 

青い目をした鬼だろうか、、


ここで姫川沿いから外れて、険しいカーブが続く山道を1時間半🚐戸隠を抜け、

 

8.野尻湖ナウマンゾウ博物館へ向かう

 

ちょっと後悔😅


青鬼の里からは、日本海側の糸魚川市までは140㌔

 

9.長者ケ原考古館

翡翠の出土品。翡翠は糸魚川で採れる。硬いので石器時代・縄文時代は石剣や石斤を加工する道具に使われた。

 

『玉の姫』とも言われた奴奈川姫の一族だけが、糸魚川の硬い翡翠を加工する事ができて宝玉や勾玉を作った。


奴奈川姫らが諏訪に移った後、古墳時代になると翡翠は加工をされなくなり、産出さえも忘れ去られていった。

 

10.奴奈川姫の産所(お生まれになった所)

割と山奥です😵

 

11.弁天島
ついに日本海側へ抜けた🚐

 

12.対岸の白山神社では
大国主命と奴奈川姫が祭られる。

 

13.奴奈川神社

同じ名前の神社がもう⛩️ひとつある。

 

 

14.奴奈川姫と建御名方命の像

 

糸魚川駅前の奴奈川姫の像 

ちなみに、糸魚川市には糸魚川という川はありません😅奴奈川姫にちなんだ、姫川とヌナ川があるだけです。

糸魚川市の謎😑

 

15.奴奈川姫神社
こちらは天津神社と合祀されてる。

最後の奴奈川神社⛩️

 

 

奴奈川姫のルートを行く旅GOLL🌈🎊

長かった、、😵

 

雨☔も振ってて、夕方で参拝客はいなかったが、

ほぼ同着で、隣りに車を停め、
お参りした方が一人だけいた。まるで一緒に来たみたいじゃないか🤣

私の様に、一人弾丸ツアーをしてる方がいるとは、、😂


そしてナント!その方は

出雲から来たという、😳😳😳


ここが最後でこれから帰るとの事、、

(本当遠かったべな😳)

 

彼が
出雲から糸魚川へ

私が
諏訪から糸魚川へ

神話のルートを巡り、まるで示し合わせた様にGOLL🤩

 

疲れたけど、最後に

 

なかなか印象深い秋分の日🌾になった。🤣🤣


さぁ、

帰ろう

新潟県糸魚川市能生 

雨が少し上がり薄っすらとした日本海の夕陽

 

最後まで読んで下さってありがとうございます🙏✨

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

😌ちょっとした重大発表を、、🙏

(日本語おかしいな🙄)


最近、あちこち周っても

ブログに投稿しきれない所がだんだん溜まってきて、

(😂周りすぎ)

加筆してどんどん長文になっていくしで、、😔🙏

(大体読むのに15分くらいかかる😅)

もう、ブログは無理かな、、🤔

と、思いまして

この『聖なる国✨日本』

というブログで

書ききれなかった事など、まとめて

来年、2023年9月23日

秋分の日に

思いきって出版することにしました。

と言っても

電子書籍で自費出版ですが、

内容的にもマニアックなことなどなど、、自粛もせず自由に書いてみたいと思います🤩☝️

あちこち周ってると本当に怖い思いをしたこともあり、これは流石にブログに書けないな😱とゆう体験なども

思いきって書いてしまいたい👽
(考察も長いですが、、)まだ

どんな本になるか分からないですが、


普段暮らしていて、感じることのない日本の奥行きを綴れたらと思います。

この私の長めのブログも、読んで頂いてありがとうございます🙏✨

 

『聖なる国✨日本』


2023年9月23日に向けて出発🛸🛸


秋分の日🌾諏訪へ

2022-09-22 | 諏訪の道

明日は、秋分の日🌾

例によって連休を利用した弾丸ツアーに行ってくる🚀🚀

今年🌸春分の日には、出雲大社と伊勢神宮の同日参拝をしたが、

今回🌾秋分の日は諏訪中心。

神社やパワースポットというより、主にミシャグチという古代信仰を巡る旅🛸

前回、諏訪の井戸尻・尖石縄文遺跡を周ったときは、そのまま北へ新潟をすっ飛ばして山形県『出羽の国』まで行ってきた。

国宝【縄文の女神】山形県立博物館

 

