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関帝廟と媽祖廟【日本の中の二つの中国】横浜中華街

2022-05-05 | パワースポット

中国の神社といえば、関帝廟と媽祖廟。横浜中華街に祭られている神社を紹介します。

 

みなとみらい線『元町・中華街駅』~近く朝陽門辺りから入ると行きやすい。朝陽門付近は大きな駐車場も沢山あります。

中華街はいつも人々で溢れててエキサイティングです、

パワースポットというより、エネルギッシュなスポット。

 

【関帝廟

関帝廟は、3世紀の三国志時代の『魏・呉・蜀』のうち蜀を建国した劉備玄徳のもとで活躍した関羽将軍を祭っている。

中国の宗教というと道教や儒教、仏教だがそれぞれ習合(ミックス)されている様で、『関帝廟」や『媽祖廟』の様な民衆型の(ストーリート系の)宗教に依る合宗信仰が根に濃い。

 

 

関羽将軍は、中国文明の中心地、河東の人。(黄河文明、洛陽など中原)

 

 

お参りは、「三拝 合掌 ・・・ 一礼」 で。

 

 

お線香(500円)を献じる時は、本殿前の五つ祭壇の神様に一本づつあげてからお参りする。

 

本殿でのお参りは、

三拝 合掌 ・・・(名前住所お願いごとを唱える) 一礼

と、拝殿のスタッフが丁寧に教えてくれる。

 

 

狛犬も、日本の神社と同じ「子抱き」と「玉抱き」型

関帝様は商売の神としても祀られている為か、お金も抱かれている😮

 

金紙(千円)を燃やし、天へ願いを届けるのは圧巻でした。

紙がパラパラパラっと吸い込まれ、天へと上がっていった。

 

※ここで😌疑問です、何故に人々は魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備玄徳や漢の皇帝でもなく、劉備玄徳の義兄弟、関羽・張飛・劉備の三兄弟のうちの【関羽】だけを神として祀ったのか…?(三帝廟でなく関帝廟)☝️これについてはまたいずれ・・・

 

 

媽祖廟

媽祖神は11世紀頃、中国の江南地方で生まれた、航海の女神様だ。

天后、天妃とも言う。

東シナ海には、古くから続く航海ルートがあった。

アフリカ東岸から発生し、インド洋から太平洋岸へ吹き抜け日本へ梅雨をもたらす季節風のルートは、『海のシルクロード』と呼ばれる海上貿易の航路だ。

西アジア・南アジアを結ぶ貿易拠点インド、香港や上海など中国江南の貿易都市が栄え、航海の女神への信仰も盛んになる。

上海から船を出すと、種子島に着くらしく、

鹿児島県には中国の船乗り達の『航海の安全を祈る信仰』によってこの江南の女神様がもたらされた。(しかし明治以降は媽祖神は他の神様に置き換えられてしまい、現代では女体神社などになっているという説も)

社務所も御朱印もなく、宮司さんや巫女さんもいない。

お守りやお線香・金紙を売っているスタッフの声かけと、お参りも線香を買うとアトラクションの様に丁寧に手順作法を教えてくれる。

参拝者は観光客ばかりだが、

参拝もせず拝殿の下で写メを撮っていく人々が殆ど。

(もはやアトラクション 笑)

金紙(千円)

拝殿に捧げ、願いごとを祈願した後で、

拝殿の下で燃やして天に上げる

御朱印ではないが、お線香と金紙を頂くとカードが貰えた。

 

【頂いたカード】

媽祖さま

関帝さま

どちらも、「平安」という言葉が入っているのがいいです。

狛犬も社殿も、こうしてみるとやはり日本の建築様式はカラ国から伝来したんだな…と思う。カラーリングの絢爛さはさすが中華という感じだが、、

 

日本はもともと社殿を設けずに、岩上祭祀・露天祭祀の時代が何世紀か続き、その後、藁ぶき屋根の時代を経て、7世紀頃、聖徳太子の時代に私達が知るこの様な建築様式になっていった。

 

【関帝廟通り門】

電柱まで赤い、、😮

 

横浜市の公園の東屋😂?日本離れしている、、

 

 

媽祖廟の帰り際、スタッフさんに「お守りもどうですか?」と声をかけられたが、お金があまりなかったので「先に関帝廟を回ってからまたきます」と。お金をおろして関帝廟を周ってからまた媽祖廟に寄ってお守りを買ってきました。

「両方周ったらから今日は良いことあるよ」

とスタッフのおばちゃんが…

こういう、お土産屋さんのおばちゃんの様な気さくな感じは日本の神社にはない。

 

 

駐車場の近く、関帝通りの門の下で「苺飴」を売ってたにーちゃんが何度も声かけしてくるので、

「後で買うよと」、、帰り際に一本買ってみた。

となりで天津甘栗を売ってた母ちゃんらしきおばちゃんが、

まるで中国映画から飛び出してきたかの様な、あのけたたましさで、

「美味しいよ オマケするよ」「千円のに三つつけるどう?!」

「まだ足りないか。そしたら千五百円のに10個つけるどうか!?まだダメか?」

と、オマケしながら値段を上げてくのがあまりにも面白くて🤣、、

つい買ってしまった。

あなた、戻ってきた。いっぱい買ってくれた。あなたいい人。

「シェイシェイ」と親子二人で口を揃えて見送ってくれた。

これもまるで映画のワンシーンのような、、🤣☝️

 

