▲貞観津波の碑
「みちのくひとり旅」計画当初は、野蒜界隈でレンタカーを借りて各所を回ろうと思っていたのですが、仙台か石巻まで行かないとレンタカーを借りることが出来ないことが判明しました。
そこで、私の旅としては例外中の例外なのですが、タクシーを時間貸しで借り切ることにしました。
どうせなら、佐藤さんゆかりの「奥松島観光タクシー」にお願いしようということで電話ですると、問題ないとのことで予約も電話で成立し、当日の朝、宿まで迎えに来てもらいました。
まずは当地の観光名所である、展望台、大高森に行きました。
タクシーでおよそ10分ほどの移動で大高森展望台下の駐車場に到着。
登りはおよそ15分ほどということでしたが、登れば登るほど急になる階段に辟易、それでもなんとか展望台に到着。 松島の風景を楽しみました。
▲大高森展望台 松島の大パノラマ
▲登れば登るほど急になる階段 今上陛下も若き日に登られたそうです
しかし、折り悪く本格的に雨が降り出してしまい、せっかくの展望台でしたがそそくさと降りることに。
続いては、野蒜地区と橋でつながる宮戸島にある、「貞観の津波の碑」に移動しました。
▲道端にぽつんと
東日本大震災に遡ること1100年前、貞観11年(西暦869年)に大地震が発生し、大津波が三陸沿岸を襲いました。
その時、宮戸島にも島の両岸から津波が押し寄せ、この「貞観の津波の碑」のところでぶつかった、という伝承があったのです。
写真の通り、なにか彫ってあったのはわかるのですが、もはや判読不明です。
ただ、当地の住民には大地震の時は、この「貞観の津波の碑」より高い場所に逃げろ、という伝承として伝わっていて、実際、東日本大震災のときはここより高い場所にある小学校に島民が避難し、地震発生時に島にいた島民全員が難を免れたということです。
▲この辺りまで津波が来ました
実際、東日本大震災のときも、「貞観の津波の碑」から数メートルの地点まで津波が押し寄せました。
▲「貞観の碑に感謝」の碑
「貞観の津波の碑」の隣には、この伝承のお陰で島民が助かった感謝の記しとして、新しい「貞観の碑に感謝」の碑が立っています。
▲上り列車停車付近
「貞観の津波の碑」を後にして、旧野蒜小学校に移動しました。 その途中、仙石線登り仙台行が停車し、津波に被災した現場を見ました。
避難場所として指定されていた、旧野蒜小学校の体育館まで徒歩数分であることもよく分かりましたが、これで運命が決した乗客がいたことを思うと心が重くなりました。
大地震のため停車した上り列車車掌は、無線で東松島市指定避難場所である旧野蒜小学校の体育館まで乗客を誘導するよう指示を受け、そのとおりに乗客を誘導しました。
▲旧野蒜小体育館跡
校舎にいた小学生と避難してきた周辺住民で体育館はごった返していて、そこに津波が押し寄せてきたそうです。
旧野蒜小学校は「KIBOTCHA」という防災体験宿泊施設に変わっていました。
とはいえ外見は、よく見るコンクリート造りの小学校校舎そのままです。
施設内も見学可能とのことでしたが、フロントに誰もおらず、ここはパスして、トイレ休憩もかね旧野蒜駅 東松島市震災復興伝承館に移動しました。