 

文政4年【日本サーフィン発祥の地】
山形県湯野浜の夕日

 

明日は先ず、諏訪から日本海側の新潟県糸魚川市に出て、諏訪大社に祭られている建御名方と奴奈川姫が、糸魚川から諏訪入りしたルートを巡る予定。

 

新潟県糸魚川市【奴奈川姫】


諏訪学もよく分からない私には、
諏訪はハードルが高い、、😑

 

諏訪大社春宮

 

今まであまり触れてこなかったが、

『聖なる国✨日本』というブログタイトルどおり日本を紹介するならば

諏訪はなんとしても避けて通ることは出来ない☝️

 

😔諏訪は歴史が深く諏訪を語らずして日本は語れない、、

が、歴史が深すぎてハードルは高い

今までに無い相当なチャレンジ😱

 

 

私はファルシズムという考え方は好きではないが、

(😔見たまんまに偏ってる感じで)

尖石縄文考古館で初めてこの石棒の出土品を見たとき、😳↓↓

一瞬!世界最古の遺跡12000年前の

ギョベクリ・テペの模型展示かと思い驚かされた😅、

しかし、そうではなく

五千年前の諏訪盆地の尖石縄文遺跡からの出土品です。↓↓

 

尖石縄文遺跡の出土品と似てるのは、

正確にはキョべクリテペから30 km 離れた

カラハンテペの方↓↓↓

 

近年発掘が進むトルコの世界最古のカラハンテペ遺跡。

縄文遺跡じゃないよ☝️😂

 

諏訪は歴史も深いが、

もしかすると謎も相当深そうだ、、

 

フットワークだけは良いので、三連休でぜんぶ周ってみる💦🛸🛸🛸

↓↓↓

 

松本市 考古博物館
安曇市 穂高神社
北安曇 青鬼神社
野尻湖 ナウマンゾウ博物館
糸魚川 奴奈川神社・長者ケ原考古館・産所
上田市 生島足島神社
岡谷市 洩矢神社、藤島神社、スクモ塚
塩尻市 小野神社(鉄鐸)、
石神、御社宮寺、弥彦神社、畑中遺跡、伊那考古館、

諏訪博物館、諏訪中洲神宮寺、御作田社、諏訪大社春宮、諏訪大社秋宮、
綿の湯(八坂刀姫のコットン化粧水)

小海町松原諏方社、御射山、御射山遺跡、御射山社、諏訪大社本宮、守矢資料館、

御頭御社宮司総社、達屋社、守屋山奥宮、山ノ上神社、諏訪大社前宮、四賀普門寺、小袋石、

御座石神社塚原鎮守神社、千鹿頭神社、矢剥神社、

精進屋 (折橋子之社)、原村 阿久遺跡 、、🙄

ぜんぶ😅周れるだろうか、、

 

ちょっと前まで全国の⛩️スサノオ様を周っていたが、いつの間にか諏訪巡りが始まってる、、




スサノオ→❣️→ゲリーボーネル→富士見町→宮崎駿→→藤森栄一→ミシャグチと、何だか導かれる様に気がつけば諏訪にハマりだしている✨(変な繋がり方🙄)


(正直)、、😑ちょっと怖いです、、


が、日本をもっとよく知りたい😍

気持ちが、49対51で怖さを上回り諏訪にひきこまれる。

 

長野県諏訪盆地周辺には、

謎の『み』〜さんがいっぱいで

ミシャグチ(御社宮神)
みみず(蚯蚓)
ミズチ(咬耗)
みつは
みさく
御射山
御名方、、

(アニメ映画イッコ混ざってる🙄)