なるほど、

「今日は、良いこと」あったかな。

オマケして貰ったし?🤣面白かった。

 

媽祖廟のおばちゃんの

「今日は良いことあるよ」の一言がなければ、

これを「良いこと」とは思わなかったかもしれない😂☝️

感謝だ✨✨

シェイシェイ🙏✨

 

(珍しくブログっぽいこと書いてる🙄)

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

もう少し媽祖さまについて書きます、、

 

媽祖様は中国では最上位の女神様だ✨👸

元は海の女神さまで10世紀、江南地方の「林家」に生まれた媽祖娘は、次々と奇瑞を顕し巫女となり、亡くなった後に後世の人々に神として祭られた。

その後、歴代の王朝と皇帝からの崇敬を集め、

『天妃』『天后』『聖母』と数々の称号を受けた。

中国交易船の船乗りたちは、海の女神である媽祖様に航海の安全を祈り、

鹿児島県南端にある笠沙の岬の山を娘媽山、天妃山(娘媽・天妃=媽祖のこと)と呼んで、この山が見えてくると、無事日本に着いたと酒を飲み祝賀したといいます。

娘媽山の山頂には媽祖廟が祭られました。

(現在は中腹に移され、野間神社になっている)

これは中世から江戸時代の長崎貿易まで続いていたようです。

かつての日本人は笠沙岬のこの山の事を、笠沙獄と呼んでいました。

 

天孫降臨の日本神話では天孫ニニギ命がこちらの笠沙の岬へ上陸し、国津神の大山祇神の娘・コノハナサクヤ姫に一目惚れをして結ばれ、『笠沙の宮』を建てて住みました。

 

今では、笠沙の岬でなく『野間の岬』と地名が変わっていますが、

 

この「野間」とは媽祖のことで、娘媽(=にょま?)が、語源と云われてます。

日本古来の地名が、中国人の呼称に変化した珍しい地名です。

中国交易船の船乗りたちが頻回に来るようになった中世よりずっと前、古代の時代に天孫族の子孫は東方に移っていき王朝が紀伊半島の大和になった為、日本神話の起源「笠沙の岬」はすでに寂れていて、後から来た中国人たちの信仰が根付いたのかもしれません。(今はもっと)😔

 

ちなみにニニギ命は、「ここ笠沙の岬は朝日夕陽がさし、韓の国も見える良きところ」

と言いました。この「韓の国」とは通説では韓国でなく中国のことという説があります

が、どちらも数百キロ離れていて肉眼では見えません。😅

 

秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて日本へ遣わした伝説の「徐福」が種子島にいたらしいですが(その後はやはり紀伊半島へ)、中国人の居る種子島であれば見えたかもしれません。

 

種子島も、いってこようかな…😂

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『二つの中国』

広大で四千年以上の歴史のある中国。

黄河文明と長江文明、二つの文明が合わさったのが中国文明だ。

北の黄河と南の長江、この大河をはさみ、

河北の『漢の国』と江南の『呉の国』という二つの別々の国が合併した。

漢字にも漢音と呉音があるように、衣服も漢服と呉服があり、言葉や文化はまるで違っていた。 

、、今でいう合衆国・連邦国の様なものだろうか?

「川」という言葉も、北は「河」で南は「江」だ🙄

日本人には、呉音、呉服といった南方の文化の方が馴染み深い。

和服を呉服といったりするのも『呉』の織り方が起源らしい。

南方には刺青の文化がある。

 

今から約7000年以上前のこと、まず南の長江で文明が生まれた。

長江文明は、大規模な稲作と高床式住居、農具や縄紋のある陶器を使い、起源前5000年に地球が温暖であった頃に、長江の下流(上海方面)で繁栄した。


その後の気象変動や氾濫により長江を放棄し北の黄河に移り、黄河文明へと繋がったとの説もある。或は、上流の三星堆遺跡の方へ🤔

北の黄河文明は、長江に比べ当初は乏しかったが、龍山文化という時代を経て、以降は中国の中心であり続けた。

中国四千年の王朝の歴史は、北が中心となり、

南は、北からの圧迫や支配を受ける側となっていった。

概ね北が強く、南の文化は迫害されたり反乱を起こしたりして、また北側で追われた者達は南へ南へと逃げた。

 

かつては、漢王朝が滅亡してしまう三国志の時代への引き金となった

【黄巾賊の乱】の様に、支配者側と民衆側の宗教的対立があり、

南と北は幾度となく分かれては統合されてきた。

かの【卑弥呼】の一族も許氏という巫術師の一族で、中国江南地方『呉』の孫堅から迫害され日本へ逃げてきたたという。

やがて時代が下ると民衆型の宗教は、歴代の王や皇帝も民衆が崇め祀るそれらを支持し、習合された。

 

今も南京・北京と都が分かれてるが、北と南でそれほど濃淡は感じない。

河北の関帝、江南の媽祖、どちらも民衆が神として祭った存在で男性神と女王神でバランスがいい。

 

次は、媽祖様が習合されたという

女体神社に行ってみる。

 



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