聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

白蛇の棲む神木【日々神社】神奈川県

2023-02-28 | パワースポット

【日々神社】
神奈川県相模原市緑区大島2250

御祭神 伊邪那岐 天照皇大御神


白蛇が住むという御神木で
有名な神社⛩️

神奈川県の中央を流れる相模川の近くにある。

手水舎には、白玉の上にローズクォーツが敷かれていた😮

元は、日の宮という。

相模川沿いは、スサノオを祭る八坂神社が多いがこちらの境内にも八坂神社が祭られている。

神木の横の白い鳥居の奥に鎮座される。

こちらの神木に願い事をしご利益があるとのことで、日本各地から参拝に来る方も多いという。

拝殿よりもまず、この木に目を奪われる。


スピ系やサイキックの方の間では、

知る人ぞ知る白蛇の棲むご神木らしい、🤔

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たまたま参拝した時、この御神木の前で宮司さんが『ひふみ祝詞』をあげていたのにビックリして😳ずっと聴いていた。

物部氏の石上神宮や、弥彦神社などで行われる『十種祓詞』の奏上もされていた。

参拝客が唱えてたり、私も時々唱えたりするが、『十種祓詞』は本来は石上神宮のみで行われるものだったらしい。

神社本庁は採用しているものの、実際に😳神社で神職の方が上げているのは、初めて聴いたかもしれない。

これらの祝詞には、浄化の力があるらしく神木の浄化の為にあげられている様だった。


前回のツキ神社の女性宮司さんに
続いて、レアな宮司さんとの出会いの機会に感動。✨⛩️


卯年の干支神社・埼玉県【調神社】の不思議な狛兎

2023-02-26 | パワースポット

調神社(つき神社)
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17−25


鳥居が無く、狛犬も居ない⛩️

『狛兎』🐇で有名な神社

浦和駅から徒歩10分ほど。
大きな神社ではないが駐車場もある。

狛犬でなく、神社には兎、河童、狼、狐、猿などが守護として置かれていることがあるが、

調神社は入口だけでなく、境内いたる所に兎がいる。

兎には『氏子中』の文字があり、全て氏子さん達からの奉納品らしい。

手水舎も龍ではなくウサギさん、デカい。

創建 倭姫
調(つき)宮と言い、伊勢神宮に天照大神を祭った『倭姫』が神宮への調=みつぎ物を納める宮としたことが神社の由緒らしい。

4世紀頃の事だろうか、、🤔


帰りに近くの『楽風』とゆ〜古民家カフェに寄ってみる🍵

茶釜から、お湯を頂いて三煎目まで飲んでみた。

一煎目、香ばしい
二煎目、渋い
三煎目、甘かった😳☝️

ちょっと感動。

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『調』を、音読み訓読みで、しらべ、ちょう、と読まずに、

調=ミツギというのは、ミツギ物を献上・収公する場合の独特な言い方の様だが、

調=ツキと訓むのは、人名訓みで

人名のみに使われる特殊な読み方らしく例が無い。

(広島県にかつて御調という地名があったらしいが)

神社の七不思議などあるようだが、

こっちの呼び方の方が不思議だった。😳☝️

しかも、境内には
月のシンボルである兎がそこかしこに鎮座されているので、

月の当て字に使われている様だ。

つき神社の七不思議には、スサノオと月読命の話しが登場するので、

「月」は関係ありかもしれない。

スサノオがこちらから戻らずに、

兄弟神の月読命が待ちくたびれたという

逸話だが、

古典(古事記・日本書紀)にはない、

月読命の貴重なエピソード✨

月読命は、女性神なのか男性神なのか

よく知られてない神様だが、

こちらでは女性神の様だ。

そして驚いた事にナント!

女性の宮司さんがいらっしゃった。

巫女さんではなく、

狩衣装束に烏帽子という、女性の祭祀は、

浅草の今戸神社以外では初めて見たかもしれない、、

これも感動🤩⛩️

不思議な神社。


【青鬼神社】長野県白馬村

2023-02-04 | パワースポット
【青鬼神社】
長野県北安曇郡白馬村北城17446
 
 
白馬村の青鬼という集落にある。
 
御善鬼様という善い鬼を祭った神社だ。
 
 
 
 
 
 
山奥の寒村だが、何気に参拝する方がとぎれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ご祭神 御善鬼大明神さま
 
 
 
 
 
奥宮が9世紀に創建され、10世紀に創建された。
 
 
 
 
 
 
 
七世紀末のこと。
長野に『水無瀬』という、かつては湖だったが水が涸れた盆地があった。
 
天武天皇朝の末期に、ここに奈良県の飛鳥から都を移そうという計画があったが、
 
水無瀬に居た「鬼」と呼ばれる人々が里を守らんとして一夜にして山を塞いでしまった。
 
天武天皇は、阿部比羅夫を派遣し彼らを掃討した。
 
鬼達は隣の白馬村に移り、村人に尽くし住まわった。
 
村人達は、御善鬼様と呼び彼らを祭り「青鬼」という集落になった。
 
水無瀬には鬼が居なくなってしまい、鬼無里という地名になった。
 
 
 
 
 
この頃の長野は、日本海側からの上陸後の拠点でもあり既に善光寺が築かれていた。
 
 
古人大兄皇子は、この方面に逃げ、
第二次世界大戦末期には、長野に皇居と大本営を移す計画があった程、長野は要害の地だが、鬼無里は山奥の盆地であり
 
天武天皇朝末期の事なので、遷都というよりは天智天皇系に備えての
避難と籠城の構えだったのかもしれない。
 
 
 
朝廷の征服に従わない異民族を鬼・土蜘蛛などと呼んでいた事もあり、
 
里を守ろうとした為に、鬼と言われたのかもしれない。
 
 
「鬼」というと勧善懲悪の代表の様になってしまっているが、
 
必ずしもそうとも言えない。
 
 
 
ほどなく天武朝は終わり、遷都は無くなるが鬼の伝説と地名だけが1300年経った今でも息づいている。
 
 



 
 
 
 
 
 
画像は昨年のもの
 
もう冬眠している頃だろうか。
 
 
#もう鬼は外はいいかな