 


蚯蚓神社(みみず神社)日本で唯一、みみずを祭っている


ミミズかヘビか?謎の軟体動物的クリーチャーの紋様😮

井戸尻考古館 蛙文・ミズチ文深鉢

 

素破こそ!いざ諏訪へ 🚐=3


日本大昔ばなし①【建御名方と出雲物語】諏訪大祝へ

2022-09-12 | 諏訪の道

【日本大昔ばなし】

今回は、スポットの紹介ではなく、

諏訪大社に祭られる建御名方の一説の紹介です。(文章多め😅🙏)

前回の投稿で、ミシャグジと諏訪大社の習合について少し触れましたが、今回はそれ以前のお話し😌

興味のある方はご覧下さい🙏✨

【出雲連邦王国】

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム

国造り秘話【建御名方のヒストリー】

出雲最後の王・建御名方命

父は『出雲国』の大国主、
母は『越の国』の奴奈川姫、

この二人の結婚は、勢いを強めていた天孫族の勢力に備える為、越・出雲両国の同盟から始まった。

越の国と出雲国で、婚姻による合併策が行われ、互いの王と姫を結婚させ生まれた子・ミホススミ姫を女王とした。

そして、弟の建御名方命は皇太子となり次期大国主となる為、出雲にいた。

(前回の投稿でも書きましたが建御名方は実名かは分かりません)

ミホススミ姫は、互いの勢力境界

島根半島(ミホの岬)から
能登半島(ススの岬)まで、

越の国と出雲国を結ぶエリアの国母となり、新体制での国造りが行なわれていった。





石川県能登半島(ススの岬)

この婚姻合併策が成功したことにより日本海エリアに長大な

出雲連邦王国=

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム が誕生する。


(英語にするとカッコいいな🙄)

出雲連邦大国の盟主を、「大国主」という。

出雲は、建国当初より新羅からの国引きや和国九州勢との婚姻合併など、様々な他部族と結ぶことで礎を築いてきた国だ。

敵対的な他部族の国にまで、大国主は妻問いをし婚姻政策を進めていった。

なので、大国主には沢山の政略結婚の王妃がいた😌

特に九州の海の部族・宗像氏からは田切姫・湍津姫と姉妹二人も娶っていて繋がりは強かった。

 

福岡県宗像市 宗像大社 【ご祭神】田切姫・多岐津姫・市杵島姫

田切姫とは、スサノオ正妃の血統であった稲田姫の嫡流を途切ったということかもしれない。🤔

(🙄ないと思います)しかし、

大国主の代には稲田姫系から出雲の軸は移った。

そして最終的に、越の国との政略結婚による


別系統

『奴奈川姫ーミホススミ姫』の血統による新体制が出来上がり、出雲連邦国の盟主に君臨した。

、、奴奈川姫と大国主の政略結婚は外部に対してだけでなく、内部に対しても重要な意味を持っていたと思われる。

富山県【気多神社】越中の国一宮 ご神神 大国主命(大己貴)・奴奈川姫

【出雲の国の内訌】
出雲は隣国の『因幡の国』(鳥取県東部)とも婚姻合併を行い、
因幡の白ウサギこと八上姫を娶っていた。


伯耆国の(鳥取県西部)スセリヒメは、スサノオと櫛稲田姫の娘で大国主の正妃だった。正統なプリンセスでありクイーンである🫅

隣の因幡の国(鳥取県東部)の八上姫は他部族であり、出雲に入り後継を狙うことをスセリ姫側の勢力は許せず、伯耆と因幡に内訌を生んでいた。

一般的に「スセリヒメは嫉妬深かった」と現代ロマン風に解釈され、感情的な対立とされているが、実際はそれ以上に根が深い政治的な対立だった。

この二つの勢力を抑えたのは、


北陸の強国・奴奈川姫勢力との婚姻合併で、

この強力なパートナーの存在により、内部勢力の対立は沈黙させられた。

かくして

スセリ姫八上姫の子が次期・大国主になることは無くなり


奴奈川姫の子タケミナカタが大国主となり、

奴奈川姫の娘ミホススミ姫は、両勢力を挟み込むように能登半島と島根半島に君臨した。

(実際は美穂姫とススミ姫という二人の人物がいたのかもしれないないが🤔)

