聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

徳島県 剣山 Ⅰ.天孫降臨 イスラエルの聖地

2013-06-11 | 古代ミステリー

【剣山】百名山のひとつ。

剣山は謎が深い、 謎の深さはそのまま、神聖の深さかもしれない。。。

元は立石山と呼んだが安徳天皇が宝剣を奉じ剣山に改名されたとの伝承がある。

 
天然の山のようだが、ピラミッド(天然の地形を利用した)とも云われ、

太陽石やミイラが発見さたれという話もある。頂上付近には巨石群も多い。


しかしピラミッドよりも、キリストの墓(又は弟イスキリ)があると云われる青森県へライ村と同様イスラエル由来が色濃い場所として有名だ。

イスラエルのソロモン王の秘宝=三種の神器が入った【契約の箱】(失われたアーク)が、隠された山として知られる。

 
イスラエルの秘宝【契約の箱】  日本のお神輿の起源と云われている



車で、見の越リフト・駅前駐車場(無料)まで行く。
国道なのにバスも通れない道や高低差とうねる路が続く難コースを一時間ほど走り辿り着く秘境だ。



リフト乗場駐車場手前にある剣神社


参道   狛犬


リフト(往復1800円)からは約40分ほど、良く整備された遊歩道での登山となる。
リフト 遊歩道


旧約聖書に記されている【ノアの箱船】が大洪水の後に

アララト山頂に辿り着いたという7月17日には、

剣山頂まで神輿を担ぎ上げる御祭が毎年行われている。

みこし渡御祭


それにしても何故?

日本の徳島県の山にイスラエルの秘宝【契約の箱】があるのか…?!

日本人として日本を軸足にして考えれば、非常に違和感がある。

しかし、実際イスラエル由来のこの地に立ってユダヤ人の立場で考えてみた。

まだ日本という国は無く、仏教もキリスト教さえも無い、先史時代の事だ。

◇ ◆ ◇
   古代世界は国や国境が未発達だった為、比較的ボーダレスで、

   (物理的困難はあるにせよ)人々は自由に世界中を行き来することができた。

   現代の様な多民族の国もなく、一族や民族が帰属の根幹だった。

   アッシリアやバビロニアの侵攻によって西アジアを追われ、

   居場所を失ってしまったユダヤ民族が、 最も大切な守るべきものを、

 
   絶・対・見・つ・か・ら・な・い・様にと願うならば、

   最も遠くに隠すのは当たり前の事に思う…。

   日本は、今でこそグローバル経済の主幹の地だが、

   古代アジア世界では、世界の果てが日本であり 

   中国、インダス、エジプト、オリエント文明などもおよばない辺境の未開の地だ。


「日本にやって来た」という訳ではなく、アッシリアやバビロニアが及ばないくらい

遠い東の果て、大国や文明の少ない彼方の島まで逃げてきたということなのだろう。

そして、1000年後、

そこに日本という国が建国されるとは夢にも思わなかっただろう。






日本は尾根続きの山が多いが、谷底まで山裾が切れ込むような景観は

いかにもここが秘境だということが分かる。



大陸から渡れる九州や本州より、更に海ひとまたぎ越えてやってきたこの四国の秘境に

秘宝を隠す人も、安堵したことだろう。



  摂社 

狛犬  
この地方の鳥居は朱塗りされず珍しい生木のものが多い

狛犬は前掛けや足袋を履いていたりする。これも珍しい…





 
剣神社本宮 横の石段を上がると頂上

頂上


 
頂上の宝蔵石 いかにも秘宝が隠された岩ですっぽい呼び名だ。



頂上に着いた頃にはいくらか陽も見えていたが、

登ったとたんにわかに荒れだした。 相変わらず天候には恵まれない…



霧というより、山頂一帯が下から吹き上げる雲に覆われ、スモークを焚いたようだ。





あっと言う間に何も見えなくなってしまった。



そのうち風速20~25mもあろうかという強風が吹き荒れてきて、

立っていられなくなり、仕方無いのでその場で寝そべっていた。


暫く…雲海の津波のような風に吹かれたまま、この場を感じていた。





神々しいというか、龍がおどろおどろしく頂きをはう様だ・・・

天叢雲の剣…山?


険しく連なる山々と嵐の中で、私なりにユダヤ人渡来伝説を勝手に完結させる。

西アジアから遠く離れた、この東アジアの果ての秘境ともいえる場所は、

間違いなく、秘宝を守る事に叶った場所であろうと感じた。


 雲の切れ目からの十字架

降りる頃になるとようやく晴れ間が出てきた。


帰りは大剣神社を通るコースでリフト乗場まで下る。

 大剣神社

 クラスターの様な大剣の巨石


大剣神社の下 御神水 100名水のひとつ



契約の箱には、三種の神器、石版・アロンの杖・マナの壺が納められているという。

中国へ密教を学びに行き高野山を開いた弘法大師空海は、師事した恵果和尚によりこれを知らされ、この聖地を守る為に四国八十八巡礼霊場を開き人々の目をそらしたとのこと。

弘法大師 空海の俗名は「真魚」マナといい、マナの壺を想起させ、
魚は十字架に次ぐキリストのシンボルでもあり、その奇妙な符牒に都市伝説的な憶測も生まれる。

マナの壺は、ダビテ紋と共に【旧約聖書】と【古神道】を結ぶな有力な神器であり、

真名井神社や伊勢神宮の豊受大神と関わりが深い。

仁徳天皇陵などの前方後円墳はマナの壺を象ったものとの説もある。




 前方後円墳型の雲


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