連綿と続けられてきた出雲の婚姻政策による

出雲連邦王国=

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム

の『国造り』はこれでクライマックスを迎えた。

しかし、連邦国であるが故に越の国側との間に亀裂が入ることもあり、一枚岩とはゆかなかった。

大国主こと父・オオナムチの下で大将軍の如く、

事あらば兵を出し、婚姻政策で繋いだ日本海沿岸の国々をまとめる為の軍事を建御名方は一身に捧げていた。次期出雲王(次期大国主)として、戦えぬ戦さも戦い抜いた。平時においては、出雲のミホの岬から、能登のススミの岬まで船を出し、越の国まで武威を布武し、治安を維持に努め国がためを続けた。

それ程にまだ、新しい出雲連邦大国は纏まってはいなかった。

そして、遂に

西から天孫族(後のヤマト朝廷)が侵攻してきた。

出雲勢は帰順することになる。

この時、出雲系でまだ大国主の位にあったオオナムチは天孫族とは戦わず逃げることを決めた。そして、息子の建御名方に地位を譲り、

「降伏するかは、建御名方に任せる」と言い残し、

船で息子の事代主と逃げ去っていった。

静岡の三保へ妻と共に降臨した。静岡の伊豆も出雲が語源と云われる)



静岡県 御穂神社【御祭神】 大己貴命(大国主命) 三穗津姫命

羽車に乗りお二人が降臨してきたので、日本最古の新婚旅行と云われているらしいが、、😑 (ていうよりカケオチ😳☝️)

△前々回の投稿で、弥生時代に稲作が行なわれていた事が発見された、静岡の弥生遺跡『登呂遺跡』について書いたが、静岡へ稲作文化をもたらした弥生人が流入したのと、大国主と美穂津姫が静岡へやってきたのはほぼ時期的にも重なる気がする。

静岡市登呂遺跡

【戦う建御名方命】

大国主の地位にいた父・オオナムチは戦わず逃げたが、

後を任された越の国系の建御名方命だけは、最後まで天孫族に抵抗した。

しかし、天孫族の将軍・武甕槌命に敗れてしまう。

かくして天孫族は出雲勢を祭政合併して、天孫族が政治の実権を握り、出雲側には出雲大社に祭祀を司らせる形で民衆を取り込み、皆、天孫族勢力に帰順した。

敗れた建御名方命は、仕方なく越国の母・奴奈川姫と共に川を遡り、山深い信州へと逃げていった。

奴奈川姫の一族がいた日本海沿岸の北陸地方(富山県・新潟県境)は、信州への塩の提供地でありもともと縁故があったと思われる。

しかし、諏訪まできて進軍できなくなってしまう。

諏訪側の先住部族・洩矢氏の勢力に諏訪入りを阻まれ、

建御名方命は暫く北小野(塩尻市)で駐屯していた。

その後、天竜川を挟んで両陣営は対峙し何度か戦っても決着がつかず、洩矢氏側は、武居恵美寿、横内佐口らが戦死したという。

建御名方側は、出雲連邦の残党を引き連れていて出雲氏族単独ではない。

寧ろ出雲族らは天孫族に帰服し、出雲連邦が解体され行き場を失った氏族らが行動を共にし、出雲大物主系の外戚氏族や、三輪氏、鴨氏の残党らが従っていた。

これ以上、人々の首長として互いの兵を犠牲にすることは出来ず、

建御名方と洩矢氏側とで一騎討ちをし決着をつけることになった。

  ⚔️

建御名方は藤の蔓を使い、洩矢側は鉄輪を得物に使い戦った。

洩矢氏側が負け、建御名方はついに諏訪に入りした。

狩猟部族の先住部族であった洩矢族(守矢一族)を、祭政合併して
建御名方命が諏訪の大王(大祝)となった。

△母・奴奈川姫は、鹿に乗って諏訪入りしてきたという、、。

もしかすると、奴奈川姫の一族は元々の越の国(新潟)の土着勢力ではなく、

九州の志賀島に『鹿の角』を奉納していた部族とも関わりがあったのではないだろうか。

天孫族がまだ大和朝廷を開く前の事で、天孫族にとっての東方とは狩猟民族など異民族が住む異国の地であり、建御名方が強行し諏訪に入ったという事は

『逃げた』というよりも、実質的な追放だったのかもしれない。諏訪に入った以上、二度と天孫族の土地に戻ることはなかった。

諏訪大社【上社本宮】建御名方命 

戦いの連続だった、出雲連邦王国最後の王・建御名方命の物語はここで終わった。

母の国である越の国の民、天孫族の支配下で部民となり隷属することから逃げて来た人々、最後まで建御名方命を慕い運命を共にした将軍達を諏訪入りさせ

そして犠牲になった悼むべき人々、全てに「最後は責任をとる」と言い

諏訪大祝となって最後をむかえた。

また別の投稿で詳しく、

奴奈川姫と【蛇と鹿】について書いていく・・・

(つもり😅)

書き切れれば、九州とユダヤの起源まで😌


今月は連休があるので、暫く諏訪地方に滞在してあちこち回ってから書いてみる。

数日滞在しただけで古代諏訪の歴史は深く、知りようもないと思うが、、

できる限り深堀りしてみたい、、😌

聖なる国 日本に✨
不思議な歴史がいっぱい✨😮☝️


縄文の道・ジブリがいっぱいある富士見町

2022-08-28 | 諏訪の道

日本を代表する縄文遺跡『井戸尻遺跡』がある長野県富士見町の聖地を周る旅。


【乙事諏訪神社】長野県富士見町乙事


江戸時代に諏訪の神様を勧請した。
木殿の無い珍しい神社。

 

(注連縄を左右に長く垂らすのはこの地方独自の感じがする😮)

 


宮崎駿監督『もののけ姫』の中で、

乙事主という猪の神様が登場するが、

監督曰く「乙事主と名前に使いましたが、あの辺りに猪がいたという訳ではないです。」

とのことらしいです。😆

 

 

もののけ姫の中には他にも、エボシ様、甲六など富士見町の由来の地名がいくつか登場する。

 

一本歯の高下駄を履いたジコ坊という、小太りの謎めいた人物が登場するが(日本人そのものという😅)

ジコボウとは、この地方のキノコのこと。

 

境内に生えていたキノコ😌☝️

 

 

 

 


【井戸尻歴史民族資料館】


耳をすませば、♪カントリーロードが聴こえてきそうな古い時計たち。

歴史民族資料館は、井戸尻遺跡跡地にあり、宮崎駿さんの描いたこの地方の絵も4点展示されている。


諏訪盆地は「東洋のスイス」と呼ばれるほど、セイコーエプソンをはじめ時計の製造業で知られる。

標高の高い長野県は日本の中で、一気圧低いエリアで精密機器の製造に適しているらしい。(ちなみに気圧が低い分、酸素が少なくなるので酸化作用も少なくなり、寿命は伸びるという🤔長寿県の長野と沖縄も一気圧低い?!)


また、都市伝説によれば長野県諏訪と世界最古の遺跡ギョベクリ・テペは標高が同じだという。

私はテレビやYouTubeを全く観なくなってしまったので詳しくは分からないが、標高約760mで太古に人々が集まった場所という共通点があるらしい。

考古館の展示物でも、感じることもあったので次回の投稿で書いてみたい。

 

【千と千尋の神隠し】
八ヶ岳山麓に、富士見町と茅野市、諏訪市と諏訪盆地が広がる。

千と千尋の神隠しの最初のシーンで、
運転中に道を間違えてしまう場面に登場する看板。

 

作品設定では21号線となっているが、20号線(又は旧甲州街道)上にある。

「とちの木」方面が右手になるのは東京方面から中央高速道で下り、
諏訪南インターで降りて20号線を茅野市・富士見町方面へ向かっていくルートだ。

(千尋たちは東京方面から諏訪盆地の方へ越してきたのか、😳)

 

 

【藤森栄一】
明治末の長野県諏訪市生まれの考古学者。諏訪盆地の縄文遺跡の発掘と、当時は革新的であった『縄文農耕論』を唱えた方。

ちなみに藤森栄一さんは『となりのトトロ』のお父さんのモデルと云われる方です。

😌☝️設定が考古学の先生なのでそのようですが、私は『耳をすませば』のお父さんが一番似てると思います。『魔女の宅急便』のお父さんも含めて「結局、お父さん皆な同じじゃね?」説がありますが、青年の藤森さん、壮年の藤森さん、往年の藤森栄一が全ているのかもしれません😌

アーヤのマンドレイクも、🤔

(私は「かもしかみち」という藤森栄一さんの本を読んでからトトロを観たのですが、作品から伝わってくる様な藤森栄一さんの世界に涙しました😭監督の素晴らしさにも感動🙏😭本当に色んな事を作品から学ばせて頂いてます、)

 

【井戸尻のストーンサークル】(復元)

 

藤森栄一さんは井戸尻考古館初代館長の武藤雄六氏ら数々の弟子を輩出し、

宮崎駿監督も影響を受けた様で、ジブリ作品の中にもその世界観が感じられる。

今では藤森栄一さんの本はなかなか閲覧する事も出来無いが、、😔

(単行本中古6万円😅)

宮崎駿監督の作品からほのかに世界観が伝わってくる様で嬉しい。

宮崎駿さんは富士見町の人より、富士見町に詳しいと言われるほど。

奥様の別荘がある様で、いらした時は参拝などもされてる様です。

もしかして前前々回の

小袋石の投稿で、参拝時にすれ違った老夫婦がそうだったのかもしれない、🤔

(違うと思います😅)

 

 

「SF作品?!」と見紛うほどの縄文土器。😳

シュメール人、、巨神兵?

ラピュタのロボット兵、サンの仮面、、😮

 

(空まで縄文が浮かんでる様な不思議な空)

 

また別の投稿で「縄文人」 

山の民についても少し書いてみたい。


(絶対少しじゃないと思う😅)

 

今日は山形県。これから押出遺跡へ。🚗🚗🚗


長野県【小袋石】紀元前ミステリー・縄文とミシャグジと諏訪大社

2022-08-08 | 諏訪の道

【小袋岩】諏訪七石の一つ。

諏訪大社・本宮と諏訪大社・前宮の間ぐらいにある小袋石(おふくろいし)というスポットへ向かった。脈絡なく、『縄文』→『ミシャグチ』→『諏訪大社』と、この地方の歴史をザックり触れつつ書き進めていきます。

 

日本列島を圧し折っているフォッサマグナと中央構造線が交わる特別な場所にある😅長野県諏訪市と茅野市の境界付近。

ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界でもあり、そこに関東から九州を貫く世界最長クラスの活断層が横切る。活断層の十字架の中心部だ。

 

諏訪大社「上社本宮」

 

諏訪大社には上社と下社があって

上社本宮・上社前宮、
下社秋宮・下社春宮、

合わせて四社を諏訪大社というが、上社本宮が一番大きく賑わっている。

 

諏訪大社「上社前宮」の拝殿下の風景(途中、外に出てから更に上がってく…)

 

他の諏訪七石は、諏訪大社・上社本宮などに点在しているが、

普通に見ることが出来るのはこちら😌

 

諏訪大社・上社本宮の【御沓石】

 


古くから東日本には、諏訪大社のある長野県を中心に『ミシャグチ』という信仰が存在していた。

 

弥生人が渡来してくる前の時代、

古事記・日本書紀に由来する西日本の歴史が始まる遥か遥か昔、

5000年前の東日本の山梨~長野にかけては縄文文化の中心地があった。

更に遡れば23000年前の旧石器時代から人が住んでいた地域だ。

 


長野県諏訪へ向かう途中で、突然思い立ち、手前の山梨県にある釈迦堂遺跡博物館に寄ってみた。

土器土偶など出土品は日本最大級。

 

 

かつては、東日本の中心地として栄えた場所らしいが、今はいつ来ても誰も居ない😅

 

 

黒曜石の産地で、東日本の土器流通拠点だったようだ。

黒曜石は鋭く加工しやすく、金属器が登場するまでは石器の刃物として使われていた。


今から約5000年前縄文時代中期の土器や土偶が展示されている。

 

縄文人のボディピアスは、なんと00ゲージ以上の特大サイズ😳

 

(どうやって空けたんだろう🙄)

耳飾りも多数出土している。

 

5000年前の【住居跡】

 

東日本には、西日本の古事記・日本書紀に綴られてる天孫族の歴史とは別系統の歴史が、多元的に存在している。

(だいたい歴史は遡るほど多元的になるもの🙃川も上流にいくと支流が増えてくるのと同じ)


イザナミ・イザナギ、天照大神がこの日本列島に現れる一万年前、

縄文人は、祭事はあっても神や宗教を持たなかった。

おそらく直接的な根源との繋がりを、パラダイムとして持っていたと思われる。

宇宙のエネルギーの繋がりと独自の死生観を持っていた様だ、、🤔

それはあくまで

パラダイム(考え方)であって、

レリジョン(宗教)でも、フェイス(信仰)でもない。


逆説的だが、むしろ『神や宗教』とは、そうした意識や精神性が不安定だったからこそ発生したと言えるかもしれない。🤔

 

水煙土器。(長野を北上し新潟へいくと火炎土器に)


私たちはその縄文人の死生観(サナトロジー)さえ伺い知ることは出来ず

壊された土偶と埋められた場所などからその意味を想像することしかできないが、

その文化の中で彼らは、食を絶やさず子孫を絶やさずに1万年も生き続けてきたことだけは確かだ。

現代人は太古のパラダイムや精神性を、現代より劣ったものとして常に見下す傾向があるが、一万年というサスティナブルな文化は現代の文化が及ぶものではなく、現代人の常識を外して考えなければならない事に配慮せざるを得ない。

 

宇宙のエネルギーと繋がる(或いは空を覆っている電離層から)儀式は

天地母神への祭祀というより、アーシング、グランディングという意味があったのかもしれない。

こうした宇宙の摂理に対する不思議な感性は、現代のわたし達が伺い知ることが出来ない分野だ。

🙃巨石信仰という言葉も、縄文のテクノロジーやパラダイムが理解できない為、仕方なく「信仰」という言葉に当てはめているにすぎない。😔

 

【小袋石】

【ミシャグチ】については諸説あり、私は知識がなさすぎるが・・・😅🙏

ミシャグジ信仰も神への信仰ではなく、エネルギーそのものを下ろす信仰だと言われている。

このエネルギーはマナ、プラーナ、レイキ、フォース👽、コズミックエナジーなど様々な呼び方の例えはあると思うが、

ミシャグチというのも神ではなく、そのエネルギーの呼び名に関連するのかもしれない🤔。

【1つ目の祠】

小袋石まで上がる途中、四つの祠があり、この祭り方になんとなくミシャグジ感を感じる、、😮


ミシャグチ=木を依り代としてエネルギーを下ろし、その場所に石柱を埋めたり祠を祀る。

【2つ目の祠】

こちらの祠は小さいながら、諏訪大社と同じように四隅に柱が立てられていた。そして祠の後ろには依り代と思われる木🌲が、、

 

【3つ目の祠】

石柱や祠はアンカリングか、目印だろうか🤔。年月を歴て損壊・喪失があっても、新しい物に代えられ連綿とランドマークの役割を果たしてきたようだ。

 

【4つ目の祠】

 

 

玉尾社の右にある巨石が、小袋石

諏訪大社の想念が集まるという不思議なスポット。背後に守屋山、、

 

なんと!!

突然、謎の青い光が現れた。😳 

 

 

(不思議な光👇ちょっとビックリ)😮

 

 

「ここです!」

と言わんばかりに祠へと下がり

 

・・・・😑

 

何かの偶然だとしても出来すぎている・・・

😑

 

ミシャグジ=という信仰は、

『木をつたって天降る神霊が、石に降り宿る』

というもので、木と岩(石祠・石棒)がセットになっているが、

まるでその様を見させられた雰囲気だ。

😑😑😑

 

 

参道入口は看板があるのみで目立たない山道

 

 

 

【小袋石】側面

 

諏訪大社や石をメインに考えず、背後の「守屋山」を中心にしてみた場合

ちょうど鬼門の方角にそれらが配置されている感じだ。👹

 

 

諏訪大社【上社前宮】の十間廊

 
 
こちらに、鹿の頭が75供えられていたという。
しかも耳の裂けた鹿を入れて・・・
 
なんだか呪術的なイニシエーションだが、
 
諏訪大社にも「ユダヤ起源説」もあり、
諏訪大社で祭っている「建御名方」(タケミナカタ)にも諸説アリ
(私の産土神様だ😮?)
 
諏訪は特異な謎が多く、
 
いつか連泊してゆっくりと回ってみたい。
 
 
 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△


小袋石は別名『船つなぎ石』とも言う。

かつて、諏訪湖の水面がこの高さまであり船を繋いでいたという伝承が残る。

諏訪盆地は活動的な断層地帯で、諏訪湖自体も1000mは沈下してるらしいが埋まるのも早かった様だ。

縄文人が住みだしてから二千年後の

約9500年前から現代まで、諏訪盆地には大規模な地盤変動が七回あったらしい。

 

もともと、フォッサマグナ(=大地の裂け目)で地盤降下地帯ではあるが、

佐久や諏訪など、八ヶ岳周辺の盆地が太古では湖水に被われていただろう事は容易に想像できる。

 

映画『君の名は』では、新海監督は逆に湖ができたストーリーにしてるのが面白い。実際に長野県佐久市の新海神社に行ってみると(やはりかつては湖だったのでは?)と、感じてしまうほど見事な盆地だった。🤔


山なのに『船』😳ですか?

という地名は全国にあるが、

大概は、天鳥船に乗って降臨したという日本神話による伝承。
渡来ユダヤ人を起源とするケースでは
洪水の後、ノアの箱舟がアララト山頂きに漂着したという故事にあやかり
『山に船を』となる。

しかし、実際に「船を繋いでいた」という伝承が残る山は珍しい、、😮

全国でここだけかもしれない。

流石、地盤変動がAクラスの諏訪盆地だけある。

 

岩石は古磁気を残し、

この地方の地質学的な変化を知る手掛かりになっている。

縄文文化では、岩石の磁性を利用した縄文ピラミッド(環太平洋ピラミッド)などが知られているが、
ミシャグジの石柱もそれに近しいものなのかもしれない、、🤔

ミシャグジも

小袋石も深堀りしても、

容易に謎が解ける事はないと思うが

 

諏訪には小袋石を大切に思い、大事にしている方々がいるらしい。

 

私が行った時も、老夫婦の参拝者とであった。😮

(Sugar Babe のジャケットから飛び出したような、おしゃれな方達だった😮)

 

 

不思議な国 日本の『諏訪』✨🙏